山形県立山形南高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 山形県立山形南高等学校 | |
|---|---|
| 過去の名称 | 山形県立山形第二中学校 山形県立山形第二高等学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | |
| 学区 | 山形県東 |
| 設立年月日 | 1941年 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 理数科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 06102G |
| 所在地 | 〒990-0034 |
|
山形県山形市東原町四丁目6番16号
北緯38度14分30.6秒東経140度20分46.9秒 |
|
| 外部リンク | 公式サイト |
山形県立山形南高等学校(やまがたけんりつ やまがたみなみこうとうがっこう、Yamagata Prefectural Yamagata South High School)は、山形県山形市東原町四丁目にある県立の高等学校。
略称は「山形南」、「山南」(やまなん)。山形市近辺では「南高」(なんこう)とも呼ばれている。
概要[編集]
- 歴史
- 1941年(昭和16年)創立の「山形県立山形第二中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。現校名になったのは1952年(昭和27年)。男女共学であるが、現在は男子生徒のみ在籍しており実質男子校となっており、制服は男子校の伝統でもある金ボタン5個の黒詰襟学生服(標準学生服)で右襟に校章を形どった襟章を付ける。また、南高会館内に学食も設置している。2011年(平成23年)に創立70周年を迎えた。
- 全国高等学校クイズ選手権の第1回大会(1983年)優勝校でもある。
- 校是
- 「文武両道・質実剛健・師弟同行」
沿革[編集]
- 旧制中学校時代
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 「山形県立山形第二中学校」が開校。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
- 1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、4年生の卒業式を挙行。
- 本来、修業年限4年が施行されるのは中等学校令が施行された1943年(昭和18年)4月に入学した生徒が4年を修了する1947年(昭和22年)3月であったが、戦況の悪化により中等学校令施行前の1941年(昭和16年)以降に入学した生徒にも修業年限4年が適用されることになった。これにより、1941年(昭和16年)入学の4年生の卒業式が行われた。
- 4月1日 - 学校での授業を停止。ただし勤労動員は継続。
- 8月 - 終戦。
- 9月 - 授業を再開。
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、4年生の卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校「山形県立山形第二高等学校[1]」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山形県立山形第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 通常制普通課程(修業年限3年)を設置。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 高校三原則に基づく高校再編により、山形県立山形第四高等学校と統合され、「山形県立山形南高等学校」(現校名)が発足。
- 男女共学を開始。校章・校歌を制定。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 統合が解消され、山形県立山形西高等学校が分離独立。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 理数科(1学級)を設置。
- 1970年(昭和45年)南高会館完成(食堂及び合宿所)。
- 1977年(昭和52年)2月 - 校旗を制定。
- 1982年(昭和57年)
- 5月 - 記念講堂が完成。
- 10月 - 新校舎が完成。
- 1983年(昭和58年)2月 - 第二体育館が完成。
- 1989年(平成元年)4月 - 第一体育館が完成。
- 1995年(平成7年)3月 - 家庭科棟が完成。
男子のみの男女共学校[編集]
山形南高の沿革(高校生徒手帳による)によると、1950年に校名改称と同時に男女共学を実施して以来山形西高と分離したものの、現在も制度上は「男女共学の高校」である(山形県高等学校要覧において共学校記載となっている)。1962年度までは複数の女子生徒が在籍したが、それ以降一時不在となり、1972年度に女性編入者が在籍・卒業して以降、女子生徒が在籍した事実は長らく無かった[2]。しかし2016年、一般入試では44年ぶりに女子が合格したと発表されたが2017年現在、女子生徒は1人も在籍していない[3]。同様に山形市内山形北高(普通科)・山形西高も現在女子生徒のみの在籍となっているが、正式には男女共学校である。また、山形南高でも女子の制服も制定されており、セーラー服である。
年中行事[編集]
-
- クラスマッチ(夏季)
- 理数科合宿学習会(1・2年理数科)
- 蔵王で3泊4日の日程で行われる。
-
- 南高祭
-
- 修学旅行(2年生)
- 筑波研修(1年理数科)
- 筑波などで2泊3日の日程で行われる。
部活動[編集]
- 運動部
- 野球、バスケットボール、バレーボール、卓球、ソフトテニス、水泳、柔道、スキー、バドミントン、サッカー、アマチュアレスリング、山岳、(体操)、陸上競技、剣道、弓道、合気道、ラグビー、ボクシング、ハンドボール、硬式テニス
- 文化部
- 文芸、映画演劇、生物科学、英語、音楽、書道、美術、写真、新聞、吹奏楽、囲碁、応援団、視聴覚
著名な関係者[編集]
- 出身者
- 会田豊彦(プロ野球選手)
- 會田雄亮(陶芸家、元東北芸術工科大学学長)
- 大石真弘(NHKアナウンサー)
- 奥山貴宏(フリーライター)
- 加藤武治(プロ野球選手、北海道日本ハムファイターズ投手)
- 古池雄(青森放送元アナウンサー)
- 小柴大造(ミュージシャン)
- 佐藤稔浩(バスケットボール選手、日立サンロッカーズ)
- 佐藤優(山形テレビアナウンサー)
- 滝口光則(プロ野球選手)
- 芳賀徹(比較文学者、東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長)
- 松田利仁亜(NHKアナウンサー)
- 村川千秋(指揮者)
- 村川透(映画監督)
- 吉田敏明(元バレーボール女子米国代表監督、現上尾メディックス監督)
- 吉村和夫(元山形市長)
- 渡邊岳已(脚本家)
- 菅野淳(サッカー指導者)
- 林部智史(歌手)
- 教職員
交通アクセス[編集]
- JR山形駅よりバス(南高前バス停下車徒歩1分)
- 宮城県庁・仙台市役所前より運行される高速バス(特急バス)も山交バスターミナル・山形駅行に限り南高前バス停を停車するが、同路線は山形行きに限り市内乗降可能を認めており、一般路線バスと同様に利用可能である。(ただし、山交バスターミナル方面から南高前への利用は出来ないので注意が必要)
脚注[編集]
- ^ 山形第一高等学校(前・旧制中学校、現・山形県立山形東高等学校)、山形第三高等学校(前・工業学校、現・山形工業高等学校)、山形第四高等学校(前・高等女学校、現・山形西高等学校)、山形第五高等学校(前・高等女学校、現・山形県立山形北高等学校)
- ^ 男子高状態…山形南に女子合格 44年ぶり共学へ 河北新報 2016年3月18日
- ^ 南高校に女子が入学したと聞きました。私も... 高校受験ナビ調べ
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
|
||||||||||