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'''サッカーカタール代表'''(サッカーカタールだいひょう)は、[[カタールサッカー協会]](QFA)によって編成される[[カタール]]の[[サッカー]]のナショナルチームである。愛称の「Annabi (العنابي)」は[[預言者]]の意味。
'''サッカーカタール代表'''(サッカーカタールだいひょう)は、[[カタールサッカー協会]](QFA)によって編成される[[カタール]]の[[サッカー]]のナショナルチームである。愛称の「Annabi (العنابي)」は[[預言者]]の意味。<ref>{{cite web |url=https://footballarroyo.co.uk/qatar-national-football-team/ |title=Qatar national football team |publisher=Football Arroyo |accessdate=11 August 2022}}</ref>


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2022年8月11日 (木) 09:20時点における版

サッカーカタール代表
国または地域 カタールの旗 カタール
協会 カタールサッカー協会
愛称 Annabi (The Maroon)
監督 スペインの旗 フェリックス・サンチェス・バス
最多出場選手 ハサン・アル=ハイドゥース(163試合)
最多得点選手 ムバラク・ムスタファ英語版(41得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1970年3月27日バーレーン
1-2
最大差勝利試合 2015年9月3日ブータン
15-0
最大差敗戦試合 1973年x月x日クウェート
0-9
FIFAワールドカップ
出場回数 1回(初出場は2022
最高成績 グループリーグ (2022)
AFCアジアカップ
出場回数 10回
最高成績 優勝 (2019

サッカーカタール代表(サッカーカタールだいひょう)は、カタールサッカー協会(QFA)によって編成されるカタールサッカーのナショナルチームである。愛称の「Annabi (العنابي)」は預言者の意味。[1]

歴史

AFCアジアカップ2019の優勝を祝うカタール代表

1980年代から力をつけ始め、1981年FIFAワールドユース選手権準優勝、1984年ロサンゼルス五輪(今大会からプロ出場が可能になった。ただし、W杯予選もしくはW杯本大会に出場した欧州や南米の選手は出場できない制限があった)に出場した。上位2か国が出場出来る1990年イタリアW杯アジア最終予選では2位UAEとわずか勝ち点1差の3位とW杯出場まであと一歩の所まで迫った。1992年7月24日に開幕したバルセロナ五輪(この大会から23歳以下の選手の大会)に出場し、グループリーグを2位で通過し最終的にはベスト8入りした。

このように着々と実力を付けたカタール代表に、ブラジル人エヴァリスト・デ・マセドが1992年監督に就任。カタール代表は1992年10月28日から日本で開催されるアジアカップの優勝候補に挙げられていた。ところが、カタール代表はグループリーグでまさかの敗退。一方、開催国の日本はブラジルから日本に帰化したラモス瑠偉等の活躍で初優勝を遂げた。このことに衝撃を受けたカタールは以後、帰化選手による強化戦略を開始した。

ガルフカップ優勝3回(1992年2004年2014年)。また、1981年FIFAワールドユース選手権準優勝、1991年FIFA U-17世界選手権ベスト4と若年世代で好成績を収めている。ワールドカップ出場に最も近づいたのは1998年フランス大会のアジア最終予選であり、この時はホームの最終戦のサウジアラビア戦で勝った方が出場決定という状況であった。しかし0-1で惜敗し、グループ4位で出場を逃している。その後ワールドカップのアジア予選では、2002年大会は最終予選まで駒を進めたが敗退し、2006年大会は1次予選で姿を消した。

2006年アジア大会では優勝したが、2010年大会2014年大会のワールドカップではともにアジア4次予選で敗退し、本大会出場は実現していない。2018年大会予選の終了時点でワールドカップ地区予選で通算50勝を記録している。これは本大会出場を経験していないチームでは世界最多となっている(2位タイは49勝のウズベキスタングアテマラ)。2011年1月、自国で開催されたアジアカップではグループリーグを突破するも準々決勝で日本と対戦し、2-3で敗れた。2015年のアジアカップではグループリーグ敗退となった。

