交響曲の副題

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交響曲の副題(こうきょうきょくのふくだい)

交響曲は普通、交響曲第○○番□□調といったように、番号と調性で識別されているが、標題音楽的性格が強い場合や、その他様々な事情により、何らかの題名(副題)が与えられることがある。これは、交響曲以外でも番号で呼ばれる作品について広く当てはまることであるが、ここでは特に交響曲について扱うことにする。

副題の種類[編集]

副題の種類には大まかに以下の3種類がある。

「タイトル」については、ベートーヴェン交響曲第6番『田園』や、シューマン交響曲第1番『春』チャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』メシアントゥランガリーラ交響曲などがある。これらはいずれも作曲家がそれぞれ意図をもって名づけたものであり、作品の解釈の手がかりともなる。

「標題(プログラム)」は、ベルリオーズの『幻想交響曲』における「断頭台への行進」やR.シュトラウスの『アルプス交響曲』における「森に入る」「頂上にて」のように、交響詩における標題と同様の具体的な描写内容を表すものである。

一方、「通称(ニックネーム)」については、ハイドン交響曲第103番『太鼓連打』モーツァルト交響曲第38番『プラハ』シューベルト交響曲第8(7)番『未完成』ブルックナー交響曲第3番『ワーグナー』マーラー交響曲第4番『大いなる喜び(歓び)への賛歌』などが知られている。これらは主として演奏家や評論家などが、便宜上それぞれの作品の印象的なフレーズや、作曲された土地、作品にまつわるエピソードなどを題名のように適当に呼んでいたものが、やがて広く定着したり、レコードCD、演奏会の入場券の売り上げ促進といった商業的理由によって用いられ続けているものである。

通称の場合しばしば問題になるのが、そのようにして呼ばれている通称が作品の理解の障害になる場合である。そのような作品として有名なのが、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』ドヴォルザーク交響曲第8番『イギリス』ショスタコーヴィチ交響曲第5番『革命』などである。ベートーヴェンについては、「運命はかく扉をたたく」という発言があまりに大きく捉えられすぎて、「運命との葛藤」という側面ばかりが強調されてしまう傾向に陥っていることが、しばしば問題とされている。またドヴォルザークについては、イギリスの出版社から出版されたというだけの理由で与えられた通称であり、この通称では交響曲第8番のスラヴ風な特徴を完全に無視していることになる。ショスタコーヴィチは、当初はロシア革命を讃える社会主義リアリズム風の作品として解釈されていたため「革命」の通称で知られていたが、その後それを覆す証言や解釈が数多く現れ、現在では必ずしも革命を讃えているとは言い切れなくなった。このような理由により、これらの作品は通称を用いないで呼ぶことが好ましいとされている。

有名な副題付き交響曲一覧[編集]

※以下4曲いずれも副題というよりは題名そのもの(例えば「海の交響曲は」A Sea Symphony)である。

脚注[編集]

  1. ^ 現在では交響組曲として扱われる事が多い。
  2. ^ 最終改訂時に交響曲から「交響組曲」に呼称を改めている。