コンテンツにスキップ

伊方発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊方原発から転送)
伊方発電所
地図
種類 原子力発電所
電気事業者 四国電力
所在地 日本の旗 日本
796-0495
愛媛県西宇和郡伊方町九町字コチワキ3番耕地40番地3
北緯33度29分27秒 東経132度18分40秒 / 北緯33.49083度 東経132.31111度 / 33.49083; 132.31111座標: 北緯33度29分27秒 東経132度18分40秒 / 北緯33.49083度 東経132.31111度 / 33.49083; 132.31111
1号機
出力 56.6万 kW
燃料 低濃縮二酸化ウラン
約 49 t / 年
冷却水 深層取水
約 38 m³ / 秒
着工日 1973年(昭和48年)6月
営業運転開始日 1977年(昭和52年)9月30日
2号機
出力 56.6万 kW
燃料 低濃縮二酸化ウラン
約 49 t / 年
冷却水 深層取水
約 38 m³ / 秒
着工日 1978年(昭和53年)2月
営業運転開始日 1982年(昭和57年)3月19日
3号機
出力 89.0万 kW
燃料 低濃縮二酸化ウラン
ウランプルトニウム混合酸化物
約 74 t / 年
冷却水 深層取水
約 65 m³ / 秒
着工日 1986年(昭和61年)11月
営業運転開始日 1994年(平成6年)12月15日
公式サイト:伊方発電所
テンプレートを表示
1974年時点、初号機着工直後の建設予定地。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

伊方発電所(いかたはつでんしょ)は、愛媛県西宇和郡伊方町に所在し、四国電力が所有している日本の原子力発電所伊方原子力発電所(いかたげんしりょくはつでんしょ)、伊方原発(いかたげんぱつ)とも呼ばれる。本記事では、以下「伊方原発」と表記する。

概要

[編集]

四国島最西部、佐田岬半島付け根付近の北側斜面に位置し、瀬戸内海伊予灘)に面している。四国電力および四国地方唯一の原子力発電所である。国内原発で唯一内海に面する。

1号機(初号機)は1972年11月に原子炉設置許可を受け、1977年9月に運転を開始している。2017年に運転40年目を迎えることとなるが、四国電力では、1号機の新規制基準適合のための対策や、安全対策を図るための工事に必要な技術や費用などを検討していたが、運転期間延長の認可申請を見送り、2016年3月に1号機の廃炉を発表、同年5月10日をもって廃止した[1]。2号機は運転再開を前提としていたが[2]、ぎりぎりまで検討し[3]、新規制基準を満たすには大規模工事が必要で、かなりの投資をせざるを得ず、当時は運転延長認可を受けても60年運転が上限であり、投資回収リスクを払拭できず[4][5]、苦渋の判断であったがやむなく2018年5月23日に廃止した。

  • 地震対策について:南海トラフの巨大地震や中央構造線の断層による地震などを調査し、最大規模の地震の揺れ(650ガル他)を想定している。重要な建物は頑固な岩盤上に設置しているため、地震の揺れは柔らかい地盤上の建物に比べ1/2から1/3程度となると想定している。
  • 浸水対策について:最大の津波の高さは津波が重なり大きくなる場合など激しい条件でも8.1mと想定しており、海抜10mにある伊方発電所への影響はないと考えている。タンクの破損などによる浸水にも備え、水密扉(厚さ35cm)の設置や海水ポンプの浸水防止対策などを行っている。
  • 冷却手段の確保について:冷却式非常用発電装置や複数の電源車を分散配備。配電線を海抜95mの変電所から2ルート敷設。複数の中型ポンプ車や水中ポンプを分散配備。
  • 重大事故対策について:対応拠点として緊急時対策所を設置。格納容器内の水素爆発を防止するため、水素処理装置の設置。大型放水砲、大型ポンプ車の配備[6]

3基が稼働していた頃、伊方原発は「四国全体の電力の約4割以上をまかなう」と原発PRで謳われることがあった。実際の四国電力の設備容量合計から見れば2割余り[7]だが、定期点検などで休止することもあることと、通常は出力100%で定常運転するため、実際の発電ベース上では4割を越えることもあった。

発電設備

[編集]
番号 原子炉形式 定格電気出力 初臨界 運転開始 運転終了 施工・型式 現況
1号機 加圧水型軽水炉 56.6万kW 1977年2月17日 1977年9月30日 2016年5月10日 三菱・2ループ 廃炉作業中
2号機 1981年8月19日 1982年3月19日 2018年5月23日
3号機 加圧水型軽水炉 89.0万kW 1994年3月29日 1994年12月15日 WH三菱・3ループ[8] 2022年01月24日から運転再開[9]

