柴崎晃誠

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本来の表記は「柴﨑晃誠」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
柴﨑 晃誠 Football pictogram.svg
名前
愛称 コーセイ
カタカナ シバサキ コウセイ
ラテン文字 SHIBASAKI Kosei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-08-28) 1984年8月28日(33歳)
出身地 長崎県雲仙市
(旧南高来郡国見町
身長 176cm
体重 65kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 サンフレッチェ広島
ポジション MF
背番号 30
利き足 右足
ユース
1991-1996 国見SSC
1997-1999 町立国見中学校
2000-2002 県立国見高校
2003-2006 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2010 東京ヴェルディ 109 (11)
2011-2012 川崎フロンターレ 39 (1)
2012 →東京ヴェルディ(loan) 13 (0)
2013 徳島ヴォルティス 38 (6)
2014- サンフレッチェ広島 83 (15)
代表歴2
2011 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年1月1日現在。
2. 2011年5月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柴﨑 晃誠(しばさき こうせい、1984年8月28日 - )は、長崎県雲仙市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー国士舘大学卒業。Jリーグサンフレッチェ広島所属。

来歴[編集]

南高来郡国見町出身、小学1年生から地元国見少年サッカークラブで学んで育ち、長崎県立国見高等学校では小嶺忠敏のもと活躍した"国見っ子"である[1]

生まれ育った近所に徳永悠平がおり小学校から高校まで同じ学校の1年先輩、渡邉大剛とは中学からの同級生[1]。国見高校の2年先輩に大久保嘉人松橋章太、1年先輩に徳永・徳重健太片山奨典蒲原達也近藤健一、同級に渡邉・松橋優園田拓也巻佑樹、1年後輩に平山相太中村北斗兵藤慎剛関憲太郎、2年後輩に渡邉千真城後寿藤田優人がいる。柴崎が高校在学中、3年連続で高校選手権決勝に進出し2度の優勝を経験、特に2年時第80回大会では片桐淳至と共に大会得点王を記録している[1]

2003年、小嶺に薦められ国士舘大学へ進学、国士舘大学サッカー部へ入部する[1]。同期に養父雄仁金子進金子央朋深澤幸次山崎祐輔。なお柏好文は3つ、塩谷司は4つ下の後輩。養父とは共にボランチとして活躍した[1]

大学在籍中に東京ヴェルディ1969の練習に加わり、大学卒業後の2007年に正式入団する[1][2]。同年、ラモス瑠偉監督に評価されリーグ戦デビュー、同年末のJ1昇格に貢献する[1]。2008年夏頃から柱谷哲二監督によりレギュラーに抜擢され、以降東京Vの中心選手として活躍した[1][2]。2010年末、東京Vとの契約切れに伴い川崎・横浜FM・柏・神戸とJ1勢からオファーが殺到した[3]

2011年、川崎フロンターレへ完全移籍[1][2]。この川崎でのプレーを認められ、同年5月キリンカップ2011のメンバーとして日本代表に初めて選出された[2][4]。2012年も開幕当初はレギュラーだったが、同年4月右内転筋肉離れ[5] 同年7月右股関節痛[4] で負傷離脱したところに、風間八宏への監督交代による戦術変更も重なり、出場機会が激減した[2]

2012年7月、川勝良一監督が獲得を熱望したことから古巣の東京Vへ期限付き移籍した[2][4]。ただ川崎時代からの負傷の影響で13試合の出場にとどまり、同年末には川崎・東京V双方との契約が満了[6][7]

2013年、徳島ヴォルティスへ完全移籍[2]。1年を通してレギュラーとして活躍し、同年末のJ1昇格プレーオフにも出場、徳島のJ1初昇格に大きく貢献した[2][8]

2014年、サンフレッチェ広島へ完全移籍[9]。柴崎は2012年末フリーだった時に自身の代理人を通じて広島に逆オファーをしており、2年越しの入団となった[10]。加入時の序列はボランチの3番手であった。

2015年、森崎浩司の怪我と工藤浩平の不調で、前年の主力2人の抜けたシャドーのレギュラーを確保。徳島時代のチームメイトドウグラスとコンビを組み、チームのリーグ優勝に貢献した。

2017年4月22日、第8節のベガルタ仙台戦でJ1通算150試合を記録した。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2001 国見高 8 - - - 2 0 2 0
2002 10 - - - 3 2 3 2
2003 国士大 34 JFL 4 0 - - 4 0
2004 15 4 0 - - 4 0
2007 東京V 27 J2 6 0 - 1 0 7 0
2008 8 J1 21 1 2 0 1 0 24 1
2009 J2 47 7 - 1 0 48 7
2010 35 3 - 1 0 36 3
2011 川崎 19 J1 31 1 2 0 3 0 36 1
2012 8 0 5 0 - 13 0
東京V 7 J2 13 0 - 1 0 14 0
2013 徳島 38 6 - 1 0 39 6
2014 広島 30 J1 22 1 4 0 1 0 27 1
2015 27 6 2 0 0 0 29 6
2016 34 8 2 1 2 1 38 10
2017
通算 日本 J1 143 17 17 1 7 1 167 9
日本 J2 139 16 - 5 0 144 26
日本 JFL 8 0 - - 8 0
日本 - - 5 2 5 2
総通算 290 33 17 1 17 3 324 37
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2014 広島 30 7 1 -
2015 - 1 0
2016 4 1 -
通算 AFC 11 2 1 0

その他公式戦

出場歴

代表・選抜歴[編集]

タイトル[編集]

国見高校
サンフレッチェ広島

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i 川崎フロンターレ 2011.
  2. ^ a b c d e f g h J's GOAL & 2013-06-01.
  3. ^ 補強の見通し厳しい横浜 東京VのMFも争奪戦に”. スポーツニッポン (2010年11月29日). 2014年1月24日閲覧。
  4. ^ a b c 東京V、期限付き移籍で川崎F・柴崎を獲得へ”. スポーツニッポン (2012年7月26日). 2014年1月24日閲覧。
  5. ^ 柴崎晃誠選手のケガについて”. J's GOAL (2012年4月20日). 2014年1月24日閲覧。
  6. ^ 契約満了選手のお知らせ”. J's GOAL (2012年12月5日). 2014年1月24日閲覧。
  7. ^ 柴崎晃誠選手期限付き移籍満了のお知らせ”. J's GOAL (2012年12月5日). 2014年1月24日閲覧。
  8. ^ 百戦錬磨の小林伸二監督が叩き込んだハードワークの姿勢。徳島が初のJ1切符獲得!”. J SPORT (2013年12月9日). 2014年1月24日閲覧。
  9. ^ 柴崎晃誠選手 徳島ヴォルティスより完全移籍加入のお知らせ”. J's GOAL (2014年1月7日). 2014年1月24日閲覧。
  10. ^ 新加入柴崎、定位置狙う 森崎和と青山が盤石のボランチ”. 中国新聞 (2014年1月31日). 2014年2月1日閲覧。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]