田村憲久
田村 憲久 たむら のりひさ | |
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生年月日 | 1964年12月15日(59歳) |
出生地 | 三重県松阪市 |
出身校 | 千葉大学法経学部経済学科 |
前職 | 衆議院議員田村元秘書 |
所属政党 | 自由民主党(石破派[1]) |
称号 | 経済学士 |
親族 |
伯父・田村元 祖父・田村稔 |
公式サイト | 田村のりひさホームページ |
第16代 厚生労働大臣 | |
内閣 | 第2次安倍内閣 |
在任期間 | 2012年12月26日 - 2014年9月3日 |
選挙区 |
(三重4区→) (比例東海ブロック→) 三重4区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1996年10月21日 - 現職 |
田村 憲久(たむら のりひさ、1964年(昭和39年)12月15日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。
厚生労働大臣(第2次安倍内閣)、総務副大臣(第1次安倍内閣)、文部科学大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、厚生労働大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院厚生労働委員長、自民党副幹事長等を務めた。
伯父は労働大臣や運輸大臣、通商産業大臣、衆議院議長を務めた元衆議院議員の田村元。祖父は元衆議院議員の田村稔。
来歴
三重県松阪市生まれ[2]。三重県立松阪高等学校、千葉大学法経学部経済学科卒業[3]。大学卒業後の1987年(昭和62年)、日本土建に入社[4][要出典]。1994年(平成6年)から伯父・田村元の秘書を務める[5]。
1996年(平成8年)、引退する伯父・元の地盤を引き継ぎ[6]、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で三重4区から出馬し、初当選[3]。
2002年(平成14年)に第1次小泉内閣で厚生労働大臣政務官、2003年(平成15年)に第1次小泉第2次改造内閣で文部科学大臣政務官に任命[3]。2003年から[要出典]自民党三重県連会長を務める[3]。2006年(平成18年)に発足した第1次安倍内閣では総務副大臣を務めた[3]。
2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では、三重4区で民主党の森本哲生に敗れるが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し5選(惜敗率2位)[7]。2010年9月に発足した自由民主党シャドウ・キャビネットでは「厚生労働大臣」に就任[3]。
2012年(平成24年)12月の第46回衆議院議員総選挙では、三重4区で前回敗れた森本を下し6選[8]。選挙後に発足した第2次安倍内閣で厚生労働大臣に任命され、初入閣[3]。2014年(平成26年)の内閣改造で退任[9]。同年にそれまで所属していた平成研究会を退会し無派閥となった[10]。2015年(平成27年)には水月会に参加[1]。
政策・主張
- 生活保護費の給付水準について、1割を上限に段階的に引き下げる考えを示した[11]。
- 先発医薬品の使用を望む受給者に後発医薬品との差額を負担させる政府案を否定した[12]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に反対[13][14]。
- 女性宮家に反対[15]。
- 原発ゼロ政策に反対[15]。
活動・報道
徳洲会との関係
大臣時代の2013年5月17日頃、医療法人徳洲会グループの副理事長ら最高幹部4人と料亭で会食していた[16]。この席では、自民党の園田修光が立候補した同年7月の参議院選挙運動の支援を要請していたと言われている。[17]。11月8日の厚生労働委員会で田村は「幹部と会ったかどうかは定かでない」と述べ、菅義偉官房長官も記者会見で「閣議前に田村氏から話があった。大臣規範にのっとって適切に対応しているので問題ない」との見解を示した[18]が、13日の同委で田村は「同僚議員に誘われた酒席に徳洲会の方々がおられた」と認めた。
また、同年6月に園田とともに訪れた徳田の姉(同事件の公職選挙法違反容疑で逮捕)と大臣室で面会していたことについて、当初は徳田が姉に同行していたと説明したが、数分後に園田だったと訂正。面会の経緯については、「(徳田の姉は)通っている眼科医で、園田に付いてこられた」「たわいもない話をして帰られただけ」と説明した。[19]、民主党の大西健介は「選挙直前の多忙を極める時期にたわいもない話をしに来るはずがない」と批判した。