年表

[編集]
  • 1972年昭和47年)11月 - 初号機の原子炉設置許可。
  • 1973年(昭和48年)6月 - 初号機の建設工事開始。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 四国電力・愛媛県・伊方町により、伊方原子力発電所周辺の安全確保及び環境保全に関する協定を締結(1985年4月と2013年8月に一部改定)[10]
  • 1977年(昭和52年)
    • 1月 - 初号機が初臨界。
    • 3月 - 2号機の原子炉設置許可。
    • 9月30日 - 1号機(初号機)が運転開始。
  • 1978年(昭和53年)2月 - 2号機の建設工事開始。
  • 1981年(昭和56年)7月 - 2号機が初臨界。
  • 1982年(昭和57年)3月19日 - 2号機が運転開始。
  • 1986年(昭和61年)
    • 5月 - 3号機の原子炉設置許可。
    • 11月 - 3号機の建設工事開始。
  • 1994年(平成6年)
    • 2月 - 3号機が初臨界。
    • 12月15日 - 3号機が運転開始。
  • 2011年(平成23年)
    • 4月末に3号機が定期検査に入り、7月10日予定だった再稼働は延期となった[11]
    • 9月4日には1号機も定検に入った[11]
  • 2012年(平成24年)1月13日 - 2号機が定期検査のため送電停止。
    • 福島第一原子力発電所事故の影響により既に定期検査に入っている1号機および3号機の運転再開の目途が立たず、この日から伊方発電所の送電は全停止となる[12]
  • 2013年(平成25年)7月8日 - 3号機が原子力規制委員会に対し新規制基準への適合性確認申請。2016年3月23日に委員会の認可を受ける[13][14]
  • 2016年(平成28年)
    • 3月25日 - 1号機の廃炉を決定[15][16]。3号機の再稼働に向けての使用前検査を原子力規制委員会に申請[1][13][15][17]
    • 5月10日 - 1号機の運転が終了[18]
    • 6月24日 - 3号機の再稼働に向けて、燃料装荷を開始[19]
    • 8月22日 - 3号機を定格熱出力で再稼働させた。7月17日に発生した1次冷却水系統のポンプ不具合のために遅れが生じた[20]
  • 2017年(平成29年)
    • 6月28日 - 原子力規制委員会が1号機廃止措置計画を認可[21]
    • 7月21日 - 松山地裁は3号機の運転を禁止するように住民らが申し立てた仮処分に対して却下する決定をした[22][23]
    • 9月8日 - 愛媛県および伊方町が1号機の廃止措置計画を了解[21]
    • 12月13日 - 広島高裁により運転差し止めが決定された[24]。2018年9月30日まで運転を認めない決定。
  • 2018年(平成30年)
    • 3月27日 - 2号機を廃炉にする方針を固める[25]
    • 5月23日 - 2号機廃炉[26]
    • 10月27日 - 3号機が再稼働[27]
  • 2020年令和2年)1月17日 - 3号機の運転を認めない仮処分が決定(3号機は2019年12月26日より定期点検中[28])。
  • 2021年(令和3年)
    • 3月18日 - 前年に決定した運転を認めない仮処分決定を巡り、四国電力が決定の取り消しを求めた異議審で、広島高等裁判所は異議を認めて再稼働を容認する決定を出した[29]
    • 6月24日 - 発電所の重大事故時に対応する要員が宿直勤務中に無断外出していたことが発覚。同年9月に原子力規制委員会は保安規定違反と認定、同年10月12日に予定していた3号機の再稼働は12月に延期になった[30]
  • 2022年(令和4年)
    • 1月24日 - 3号機は定期検査が終了し定格電気出力89万キロワットで通常運転を再開した。[9]

主な動き

[編集]

出力調整運転実験

[編集]

1987年10月と1988年2月、2号機で50%出力まで下げた後100%出力に戻す出力調整運転実験を実施した[31]

トラブル

[編集]

2004年3月9日、3号機で充てんポンプC号機の封水部から1次冷却水の漏洩が発生[32]

反対運動

[編集]

1969年10月13日、賛成派だった元伊方町長の川口寛之を中心に伊方原発誘致反対共闘委員会が結成される。翌1970年5月7日、機材の陸揚げを阻止するための実力行動を行う[33]。同年10月、伊方町原発誘致反対共闘会議を結成[34]

1982年11月18日の3号機増設の1次公開ヒアリング(町見体育館)に対して、愛媛地評などによる「公開ヒアリング阻止闘争共闘会議」が約2000人を集めて、前夜から当日にかけてヒアリングを開催させない監視活動を行った。当日の早朝には、ヒアリング会場までデモを断続的に繰り返した[35]

1985年10月4日の3号機の第二次公開ヒアリング開催に対しても愛媛地評を中心に10月8日、県民共闘が結成され2000余人の抗議集会が開かれた。上記の2回のヒアリングはいずれも開催された。

1988年1月25日、大分の反原発団体などの呼びかけで、伊方原発調整運転に反対して高松市でデモ[33]。同年10月30日、「原発とめよう伊方集会」に300人が集まり、参加者が手をつなぎ、「人間の鎖」をつくったり、3号機建設中止を求めるパレードを行ったりした[36]

2010年1月18日、3号機で実施を計画しているプルサーマルの中止を求めて、愛媛県の住民団体などが国会内で経済産業省原子力安全・保安院などに要請した。要請したのは市民団体と愛媛県の共産党・社民党などの政党が参加する「伊方原発プルサーマル計画の中止を求める愛媛県民共同の会」で、計画の中止や伊方原発周辺の海底にある活断層の詳しい調査を行って伊方原発の耐震安全性評価をやり直すことなどを求めた[37]

伊方原発訴訟

[編集]

福島第一原子力発電所事故後の状況

[編集]

福島第一原子力発電所事故の影響によって既に定期検査を終えた発電機も運転再開の目途が立たないため、全発電機が定期検査に入った2012年(平成24年)1月13日から送電を停止した[12]

伊方原発3号機は、2015年7月に国の安全審査に合格し、2016年8月12日再稼働[38]

伊方原発3号機再稼働後も、各地で訴訟が起きた。

2019年12月26日より定期点検に入り[28]2020年1月16日、MOX燃料16体を含む原子炉内全ての燃料157体の取り出しを完了したことが報じられた[39]。同年1月17日、山口県東部の島の住民3人が運転禁止を求めた仮処分の即時抗告審で、広島高裁は運転の差し止めを認める決定をした[40]。その後異議審で広島高裁は異議を認めて再稼働を容認する決定をし、2021年12月に再稼働した[41]

