コンテンツにスキップ

昌谷彰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昌谷彰
昌谷彰

昌谷 彰(さかや あきら、1870年 2月13日(明治3年1月13日[1] - 1946年昭和21年)10月[2])は、日本内務官僚。官選県知事樺太庁長官

経歴

[編集]

美作国津山城下(現岡山県津山市)出身。津山藩士・昌谷千里(端一郎)の長男として生まれる[3]東京英語学校第一高等中学校を経て、1896年帝国大学法科大学を卒業。同年7月、内務省に入省し土木局属となる。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格した[3][4][5][6]

1897年4月、宮崎県参事官・内務部第三課長兼第二課長に就任。以後、三重県参事官、神奈川県参事官・第四課長兼官房外出係、滋賀県書記官福井県事務官・第一部長兼第二部長、静岡県事務官・第一部長兼第三部長[7]、同内務部長、京都府事務官・内務部長などを経て、1910年7月、東京府事務官・内務部長に就任[3][5]

1911年7月、大分県知事に就任。県庁内事務の刷新に尽力。1913年6月、知事を休職となる[5]1914年6月、埼玉県知事に就任。治水事業の実施、産業振興などに尽力[4]1916年10月、樺太庁長官に転じ1919年4月まで在任。1924年6月、同長官に再任され、1926年8月5日に依願免本官となり退官した[8][9]

栄典

[編集]

親族

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ フィンランド公使を務めた同姓同名の人物は別人。

出典

[編集]
  1. ^ a b c 『人事興信録』第5版、さ84頁。
  2. ^ 『埼玉県史料叢書 10 下』巻末31頁。
  3. ^ a b c 『岡山県歴史人物事典』472頁。
  4. ^ a b 『新編日本の歴代知事』313頁。
  5. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』1062頁。
  6. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』176頁。
  7. ^ 『官報』第7061号、明治40年1月15日。
  8. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』127頁。
  9. ^ 『官報』第4186号、大正15年8月6日。
  10. ^ 『官報』第1292号「叙任及辞令」1916年11月21日。
  11. ^ 『帝国海軍提督総覧』

参考文献

[編集]
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 埼玉県教育委員会編『埼玉県史料叢書 10 下 (明治大正期知事事務引継書 3)』埼玉県、2005年。
  • 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第5版、1918年。