2018年ワールドカップアジア地区予選敗退となり、2022年自国開催予定のワールドカップに、開催国枠で初出場を果たす最初の代表チームとなった(1930年第1回大会ウルグアイ代表は除く。1934年第2回大会イタリア代表は初出場だが開催国枠でなく予選を経ての出場)。2019年開催のアジアカップでは、準決勝まで無失点で勝ち上がる。決勝の日本戦では初めて失点するも、3-1で破り初優勝を果たした。

帰化戦略

カタール人の2011年時点での一人当たりのGDPは98,329ドルと世界トップクラス(金持ち)であるため、カタール人だけでは競争力が伸びにくかった(貧しさはお金を得る為、プロになるという競争力を向上させるモチベーションになる)[2]。また、カタールは元々人口が少なく、労働力を外国人に頼り2010年時点で約150万8千人の人口のうち、カタール人は2割にも満たない為、帰化にも抵抗が少なかった。そのため、カタールは近年、海外から実力者を引き抜いてカタールに帰化させスポーツの競争力を高めてきた。2006年カタールアジア大会では、ケニアからの帰化選手がマラソン中長距離種目で優勝し、男子バスケットボールでは、元セネガル人を多数擁するチームをバスケットボールカタール代表として送り出し、銀メダルを獲得した[2]

サッカーでは、2006年ワールドカップ予選の際、ブラジル国籍で代表歴のないアイウトン、デデ、レアンドロにカタール国籍を与えて自国の代表にしようとしたことがあるが、国際サッカー連盟(FIFA)は「代表歴のない国籍変更者及び国籍追加者であっても、変更あるいは追加する国に2年間以上の居住歴がない者は、変更あるいは追加した国籍の代表にはなれない」というルールを新たに設けて適用し、これを阻止した。 尚、現在ではFIFA規則が2009年に改正[3]されて以降、変更あるいは追加する国に18歳以降に5年間以上継続居住していることが必要となっている。

2006年10月、エメルソンがカタール国籍を取得し、カタールとブラジル二重国籍者となったが、エメルソンはU-20ブラジル代表として1999年ワールドユース(現U-20W杯)南米予選出場(8試合)経験があり、当時のFIFA規則でもカタール代表の資格はなかった[4]

この当時のFIFA規則はA代表(年齢制限なしのその国最強の代表)以外のカテゴリーでの公式の大会の代表経験がある場合、その他の国の代表にはなれないというものであったが、その場合もFIFAが許可をすれば、新しい国籍での国の代表に入ることが出来る例外があった。ただし、国家の分離独立などで新国籍が与えられた場合の他は、

  1. 従前の国の代表で出場した際にすでに多重国籍者であること
  2. 21歳の誕生日までに変更の申請をすること

の場合のみに限定されており、U-20ブラジル代表で出場した際にブラジル国籍しかないエメルソンの場合、当該規約の下でエメルソンが許可される可能性はなかった。 その後、エメルソンは2008年3月4日、親善試合バーレーンとの試合にカタール代表として初出場し、2008年3月26日、2010年南アフリカW杯アジア3次予選グループ1のイラク戦で10番、マルシオ・アルブケルケとして出場し、2-0でカタール代表が勝利した[4]。 試合後、イラクサッカー協会はエメルソンにはブラジルのユース代表歴があって、カタール代表に選ばれる資格がないことについてFIFAに正式に上申したが、当初はFIFAからパスポート偽造を理由として、その後の試合に対する無期限の出場停止処分のみが発表された。最終的に2008年6月17日にFIFAが、エメルソンは8試合のU-20ブラジル代表公式戦出場歴のため、今後カタール代表でプレーする資格はないが、試合結果は変わらないと発表した。

