ジャン・シベリウス
| ジャン・シベリウス Jean Sibelius | |
|---|---|
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1913年撮影 | |
| 基本情報 | |
| 出生名 |
ヨハン・ユリウス・クリスチャン・シベリウス Johan Julius Christian Sibelius |
| 生誕 |
1865年12月8日 ハメ州 ハメーンリンナ |
| 死没 |
1957年9月20日(91歳没) ウーシマー州 ヤルヴェンパー |
| 学歴 |
ヘルシンキ音楽院 ウィーン音楽院 |
| ジャンル |
クラシック音楽 ロマン派音楽 近代音楽 国民楽派 |
| 職業 | 作曲家 |
ジャン・シベリウス(スウェーデン語: Jean Sibelius
発音、1865年12月8日[1] - 1957年9月20日)は、フィンランドの作曲家である。スウェーデン系であり、出生時の洗礼名はヨハン・ユリウス・クリスチャン (Johan Julius Christian)。名前は「ヤン」と表記されることもあるが、フランス語固有の綴りの名前であるため「ジャン」とする。家族からはヤンネ (Janne) と呼ばれていたが、貿易商であった叔父がフランス語風に自称したジャンという名前を、学生時代に譲り受けている。
青年期にはヴァイオリニストを目指したが、後に作曲に専念した。主要作品は、7曲の交響曲、多数の音詩及び交響詩、ヴァイオリン協奏曲などの他、劇音楽・歌曲・ピアノ曲等多岐に及ぶ。
歌曲にはフィンランドの詩人で、スウェーデン語で詩を発表しているユーハン・ルードヴィーグ・ルーネベリの詩を用いているものが多い。
目次
生涯[編集]
1865年12月8日にヘルシンキの北方約100kmのハメーンリンナに生まれる。父クリスチャンは医師であったが、シベリウス2歳の時に他界。姉リンダ、弟クリスチャンはそれぞれピアノ、チェロの演奏をした。
1875年、最初の作曲。ヴァイオリンとチェロのための『水滴』[1]。
1889年、ベルリンに留学。留学中にリヒャルト・シュトラウスの『ドン・ファン』の初演、ハンス・フォン・ビューローの演奏するピアノソナタなどに直接触れる。さらに、ウィーン音楽院においてカール・ゴルトマルクに師事した[1]。
1891年にクレルヴォ交響曲作品7を手がける。翌年春に初演。これは管弦楽に、独唱・男声合唱の加わる大規模な曲である。初演は好評をもって受け入れられたが、その後はその一部が3度演奏されるにとどまり、生存中全曲が演奏されることはなかった。
1892年にアイノ・ヤルネフェルトと結婚。後に六女をもうけるも、1人は2歳で他界[1]。
1899年に『愛国記念劇』の音楽を発表。この曲の7曲目が改作されて交響詩『フィンランディア』作品26として独立し、人気を博した[1]。
1904年にヘルシンキ郊外のヤルヴェンパーに自邸「アイノラ」を建てる[1]。
1908年に喉の腫瘍を摘出する手術を受ける。
1915年、シベリウス50歳の誕生日。この記念行事のために、交響曲第5番が作曲された[1]。
1915年この頃には既にフリーメイソンのメンバーだった。
1923年の交響曲第6番作品104、1924年の交響曲第7番作品105、1925年の交響詩『タピオラ』作品112を頂点にして、以後重要な作品はほとんど発表されなくなった。
1957年にヤルヴェンパーで脳出血により没。91歳。ヘルシンキの大聖堂で国葬が営まれ、棺はアイノラの庭に葬られた[1]。
その後彼の肖像は、ユーロ導入までのフィンランド100マルッカ紙幣に使用された。
主な作品[編集]
交響曲[編集]
クレルヴォ交響曲を除いて、7曲の交響曲が1900年から1924年の間に作られている。初期(第1番、第2番)は当時の流行に沿ってチャイコフスキーやワーグナーの影響の下、大規模で後期ロマン派的な傾向を持つ作品が多いが、中・後期(第3番以降)には古典派や印象派の様式を取り入れ、より内省的で簡潔なスタイルへと移行した。
親しみやすい交響曲第2番 作品43が有名であるが、交響曲第4番と交響曲第7番が最も洗練されており完成度が高い[独自研究?]。また、交響曲第5番作品82は、作曲者の生誕50周年を記念して作曲された荘重なもの。
- クレルヴォ交響曲 ホ短調 作品7
- 交響曲第1番 ホ短調 作品39
- 交響曲第2番 ニ長調 作品43
- 交響曲第3番 ハ長調 作品52
- 交響曲第4番 イ短調 作品63
- 交響曲第5番 変ホ長調 作品82
- 交響曲第6番 作品104
- 交響曲第7番 作品105
なお、
- 1891年に作曲された『序曲 ホ長調』(JS 145)と『バレエの情景』(JS 163)は、当初は最初の交響曲(後の第1番とは別)の楽章として構想されたものであった。
