東側諸国

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ヨーロッパの東側諸国の地図
東側諸国(東側陣営)の地図
広義の東側諸国

東側諸国(ひがしがわしょこく、東側社会主義陣営共産主義陣営とも、英語: Eastern Bloc)とは、冷戦の間、ソビエト連邦および中央ヨーロッパ東ヨーロッパ衛星国ブルガリアルーマニアハンガリーチェコスロヴァキア東ドイツポーランド1960年代前半まではアルバニアも含む)を指して使われた言葉である。対する陣営は西側諸国

概要

「東側諸国」はソビエトに主導された軍事同盟・ワルシャワ条約機構の加盟国や、社会主義国による国際間経済組織・経済相互援助会議(コメコン)の加盟国の別名としても使われた。名称の由来は、米ソがヨーロッパを東西に二分したうち、地理的に近かった東欧側をソ連が解放者の衛星国として勢力圏に置いたことに由来する。米国マーシャル・プランにより西側諸国を経済的支配に置いたことを警戒したソ連は東欧諸国にマーシャル・プランのボイコットを呼びかけ、対抗して経済相互援助会議を創設し東西両陣営の対立は先鋭化した。ソ連に「解放」された国々では、ソ連共産党のように一党独裁体制を樹立、計画経済秘密警察強制収容所が各国で真似られた。

また、東ヨーロッパのみでは無く、東アジアでは中華人民共和国北朝鮮モンゴルを始め、ベトナムラオスカンボジアといったインドシナ東側の殆ども東側陣営に組み込まれていた。北東アフリカでもエジプトエチオピアスーダンソマリアリビアなどが東側の同盟国であった。西アジアではイエメンイラクシリアが東側に近かった。アメリカ大陸キューバなど第三世界諸国の中にも東側寄りの国があったのである。

東ヨーロッパの例外

ユーゴスラビアは「東側諸国」やワルシャワ条約機構加盟国になったことがない。ユーゴスラビアは社会主義国家ではあったが、チトー元帥率いるパルチザン第二次世界大戦中にソ連軍が迫る前に独力でドイツ軍からの解放を成し遂げたため、戦後もソ連の指導力に対して何の忠誠も払わなかった。ユーゴスラビアは冷戦中、中立国であることを宣言し、非同盟運動の提唱国のひとつとなった。

スターリニズム国家のアルバニアも、第二次世界大戦の過程で政府を独力で樹立し、ソ連軍の影響からは独立した状態であった。アルバニアは1960年代前半中ソ対立の結果ソ連と決裂し、中華人民共和国と同盟して反修正主義を貫いた。

ソ連の軍事勢力圏

東側の国々はしばしば軍事力を通じてソ連の勢力圏に留め置かれた。ハンガリーは親ソ政権を倒して(ハンガリー動乱)より民主的でモスクワから独立した共産主義の道を模索しようとしたが、1956年にソ連軍に侵攻されてしまった。ポーランドの指導部はヴワディスワフ・ゴムウカを第一書記に選出しようとしたが、ゴムルカの選出をやめさせるようにとのソ連軍による最後通告を受けた。[1]チェコスロヴァキアは1968年プラハの春の自由化の後、ソ連軍に侵攻された(チェコ事件)。チェコスロヴァキア侵攻など1960年代後半以降の東欧侵攻に関するソ連の外交政策は、ブレジネフ・ドクトリンBrezhnev Doctrine)という公式な政策として成文化されている。

しかし1980年代後半、ミハイル・ゴルバチョフの率いるソ連は次第に東側諸国への内政干渉を行わないようになった。ブレジネフ・ドクトリンの廃止とシナトラ・ドクトリンSinatra Doctrine)として知られる新思考外交は東欧に劇的な影響を及ぼした。東側諸国の親ソ政権は1989年の夏から冬までの間に次々と崩壊し(東欧革命)、東側は終焉を迎えた。

東欧革命以前でも、ワルシャワ条約機構の全ての国が常に集団で行動したわけではない。1968年のチェコスロヴァキア侵攻はルーマニアの非難を受け、ルーマニアは侵攻に加わらなかった。

冷戦中にソ連の軍事勢力圏にあった国の一覧

旧ソ連海軍が基地を置いた国

注:時期は一致せず、東側諸国の一覧ではない。ソ連軍の顧問団の派遣や技術の供与を約束する友好協力条約を結んだ、ソ連軍に港を使わせた、ソ連軍の基地を置いた国を含む。ソ連以下は五十音順。

共産圏

ヨーロッパ
アフリカ
アジア
アメリカ

共産圏ではなかったものの東側諸国と友好的で軍事的にも親交があった国々

ヨーロッパ
アフリカ
アジア
アメリカ
  • ガイアナの旗 ガイアナ
  • グレナダの旗 グレナダグレナダ侵攻により、社会主義政権が崩壊)
  • スリナムの旗 スリナム(ソ連、キューバと蜜月関係を築いたが、グレナダ侵攻を機にアメリカの介入を恐れて、親西側路線に転換)
  • チリの旗 チリチリ・クーデターにより、社会主義政権が崩壊)
  • ペルーの旗 ペルー(ペルー革命を期に親米政策から、自主独立路線に転換。兵器輸入を中心にソ連と友好関係であったが、その後左翼ゲリラに悩まされることになる)
オセアニア

その他、戦後、イラン北西部イラン北東部東トルキスタンといったところで親ソ傀儡政権が作られたことがある。また、フィンランド複数政党制であり資本主義体制であったが、冷戦中は事実上東側諸国の一員だった(フィンランド化)。

(参考)社会主義国または社会主義政権でありながら、ソ連と距離を置いた独自路線を取った国々

ヨーロッパ

アジア

新たな東側諸国

2008年に発生したグルジア紛争で、アメリカとロシアの関係は東欧ミサイル防衛問題もあって険悪化し、この状態を「新冷戦」と呼ぶメディアもある。このような状態の中で、ロシアの影響下にある国、ロシアと友好的な国は新たな東側諸国と定義することができる。上海協力機構集団安全保障条約機構加盟国、反米的な国などがその範疇に入る。

関連項目

外部リンク