地域経済への影響

[編集]

旧伊方町

[編集]
伊方町の全体図

1955年に昭和の大合併伊方村町見村が合併して誕生した(旧)伊方町は、「日本一細長い半島」である佐田岬半島の付け根部分に位置していた。町の大部分が海岸から30度前後の急斜地にあり、平野が少ない上に水資源も乏しい地域である。そのため、伊方原発建設までは段々畑を利用した柑橘類栽培と沿岸漁業で成り立っていた。第一次産業中心で収入が少ないため、阪神地域への出稼ぎも多く、医療・教育などの住民サービスも未整備な状況であった。地域経済や住民生活は隣の保内町(現・八幡浜市)に頼っていたが、鉄道はなく、1987年に国道197号線が整備されるまでは極めてアクセスが悪い地域であった。高度経済成長に入ると若年層を中心に人口が流出し、過疎化が急速に進行した。そこで1969年に町長・地主・漁業関係者らが四国電力に対して、原発誘致の陳情を行った。当時、原子力開発に取り組むも住民の反対運動で原発立地を確保できなかった四国電力は、この陳情を受けて1973年より伊方原発の建設を開始した。こうして伊方町は原発中心の経済に移行した[42]

原発によって多くの作業員が伊方町で働くようになったため、建設業サービス業宿泊業など)で特に多くの需要が生まれた。ただし、建設業・宿泊業は大規模工事や定期検査の時期に大きく需要が伸びる半面、それ以外の時期は仕事が大幅に減るなど不安定な経営状況にあった。また、伊方町には商店や遊興施設が少なかったため、市街地がある八幡浜市・保内町に宿泊する作業員も少なくなかった。建設業も地元業者は下請けが主であり、建設費の大半は町外に流出していた。そこで1984年に商工業協同組合が結成され、四国電力とその関連会社に、地元での商品購入、地元住民の優先的な雇用、労働者の地元での宿泊を求めるようになった。ただし、四国電力側には従う義務がないのでそれほど効果はなかった。なお、農業は賃金が割高な原発作業に労働力を取られ、高齢化や後継者不足もあって衰退していった[42]

伊方町の人口は原発の稼働後も減少傾向をたどっている。建設時には一時増えたものの、1965年には9924人いた人口が、2003年には6746人にまで減少してしまった。地場産業が乏しく、原発関連産業での雇用も限られているため、主に若年層の流出(社会減)が激しかった。ただし、人口減少の度合いは同じ佐田岬半島の近隣自治体と比較すれば緩やかなものであった(1965年から2000年にかけて、瀬戸町は6626人から2818人に、三崎町は9269人から4154人に減少した)[42]

伊方町の財政力指数は1966年から1973年までは平均0.13に過ぎなかった。しかし、四国電力からの町税、国からの電源三法交付金などによって1983年以降は断続的に地方交付税普通交付税)の不交付団体になるなど、良好な推移を遂げるようになる。1966年には町の普通会計で歳入2億7183円だったのが、1974年には16億1415万円に急増、2003年には71億8454万円にまで拡大した。四国電力からの町税には、固定資産税住民税電気税(1989年まで)があり、そこから得られる金額は電源三法交付金よりはるかに大きかった。ただし、原発は減価償却によって会計上の価値が目減りするため、建設から時間が経つと固定資産税も減少する仕組みになっている。ほかの原発立地自治体と同じく、伊方町にもハコモノが多く、建設費・維持費に莫大な経費がかけられている。また、住民たちには原子力発電施設等周辺地域交付金(電気料金割引制度)が世帯ごとに配られていた[42]

新伊方町

[編集]

2001年に成立した小泉内閣は、地方交付税制度を見直すことで平成の大合併を促進し、多くの市町村が合併を行った。国からの地方交付税の減少によって、もともと悪かった瀬戸町・三崎町の財政はさらに悪化した。健全な財政を保っていた伊方町は合併によって地方交付税が増えることに財政的メリットを見出し、以前から消防・ごみ処理などで一部事務組合を結んでいた瀬戸町と合併協議をスタートさせた。しかし、佐田岬半島の先端に位置する三崎町の町長は、伊方・瀬戸両町を飛び越え、八幡浜市・保内町との「飛び地合併」を提唱した。町長がこのような合併を提唱した背景には、八幡浜市を中心として西宇和郡5町(保内・三瓶・伊方・瀬戸・三崎)を合併させようとした愛媛県庁の意向があるとする見方がある。しかし、三崎町民の多くは住民投票で伊方町・瀬戸町との合併を望み、伊方町も財政力を維持するために八幡浜市との合併を望まなかったため、伊方町・瀬戸町・三崎町が対等合併し、新・伊方町が誕生した[43]

合併の際、電源三法交付金の積立である伊方町地域振興基金31億1680万8000円の使途は旧伊方町に限ると合併委員会で決定された。また、旧伊方町の各世帯は旧瀬戸・三崎町よりも多くの原子力発電施設等周辺地域交付金を受け取っている[43]

合併後の伊方町は職員の三役・議員の自然減や一般職員のリストラによって人件費を削減した(特に瀬戸と三崎の総合支所の職員数は大幅に減らされた)。2002年度から2009年度にかけて、職員数が322人から243人に減り、職員の減少率は24.5%と愛媛県内最高を記録した。それでも伊方町の財政力指数は1.259から0.570にまで悪化し、普通交付税の交付団体になってしまった[43]

