千葉県立佐倉高等学校
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千葉県立佐倉高等学校 | |
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過去の名称 |
佐倉藩学問所 温故堂 成徳書院 成徳館 開智館 博文堂 佐倉県立成徳館 印旛県立成徳館 鹿山中学校(鹿山精舎) 佐倉英学校 佐倉集成学校 佐倉尋常中学校 千葉県佐倉中学校 千葉県立佐倉中学校 千葉県立佐倉第一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
![]() (1899年、県立移管) |
学区 | 千葉県第4 |
設立年月日 |
1792年3月20日(藩校) 1873年(鹿山中学校) |
創立記念日 | 11月10日 |
創立者 | 旧佐倉藩主・堀田正順 |
共学・別学 |
男女共学 (1951年、男子校から共学化) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 進学型単位制 |
設置学科 |
普通科 理数科 (2014年、設置) |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 12138A |
所在地 | 〒285-0033 |
北緯35度43分25.5秒 東経140度14分12.3秒 / 北緯35.723750度 東経140.236750度座標: 北緯35度43分25.5秒 東経140度14分12.3秒 / 北緯35.723750度 東経140.236750度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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千葉県立佐倉高等学校(ちばけんりつ さくらこうとうがっこう、英語表記:Chiba Prefectural Sakura Senior High School)は、千葉県佐倉市鍋山町に位置する県立高等学校。
目次
概要[編集]
寛政4年(1792年)に佐倉藩の藩校「佐倉藩学問所」として創設された、千葉県内で最も伝統ある高等学校[要出典]である。現在は記念館となっている旧本館(久野節設計)は県下高等学校で唯一[要出典]の明治時代の洋風建築校舎で、国の登録有形文化財。
地域交流棟には日本で最初の蘭和辞典『ハルマ和解』やオランダ医学書をはじめ、藩校以来の和漢洋書約1万点を所蔵した県指定有形文化財である「鹿山文庫」が展示され、地域にも開放されている。自由[要出典]で、おおらか[要出典]な校風であり、またオランダ、アメリカ合衆国、オーストラリアへの留学制度プログラムをはじめ国際交流事業にも積極的に取り組んでいる。在校生の部活動への参加率も高く、例年、約9割を占める[要出典]。
著名な卒業生として伊東忠太(東京帝国大学名誉教授)、長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)、藤木直人(俳優、歌手)、人気バンドBUMP OF CHICKENの増川弘明、升秀夫など。著名な元教員として小出義雄(女子マラソン監督)らがいる。
佐倉高等学校関係者からは「佐高(さこう)」と呼ばれることが多い[要出典]。 千葉県からの指定により2005年度から進学重視型単位制高校へ移行し、2010年4月には県の進学指導重点校に指定された。 また、文科省より、2013年度にスーパーサイエンスハイスクール(SSH)、2016年度にスーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定された。
沿革[編集]
経緯[編集]
江戸時代、佐倉藩(11万石)の藩校として寛政4年(1792年)に設立。アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスが日米修好通商条約の調印を求めて来日した際、上洛して孝明天皇から条約調印の勅許を得ようとするなど日本を開国に導いた江戸幕府老中首座の堀田正睦をはじめ歴代の佐倉藩主は人材の育成の為、学問および武芸を奨励した。特に幕末には蘭学、英学などの洋学も積極的に取り入れた。その後、廃藩置県により佐倉県立学校、印旛県立学校と変遷し、1873年には 旧佐倉藩士の援助のもと学校施設一切を引き継ぎながらも改組し千葉県で最初の旧制中学校となる私立鹿山中学校となった。1899年に千葉県に移管され旧制千葉県佐倉中学校(「千葉県立」の旧制中学校としては1878年設置の旧制千葉中学校(現在の千葉県立千葉高等学校)に次ぐ設立)となり、1948年の学制改革により新制高等学校として千葉県立佐倉高等学校となった。
