片山奨典

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片山 奨典 Football pictogram.svg
名前
愛称 カタ、BF(ビッグフェイス)
カタカナ カタヤマ ショウスケ
ラテン文字 KATAYAMA Shosuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-09-08) 1983年9月8日(35歳)
出身地 奈良県
身長 169cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ロアッソ熊本
ポジション DF / MF
背番号 7
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2008 名古屋グランパスエイト 25 (1)
2009-2010 横浜FC 53 (0)
2010- ロアッソ熊本 245 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

片山奨典(かたやま しょうすけ、1983年9月8日 - )は、奈良県出身のプロサッカー選手Jリーグロアッソ熊本所属。ポジションはDFMF

来歴[編集]

国見高校時代は左WBとして、2年時にインターハイ国体全国高校サッカー選手権三冠達成に貢献し、3年時には全日本ユース選手権初優勝と全国高校サッカー選手権連覇を達成したチームの一員であった。高校の同期には徳永悠平らがいる。卒業後は国士舘大学に進学した。

2006年名古屋グランパスエイトに入団。新人ながら開幕戦(対C大阪)のスタメンに抜擢され、スピードに乗った左サイドからの突破を見せた。その後は同期入団の阿部翔平との併用で左サイドバックで起用されていたが、阿部が出場機会を増やす一方、片山の出場機会は少なくなっていた。2007年はチーム事情と、持ち味の俊足を生かすべく、一時期はFWや左MFとして起用され、Jリーグ初得点も記録。2008年は名古屋にドラガン・ストイコビッチ監督が新たに就任したが、左サイドは攻撃的な位置にマギヌン、ディフェンスは阿部にポジションを完全に奪われ、出場機会がほとんどなかった。

2009年から出場機会を求め、横浜FCに移籍。ここでは、左サイドバックとしてスタメンに定着。スピード、クロスなど、名古屋時代に発揮できなかった能力を発揮した。しかし、2010年シーズンでは7試合に出場以降出場機会を失い、6月下旬にはコンサドーレ札幌の練習に本人の意思の下で参加[1] するなど、出場機会を求めて他クラブで活躍の場を探す事になり、8月にロアッソ熊本へ完全移籍した。

熊本では移籍後すぐにレギュラーとして定着し、2010年は初めてシーズン複数得点を挙げており、また2012年はクラブで最多試合出場(42試合中40試合出場。時間では3,413分であり、南雄太の3,432分に次いで2位)の活躍。MFでの出場が多かった。

2013年は当初は公式の登録がMFとなっていたが、しばらくしてDFに戻された。主に左サイドバックで起用されている。

2015年シーズンも主力として出番を掴んでいたが、第12節の大分トリニータ戦にて途中出場し5分後に相手FWと交錯、腓骨骨折の重症を負い長期離脱した。2016年シーズンに復帰し、以降チームの主力として活躍を続けている。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 国見高 6 - - - 2 0 2 0
2001 - - - 2 0 2 0
2002 国士大 39 JFL 4 0 - 1 0 5 0
2003 16 3 0 - - 3 0
2004 3 5 0 - - 5 0
2006 名古屋 27 J1 9 0 3 0 0 0 12 0
2007 15 1 5 1 1 0 21 2
2008 1 0 1 0 0 0 2 0
2009 横浜FC 13 J2 46 0 - 2 0 48 0
2010 7 0 - - 7 0
熊本 33 15 3 - 2 0 17 3
2011 7 31 1 - 1 0 32 1
2012 40 2 - 3 0 43 2
2013 40 2 - 1 0 41 2
2014 36 1 - 1 0 37 1
2015 11 0 - 0 0 11 0
2016 25 0 - 1 0 26 0
2017 34 0 - 1 0 35 0
2018 13 0 - 1 0 14 0
通算 日本 J1 25 1 9 1 1 0 35 2
日本 J2 298 9 - 13 0 311 9
日本 JFL 12 0 - 1 0 13 0
日本 - - 4 0 4 0
総通算 335 10 9 1 19 0 363 11

脚注[編集]

関連項目[編集]