握り寿司

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中トロの握り寿司

握り寿司(にぎりずし)は酢飯の小塊に具をのせて握った寿司。「早ずし」の一種である。握り[1]江戸前寿司[2]、江戸ずし[1]、あずまずし[1][2]ともいう。

海苔巻き(巻き物)、ちらし寿司、印籠ずしなどを含めた広義の江戸前寿司については「江戸前寿司」を参照。

調理法

片手で酢飯をとってシャリ玉を作り[3]、必要な場合はわさびを載せ、その上に具(タネ)をのせて握る[4]。具は、新鮮な魚介類などの切り身・むき身や、(酢締めしたもの)・穴子(煮付もしくは焼いたもの)等調理を加えたもの、卵焼きを切り分けたものなど。一般に具と飯の間に、おろしわさびを飯に載せる形で挟むが、わさび無しのことを「さびぬき」ということがある。具と飯との分離を防ぐため海苔を使った物もある。一口で食べられるほどの大きさに握られる。かつての江戸では屋台で出されており、これが全国へ広がった。

握り方

握り寿司のための飯(シャリ)の握り方は寿司職人の技術が最も発揮されるところであり、様々な技法がある。

  • 手返し
    • 本手返し
    • 小手返し
    • たて返し
    • 横手返し
  • 親指握り

これのほかに、握りの形があり、たわら形、はこ形、ふね形などがある。

1980年以降[いつ?]では大衆店化、チェーン店化しているところを中心に、シャリの自動握り機(寿司ロボット、シャリ玉成形機)が普及している。タンク状の装置に酢飯を入れておくと、機械がそれを絞り出すような機構を用いて寿司の形に作ってくれる。中にはワサビを付けたり、軍艦巻の海苔を巻き付けるところまで自動で行うものもある。また機械の外観が飯桶の形をしていて、客席から一見すると寿司職人が桶からご飯を取り出して握っているように見えるものもある。なお、業務用・家庭用の調理小物として木製あるいはポリエチレン製の握り寿司用の押し型も販売されている。

供し方

一般大衆向けの店舗では、寿司専門店であっても一人一食分のセットメニューを寿司桶や寿司下駄に載せ一斉に提供する方式が広く普及しているほか、回転寿司店では一皿毎に寿司を供するのが普通である。

これに対して伝統的な寿司屋では、握った寿司を単品ずつ職人が直接付け台に置くか、寿司下駄にのせて客前に供することが多い。その個数は1個ずつのこともあるが、2個1組が一般的である(いわゆる2個付け)[5][6]

2個付けとすることについては次のような諸説がある。

  • 1個では満足感に欠けるために2個1組で出されたとする説[7]
  • 2個食べないと味がわからないからであるとする説[8]
  • 勘定の際に足し算の回数を減らすためであるとする説[8][7]
  • 握りたてと少し時間をおいたものの両方を楽しむためであったとする説[8]
  • 元々は握り飯大の大きな1個の塊で供されていたが、食べやすくするためそれを2つに切り分けたとする説

なお、寿司を数える助数詞に「貫」があるが、寿司1個を「1貫」と数えるか、2個1組を「1貫」と数えるかなどについては諸説ある(後に詳述)。

寿司職人

寿司職人(岐阜市内にて)

一人前の寿司職人になるためには『飯炊き三年握り八年』と言われるように約10年の修行が必要と言われている。高度な調理技術が求められ、寿司専門店でベテランの職人が腕を振るっている。美味しい寿司が握れる職人になるには、市場で生鮮魚類を見極める力や、多様な魚の旬を知るほか脂が乗る時季は薄く切る、などの知識や経験、技術が必要である。また、寿司ロボットのシャリとは異なり、職人が握ったシャリは内部でご飯粒同士が圧縮されていないという違いがある。就業者は、男性が大多数を占めている。店主は中年以上の人が多く、高齢の店主が増えている。従業員は高卒・中卒直後の若い人がほとんどだが、大卒の人たちも多くなっている。定年はないので、技術があり、やる気さえあれば一生続けられる職業といえる。

一方、法規的に資格が必要であるわけではないので、持ち帰りや宅配専門店また回転寿司店では、アルバイトやパート労働者によって握りの作業が行われたり、産業用ロボットが行っていることさえある。

日本国外の事情は日本と異なる。一例として、ニューヨーク・タイムズ紙(2007年7月29日)はニューヨーク市・クイーンズ区の「寿司教室」を紹介している。韓国人が主催する同教室では、1日4時間・6週間を全課程として寿司職人を養成する。学費1,000ドルでそのコースを修了した韓国系・中国系など大勢の生徒は、アメリカ各地で寿司屋日本料理店のシェフになるという[1](「寿司#世界の「sushi」へ」も参照)。