年表[編集]
- 1792年(寛政4年) 佐倉藩の藩校、佐倉藩學問所として創立。
- 1805年(文化2年) 温故堂と称する。
- 1823年(文政6年)
- 1836年(天保7年) 成徳書院と改称。
- 1865年(慶應元年) 江戸幕府より佐倉藩は相州浦賀(現在の神奈川県横須賀市)の異国船渡来に備えた警備を任ぜられる。その為、在番する藩士の子弟の為に分校 成徳書院大津教場を設置する。
- 1869年(明治2年) 成徳館(医学・礼節・音楽・書学・数学)と開智館(洋学・軍事)の二校に分離。
- 1870年(明治3年) 開智館を博文堂と改称。
- 1871年(明治4年)
- 1873年(明治6年) 旧藩士の援助のもと学校施設一切を引き継ぎながらも改組し私立(旧制)鹿山中学校となる。
- 1887年(明治20年)鹿山中学校(鹿山精舎)を改組し佐倉英學校となる。
- 1888年(明治21年)佐倉輯成學校と改称。
- 1896年(明治29年)(旧制)佐倉尋常中學校と改称。
- 1898年(明治31年)国から徴兵猶予認可学校に認定される。
- 1899年(明治32年)千葉県に移管され(旧制)千葉縣佐倉中學校となる。
- 1900年(明治33年)千葉県山武郡成東町(現・山武市)に成東分校を設置。
- 1901年(明治34年)
- 4月1日、成東分校が千葉縣成東中學校として独立。(現在の千葉県立成東高等学校)
- 5月17日、(旧制)千葉縣立佐倉中學校と改称。
- 1910年(明治43年)佐倉城追手門前から現在地(鍋山町)へ校舎新築移転。落成式挙行。
- 1910年(明治44年)皇太子(後の大正天皇)、旧制佐倉中學校、佐倉連隊を行啓。
- 1918年(大正7年) 校歌制定。(現・旧校歌)
- 1948年(昭和23年)学制改革により千葉県立佐倉高等学校となる。
- 1950年(昭和25年)千葉県立佐倉第一高等学校と改称。また、統合により千葉県成田市に八生校舎を設置。
- 1951年(昭和26年)男女共学実施。
- 1952年(昭和27年)現在の千葉県富里市に富里分校を併置開校。富里分校に定時制課程普通科を設置。
- 1956年(昭和31年)八生校舎が千葉県立成田農業高等学校として独立。(現在の千葉県立成田西陵高等学校)
- 1961年(昭和36年)千葉県立佐倉高等学校と改称。
- 1963年(昭和38年)富里分校(定時制課程)を閉鎖。
- 1989年(平成元年)記念館改修(屋根を銅板に葺替、サイレン塔及びドーム全面改修、外周塗装等)
- 1992年(平成4年)藩校創立200周年記念式典挙行。 セミナーハウス「学思館」竣成。
- 1993年(平成5年) 千葉県より藩校時代以来の蔵書「鹿山文庫」関係書籍10,500点が「県有形文化財」に指定される。
- 1995年(平成7年) LL教室に語学演習装置42台設置。
- 1996年(平成8年) コンピュータ室(旧情報・視聴覚教室)及び図書室に冷暖房装置設置。
- 1997年(平成9年)オランダのDollard College(ドラードカレッジ)と交換留学制度を提携開始。第1回オランダへの生徒派遣。
- 1998年(平成10年)千葉県立移管100周年記念式典挙行。
- 2000年(平成12年) アメリカ合衆国のCentral High School-East(セントラルハイスクール・イースト)と交換留学制度を提携開始。
- 2001年(平成13年)3学期制から2学期制へ移行。
- 2002年(平成14年)校内LAN整備完了。
- 2003年(平成15年)千葉県教育委員会より「学力向上パイオニアハイスクール研究指定校」に指定される。
- 2004年(平成16年)「特色ある入学者選抜」入試で「学校独自問題」(国語、数学、英語の各教科「応用」レベル)の出題を実施。(平成24年まで。)
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)千葉県より「競技力向上推進校(ラグビー)」に指定される。(平成22まで)