伊方町は原発の減価償却による固定資産税の低下に対して、2003年より法定外普通税使用済み核燃料税の導入を検討した。しかし、2009年に愛媛県が県税の燃料税率を10%→13%に引き上げ、1%分を伊方町と八幡浜市に配分することになり、伊方町は使用済み核燃料税の導入を見送った[43]

合併後も人口流出・高齢化は進み、人口は合併前(2004年)の旧3町合計13076人から2009年には12118人に減少した。伊方町は対策として風力発電観光業の振興に取り組む姿勢を示している[43]

東日本大震災以降

[編集]

2011年3月に東日本大震災により福島第一原子力発電所事故が発生した影響で、2012年からは伊方原発も停止した。八幡浜市・伊方町では原発停止の影響で、作業員の数が減り、旅館・飲食店などを中心に大きな経済的打撃を受けた。八幡浜市と伊方町は景気対策としてバスツアーに補助金を出したり、旅館の割引券を発行した[44]

2013年6月の伊方町議会では、町長の山下和彦が「原発に大きく依存した地域振興策を見直す」ことを表明し、観光を新たな経済振興策の柱に据えた。町として総合戦略を策定し、2014年度より約2億円の関連事業費が予算に盛り込まれた。伊方町は戦略に基づいて温泉施設やフェリー乗り場などを整備し、年間約50万人が利用する大分県との間を結ぶフェリー乗り場近くにミカン魚介類の直売所を造ることを表明した。また、亀ケ池温泉に宿泊施設を新設し、旅行プランに東洋医学を組み込むことも模索された。町内の佐田岬灯台(四国最西端)を観光拠点として、カフェバーベキュー場を整備するともした。

ただし、伊方町はアクセスが悪く(人口の多い松山市から自動車で亀ケ池温泉までは約2時間、灯台周辺までは約2時間半かかる)、行政は住民から課題克服のためにアイデアを募った町の歳入の約3割は、電源三法交付金・固定資産税の「原発マネー」であり、町長は新産業創出の重要性を訴えるが、「脱原発ではない」としている。灯台が100周年を迎える2018年4月までに、観光関連事業に集中投資するとしている[45]

2016年8月12日、再び伊方原発が再稼働した。伊方町では経済の活性化を期待する声が聴かれた[46]

リスク

[編集]

地震・津波

[編集]
赤線が中央構造線
1981年以降に伊方原発30km圏内で発生した地震の震源マップ(気象庁のデータより。2015年3月8日作成)。赤星印が伊方原発

伊方原発の間近に、長大な活断層帯(中央構造線断層帯)を伴った中央構造線がある。この活断層帯に含まれる、伊方原発から5-6km程度の距離にある海底の活断層が将来大地震を引き起こす危険があることが、前述の伊方原発訴訟にて原告から訴えられていた。ただし裁判当時の国内の地震学界では地震の活断層説には否定的な意見が占めており、受け入れられなかった[47]

なお2011年2月に地震調査研究推進本部より発表された、中央構造線断層帯の長期評価[48]によると、伊方原発近くの活断層の活動は以下のように評価されている。

石鎚山脈北縁西部の川上断層から伊予灘の佐田岬北西沖に至る区間が活動すると、マグニチュード8.0程度もしくはそれ以上の地震が発生すると推定され、その際に2-3m程度の右横ずれが生じる可能性がある。
(中略)
石鎚山脈北縁西部の川上断層から伊予灘の佐田岬北西沖に至る区間は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属することになる。 — 地震調査研究推進本部 地震調査委員会、中央構造線断層帯(金剛山地東縁-伊予灘)の長期評価(一部改訂)について 平成23年2月18日

その後の2012年に、1596年9月1日に起きた慶長地震(中央構造線断層帯が震源)の際に現在の伊方原発付近に10-15mの大津波が到達した可能性があることが発表された。この時の地震は、愛媛県から大分県にかけての約170kmを震源域とする巨大地震だと考えられている[49]都司嘉宣(元東京大学地震研究所)によれば、数日おきに起きた3度の大地震のうち豊後地震伊予地震連動して発生し、地震や津波の規模が今まで考えられていたよりも大きかった可能性があるという。伊方原発は10mの高さにあり、四国電力は14m強の津波も防ぐ対策をしているが、直下型地震の強い揺れの後に10m以上の津波で浸水となれば想定外の事態もあり得る、としている[50]。この発表に対し、四国電力は、伊方原発付近にこの時の大津波の痕跡がないこと、この時の地震では別府湾で断層が縦にずれて大津波を引き起こしたが伊方原発沖の断層は横にずれるとされており地震が起きても伊方原発に届く規模の津波にはならないことなどを説明している。さらに四国電力は、同様の広範囲を震源域とする地震が起きた場合でも伊方原発の耐震性には問題ないとしている[51]

2013年に地震調査研究推進本部が示した、南海トラフ巨大地震の想定震源域[52]

伊方原発はまた、南海トラフの地震の想定震源域にも近いことから、大地震発生時の影響が懸念されている[53]内閣府南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループによる南海トラフ地震の被害想定[54]の、2012年8月29日に発表された第一次報告では、津波発生の46分後に伊方町の沿岸に最大21mの津波が到達し[55]、伊方原発付近では最大3mの水位上昇があるとされた[56]。町内各地の津波の規模は愛媛県が独自に調査し、佐田岬半島の太平洋側に最大21mの津波だと推定している[55]。その後、2013年5月24日に地震調査研究本部地震調査委員会が発表した「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)」においては、従来の東南海地震南海地震の想定震源域よりも広い範囲が南海トラフの地震での想定震源域として示され、伊方原発の間近も震源域となる可能性が高まった。過去にはこの想定した範囲内の一部の領域が震源となってM8級の大地震を起こしてきた。頻度は低いものの想定震源域全体が震源となった場合は、M9.1の巨大地震となると見込まれている[52]

