青山 (東京都港区)

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明治神宮外苑の銀杏並木
青山通りの表参道交差点原宿方面の眺め

青山(あおやま)は、東京都港区の地名。現行行政地名は北青山一丁目から三丁目、および南青山一丁目から七丁目(いずれも住居表示実施済み地区)。

この一帯は古くから「青山」と呼ばれるが、単に「青山」という公称地名は存在せず、過去にも存在しなかった。

郵便番号は、107-0061(北青山)・107-0062(南青山)である。

概要・沿革

骨董通り

徳川家康の重臣であった青山家の広大な下屋敷(現在における別荘に該当)に因み、この付近一帯の町名に青山を冠した(赤坂青山○○町)ことが地名の起こりである。港区成立後、後述する住居表示実施前は町名に複数の色名(赤および青)を含んでいた。

青山家の末裔には、骨董鑑定家青山二郎1901年-1979年)やゲランミツコで有名なクーデンホーフ・ミツコ1874年-1941年)がいる。

青山家が江戸時代中期に郡上藩(現岐阜県郡上市)を所領とした縁で、同家の菩提寺である南青山の梅窓院では、年に一度「郡上おどり in 青山」が催される。

江戸の街外れとして大名の下屋敷、庶民の町屋、雑木林などが広がる地域であったが、明治以降は中流の住宅街として発展し、1964年東京オリンピックに合わせ大幅に拡張した厚木街道(大山街道)は青山通り国道246号)として呼称が定着、以後は徐々に個人商店や民家、そしてアパートがオフィスビル、マンション、高級ブティックや飲食店、あるいは美容院などに取って代わられた。庶民の住宅街だった青山は今日のおしゃれなイメージの街へと変貌を遂げるものの、南青山2 - 4丁目にはかつての庶民的な面影が色濃く残る。

表参道交差点からみゆき通り骨董通りキラー通りなどにわたって感度が高いブティックやセレクトショップ、またコム・デ・ギャルソンヨウジ・ヤマモトといった日本を代表する錚々たるブランドの旗艦店や、バレンシアガプラダ、ミュウミュウなどの世界的ハイブランドの店舗が軒を連ねる。特に南青山は付近の表参道原宿エリアと並んで東京を代表する「ファッションの街」として知られる。

江戸時代の町名

1853年の青山通り宮益坂上(左)~青山2丁目(右)、麻布長谷寺(中央下)近辺。根岸信輔蔵。

江戸時代初期には武家地、寺地であったが、江戸の拡大に伴い、主に外苑前駅北側を中心に町屋が成立した。

  • 青山浅河町
  • 青山御掃除町 - 慶応4年青山掃除町に改称
  • 青山御手大工町 - 慶応4年青山手大工町に改称
  • 青山御炉路町
  • 青山久保町
  • 青山五十人町
  • 青山善光寺門前
  • 青山原宿町 - 青山緑町とも
  • 青山六軒町
  • 青山若松町

武家地にも青山百人町等の通称が存在した。

明治期の町名

青山地区における住居表示実施前後の 町名町域対照地図

明治初年に細かな町名変更があった。

  • 青山和泉町 - 明治3年青山浅河町、青山若松町、青山相生町、青山大和町が合併して成立
    • 青山相生町 - 明治2年青山路地町と青山五十人町が合併して成立
    • 青山大和町 - 明治2年青山掃除町と青山六軒町が合併して成立
  • 青山善光寺町 - 明治2年青山善光寺門前が改称
  • 青山北和泉町 - 明治3年麻布今井町飛地が改称

明治5年には武家地、寺地も含め以下の19町に整理された。

  • 青山北町一~七丁目 - 青山和泉町、青山北和泉町、青山久保町、青山原宿町、青山善光寺町、武家地、寺地が合併して成立
  • 青山南町一~七丁目 - 青山和泉町旧大和町域、武家地、寺地が合併して成立
  • 青山高樹町 - 明治5年河内丹南藩高木家屋敷地他が合併して成立
  • 青山権田原町 - 明治5年権田原三軒屋町と武家地が合併して成立
  • 青山三筋町一・二丁目 - 武家地に成立
  • 青山六軒町 - 武家地に成立、江戸時代の青山六軒町とは無関係

明治11年赤坂区に属した。明治22年このうち青山北町七丁目、青山南町七丁目は南豊島郡渋谷村に編入されてその大字となり、現在も渋谷区に属する。

住居表示

1966年昭和41年)10月、住居表示実施に伴い町名と町域が変更され、この地区を横断する青山通りを境に北青山と南青山が成立した。

現在の北青山一丁目から三丁目と南青山一丁目から七丁目の範囲は、住居表示実施前の赤坂青山北町赤坂青山南町のほぼ全域と、赤坂青山三筋町、赤坂青山高樹町を加えた範囲に相当する(このほか、隣接する麻布笄町麻布新龍土町原宿一丁目、赤坂檜町、赤坂新坂町のごく一部の区画を編入した)。赤坂青山六軒町の東側と赤坂青山権田原町だけは元赤坂二丁目への編入となる。

赤坂青山高樹町の名前は、首都高速道路ランプ高樹町』や、六本木通り骨董通りの交差点『高樹町交差点』などにその名を留めている。

教育

大学等
高等学校
  • 長らく都立赤坂高校が南青山2丁目、現在の下記都立青山特別支援学校の地にあったが閉校。現在、高等学校施設は所在しない[✝ 1]
中学校
小学校
幼稚園・保育園
  • 港区立青南幼稚園 - 南青山4丁目にある
  • 港区青南保育室・第二青南保育室 - 同上
  • 港区立青山保育園 - 北青山3丁目にある
  • 港区立南青山保育園 - 南青山1丁目にある

施設

企業・法人

海外関連団体

公施設

  • 明治神宮外苑 - 銀杏並木道北青山になる。
  • 青山霊園(青山墓地)
    • 立山墓地
  • 青山公園
  • 赤坂消防署 - 南青山2丁目、青山霊園事務所の至近にある。
  • 青山北町アパート - 青山通り沿い北青山3丁目側、オリンピックやブルックス・ブラザーズ、青山保育園ならびに青山児童館の裏手に位置する都営住宅団地。青山界隈の都営団地は、青山中学周りの北青山1丁目アパート、青山ツインビル裏手の南青山1丁目アパートがある。南青山1丁目アパートの一部は、パークアクシス青山一丁目タワーになった。また、ピーコックストアやブルックス・ブラザーズ、オリンピック上層階は公団住宅になっている。
  • 青山生涯学習館 - 南青山4丁目、青南幼稚園と同じ建物にあったが、青南小学校前に設けられた青南保育室と同じ建物に移転。

観光

根津美術館の庭園雪景色
名所
社寺
旧跡

交通

鉄道
道路
首都高速道路・出入口

また、かつては東京都電車の電停(青山一、青山三、青山四、青山五、明治神宮前、青山六、青山南町が所在していた。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 旧都立赤坂高等学校閉校後の校舎に、新都立大田桜台高校が一時期所在していた。
  2. ^ 11代目市川海老蔵暴行事件も西麻布のビル等が舞台であった。

出典

外部リンク