菊地奈々子

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菊地 奈々子
基本情報
本名 菊地 奈々子
階級 ミニフライ級
身長 154cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1975-03-25) 1975年3月25日(49歳)
出身地 神奈川県相模原市
スタイル 右ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 17(JBCによる女子公認前後の通算)
勝ち 12
KO勝ち 5
敗け 4
引き分け 1
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菊地 奈々子(きくち ななこ、1975年3月25日 - )は、日本の元プロボクサー。日本女子初の“公式な”プロボクシング世界王者(JBC日本ボクシングコミッションが女子を公認する前にWBCWBAも含めて)の世界王座を獲得した唯一の選手。ただしこの王座は現在もJBCから公認されていない)。日本人初のOPBF女子王者。JBC公認後は白井義男・具志堅用高のジムに所属。ボクシングを被写体とするカメラマンから自らボクシングの世界に転じた。神奈川県相模原市出身。

来歴[編集]

デビュー前[編集]

中学、高校とバドミントン部所属。

東京工芸大学短期大学部卒業後、プロカメラマンとなる。プロカメラマンとして、格闘技専門ニュースサイトバウトレビュー誌などで活躍。カメラマンとして格闘技試合を多く取材。

1997年ボクシングを始める。2001年10月に代々木ブルースカイジムに入会。アマチュア大会でMVPを獲得した。

日本ミニマム級王座獲得[編集]

2003年9月21日、大森ゴールドジムでプロデビュー。新井彩菜真に3-0の判定勝ちを収めた。

2004年9月18日、京都府立体育館にて渡辺まりかに3-0で判定勝ちし、プロ5戦目で日本ミニフライ級王者となった。

2005年3月29日、中国遼寧省瀋陽市韓国平和自動車主催興行に招待され、初の海外での試合。崔恩順北朝鮮)に8R判定負けで初黒星を喫した。

2005年6月13日、北沢タウンホールにて池山直と1-1の判定ドローにより日本ミニフライ級王座の初防衛に成功した。

2005年9月25日、R.I.S.E.のアマチュアキックボクシング大会「KAMINARIMON CLIMAX」女子52kg以下級(3名参加)に出場し、優勝を果たした。

海外で世界王座奪取[編集]

2005年11月7日、タイの少年犯罪者更生施設での監獄マッチでノンマイ・ソー・シリポンを倒し、WBC女子世界ストロー級初代王座獲得。日本人初のWBC女子世界王者となった[1]。元は別の選手がソー・ソリポンに挑戦予定であったが怪我のため試合1週間前にオファーが来て、挑戦が決定する状況であった。

2005年11月13日、「琉球 Kamikaze Sprits」で岡田敦子とキックボクシングルールで対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。

2006年5月10日には再びタイのクロンプレム刑務所にて世界タイトルの初防衛戦に挑み、後にWBC世界女子ライトフライ級世界王座を獲得するシリポーン・ソー・シリポーン(タイ)を判定で退け防衛に成功。

2007年5月17日、アメリカカリフォルニア州リムーアでWBC世界女子ライトフライ級暫定王者カリーナ・モレノ(アメリカ)と対戦し、0-3の判定負けを喫し王座から陥落した。

JBC[編集]

2008年2月8日、JBCが女子プロボクシングを公認したことにより、代々木ブルースカイジムより白井・具志堅スポーツジムへ移籍を発表。2月28日に開催された第1回女子プロボクサー新人テストを受験しB級合格した。

2008年6月9日、B級合格後初の試合をペットチェイシング・ライシットクルマットと行い、1RTKO勝ちで飾る。

2008年10月13日、世界前哨戦をリリー・ラチャプラチャジム(タイ)と行い2RKOでこれを下した。

2度目の世界王座挑戦[編集]

2008年12月8日、富樫直美の持つWBC女子世界ライトフライ級暫定王座に挑戦。1回にダウンを奪ったが、9回に目を負傷してドクターストップで敗れる。

東洋太平洋王座獲得[編集]

2009年6月26日、江畑佳代子OPBF女子ライトフライ級初代王座を懸けてタイトルマッチに挑み、3-0判定でOPBFとしては2人目、日本人では初の女子王者となった[2]

2009年12月2日、多田悦子が持つWBA女子世界ミニマム級王座に挑戦したヤニー・ゴーキャットジムを9R1:26レフェリーストップTKOで退け初防衛。OPBFの白を基調とした新ベルト第1号となった。