田村は徳洲会との関係について「そもそも『徳洲会』と私はつきあいがほとんどなく、政治献金を受けたりパーティー券を買ってもらったという記録は全くない」と述べているが[20]、2012年分の政治資金収支報告書によると徳洲会がパーティ券を購入した国会議員90人の中に田村の政治資金集めパーティー券2万円分も購入していたことが判明している[21] [22]。
パソナグループの接待施設訪問
2014年、日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、田村が厚生労働相として労働行政を所管するにもかかわらず、規制緩和で利益をあげる人材派遣会社大手のパソナグループの接待施設「仁風林(にんぷうりん)」を訪れたことが判明し、田村も同年5月28日の衆議院厚生労働委員会においてこれについて認めた、と報道された[23]。
人物
所属団体・議員連盟
- 全国はちみつ公正取引協議会(顧問)
- イクメン議員連盟(共同座長)
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 日本会議国会議員懇談会
- 自民党動物愛護管理推進議員連盟
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- 日本の水源林を守る議員勉強会
- 子どもの貧困対策推進議員連盟(2016年2月23日に設立、初代会長)[26]
出演番組
論文
脚注
- ^ a b 自民党:石破派「水月会」20人で正式結成 総裁選に意欲 毎日新聞 2015年9月28日 2015年9月29日閲覧。
- ^ 田村憲久: 三重4区 : プロフィル『YOMIURI ONLINE(読売新聞)』2016年1月20日閲覧
- ^ a b c d e f g プロフィール『田村のりひさホームページ』2016年1月20日閲覧
- ^ 父の田村憲司(田村元の弟)及び兄の田村欣也は同社取締役である[要出典]。
- ^ 厚生労働大臣 田村 憲久 (たむら のりひさ)『首相官邸ホームページ』2016年1月20日閲覧
- ^ 「タムゲン」の愛称…元衆院議長の田村元氏死去『yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)』2014年11月4日閲覧
- ^ 三重 小選挙区 : 総選挙2009『YOMIURI ONLINE(読売新聞)』2016年1月20日閲覧
- ^ 三重 小選挙区 : 開票結果 『YOMIURI ONLINE(読売新聞)』2016年1月20日閲覧
- ^ 第2次安倍改造内閣 閣僚等名簿『首相官邸ホームページ』2016年1月29日閲覧
- ^ 額賀派の求心力低下必至…田村、脇氏ら3人退会読売新聞 2014年10月4日
- ^ 生活保護 給付水準引き下げ東京新聞 2012年12月27日
- ^ 差額自己負担を否定 後発薬促進で田村厚労相「大胆すぎる」産経ニュース 2013年1月8日
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ 第154回国会法務委員会請願2312号
- ^ a b 2012年衆院選候補者アンケート、毎日新聞
- ^ 厚労相、徳洲会幹部と会食 5月 移植陳情、参院選も話題MSN産経ニュース 2013年11月8日
- ^ 「厚労相からも頼まれた」 徳洲会の園田氏支援 会食後、グループ幹部伝達MSN産経ニュース 2013年11月18日
- ^ 産経新聞2013年11月13日
- ^ 田村厚労相、苦しい釈明 「たわいもない話をした」「通っていた眼科医」MSN産経ニュース 2013年11月13日
- ^ 厚生労働相「徳洲会幹部と同席 問題ない」NHKニュース 2013年11月13日
- ^ 安倍内閣、6閣僚に徳洲会マネー パー券 徳田議員資金管理団体が購入 石破氏などにもしんぶん赤旗 2013年11月30日
- ^ http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-01-09/2014010901_04_1.html
- ^ 派遣大手パソナを所管 厚労相接待 閣僚会議で「雇用破壊」会合しんぶん赤旗 2014年6月20日
- ^ 鳩山邦夫氏の「きさらぎ会」、100人突破の勢い!?『産経ニュース』2014年6月18日
- ^ 山本一太の大臣vs大臣
- ^ [http://www.nishinippon.co.jp/feature/tomorrow_to_children/article/226530 西日本新聞(2016年2月24日) ]
外部リンク
公職 | ||
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先代 三井辨雄 |
厚生労働大臣 第16代:2012年 -2014年 |
次代 塩崎恭久 |
先代 菅義偉 山崎力 |
総務副大臣 大野松茂と共同 2006年 - 2007年 |
次代 佐藤勉 魚住裕一郎 |
議会 | ||
先代 茂木敏充 |
衆議院厚生労働委員長 2008年 - 2009年 |
次代 藤村修 |