吉田敏明
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1954年10月2日(70歳) | |||
出身地 | 山形県山形市 | |||
ラテン文字 | Toshiaki Yoshida |
吉田 敏明(よしだ としあき、1954年10月2日 - )は、日本のバレーボール指導者。山形県山形市出身[1]。
来歴
[編集]山形六中時代にバレーボールを始め、全国制覇(6人制)。
山形南高校、順天堂大学を経て、筑波大学大学院でコーチ学を学ぶ。
修士課程終了後の1979年に渡米。アリー・セリンジャー監督の元、アメリカ女子代表アシスタントコーチを務める[2]。
帰国後の1982年、日立の監督に就任。日本リーグで優勝。その後、1983年4月から東京学芸大学の助教授に就任し、その傍ら女子バレー部監督を務める。
1998年に渡米し、再びアメリカ女子代表コーチに就任[2]。
シドニーオリンピック後、日本人として初めてとなるアメリカ女子代表監督に就任[3]。2002年世界選手権で銀メダル、2003年ワールドカップ銅メダルに導き[2][3]、アテネオリンピック後に退任。2001年から2004年までの在職期間中にアメリカ女子代表をFIVBランキング1位へ導いた[2]。
2005年4月からは、びわこ成蹊スポーツ大学教授を務める。
2006年、地元のパイオニアレッドウィングス監督に就任[3]。3年間同チームを率い、2009年5月に退任。
2009年7月、V・チャレンジリーグ(当時Vリーグ2部)の上尾メディックス(現・埼玉上尾メディックス)の監督に就任[3]。後に自身も上尾市に引っ越した[4]。5シーズンかけて2014年にチームをV・プレミアリーグ(当時Vリーグ1部)昇格に導き、2014/15V・プレミアリーグ、2019-20V1リーグ(V.LEAGUE DIVISION1)でチームを3位に導いた。2020年6月、監督を退任[5]。
指導歴
[編集]- アメリカ女子代表コーチ(1979-1982年)
- 日立ベルフィーユ監督(1982-1983年)
- 東京学芸大学監督(1983-1998年)
- アメリカ女子代表コーチ(1998-2000年)
- アメリカ女子代表監督(2001-2004年)
- パイオニアレッドウィングス監督(2006-2009年)
- 埼玉上尾メディックス監督(2009-2020年)
- 東京REDHEARTS監督(2021-2023年)
- 遼寧省女子代表監督(2023-)
関連項目
[編集]- 山形県出身の人物一覧
- 吉田昌子(旧姓:高柳) - 配偶者、モントリオール五輪バレーボール女子金メダリスト。
脚注
[編集]- ^ “監督 吉田敏明”. 埼玉上尾メディックス. 2018年7月24日閲覧。
- ^ a b c d “USA Women's Coach Yoshida Accepts Professorship in Japan”. NORCECA (2004年11月15日). 2015年9月26日閲覧。
- ^ a b c d “バレーボールで上尾を元気に 吉田 敏明さん 〜スポットライト 人・仲間〜”. 上尾市 (2015年6月30日). 2015年9月26日閲覧。
- ^ 『チーム名称・チームロゴ 変更のお知らせ』(プレスリリース)埼玉上尾メディックス、2018年6月20日 。2020年6月3日閲覧。
- ^ 『監督・スタッフ退団のお知らせ』(プレスリリース)埼玉上尾メディックス、2020年6月2日 。2020年6月3日閲覧。
- ^ “バレーボールVリーグ元上尾監督の吉田敏明氏が、中国・遼寧省代表監督に就任 25年の全国運動会での表彰台目指す”. スポーツ報知 (2023年9月25日). 2024年2月19日閲覧。