2010年5月18日、ジェレミー・タバスタバスをTKOで退け2度目の防衛。

プロ転向後、菊池はアルバイトをして生計を立てている。その勤め先でテレビ番組の取材に応じ、放映される。

3度目の世界王座挑戦[編集]

2010年9月13日アナベル・オルティスが持つWBC女子同級王座に挑戦。勤め先のモスバーガー櫻田社長をリングサイド席に招待し万全を期すも、0-3判定負けで奪還ならず。これが最後の試合となった。

引退[編集]

2010年10月10日、引退を公表した[3]

2011年6月6日、後楽園ホールにて、師匠具志堅用高とのエキシビション対戦をもって引退。

2012年1月20日から2月2日まで新宿三井ビル1階・エプサイトにて、石渡知子写真展「菊地奈々子 元WBC世界チャンピオン 女子ボクサーの軌跡」が開かれた。

戦績[編集]

  • プロボクシング:17戦 12勝 5KO 4敗 1分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2003年9月21日 勝利 4R 判定3-0 新井彩菜真 日本の旗 日本(山木) プロデビュー戦
2 2004年2月22日 勝利 4R 判定2-0 上村里子 日本の旗 日本(フィオーレ)
3 2004年5月23日 勝利 4R 判定3-0 池山直 日本の旗 日本(フジワラ) 日本ミニフライ級トーナメント
4 2004年7月18日 勝利 4R 判定3-0 石山絵理 日本の旗 日本(Red Devil KIS's) 日本ミニフライ級トーナメント準決勝
5 2004年9月18日 勝利 8R 判定3-0 渡辺まりか 日本の旗 日本(F.I-TEN) 日本ミニフライ級トーナメント決勝戦
6 2005年3月30日 敗北 8R 判定0-3 崔恩順 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
7 2005年6月12日 引分 8R 判定1-1 池山直 日本の旗 日本(フジワラ) 日本ミニフライ級王座防衛1
8 2005年11月7日 勝利 7R 0:50 TKO ノンマイ・ソー・シリポーン タイ王国の旗 タイ WBC女子ストロー級王座決定戦
9 2006年5月10日 勝利 10R 判定3-0 シリポーン・ソー・シリポーン タイ王国の旗 タイ WBC防衛1
10 2007年5月17日 敗北 10R 判定0-3 カリーナ・モレノ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC女子ストロー級タイトルマッチ
11 2008年6月9日 勝利 1R 1:12 TKO ペットチェイングライ・シットクルマッド タイ王国の旗 タイ
12 2008年10月13日 勝利 2R 1:54 TKO リリー・ラチャプラチャジム タイ王国の旗 タイ
13 2008年12月8日 敗北 10R 0:21 TKO 富樫直美 日本の旗 日本(ワタナベ) WBC女子ライトフライ級暫定タイトルマッチ
14 2009年6月26日 勝利 10R 判定3-0 江畑佳代子 日本の旗 日本(ワタナベ) OPBF女子ライトフライ級王座決定戦
15 2009年12月2日 勝利 9R 1:26 TKO ヤニー・ゴーキャットジム タイ王国の旗 タイ OPBF防衛1
16 2010年5月18日 勝利 4R 1:29 TKO ジェレミー・タバスタバス フィリピンの旗 フィリピン OPBF防衛2
17 2010年9月13日 敗北 10R 判定0-3 アナベル・オルティス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC女子ストロー級タイトルマッチ
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獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ WBC王座への挑戦はマーベラスに次いで2度目。
  2. ^ なお、2005年にツナミ(現・天海ツナミ)が東洋太平洋女子バンタム級王座を獲得しているが、これは東洋太平洋女子ボクシング協会(OPFBA)と呼ばれる団体のタイトルであり、OPBFとは無関係である。
  3. ^ 公式サイトより
  4. ^ JWBC認定の日本王座。JBCではない。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位
前タイトル保持者
袖岡裕子
第4代JWBCミニフライ級王者

2004年9月18日 - 2005年(返上)

空位
次タイトル獲得者
池山直
空位
2005年6月7日創設
初代WBC女子世界ストロー級王者

2005年11月7日 - 2007年5月17日

次王者
カリーナ・モレノ
空位
2009年創設
初代OPBF東洋太平洋女子ライトフライ級王者

2009年6月26日 - 2010年12月(返上)

空位
次タイトル獲得者
柴田直子