- 交響曲第7番の後にもシベリウスは交響曲第8番を書いたが、未発表のまま破棄されたと言われている。
音詩・交響詩[編集]
1893年の音詩『エン・サガ』から、1925年の交響詩『タピオラ』まで、約30年にわたって作られている。
1900年の音詩『フィンランディア』は、愛国的な感情を呼び覚ますとされ、当時支配を受けていたロシア当局の弾圧を受け、別名で演奏されたこともある。
『レンミンカイネン組曲』、交響的幻想曲『ポホヨラの娘』(ポホヨラは伝説上の地名)、音詩『ルオンノタル』、交響詩『タピオラ』等、フィンランドの叙事詩文学である『カレワラ』に基づいている作品が多い。一方で、音詩『エン・サガ』や音詩『吟遊詩人』のように明確な筋書きを持たないものもある。
なお、このジャンルにおけるシベリウスの作品は多くが「音詩」(Tondichtung)と題されており、明確に「交響詩」(Sinfonische Dichtung)と銘打ってあるものは最後の作品となった交響詩『タピオラ』のみである。
- 音詩『エン・サガ』 作品9
- 管弦楽のためのバラード『森の精』 作品15
- 『春の歌』 (春の悲しみ) 作品16
- レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲) 作品22
- 『レンミンカイネンと島の乙女たち』 作品22の1
- 『トゥオネラのレンミンカイネン』 作品22の2
- 『トゥオネラの白鳥』 作品22の3
- 『レンミンカイネンの帰郷』 作品22の4
- 音詩『フィンランディア』 作品26
- 管弦楽のための音画『木の精』 (ドライアド) 作品45の1
- 交響的幻想曲『ポホヨラの娘』 作品49
- 音詩『夜の騎行と日の出』 作品55
- 音詩『吟遊詩人』 作品64
- 音詩『ルオンノタル』 作品70 ※ソプラノ独唱付き
- 音詩『大洋の女神(波の娘)』 作品73
- 交響詩『タピオラ』 作品112
劇音楽[編集]
全創作期間を通して、交響曲よりも長い期間にわたって、劇音楽の創作が続けられている。
音詩『フィンランディア』の原曲が『愛国記念劇』の1曲として作曲されたほか、1898年の『クリスチャン2世』作品27に付随して作曲された「鬼蜘蛛の歌」、1903年の『クオレマ(死)』作品44に付随して作曲された「悲しきワルツ」などが有名。
1893年に野外劇のため作曲された劇付随音楽『カレリア』(全9曲)はその後すぐに、『カレリア』序曲 作品10と、「間奏曲」「バラード」「行進曲風に」の3曲からなる『カレリア』組曲 作品11に改編された。
- 『カレリア』の劇音楽
- 『カレリア』序曲 作品10
- 『カレリア』組曲 作品11
- 『愛国記念劇』のための音楽
- 組曲『歴史的情景』第1番 作品25
- 交響詩『フィンランディア』 作品26
- 『クリスチャン2世』の劇音楽 / 組曲 作品27
- 『クオレマ(死)』の劇音楽
- 『悲しきワルツ』 作品44の1
- 『鶴のいる情景』 作品44の2
- 『カンツォネッタ』 作品62a
- 『ロマンティックなワルツ』 作品62b
- 『ペレアスとメリザンド』の劇音楽 / 組曲 作品46
- 『ベルシャザールの饗宴』の劇音楽 / 組曲 作品51
- 『白鳥姫』の劇音楽 / 組曲 作品54
- 『イェーダーマン』の劇音楽 作品83
- 『テンペスト(嵐)』の劇音楽 作品109
- 序曲 作品109の1
- 組曲第1番 作品109の2
- 組曲第2番 作品109の3
その他の管弦楽曲、弦楽合奏曲[編集]
- 組曲『歴史的情景』第2番 作品66
- 当初から演奏会用作品として書かれた。作品25、26と直接の関連はない。
- 『ラカスタヴァ』(恋する人) 作品14
- 弦楽合奏曲: 男声合唱曲からの編曲(1911年)
- アンダンテ・フェスティーヴォ(弦楽四重奏版: 1922年、弦楽合奏版: 1930年)
- 組曲『美しい組曲: Mignonnne』作品98a(1921年)1) Petite scéne 2) Polka 3) Epilogue
- 組曲『田園組曲: Champétre』作品98b(1921年)1) Piece caractéristique 2) Mélodie élégiaque 3) Danse
協奏曲[編集]
青年期にヴァイオリニストを志望し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のオーディションも受けたこともあるシベリウスは1903年夏、最初で最後の協奏曲となるヴァイオリン協奏曲(作品47)を完成させている。1904年2月に行われた初演は成功したとはいえず、当時の批評は「美しい部分は多々あるものの、全体的に冗長である」というようなものが大半だった。その後シベリウスは作品を大幅に改訂し、より交響的で密度の凝縮したものとしている。1905年10月19日にR・シュトラウスの指揮でドイツで行われた改訂版での初演は成功し(それでもソリストを務めたヨーゼフ・ヨアヒムはとてもつまらなかったと評したという)、以後時が経つとともにこの曲を評価する声が高まっていった。現在では交響曲第2番や音詩『フィンランディア』と併せ、シベリウスの代表曲の一つとなっている。
- ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
- シベリウスは、第1楽章の冒頭部分に関して、「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と述べている。
他に「セレナード」2曲、「ユーモレスク」6曲など、ヴァイオリン独奏とオーケストラのための小品が多数書かれている。
ピアノ曲[編集]
あまり大規模なものはないが、青年期の習作から1929年の『5つのスケッチ』作品114まで、ほぼ絶え間なく作曲されている。
また、オーケストラ作品からのピアノ編曲も多い。この中ではとりわけ『悲しきワルツ』の編曲が有名である。
- 6つの即興曲 作品5
- ピアノソナタ ヘ長調 作品12
- ピアノのための10の作品集 作品24
- 10のバガテル 作品34
- 抒情的瞑想 作品40
- 組曲『キュッリッキ』 作品41
- 10の小曲集 作品58
- 3つのソナチネ 作品67
- 2つのロンディーノ 作品68
- 4つの抒情的小品集 作品74
- 5つの小品(樹の組曲) 作品75
- 第5曲「樅の木」が有名。
- 13のピアノ小曲集 作品76
- 花の組曲 作品85
- 6つの小品 作品94
- 6つのバガテル 作品97
- 5つのロマンティックな小品 作品101
- 5つの性格的小品曲 作品103
- 5つのスケッチ 作品114
室内楽曲[編集]
弦楽四重奏曲の他に、ヴォイオリンやチェロのための作品がある。
- 弦楽四重奏曲(全4曲、うち作品番号付きは2曲)
- 変ホ長調(1885年)
- イ短調(1889年)
- 変ロ長調 作品4(1890年)
- ニ短調『内なる声』 作品56(1909年)
- ピアノ三重奏曲 ハ長調 'Lovisa Trio'
- ピアノ五重奏曲 ト短調
歌曲[編集]
ピアノ伴奏の歌曲も、ほぼ全創作期間に作曲されている。管弦楽伴奏による作品もある。当時のフィンランドの言語事情を反映して、歌曲はスウェーデン語の作品が多く、合唱曲はフィンランド語の作品が多い。ドイツ語詩による歌曲も多い。
- 『もはや私は問わなかった』 作品17の1
- 『川面の木屑』 作品17の7
- 『テオドーラ』 作品35の2
- 『葦よそよげ』 作品36の4
- 『3月の雪の上のダイヤモンド』 作品36の6
- 『それは夢か』 作品37の4
- 『逢引きから帰った乙女』 作品37の5
- 『海辺のベランダで』 作品38の2
その他の声楽曲[編集]
歌曲以外の声楽曲は、管弦楽伴奏の独唱曲、「メロドラマ」と称される詠唱の入るもの、愛国的なカンタータ、合唱曲など多種多様である。とりわけ、1893年に作曲された無伴奏男声合唱曲『ラカスタヴァ』(恋する人) 作品14は、翌年に弦楽合奏つきのヴァージョンができた他、混声合唱曲、弦楽合奏曲にも編曲され、これらによっても親しまれている。
ヘルシンキ大学合唱団はシベリウスの多くの男声合唱曲の初演にたずさわり、2種類の「無伴奏男声合唱曲全集」を録音した。
オペラは『塔の乙女』という短い作品がある。
謎の沈黙とタピオラ以後の作品[編集]
1925年に交響詩『タピオラ』を発表後も、創作をやめることはなかった。しかし、自己批判的性向が年を追って高まり、なかなか作品を発表することができなくなっていった。
世間では、交響曲第7番以後、いやでも交響曲第8番への期待が高まった。シベリウスの手紙に「交響曲第8番は括弧つきでの話だが何度も“完成”した。燃やしたことも1度ある」と記されている。
2011年に、交響曲第8番のスケッチがヘルシンキ大学図書館で発見された。
主な演奏家[編集]
管弦楽曲[編集]
シベリウスは、クレルヴォ交響曲以来、全7曲の交響曲、主要な管弦楽作品を自ら指揮して初演している。しかしながら、彼による録音はほとんど残っていない。1939年に『祝祭アンダンテ(アンダンテ・フェスティーヴォ)』をフィンランド放送交響楽団と演奏したものが残っているが、それは別の指揮者(不明)のものとすり替わってしまった(そして、長らくの間後者の音源が自作自演だとみなされていた。ONDINEの『Sibelius Favourites』ライナーノーツによる)。
シベリウス存命中は、ロベルト・カヤヌス、タウノ・ハンニカイネン、アルマス・ヤルネフェルト(妻の兄)、ユッシ・ヤラス(娘婿)などのフィンランドの指揮者が作品を取り上げた他、イギリスのエイドリアン・ボールト、アンソニー・コリンズ、ビーチャム、ハンガリー系アメリカ人のユージン・オーマンディらが録音を残している。