2010年南アフリカW杯の規則では「出場資格のない選手を出場させた場合、相手チームに勝ち点3を与える」というルールがあった。しかし当該国はそのための抗議を試合後24時間以内に行わなければならず、同時に調査費用をFIFAに支払わなければならない。ところがイラクサッカー協会が費用を送金したのは期限の11日後だった。したがって「抗議」自体が成立せず、試合結果は変わらないとFIFAが決定を下したのだった[4]。諦めきれないイラクはスポーツ仲裁裁判所(CAS)へ訴えたが、2008年9月29日、CASはFIFAの主張を認め、「試合はそのまま成立」という結論を出した[4]。一連のエメルソン騒動の後、カタールサッカー協会関係者は、「今後はFIFA規則の範囲内で(帰化)補強をします。我が国は人口が少ないので、出稼ぎ移民の子をカタール人と見なすことになるでしょう」と日本の記者に話している[2]

一方、AFCアジアカップ2019の優勝メンバーの大半がカタール出身である。カタール国外で生まれた選手は5人のみであり、サッカー選手としてカタールへ移住して国籍を取得した選手は4人に過ぎない。これは、カタールの人口の9割が外国人でありながら、出生地主義ではなく、血統主義を取っているためにカタールで生まれ育ってた、あるいは幼少期からカタールで育ったとしても、カタール国籍の取得は厳しく制限されている。そのため、カタール代表としてプレーするためには帰化という形になるものの、かつてのように外国から有力なサッカー選手を豊富な資金力によって帰化させるやり方は行われていない。

待遇

カタール政府は、カタールサッカー協会を通して年間200億円程度(推定)、サッカーに投資しており[5]カタール・スターズリーグのカタール人選手には月750万円程度の給料と家や車を支給している。カタール代表が重要な試合に勝つと、選手1人につき1試合で2000万円の報酬と家や車が支給される(いずれも2008年時点)[6]

成績

FIFAワールドカップ

AFCアジアカップ

FIFAコンフェデレーションズカップ

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
サウジアラビアの旗 1992 不出場
サウジアラビアの旗 1995
サウジアラビアの旗 1997
メキシコの旗 1999
大韓民国の旗 日本の旗 2001
フランスの旗 2003
ドイツの旗 2005
南アフリカ共和国の旗 2009
ブラジルの旗 2013
ロシアの旗 2017

ガルフカップ

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
バーレーンの旗 1970 4位 3 0 1 2 4 7
サウジアラビアの旗 1972 4位 3 0 0 3 0 10
クウェートの旗 1974 3位 3 1 0 2 5 4
カタールの旗 1976 3位 6 4 1 1 11 6
イラクの旗 1979 5位 6 2 1 3 4 13
アラブ首長国連邦の旗 1982 5位 5 2 0 3 5 4
オマーンの旗 1984 準優勝 7 4 1 2 10 6
バーレーンの旗 1986 4位 6 1 4 1 4 5
サウジアラビアの旗 1988 6位 6 1 2 3 4 8
クウェートの旗 1990 準優勝 4 1 2 1 4 4
カタールの旗 1992 優勝 5 4 0 1 8 1
アラブ首長国連邦の旗 1994 4位 5 1 1 3 6 8
オマーンの旗 1996 準優勝 5 3 1 1 9 5
バーレーンの旗 1998 6位 5 0 3 2 3 8
サウジアラビアの旗 2002 準優勝 5 4 0 1 7 4
クウェートの旗 2003 3位 6 2 3 1 5 3
カタールの旗 2004 優勝 5 3 2 0 10 7
アラブ首長国連邦の旗 2007 グループリーグ敗退 3 0 1 2 2 4
オマーンの旗 2009 ベスト4 4 1 2 1 2 2
イエメンの旗 2010 グループリーグ敗退 3 1 1 1 3 3
バーレーンの旗 2013 グループリーグ敗退 3 1 0 2 3 5
サウジアラビアの旗 2014 優勝 5 2 3 0 6 3
クウェートの旗 2017 グループリーグ敗退 3 1 1 1 6 3
合計 23/23 75 28 21 24 87 89