原子力規制委員会(国)による3号機の新基準適合審査にあたり、四国電力は、これらの大地震への対策として基準地震動(最大規模の地震動として想定)をそれまでの570ガルから650ガルに引き上げている[57][58]。また、愛媛県から地震動へのさらなる対策を求められたことから、約1000ガルの地震動に対応しうる耐震性向上工事を実施した[59]。こうした対策に対し、伊方原発沖の活断層を発見した岡村眞(高知大学)もこの活断層が震源となれば伊方原発にはすぐに強い揺れが到達することから、制御棒をうまく動作させられず原子炉の緊急停止に影響する可能性を指摘している[58]。また地震学者の石橋克彦(神戸大学)も、敷地内での液状化現象地盤沈下の発生、斜面を削った箇所の崩落といった危険性や、四国全域の停電と原発の非常用電源のトラブルによる全交流電源喪失の可能性を指摘している[60]

原発事故への備え

[編集]

万一の原発事故発生に備え、愛媛県では2013年6月に広域避難計画を策定している。2014年2月の見直し後、2015年6月に修正版が出された[61]。計画では、伊方原発の西側となる佐田岬半島にいる住民は、国道197号線などを通って三崎港へ向かい、定期便の船舶の他、海上自衛隊海上保安庁、事前に協定を結んでいる民間企業などの船舶も活用して避難することとなっている[62]。しかし、悪天候などで船舶が使えない場合の代替方法が十分に検討されていないことなどが問題点として指摘されている[53]

2013年10月22日には「大地震により伊方原発で放射性物質が漏洩」との想定で、愛媛県による原子力防災訓練が行われた[63]。愛媛県や周辺の地方公共団体と住民、四国電力、原子力規制委員会、自衛隊などの地方行政機関、その他の公共機関が参加して、原発から30km圏内にいる住民の安全確保のための大規模な訓練が実施された。その後、2015年11月8日・9日には、同様の事態を想定した国による原子力総合防災訓練が行われた。これは「伊方地域の緊急時対応」[64]に基づいた避難計画の実効性を検証することも目的としており、四国電力、愛媛県の全市町村・大分県と大分市・山口県と上関町とその住民の他、首相官邸内閣府などの中央機関も参加した。フェリーや海上自衛隊の船舶での愛媛県から大分県への避難訓練も行なった[65][66]が、大分合同新聞が避難訓練の参加者にインタビューしたところ、「大地震で道路や港湾施設に問題が生じたら訓練時のようには避難できない」「高齢者の多い集落では移動も難しい」といった、実際の避難への不安を訴える参加者が多かったという[66]。また、訓練後に愛媛県が参加者を対象に実施した行ったアンケートでも、約2割に当たる参加者から同様の回答が寄せられたという[67]

また、国の原子力災害対策指針に基づき、伊方町では伊方原発から半径5kmの範囲に住む町民約5300人(3歳以上)への安定ヨウ素剤の配布を進めている。2014年8月から集会場などでの配布が始まり、医師などが使用方法などを説明した上で町民に渡しているが、2015年11月現在、約3割の町民にまだ配布できていないという[68]。2018年11月時点では、対象住民数5,008人に対し、配布者数3,520人である[69]

2017年、2018年、2019年の原子力防災訓練ではドローンを活用した訓練も実施された[70][71][72]

四電原子力本部の愛媛県への移転

[編集]

2010年の時点で、四国電力の原子力本部は香川県高松市の本店内に所在し、この伊方原発の管理・運転計画の中枢となっていた。

四国唯一の原発を擁する愛媛県では、当時の加戸守行知事が2005年と2006年にそれぞれ四国電力に対して原子力部門の県内移転を要請している[73]。しかし、原子力部門に限るといえども、ある程度の権限を持った本部を移転するということは、本社との二重構造を引き起こす可能性があるなど、四国電力にとって経営の根幹に関わる問題であるため、要請には消極的であった[74]

ところが、2011年3月の福島第一原子力発電所事故がきっかけとなり、愛媛県知事の中村時広が改めて四国電力へ要請をしたところ[73]、四国電力側は本店にある原子力本部を2011年6月を目処に愛媛県松山市に移転することを決定した[75]。移転後はすでに松山市にある愛媛原子力対策室と統合され、取締役副社長である原子力本部長以下総勢25人程度のスタッフにより業務を行う予定とされた[76]

そして2011年6月29日をもって、原子力本部が高松市の本店から松山市へ移転した。スタッフは、原子力本部長(取締役副社長)以下30名の体制である。2019年には原子力部と原子燃料部を統合する等の組織再編を行った。

四国電力原子力本部組織図
  • 原子力本部
    • 原子力部
    • 原子力保安研修所
    • 伊方発電所

ただし、松山(原子力本部)から伊方原発までは直線距離でも65km離れており、自動車で実際にかかる到達時間も高速道路を利用したとしても松山市内からは1時間30分かかる[77]

登場作品

[編集]
ゴジラvsデストロイア
1995年公開の日本の映画。劇中に伊方原発が登場する。豊後水道に出現したゴジラが発電所を襲おうとするも、自衛隊のスーパーXIIIに防がれている[78]。ただし映像は、福井県美浜発電所および高浜発電所を用いている[78]英語版に画像あり。