- 2007年(平成19年)全教室に冷房設置完了。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)公益財団法人電通育英会より高校時予約型「大学給付奨学制度募集対象高校」に指定される。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定される。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)アソシエイトに指定される。
- 2016年(平成28年)
- 文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)に[指定される。
- 第1回イギリス海外研修開始。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)文部科学省指定スーパーサイエンスハイスクール(SSH)経過措置校。
- 2019年(平成31年)文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)(第2期目)に指定される。
- 2019年(令和元年)文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)科学技術人材育成重点枠・高大接続コンソーシアム参画校に指定される。
旧校名の出典・由来[編集]
- 温故堂(1805年-1836年)
- 鹿山精舎(ろくざんしょうじゃ、1873年-1887年)
- 佐倉集成学校(1888年-1896年)
- 佐倉集成学校の「集成」(旧字体では「輯成」)は、「孟子」万章の「孔子之謂輯大成、輯大成也者、金聲而玉振之也」よりとられている。
分校[編集]
前身校となる藩校を設けた佐倉藩は、藩領として飛び地(分領)や支藩を、各地(現在の山形県柏倉、神奈川県海老名市、藤沢市、綾瀬市など)に持っていた。その分領に在番している藩士の子弟への書学、数学、武術などの教育の為、分領の各地に分校を設置した。また同時に佐倉城下の同校へ通学が、やや遠距離となる藩士の子弟にも便宜を図るため、郷校と呼ばれる分校も早くから設置した。
藩校時代から県立移管後までの主な分校は次の通りである。
- 成徳書院柏倉分校(北庠)
- 成徳書院猪鼻分校(南庠)
- 成徳書院大津(浦賀)教場
- 成徳書院飯野郷校
- 慶應元年(1865年)-明治4年(1871年)
- 成徳書院将門郷校
- 慶應元年(1865年)-明治4年(1871年)
- 成徳書院江原郷校
- 慶應元年(1865年)-明治4年(1871年)
- 千葉県佐倉中学校成東分校(現千葉県立成東高等学校)
- 千葉県立佐倉第一高等学校八生校舎(現千葉県立成田西陵高等学校)
- 千葉県立佐倉第一高等学校富里分校
交通[編集]
校歌[編集]
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校歌[編集]
応援歌[編集]
旧寮歌[編集]
- 成徳館文明寮々歌
国際交流プログラム[編集]
積極的に国際交流事業へ取り組んでおり、1997年度からオランダ派遣プログラムを実施し、更に2000年度からはアメリカ派遣プログラムも実施していた。近年では、2012年度からオーストラリアへの20名程度の短期留学が、8月上旬に行われている。学校公認のプログラムで留学した場合は、留学中の単位を認定している。そのため、留学後は留年することなく、留学期間(1年間)を含めて3年間で卒業することができる。また1997年以来、EU主催のイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、日本の5カ国で行われる国際青少年会議に生徒を派遣している。派遣する生徒は毎年11月に全学年から約5名が選抜される。更に2016年に文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定以降は新たにイギリス、ドイツ、シンガポール、マレーシア、タイ、中国、台湾などとも研修、短期留学などを通じて交流をしている。また更に2017年に千葉県から英語教育拠点校に指定された。校内においても、外国人の英会話指導員 (ALT) が常勤し、英語によるコミュニケーション能力の向上に勉めている。
交換留学提携校[編集]
- Dollard College(ドラードカレッジ)
オランダ
