木寺浩一

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木寺 浩一 Football pictogram.svg
名前
愛称 キデ
カタカナ キデラ コウイチ
ラテン文字 KIDERA Koichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-04-04) 1972年4月4日(47歳)
出身地 埼玉県日高市
身長 179cm[1]
体重 74kg[1]
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1993
1994-1995
1996-1997
1998-2005
2006-2008
2009
2010
NKKサッカー部
京都パープルサンガ
ホンダルミノッソ狭山FC
アルビレックス新潟
サンフレッチェ広島
ツエーゲン金沢
ASジャミネイロ
18 (0)
8 (0)
? (?)
71 (0)
23 (0)
14 (0)
 ? (?)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年1月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

木寺 浩一(きでら こういち、1972年4月4日 - )は、埼玉県日高市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK

来歴[編集]

名門の武南高校で1年生の時からレギュラーの座を掴み、全国高等学校サッカー選手権大会においてベスト8準優勝、第3位という経歴を持つ。また、高校3年生の時には日本ユース代表に選出され、1990年のAFCユース選手権に出場した。高校卒業後はJSL1部のNKKサッカー部に入部。1992年、バルセロナ五輪(予選)代表候補に選出される。なお、NKKサッカー部は1993年をもって廃部となったため、旧JFL京都パープルサンガ[2](現:京都サンガF.C.)に移籍した。

1995年、京都を戦力外通告を受け退団。1996年1月から9か月間はサッカーとは無縁の生活を過す。その間、怪我で左肩じん帯を断裂、手術の際に医師に「リハビリすれば、サッカー選手として十分やっていける」と告げられたことで意欲を目覚めさせ、1996年11月に関東サッカーリーグホンダルミノッソ狭山FCに入団[3]

1998年、浜野征哉の負傷による緊急補強という形で旧JFLのアルビレックス新潟に移籍。翌1999年にJ2に昇格し、吉原慎也とスタメンを争う、2001年以降は野澤洋輔とスタメンを争った。J1昇格の2004年2ndシーズンでは野澤の負傷離脱により出番が回りJ1デビュー、そのシーズンにおける4連勝の原動力となった。2005年、野澤の出場停止をきっかけにスタメンを奪ったが、同年11月30日に若手育成のため、戦力外通告を受け退団。

2006年、J1のサンフレッチェ広島に移籍し、下田崇のバックアッパーを務める。2008年には下田の怪我による出遅れがあったため、レギュラーとして定着、同年3月のXEROX SUPER CUP優勝に貢献するも、同年6月21日J2第21節対水戸ホーリーホック戦で肩を脱臼し戦線離脱、その穴を埋めた佐藤昭大の台頭により同年末に戦力外となった。

2009年、北信越フットボールリーグ1部のツエーゲン金沢に移籍、正GKとして活躍した。全国社会人サッカー選手権大会準優勝全国地域サッカーリーグ決勝大会3位に入り、JFL17位のFC刈谷との入れ替え戦に勝利し、日本フットボールリーグ(JFL)昇格に貢献した。チームのJFL昇格を見届け、2010年1月8日をもって退団。

プレースタイルは、一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴。また、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつである。

現役引退後は、指導者の道へ進む。

2009年、星稜高校サッカー部GKコーチに就任。

2010年、アルビレックス新潟サッカースクールコーチに就任。

2011年、遊学館高校サッカー部・桜丘高校サッカー部GKコーチに就任。

2013年、北陸大学サッカー部GKコーチに就任。

2016年9月、カターレ富山GKコーチに就任[4]

現在は、ジュニア ~ ユース世代のゴールキーパー専門スクール「KIDE Football Academy」を立ち上げ、指導にあたる。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 NKK 32 JSL1部 2 0 - -
1991-92 25 JSL2部 7 0 2 0
1992 25 旧JFL1部 17 0 - 0 0 17 0
1993 旧JFL2部 1 0 - 0 0 1 0
1994 京都 31 旧JFL 8 0 - 3 0 11 0
1995 0 0 - 0 0 0 0
1996 狭山 関東 0 - 0 0
1997 0 - 2 0 0
1998 新潟 27 旧JFL 18 0 - 0 0 18 0
1999 1 J2 14 0 0 0 0 0 14 0
2000 20 18 0 2 0 3 0 23 0
2001 1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 2 0 - 1 0 3 0
2003 0 0 - 1 0 1 0
2004 J1 11 0 0 0 0 0 11 0
2005 8 0 0 0 1 0 9 0
2006 広島 21 1 0 0 0 0 0 1 0
2007 3 0 0 0 0 0 3 0
2008 J2 19 0 - 0 0 19 0
2009 金沢 1 北信越1部 14 0 - 0 0 14 0
2010 ジャミネイロ 新潟県1部 - -
通算 日本 J1 23 0 0 0 1 0 24 0
日本 J2 53 0 2 0 5 0 60 0
日本 JSL1部 2 0 - -
日本 JSL2部 7 0 2 0
日本 旧JFL1部 43 0 - 3 0 46 0
日本 旧JFL2部 1 0 - 0 0 1 0
日本 関東 0 - 0 0
日本 北信越 14 0 - 0 0 14 0
日本 新潟県1部 - -
総通算 0 4 0 0 0

その他の公式戦

代表歴[編集]

     日本高校選抜

タイトル[編集]

クラブ[編集]

サンフレッチェ広島

指導歴[編集]

脚注[編集]

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出典
  1. ^ a b c 登録選手一覧表 Jリーグ 2008.12.12
  2. ^ 京都時代は、美濃部直彦田中真二足立修らとプレー。
  3. ^ 狭山時代は自動車のエアコンなどを組み立てる仕事に従事した後、サッカーに取り組んでいた。
  4. ^ 木寺浩一氏 トップチームGKコーチ就任のお知らせ”. カターレ富山 (2016年9月15日). 2016年9月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]