出典

[編集]
  1. ^ a b 伊方発電所1号機の廃止について” (PDF). プレスリリース. 四国電力 (2016年3月25日). 2016年4月2日閲覧。
  2. ^ “伊方2号機の再稼働判断、18年以降の可能性 四国電社長が示唆”. 日本経済新聞. (2017年9月9日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB08H2K_Y7A900C1LA0000/ 
  3. ^ “「ぎりぎりまで検討」四国電力 伊方2号の再稼働判断は年度内に”. KSBニュース. (2018年2月28日). https://news.ksb.co.jp/article/13834051 
  4. ^ “「苦渋の決断…」四国電力 伊方原発2号機の廃炉を決定”. KSBニュース. (2018年3月27日). https://news.ksb.co.jp/article/13834068 
  5. ^ “伊方2号機廃炉を決定 四国電、地元愛媛県に報告”. 日本経済新聞. (2018年3月27日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28618440X20C18A3EAF000/ 
  6. ^ 伊方発電所の安全対策について” (PDF). 四国電力. 2020年8月9日閲覧。
  7. ^ “伊方原発きょう全基停止 四国の電力不足せず”. 高知新聞. (2012年1月13日). オリジナルの2012年5月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120528112653/http://www.kochinews.co.jp/?nwSrl=284143&nwIW=1&nwVt=knd 2012年4月22日閲覧。 
  8. ^ Nuclear Power Plants - Japan” (英語). The Virtual Nuclear Tourist. 2011年4月15日閲覧。
  9. ^ a b 伊方発電所3号機 通常運転再開について” (PDF) (2022年1月24日). 2022年2月3日閲覧。
  10. ^ 愛媛県知事、伊方町町長、四国電力(株)取締役社長 (2016年4月1日). “安全協定”. 伊方町. 2016年4月5日閲覧。 / 安全協定書” (PDF). 伊方町 (2013年8月8日). 2016年4月5日閲覧。
  11. ^ a b 伊方原発停止、電力綱渡り 4県回顧2011年(上)”. 日経新聞 (2011年12月27日). 2020年1月28日閲覧。
  12. ^ a b 伊方発電所2号機第23回定期検査の実施について』(プレスリリース)四国電力、2012年1月6日http://www.yonden.co.jp/press/re1201/1179798_1529.html2012年1月11日閲覧 
  13. ^ a b 伊方発電所3号機の新規制基準への適合性に係る使用前検査の受検申請について” (PDF). プレスリリース. 四国電力 (2016年3月25日). 2016年4月2日閲覧。
  14. ^ 四国電力株式会社伊方発電所第3号機の工事の計画を認可”. 会議・面談等 規制法令及び通達に係る文書. 原子力規制委員会 (2016年3月23日). 2019年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月3日閲覧。
  15. ^ a b 中村時広(愛媛県知事) (2016年3月25日). “伊方原発3号機の状況及び1号機の廃炉方針の報告について”. 伊方原発に関する知事メッセージ(平成27年). 愛知県庁. 2016年4月2日閲覧。
  16. ^ 四国電力、伊方1号機の廃止を決定”. 日本原子力産業協会 (2016年3月25日). 2020年8月22日閲覧。
  17. ^ “伊方原発、3号機は7月下旬再稼働へ…四国電力”. 読売新聞. (2016年3月25日). https://web.archive.org/web/20160325112119/http://www.yomiuri.co.jp/economy/20160325-OYT1T50149.html 2016年4月2日閲覧。 [リンク切れ]
  18. ^ 四国電力、伊方廃止措置研究で産学官連携の検討会立ち上げ”. 日本原子力産業協会 (2016年5月12日). 2020年8月10日閲覧。
  19. ^ 伊方3号の燃料装荷が開始、8月の営業運転復帰に向け”. 日本原子力産業協会 (2016年6月24日). 2020年8月10日閲覧。
  20. ^ 伊方3号が定格熱出力一定運転に、9月7日にも通常運転復帰”. 日本原子力産業協会 (2016年8月22日). 2020年8月10日閲覧。
  21. ^ a b 【短信】伊方発電所1号機 廃止措置計画了承”. 日本原子力産業協会 (2017年9月8日). 2020年8月10日閲覧。
  22. ^ “伊方原発、運転差し止め認めず 松山地裁、仮処分申請を却下”. 日本経済新聞. (2017年7月21日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG21H16_R20C17A7CC0000/ 2020年8月10日閲覧。 
  23. ^ “伊方3号機:停止認めず、住民の申し立て却下 松山地裁”. 毎日新聞. (2017年7月21日). https://mainichi.jp/articles/20170721/k00/00e/040/279000c 2020年8月10日閲覧。 
  24. ^ “伊方原発の運転差し止め 広島高裁が仮処分”. 日本経済新聞. (2017-12-13 13時19分). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24575630T11C17A2AM1000/ 2017年12月13日閲覧。 
  25. ^ “伊方原発1基体制に 2号機廃炉 四国電、経済性で選別”. 日本経済新聞. (2018年3月27日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28646880X20C18A3LA0000/ 2020年8月22日閲覧。 
  26. ^ 四国電力 伊方発電所2号機の廃止に係る発電事業変更届出書の提出について (PDF) 平成30年5月23日
  27. ^ 【短信】山口地裁岩国支部、伊方3号機運転差止仮処分申立てを却下”. 日本原子力産業協会 (2019年3月15日). 2020年8月10日閲覧。
  28. ^ a b 伊方発電所3号機 第15回定期検査の実施について” (PDF) (2012年12月12日). 2020年1月17日閲覧。
  29. ^ 伊方原発、10月末にも再稼働 高裁が四国電の異議認める”. 日本経済新聞 (2021年3月18日). 2021年11月23日閲覧。
  30. ^ 再発防止策は「妥当」 伊方原発の保安規定違反で愛媛県の専門部会”. 朝日新聞 (2021年10月13日). 2021年11月23日閲覧。