西アジアサッカー選手権

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
ヨルダンの旗 2000 不参加
シリアの旗 2002
イランの旗 2004
ヨルダンの旗 2007
イランの旗 2008 ベスト4 3 1 0 2 2 9
ヨルダンの旗 2010 不参加
クウェートの旗 2012
カタールの旗 2014 優勝 4 4 0 0 10 1
合計 2/8 7 5 0 2 12 10

アラブカップ

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
レバノンの旗 1963 不参加
クウェートの旗 1964
イラクの旗 1966
サウジアラビアの旗 1985 4位 4 1 0 3 3 2
ヨルダンの旗 1988 不参加
シリアの旗 1992
カタールの旗 1998 準優勝 4 3 0 1 5 5
クウェートの旗 2002 不参加
サウジアラビアの旗 2012
カタールの旗 2021 3位 6 5 0 1 12 3
合計 3/10 14 9 0 5 20 10

代表メンバー

AFCアジアカップ2019招集選手

歴代監督

ブルーノ・メツ
名前
エジプトの旗 Toukhi Taha 1969
スーダンの旗 Mohammed Hassan Kheiri 1969–1972
エジプトの旗 Helmi Hussein Mahmoud 1974
イングランドの旗 フランク・ウィグナル 1975–1977
イングランドの旗 John Cardone 1977-1978
スーダンの旗 Hassan Othman 1979
ブラジルの旗 エヴァリスト・デ・マセド 1979–1985
ブラジルの旗 ジノ・サニ 1985-1986
ブラジルの旗 Procópio Cardoso 1987–1988
ソビエト連邦の旗 Anatoly Prokopenko 1988
ブラジルの旗 Carlos Roberto Cabral 1989
ブラジルの旗 ジノ・サニ 1989–1990
ドイツの旗 Uli Maslo 1990
ブラジルの旗 エヴァリスト・デ・マセド 1992, 1994
ブラジルの旗 イヴォ・ウォルトマン 1992
ブラジルの旗 Sebastião Lapola 1992–1993
カタールの旗 Abdul Mallalah 1993
ポーランドの旗 Antoni Piechniczek 1993
スコットランドの旗 デイブ・マッカイ 1994–1995
デンマークの旗 Jørgen E. Larsen 1995–1996
オランダの旗 Jo Bonfrere 1996–1997
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ジェマル・ハジアブディッチ 1997-1998
ブラジルの旗 Luiz Gonzaga Milioli 1998
ブラジルの旗 ゼ・マリオ 1998
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ジェマル・ハジアブディッチ 1999–2001
ブラジルの旗 パウロ・カンポス 2001
フランスの旗 ピエール・ルシャントル 2002-2003[7]
フランスの旗 フィリップ・トルシエ 2003-2004[7]
カタールの旗 Saeed Al-Misnad 2004[7]
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ジェマルディン・ムショビッチ 2004-2007[7]
ウルグアイの旗 ホルヘ・フォサッティ 2007-2008[7]
フランスの旗 ブルーノ・メツ 2008-2011[7]
セルビアの旗 ミロヴァン・ライェヴァツ 2011[7]
ブラジルの旗 セバスティアン・ラザロニ 2011-2012[7]
ブラジルの旗 パウロ・アウトゥオリ 2012-2013[7]
カタールの旗 ファハド・サーニー 2013-2014[7]
アルジェリアの旗 ジャメル・ベルマディ 2014-2015[7]
ウルグアイの旗 ホセ・ダニエル・カレーニョ 2015-2016[7]
ウルグアイの旗 ホルヘ・フォサッティ 2016-2017[7]
スペインの旗 フェリックス・サンチェス・バス 2017-[8]

歴代選手

GK

DF

MF

FW

脚注

関連項目

外部リンク