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足立修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
足立 修
名前
カタカナ アダチ オサム
ラテン文字 ADACHI Osamu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-08-19) 1972年8月19日(52歳)
出身地 島根県八束郡宍道町(現松江市
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995 京都パープルサンガ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

足立 修(あだち おさむ、1972年8月19日 - )は日本の元サッカー選手島根県八束郡宍道町(現松江市)出身。現Jリーグフットボール本部のフットボールダイレクター。

来歴

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松江市立湖南中学校卒業、中学時代はミッドフィールダーとして活躍、U-16代表候補に選出されている。

東海大学付属第五高等学校1年次には日本ジュニアユース代表に選出、3年次の高校選手権ベスト4進出の経験を持つ。一つ下に高野剛近畿大学大学4年次にはキャプテンとして、初の総理大臣杯に導いた[1]。このころはサイドバックとしてプレーした。

卒業後、1995年に京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に入団する[1][2]木寺浩一美濃部直彦田中真二らと共にプレーし、同年末に戦力外通告を受け引退する[1]。そのまま京都に留まり、半年間フロントスタッフ研修として現場のマネージャーを務めた[1]。その後、松本育夫ゼネラルマネージャー(当時)にスカウトへの転身を要請され、朴康造らをスカウトしている[1]

1999年、スカウトとしてやっていく自信を深めた所へ京都側から営業への転身を打診される[1]。そこで正式に退社し、ヴィッセル神戸とプロのスカウトとして契約、北本久仁衛岩丸史也坪内秀介らをスカウトした[1][2]

2002年、サンフレッチェ広島にヘッドハントされ、広島のトップチームおよびユースのスカウトに就任した[1][2]。例えば、青山敏弘柏木陽介(ユース時)・清水航平の広島入団は足立がスカウトとして絡んでいる[1]。そのほかには高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ中国競技委員長を務め、一時はスタジアムFMの解説者としても活躍していた。その他平和祈念広島国際ユースサッカーで毎年、広島県高校選抜のヘッドコーチを務め、トレセン活動でも地元に貢献しており、将来の広島へのスカウト活動に向け地道な種まきを行っている。

2014年9月、広島強化部長代理に昇格する[2]。2015年3月織田秀和強化部長が急遽社長に就任したことに伴い、強化部長へ昇格した[2]

2023年限りで強化部長の退任が発表される[3]と同時に、Jリーグフットボール本部のフットボールダイレクターに就任することが発表された[4]

略歴

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 京都 32 旧JFL -
通算 日本 旧JFL -
総通算 0 0

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 紫熊2009-03.
  2. ^ a b c d e 足立 修(あだち おさむ)強化部長就任のお知らせ”. サンフレッチェ広島公式 (2015年3月1日). 2015年4月9日閲覧。
  3. ^ 足立 修(あだち おさむ)強化部長退任のお知らせ”. サンフレッチェ広島 オフィシャルサイト (2023年12月5日). 2024年3月27日閲覧。
  4. ^ サンフレ強化部長を退任の足立氏、Jリーグのダイレクターに | サンフレッチェ広島 | 中国新聞デジタル”. サンフレ強化部長を退任の足立氏、Jリーグのダイレクターに | サンフレッチェ広島 | 中国新聞デジタル (2024年1月31日). 2024年3月27日閲覧。

参考資料

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  • 中野和也「ゼロからのスタート 強化部スカウト 足立修さん」『紫熊倶楽部』第133巻、オフィス・ウェンブリー、2009年3月、20-21頁。 

関連項目

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