  31. ^ 四国電力伊方発電所2号機の出力調整運転試験について”. 原子力百科事典ATOMICA. 高度情報科学技術研究機構 (1998年5月). 2011年3月6日閲覧。
  32. ^ 伊方発電所第3号機 充てんポンプ3C主軸の損傷の原因と対策について”. 原子力プレスリリース. 四国電力 (2004年4月5日). 2015年12月20日閲覧。
  33. ^ a b 荻野晃也(京都大学工学部) (2003年5月16日). “退職後に考える45年間の出来事”. 原子力安全研究グループ 第93回 原子力安全問題ゼミ. 京都大学原子炉実験所. 2011年4月23日閲覧。
  34. ^ 斉間満 (2002年5月27日). “原発の来た町 - 原発はこうして建てられた/伊方原発の30年” (PDF). 南海日日新聞社. p. 7. 2014年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月23日閲覧。
  35. ^ 法政大学大原社会問題研究所 (2001年8月28日). “第二部 労働運動 VII 公害反対闘争 9 原発反対闘争”. 日本労働年鑑 第54集 1984年版 (320). 法政大学大原社会問題研究所. 2019年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月23日閲覧。
  36. ^ 法政大学大原社会問題研究所 第四部 労働組合と政治・社会運動 II 社会運動の動向 4 反原発運動の活発化”. 日本労働年鑑 第59集 1989年版 (297) (2000年2月22日). 2019年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月23日閲覧。
  37. ^ “伊方原発:「プルサーマル中止を」 市民団体が四電に申し入れ /愛媛”. 毎日新聞. (2010年1月15日). http://mainichi.jp/area/ehime/news/20100115ddlk38040598000c.html 2010年1月20日閲覧。 [リンク切れ]
  38. ^ 伊方原発、運転差し止め認めず 松山地裁、仮処分申請を却下”. 日経新聞 (2017年7月21日). 2020年1月17日閲覧。
  39. ^ 伊方原発MOX燃料取り出し完了 定期検査で16体、全国初”. 東京新聞 (2020年1月16日). 2020年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月17日閲覧。
  40. ^ 伊方原発3号機、運転差し止め命じる 広島高裁決定”. 日経新聞 (2020年1月17日). 2020年1月17日閲覧。
  41. ^ 四国電力、伊方原発3号機の運転再開”. 日経新聞 (2021年12月2日). 2022年4月9日閲覧。
  42. ^ a b c d 張貞旭「伊方町における原発立地と地域経済・地方財政」『財政と公共政策』第28巻第1号、財政学研究会、2006年5月、53-66頁、doi:10.14989/156255ISSN 13488805NAID 40007344763 
  43. ^ a b c d e 張貞旭「原発立地地域の合併と地域経済・地方財政の変化について : 愛媛県伊方町を中心に」『松山大学論集』第22巻第3号、松山大学総合研究所、2010年8月、1-26頁、CRID 1050001338457874816ISSN 09163298NAID 110009616822 
  44. ^ 毎日新聞 2013年1月13日[要ページ番号]
  45. ^ “伊方原発訴訟と地震問題”. 共同通信. (出典提示者が配信日を未記載). http://www.47news.jp/47topics/e/263397.php 2016年9月16日閲覧。 [リンク切れ]
  46. ^ “「新しい産業もない。原発と歩んでいく」 人口1万人の伊方町、原発と再び向き合う住民”. 産経WEST. (2016年8月12日). https://www.sankei.com/article/20160812-XJZFAKCXTBN4ZMA7HC2C2YQDC4/ 2016年9月16日閲覧。 
  47. ^ 伊方原発訴訟と地震問題” (PDF). 荻野晃也(京大、伊方原発原告証人) (2008年7月22日). 2012年4月22日閲覧。
  48. ^ 中央構造線断層帯(金剛山地東縁-伊予灘)の長期評価(一部改訂)について”. 地震調査研究推進本部 地震調査委員会 (2011年2月18日). 2012年4月22日閲覧。
  49. ^ “慶長地震で伊方に10メートル超津波襲来か”. 愛媛新聞. (2012年7月30日). http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20120730/news20120730224.html 2016年4月2日閲覧。 [リンク切れ]
  50. ^ 森田康裕 (2012年7月31日). “伊方安全性議論に一石 都司元東大准教授指摘 1596年 津波10メートル超か 中央構造線 再評価も”. 愛媛新聞 朝刊: p. 総二 
  51. ^ トピックス:1596年に発生した地震の伊方発電所周辺への影響について”. 四国電力. 2018年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月2日閲覧。
  52. ^ a b 南海トラフの地震活動の長期評価(第二版) 概要資料” (PDF). 地震調査研究推進本部地震調査委員会. pp. 4, 10, 24 (2013年5月24日). 2016年4月4日閲覧。 / 南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)について”. 地震調査研究推進本部地震調査委員会 (2013年5月24日). 2016年4月4日閲覧。
  53. ^ a b “社説 伊方原発/「南海トラフ」に不安残し”. 神戸新聞NEXT. (2015年7月18日). http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201507/0008219327.shtml 2016年4月2日閲覧。 [リンク切れ]
  54. ^ 防災対策推進検討会議 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ”. 内閣府 (2012年8月29日). 2016年4月4日閲覧。 最終報告は2013年5月28日公表。
  55. ^ a b “死者最悪1万2千人 伊方に津波最大21m 愛媛”. 朝日新聞. (2012年8月30日). http://www.asahi.com/special/bousai/OSK201208290211.html 2016年4月4日閲覧。 
