金子一義
金子 一義 かねこ かずよし | |
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生年月日 | 1942年12月20日(81歳) |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
前職 | 政治家秘書 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 経済学士(慶應義塾大学・1966年) |
親族 | 金子一平(父) |
公式サイト | 衆議院議員 金子一義 |
第11代 国土交通大臣 | |
内閣 | 麻生内閣 |
在任期間 | 2008年9月29日 - 2009年9月16日 |
内閣 | 第2次小泉内閣 |
在任期間 | 2003年11月19日 - 2004年9月27日 |
内閣 | 第2次小泉内閣 |
在任期間 | 2003年11月19日 - 2004年9月27日 |
内閣 | 第1次小泉第2次改造内閣 |
在任期間 | 2003年9月22日 - 2003年11月19日 |
内閣 | 第1次小泉第2次改造内閣 |
在任期間 | 2003年9月22日 - 2003年11月19日 |
その他の職歴 | |
衆議院議員 (1986年 - 現職) |
金子 一義(かねこ かずよし、1942年12月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、自由民主党衆議院議員総会副会長。
衆議院厚生委員長、衆議院大蔵委員長、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、内閣府特命担当大臣(産業再生機構担当)、衆議院予算委員長、国土交通大臣(第11代)などを歴任した。
来歴
生い立ち
都立九段高校、慶應義塾大学経済学部卒業。慶大卒業後、日本長期信用銀行に入行した。同銀行を退職後、父・金子一平の下で秘書を務め、1986年の第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧岐阜県第2区から出馬し、初当選。当選後、宏池会に入会。
政治家として
元々は加藤紘一の側近であり、2000年に起きた所謂加藤の乱では加藤に同調し、森内閣不信任決議案の採決を欠席。加藤の乱による宏池会の分裂後も加藤の下に留まっていたが、2002年に離脱し堀内派に移った。以来、大宏池会構想を推進し、分裂した宏池会の再結集を主張している。
小泉政権
2003年9月、第1次小泉第2次改造内閣にて初入閣を果たし、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)と内閣府特命担当大臣(産業再生機構担当)に就任した。あわせて、国務大臣としての所管事項として行政改革や構造改革特区を担当した。のちに、地域再生も担当することとなった。金子の入閣は小選挙区比例代表並立制導入後、岐阜県第4区からコスタリカ方式により金子と交互に出馬している藤井孝男が、自由民主党総裁選挙で小泉純一郎の再選を阻止するために出馬したことに対する、小泉の意趣返しであるとも言われた。
第43回衆議院議員総選挙を経て第2次小泉内閣が成立すると、再び入閣を果たし、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)と内閣府特命担当大臣(産業再生機構担当)に再任された。内閣改造による第2次小泉改造内閣の発足にともない、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)と内閣府特命担当大臣(産業再生機構担当)を退任した。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では金子、郵政民営化法案の採決で造反し、反対票を投じたために公認を得られなかった藤井孝男が共に岐阜4区で出馬し、接戦の末に藤井を下して金子が岐阜4区で当選する。この選挙では、岐阜県連会長だった古屋圭司も同様に無所属での出馬を余儀なくされ、県連会長を辞任したため、金子が後任の県連会長に就任した。
安倍政権
2006年10月、衆議院予算委員長に就任。2007年2月2日の質疑の最中、委員長席で自民党議員数名の似顔絵を描き、批判を受けた。同年3月2日の予算委員会では、平成19年度予算審議を委員長職権で打ち切り、与党の賛成多数で強行採決を行う。そのため民主党から解任決議案を提出されるが、与党の反対多数で否決される。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、定数2の岐阜県選挙区で07年改選の大野つや子を公認し、無所属で出馬する意向を固めた藤井孝男を推薦して2議席の独占を狙うが、共倒れを懸念した大野がこれに反発する。一時は分裂選挙も想定されたが、大野が政界引退を表明したため、自民党は藤井を推薦。当選した藤井は、後に自民党に復党した。