この他、現在に至るまで、北欧系・イギリス系の指揮者による演奏・録音がほとんどであり、ドイツ・オーストリア系の指揮者は、カラヤン、クルト・ザンデルリングなど少数である。
パーヴォ・ベルグルンドは、3つの管弦楽団による交響曲全曲の録音を手がけたほか、シベリウスの自筆譜を詳細に検討し、出版された楽譜の校訂を行っている。彼はシベリウスの晩年に暗い自宅を訪問していて、いきなり聞かれたのが「シェーンベルクをどう思うか?」という質問だった。彼は今まで新ウィーン楽派に対立していたので、指揮者が答えに困っていると本人は「彼をやっぱり支持するよ。」と言ったという逸話がある。オスモ・ヴァンスカは、小都市にあるラハティ交響楽団の演奏技術を飛躍的に高め、これまで演奏不可能とされていた交響曲第5番の初稿版・ヴァイオリン協奏曲の初稿版・交響詩『森の精』(作品15)などの録音を行っている。
日本では、母親がフィンランド人である渡邉暁雄がシベリウス作品を得意とし、ステレオによる交響曲全曲の初録音、デジタル録音による全曲の初録音を残している。
シベリウスの交響曲全集(番号付きのもの)のCD[編集]
- シクステン・エールリンク指揮ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 (1952-1953)
- アンソニー・コリンズ指揮ロンドン交響楽団 (1952-1955)
- レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック (1960-1966)
- 渡邉暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団 (1962)
- ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (1963-1968)
- ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団 (1966-1970)
- ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団 (1966-1970)
- クルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団 (1970-1974)
- パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団 (1972-1976)
- モーリス・アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団 (1975-1976)
- コリン・デイヴィス指揮ボストン交響楽団 (1975-1976)
- ウラディーミル・アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団 (1979-1984)
- 渡邉暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団 (1981)
- サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団 (1981-1987)
- アレクサンダー・ギブソン指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団 (1982-1984)
- ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団 (1982-1985)
- パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 (1984-1987)
- ユッカ=ペッカ・サラステ指揮フィンランド放送交響楽団 (1987-1989)
- エイドリアン・リーパー指揮スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団 (1989-1990)
- ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団 (1989-1995)
- ロリン・マゼール指揮ピッツバーグ交響楽団 (1990-1992)
- レイフ・セーゲルスタム指揮デンマーク国立放送交響楽団 (1991-1992)
- コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団 (1992-1994)
- ユッカ=ペッカ・サラステ指揮フィンランド放送交響楽団 (1993)
- パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団 (1995-1996)
- オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団 (1996-1997)
- ペトリ・サカリ指揮アイスランド交響楽団 (1996-2000)
- サカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団 (2000-2003)
- レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 (2002-2004)
- ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団 (2001-2005)
- コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団 (2003-2006)
- ウラディーミル・アシュケナージ指揮ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 (2006-2007)
- アルヴォ・ヴォルメル指揮アデレード交響楽団 (2007-2008)
- ピエタリ・インキネン指揮ニュージーランド交響楽団 (2008-2009)
- オスモ・ヴァンスカ指揮ミネソタ管弦楽団 (2011-2015)
- ヨン・ストゥールゴールズ指揮BBCフィルハーモニック(2012-2013)
- オッコ・カム指揮ラハティ交響楽団 (2012-2014)
- ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団(2013)
- 尾高忠明指揮札幌交響楽団(2013-2015)
- サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (2014-2015)
ピアノ曲[編集]
シベリウス自身は、本格的にピアノを練習したことはなく、人前で演奏したことはなかったが、自作の演奏は「作曲家として普通のレベル」であったと伝えられる。
シベリウスのピアノ作品(作品番号付きのもの)を全曲録音したピアニストは、
- エーリク・タヴァッシェルナ(フィンランド)
- アネット・セルヴァディ(イギリス)
- エーロ・ヘイノネン(フィンランド)
- ホーヴァル・ギムセ(ノルウェー)
がいる。
日本人では、舘野泉が1960年代よりフィンランドで活躍し、数々の演奏会・録音を行っている。シベリウスが実際に作曲に用いたアイノラのピアノによる演奏のCDもリリースしている。
また渡邉規久雄(渡邉暁雄の次男)も、最近演奏会のCDを発表した。
シベリウスに対する評価・研究[編集]
シベリウスが対独協力関与の疑いのあることから、ルネ・レイボヴィッツは「世界最低の作曲家」と斬って捨てた。[2]
フィンランドでは、エーリク・タヴァッシェルナによる(原典では3巻からなる)評伝があり、ロバート・レイトンにより英訳もされている。この評伝では、特にピアノ作品の詳細な研究が有名である。
フィンランド以外では、イギリスにおける評価が高く、イギリスの音楽評論家、セシル・グレイは、シベリウスを「ベートーヴェン以後最大のシンフォニスト」であると呼び、交響曲第4番について「無駄な音符が一つもない」と最大の賛辞を寄せた。
日本においては、菅野浩和が1977年に『シベリウス -生涯と作品-』(音楽之友社刊)を上梓している(現在は絶版)。1986年には、H.I.ランピラ(稲垣美晴訳)『シベリウスの生涯』(筑摩書房)が訳出されている(現在は絶版)。
その他、現在入手できる資料は、下記に記したものである。
日本では1984年に日本シベリウス協会が発足し、初代会長は渡邉暁雄が務めた。現会長(3代目)は、新田ユリである。
参考文献[編集]
- 『作曲家別名曲解説ライブラリー18 北欧の巨匠』音楽之友社、1994年
- マッティ・フットゥネン『シベリウス - 写真でたどる生涯』菅野浩和訳、舘野泉監修、音楽之友社、2000年
- Andrew Barnett "Sibelius" Yale University Press 2007年
- 松原千振『ジャン・シベリウス 交響曲でたどる生涯』 アルテス・パブリッシング 2013年
関連項目[編集]
- シベリウス音楽院
- ラウリ・ポッラ(ヘヴィメタルバンド、ストラトヴァリウスのベーシスト。シベリウスの曾孫に当たる)
- ダイ・ハード2(映画)エンディングに「フィンランディア」が使用されている。
- 牧場の少女カトリ - 使用されたBGMのほぼ全曲がシベリウスの作品からの編曲。
脚注[編集]
外部リンク[編集]