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月寒駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
月寒駅
駅跡に設置されている記念碑(2013年8月)
つきさっぷ
Tsukisappu
東札幌 (2.7 km)
(3.1 km) 大谷地
地図
所在地 札幌市白石区栄通4丁目
北緯43度2分26.2秒 東経141度24分12.8秒 / 北緯43.040611度 東経141.403556度 / 43.040611; 141.403556座標: 北緯43度2分26.2秒 東経141度24分12.8秒 / 北緯43.040611度 東経141.403556度 / 43.040611; 141.403556
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 千歳線
キロ程 5.8 km(苗穂起点)
電報略号 ツキ→ツサ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1926年大正15年)8月21日[1]
廃止年月日 1976年昭和51年)10月1日
備考 廃駅
線路付け替えに伴い廃駅
(注:距離表示は旅客営業時)
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月寒駅(つきさっぷえき)は、かつて北海道札幌市白石区栄通にあった日本国有鉄道(国鉄)千歳線(末期は函館本線貨物支線)の廃駅)である。事務管理コードは▲131402[2]

概要

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北海道鉄道札幌線の開業時に開駅した。場所自体は旧白石村にあったが、駅舎は旧豊平町月寒の側に建てられた。1944年昭和19年)頃、軍司令部や豊平町議会は「つきさっぷ」という読み方を「つきさむ」へ変更したが、国有鉄道は「つきさっぷ」の名を変えなかった。

千歳線の新線付け替え時に旅客営業を廃止しているが、東札幌駅 - 当駅間は函館本線貨物支線(白石駅 - 月寒駅)に編入され、1965年(昭和40年)完成のアサヒビール北海道工場からの貨物積み出し用の貨物駅として1976年(昭和51年)の廃止まで用いられた。

なお、1964年(昭和39年)当時、1日約1,000人[3]の利用があったという。

歴史

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1976年、千歳線旧線廃止後に函館本線の貨物駅となった月寒駅と周囲約750 m範囲。左が東札幌方面。当駅はこの写真(9月26日撮影)の直後に廃止された。駅裏に当駅が残された要因のアサヒビール北海道工場がある。右はこの写真外の踏切手前で切られ、その先の旧線跡は既にサイクリングロードに整備されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅周辺

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旅客扱い廃止後も「月寒駅前(つきさむえきまえ)」のままで、白石駅前との間の路線は代替バスとされていた[注釈 3]。駅の廃止後は、「月寒中学校前」を経て、現在の名称に変更。

跡地

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駅の跡地には、一部に1982年(昭和57年)1月18日に札幌市白石老人福祉センターが開館したほか[4]アサヒビール北海道工場の物流センターが建てられている。東北通から駅舎に至る道路は現存し、その道路が物流センターに突き当ったところに駅があったことの記念碑が建っている。

隣の駅

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日本国有鉄道
千歳線(旧線)
東札幌駅 - 月寒駅 - 大谷地駅

脚注

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注釈

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  1. ^ この日、旧線から新線への切り替え工事が行われる前に通過した旅客列車では乗降が取り扱われている。
  2. ^ 翌日から、東札幌-月寒間にある丸亀(環状線を横断)、横町通り(東札幌1条3丁目。米里行啓通を横断)、三十三号線(東札幌1条4丁目)、連隊通り、南郷(月寒駅構内)の各踏切については一時停止義務は撤廃されたが、伊原街道(南郷通を横断)ほか2ヵ所の踏切は東札幌駅構内のため継続された。
  3. ^ 新線切り替え時に配布されていた国鉄北海道総局からの「お知らせ」による。

出典

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  1. ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 24号 石勝線・千歳線・札沼線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月27日、19-21頁。 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、221頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ 札幌市教育委員会文化資料室編、「さっぽろ文庫22 札幌の駅」札幌市、1979年、154 - 157ページ
  4. ^ “老人センター 18日、白石で開館 札幌”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1982年1月9日)

関連項目

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