  56. ^ 南海トラフの巨大地震モデル検討会(第二次報告) 追加資料 各原子力発電所付近の最高水位” (PDF). 南海トラフの巨大地震に関する津波高、浸水域、被害想定の公表について. 内閣府 (2012年9月5日). 2016年4月4日閲覧。
  57. ^ “伊方原発3号機、審査合格 原発新規制基準で3例目”. 産経WEST. (2015年7月15日). https://web.archive.org/web/20150717022256/http://www.sankei.com/west/news/150715/wst1507150041-n1.html 2016年4月3日閲覧。 [リンク切れ]
  58. ^ a b “判断「あまりに危険」 近くに活動性高い断層”. 大分合同新聞 夕刊: p. 1. (2015年7月15日). https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/07/15/134215475 2016年4月2日閲覧。 [リンク切れ]
  59. ^ 中村時広 (2015年7月24日). “伊方3号機のさらなる揺れ対策に係る四国電力からの報告について”. 知事メッセージ(平成27年). 愛知県. 2016年4月4日閲覧。 / 四国電力 (2015年7月24日). “耐震裕度確保(概ね1000ガルに対応)にかかる取組みについて” (PDF). 知事メッセージ「伊方3号機のさらなる揺れ対策に係る四国電力からの報告について」添付資料. 愛媛県. 2016年4月4日閲覧。
  60. ^ “伊方安全対策は脆弱 石橋克彦・神戸大名誉教授に聞く”. 大分合同新聞 朝刊: p. 1. (2015年9月20日). https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/09/20/005109700 2016年4月4日閲覧。 [リンク切れ]
  61. ^ 愛媛県広域避難計画の修正について(平成27年6月)”. 愛媛県 (2015年6月16日). 2019年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月2日閲覧。
  62. ^ 愛媛県広域避難計画(平成27年6月修正)” (PDF). 愛媛県. pp. 188, 199 (2015年6月16日). 2017年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月2日閲覧。
  63. ^ 原子力緊急時支援・研修センターの活動(平成25年度)”. 日本原子力研究開発機構 (2015年2月). 2020年8月9日閲覧。
  64. ^ 内閣府(原子力防災)、伊方地域原子力防災協議会 (2015年10月6日). “伊方地域の緊急時対応”. 内閣府. 2016年4月5日閲覧。
  65. ^ 野村杏実、後藤隆之 (2015年11月9日). “伊方原発訓練、5千人避難想定なのに住民参加70人”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/articles/ASHC76KL1HC7PTIL019.html 2016年4月4日閲覧。 
  66. ^ a b “防災訓練終了、避難計画疑問の声 伊方原発”. 大分合同新聞 朝刊: p. 1. (2015年11月10日). https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/11/10/003313390 2016年4月4日閲覧。 [リンク切れ]
  67. ^ “「伊方原発事故」で2割が「避難困難」…愛媛県が防災訓練検証の中間とりまとめ”. 産経WEST. (2015年12月24日). https://www.sankei.com/article/20151224-YH4RHX7VZNKD7OQ46MC62HT4AE/ 2016年4月4日閲覧。 
  68. ^ “再稼働前に危機感 ヨウ素剤伊方町3割未配布”. 大分合同新聞 夕刊: p. 10. (2015年11月9日). https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/11/09/132518289 2016年4月4日閲覧。 [リンク切れ]
  69. ^ PAZ内住民に対する安定ヨウ素剤の事前配布”. 内閣府. 2020年8月9日閲覧。
  70. ^ “伊方原発重大事故想定の防災訓練 愛媛県が14日に”. 日本経済新聞. (2017年11月6日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23148700W7A101C1LA0000/ 2020年8月9日閲覧。 
  71. ^ “愛媛伊方原発の防災訓練、複数のドローン活用”. 産経ニュース. (2018年10月13日). https://www.sankei.com/article/20181013-7SNHWIDNFBPBTNE3X3M52ISDHM/ 2020年8月9日閲覧。 
  72. ^ “伊方原発、地震想定し訓練 ドローンで「医薬品」運搬 (写真=共同)”. 日本経済新聞. (2019年10月30日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51570920Q9A031C1AC1000/ 2020年8月9日閲覧。 
  73. ^ a b “中村知事が四電社長に原子力本部移転要請”. 愛媛新聞 (47NEWS). (2011年3月30日). オリジナルの2011年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111204222156/http://www.47news.jp/localnews/ehime/2011/03/post_20110330182453.html 2011年4月15日閲覧。 
  74. ^ “四国電力 原子力本部の松山市への移転を決定”. RNBオンラインNEWS (南海放送). http://ncs2.rnb.co.jp/news/detail.php?recid=12616122 2011年4月15日閲覧。 [リンク切れ]
  75. ^ “四国電力、原子力本部を松山に移転 6月に”. 日本経済新聞. (2011年4月13日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD1309Y_T10C11A4TJ2000/ 2020年8月22日閲覧。 
  76. ^ 原子力本部の組織整備について”. プレスリリース. 四国電力 (2011年4月25日). 2011年5月9日閲覧。
  77. ^ 所在地”. 四国電力. 2020年8月9日閲覧。
  78. ^ a b 「暴走スポットガイド」『ゴジラVSデストロイア コンプリーション』ホビージャパン、2017年12月9日、64頁。ISBN 978-4-7986-1581-3 

関連資料

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]