- Central High School-East(セントラルハイスクール・イースト)
アメリカ合衆国アラバマ州
- Nambour Christian CollegeEast(ナンボー・クリスチャン・カレッジ)
オーストラリア
課外活動[編集]
文化祭[編集]
- 「鍋山祭(なべやまさい)」と呼ばれ昭和時代には9月に開催されていた。2000年代になり例年7月上旬に開催されるようになったが、2008年度から2014年度は9月、2015年度からは6月下旬開催となった。一般公開日には多くの人が訪れ賑わう。
著名な卒業生・著名な元教員[編集]
学校施設[編集]
現在は本館(主に3年生)、記念館、理科館、東館(主に1年生)、西館(主に2年生)、武道館、体育館、第2体育館、旧図書館棟(改装予定)、地域交流棟に分かれている。 2008年6月に全クラス教室に冷暖房が設置完了された。
特記事項[編集]
- 銀時計
- 東郷池
- 現在も旧本館(現記念館)の前に残る「東郷池」と命名されている池は、1910年に、日本海軍の日本海海戦での圧倒的な勝利を記念して、当時の生徒や職員の有志が日曜日の休暇時間を利用して開鑿したものである。この海戦は日露戦争中の1905年5月27日から5月28日に対馬沖を戦地として、東郷平八郎司令長官が率いる日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊との間で行われた艦隊戦である。海戦が5月27日から28日に亘ったことを以って池泉の坪数を27から28の中間に採り、5月に因んで周囲に皐月花を植え、明治38年に因んで池の周辺に38本の杭が打ち込まれた。また池泉は日本海を形どり、岸が朝鮮半島、遼東半島、山東半島を表す形で突出している。また池面には対馬、壱岐、済州島などを模して島が造られている。
- 上履き
- 校内用の上履きはサンダル型のものであり学年カラーのものを各自購入する。デザインは便所スリッパに類似しており、夏は涼しく、冬は寒い。
在校生の居住地・出身中学校[編集]
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2017年度現在の在校生(969名)の居住地を自治体別に分類すると以下の通りである。
- 佐倉市:179名
- 八千代市:149名
- 成田市:122名
- 習志野市:95名
- 船橋市:90名
- 四街道市:76名
- 印西市:51名
- 千葉市:45名
- 富里市:28名
- 八街市:27名
- 旭市:17名
- 山武市・酒々井町:各14名
- 栄町:11名
- 白井市:7名
- 香取市・芝山町:各6名
- 市川市・神崎町:各5名
- 鎌ヶ谷市・匝瑳市・横芝光町:各4名
- 我孫子市:3名
- 柏市・銚子市・東金市・東庄町・多古町・九十九里町・千葉県外:各1名[1]
主な出身中学校は八千代市立萱田中学校32人、四街道市立四街道中学校と八千代市立高津中学校が各30人、佐倉市立佐倉中学校が28人、佐倉市立志津中学校26人、八千代市立大和田中学校と成田市立西中学校が各25人、成田市立成田中学校と成田市立中台中学校が各24人、佐倉市立西志津中学校21人となっている。[2]
文献[編集]
校史[編集]
記念誌[編集]
- 『千葉県立佐倉中学校・記念誌(御真影奉蔵所講堂増築竣工並県立移管三十五周年記念誌)』1936年発行
- 『佐倉高校の歩み』1979年発行
- 『千葉県立佐倉高等学校・創立(県立移管)八十周年記念誌』、1983年発行
- 『千葉県立佐倉高等学校・藩校創立200年記念誌・「学統永遠に」』、1992年発行
関連資料・関連論文[編集]
- 『鹿山文庫と佐倉藩学の推移(印記並びに蔵書構成を通してみたる)』滴草充男著
- 『房総における藩学成立についての教育的考察(佐倉藩成徳書院を中心に)』平井孝一著、1969年出版
- 『近世藩校における学統学派の研究』笠井助治著・吉川弘文館、1969年出版
関連図書・関連記事掲載図書[編集]
- 『江戸洋学事情』杉本つとむ著・八坂書房、1990年出版 ISBN 4-89694-601-4
- 『千葉の建築探訪』中村哲夫著・崙書房、2004年出版 ISBN 978-4845511006
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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