同年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟・自民党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、副委員長に就任する。
麻生政権
2008年9月、麻生内閣で国土交通大臣に就任した中山成彬が失言により在任5日で辞任した。それにともない空位となった国土交通大臣の後任に選任され、国土交通大臣臨時代理の河村建夫より職務を引き継いだ。大臣在任中、減少傾向が続いていた公共事業関係費を10年ぶりに増額させ、当初予算に加え補正予算、予備費等で大幅に上積みした。[1]。また鞆の浦埋立て架橋計画問題に強い関心を示し、事業の見直しを進めた。2009年にはETC割引制度を決定。これは2007年以来の世界金融危機による不況を受けての景気刺激策であった。割引制度にはCO2の排出量増加や渋滞の深刻化、世界的な潮流であるモーダルシフトからの逆行を懸念する声が上がったが、これらを押し切って導入に踏み切った。
同年8月の第45回衆議院議員総選挙では民主党の今井雅人の猛追を受けるが、岐阜4区で今井を下し、8回目の当選を果たした。
政策・主張
- 貸金業制度
- 自民党金融調査会の会長を務めていた際、貸金業制度の見直しに取り組んだ。自身は消費者金融大手の企業プロミスから献金を受け取っており[2]、「出資法金利を下げて(消費者金融における)グレーゾーン金利をなくすと、みなさんヤミ金にはしるのではないか」 とNHKにて述べ高金利を擁護していた。最終的には、上限金利(年29.2%)を20%に引き下げグレーゾーン金利を撤廃するものの、年25.5%の特例高金利を2年間継続する案をまとめた。[3]
- 世襲制限
- 2008年から自民党内で議論されている世襲政治家の立候補制限については「意味のある議論ではない」と発言した[4]。
- 宗教
- 新興宗教崇教真光の秋季大祭に少なくとも2001年から2007年まで出席しており、来賓として祝辞を述べた。[5]
不祥事
- 労働保険未加入
- 2009年1月、金子の資金管理団体「飛友会」が、私設秘書8人分の労働保険に未加入のまま長期間放置していたことが発覚した[6]。労働保険の中でも労働者災害補償保険は、雇用者がいれば加入義務があると労働者災害補償保険法により定められており、未加入で労働者を雇用するのは違法行為である。同様に、労働保険の一つである雇用保険も、雇用保険法に加入規定が定められている。金子の事務所では「強制ということを失念していた」と説明しており、「飛友会」は2008年12月に労働保険に加入し2006年度分まで遡及して支払った[6]。なお、2004年12月頃の時点で、自由民主党本部では関係する各団体に対し社会保険や労働保険に適切に加入するよう指導していた、と指摘されている[7]。
家族
賞歴
- 2011年 - 衆議院在職25年永年勤続表彰。
所属団体・議員連盟
- 日韓議員連盟
- 自民党朝鮮半島問題小委員会副委員長
脚注
- ^ 「景気対策のための公共事業費が大幅に確保されました」自民党国土交通部会
- ^ http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-08-21/15_01.html
- ^ 毎日新聞 2006年9月15日
- ^ 「大正13年から議席…」世襲制限に世襲閣僚が大反論 - MSN産経ニュース
- ^ 「崇教真光」誌 平成13~19年12月号
- ^ a b 稲垣衆史・秋山信一・中村かさね「労働保険:5閣僚事務所が未加入――強制知らず秘書分など」『労働保険:5閣僚事務所が未加入 強制知らず秘書分など - 毎日jp(毎日新聞)』毎日新聞社、2009年1月26日。
- ^ 秋山信一「労働保険未加入:自民本部の指示を放置」『労働保険未加入:自民本部の指示を放置 - 毎日jp(毎日新聞)』毎日新聞社、2009年1月26日。
外部リンク
公職 | ||
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先代 中山成彬 |
国土交通大臣 第11代:2008年 - 2009年 |
次代 前原誠司 |
先代 石原伸晃 |
内閣府特命担当大臣 (規制改革担当) 2003年 - 2004年 |
次代 村上誠一郎 |
先代 谷垣禎一 |
内閣府特命担当大臣 (産業再生機構担当) 2003年 - 2004年 |
次代 村上誠一郎 |
議会 | ||
先代 大島理森 |
衆議院予算委員長 2006年 - 2007年 |
次代 逢沢一郎 |
先代 衛藤征士郎(代理) |
衆議院大蔵委員長 1999年 - 2000年 |
次代 萩山教嚴 |
先代 町村信孝 |
衆議院厚生委員長 1997年 - 1998年 |
次代 柳沢伯夫 |
党職 | ||
先代 武藤嘉文 古屋圭司 |
自由民主党 岐阜県支部連合会会長 第11代:1996年 - 1998年 第14代:2006年 - 2010年 |
次代 藤井孝男 古屋圭司 |