食べ方

握りたてを手でつかみ口に運ぶのが、伝統的な寿司の食べ方とされているのは、元々握り寿司は屋台で供されることが多く(江戸前寿司を参照)、簡単に食べられるように工夫されている寿司だからである。箸を使って食べる人もおり、「素手で食べると直前に食べたネタの脂等が指に残り、その後の寿司の味を壊してしまうから」として箸で食べることを推奨することもあるが、普通は客一人ひとりに出されるおしぼりで手を拭く。

握り寿司には、味つけがなされているものと、自分で醤油をつけて塩味を加えて食べるものとがある。前者には、「ツメ」・「煮詰め」[9].「煮切り」[要出典]と呼ばれる醤油ベースの液体調味料を種の上に塗って供されるものや、塩(何らかの味つけがなされた塩の場合などもある)を振ったり、にんにく生姜酢味噌などを乗せて供されるもの、ヅケとなっているものがある。後者は、醤油を入れた小皿を用意しておき、寿司に適当に醤油をつけて食べる。あらかじめ味つけをされているものについては、通常醤油はつけない。

寿司をつまんで寿司種に醤油をつけるのではなく、飯に醤油をつける人もいるが、米飯の側を醤油につけると飯が崩れたり醤油皿に飯が落ちる原因となる。

どのような順番で食べ始め、食べ終わるべきかが議論されることがある。昔はその店の職人が焼く玉子焼きをまず頼み、腕を見るのが食通だとする風潮があったが[10]、多くの店が業者から玉子焼きを仕入れるので基準にはならない。白身魚などのさっぱりした物から食べ始め、コハダなどの光物に進み、マグロトロアナゴといった濃厚な味のタネで締めることを推奨する人もいるが、多くの寿司屋では「客の食べたい順番に頼む」ことを薦めている[11]

寿司種

様々な種類の握り寿司
上段左からサーモン、イカ、ハマチ、玉子焼き、カニ、タコ
下段左からつぶ貝、サヨリ、アマエビ、タイ、アジ、煮カキ

寿司に用いられる魚介類その他を寿司種という。寿司種は「種(タネ)」あるいは「ネタ」とも呼ばれる[2]。「ネタ」は「タネ」を逆さにした符牒である(職人用の隠語)。

寿司種は生物(なまもの)、貝物、光り物、煮物、その他に分類される[2]

生物

マグロトロ)、カジキカツオタイヒラメスズキハマチブリ)、シマアジサーモンアマエビボタンエビイカミズダコ、など。

「生物」と言っても、軽い酢締めや昆布締め、霜降り、醤油漬けなどの仕事が施されることも多い。

貝物

アオヤギ赤貝ホタテガイ北寄貝ミルガイツブトリガイタイラガイカキなど。

ハマグリアサリアワビなどは煮物に分類される。カキやホタテも煮物とされることがあるほか、ホッキガイ、トリガイも茹でて供されることが多い[2]

光り物

多くは酢締めで供される。

コノシロコハダ)、アジサバサヨリキスカスゴエボダイサンマイワシなど。

煮物

蒸し物、茹でたものも含める。甘い煮詰めを塗って供される種が多い。

アナゴアワビエビシャコカニタコ、煮ホタテ、煮イカ、ゲソシラウオウナギなど。

その他

ベーコンの握り寿司

近年[いつ?]は、特に回転寿司や日本国外の寿司料理店において、ミニハンバーグ叉焼などの肉類や、天ぷらフライなどの調理済み食品、マヨネーズシーチキン(ツナフレーク)、アボカド、生野菜サラダなどをタネにした、従来の寿司から見ると奇想なスタイルだけを真似た商品が増えている。これらに眉をひそめ「寿司の枠を超えた異質のもの」として寿司とは別のものとする見方がある一方、これらのネタを従前から続く工夫の1つと捉える見方がある。

歴史

握り寿司の誕生

浮世絵に描かれた寿司(歌川広重・江戸後期)

握り寿司は寿司の中では歴史が浅く、江戸時代・文政年間に考案されたものといわれる[2]

「妖術と いう身で握る 鮓の飯」『柳多留』(1827年作句、1829年(文政12年)刊)が、握り寿司の初出文献である。握り寿司を創案したのは「與兵衛鮓」華屋與兵衛とも、「松の鮨(通称、本来の屋号はいさご鮨)」堺屋松五郎ともいわれる。

江戸前(江戸の前=のちの東京湾)の魚介類と海苔を使用する江戸前寿司は、江戸中の屋台で売られるようになった。『守貞謾稿』によれば

握り寿司が誕生すると、たちまち江戸っ子にもてはやされて市中にあふれ、江戸のみならず文政の末には上方にも「江戸鮓」を売る店ができた。天保の末年(1844年)には稲荷寿司を売り歩く「振り売り」も現れた

という。この頃には巻き寿司もすでに定着しており、江戸も末期、維新の足音も聞こえてこようかという時代になって、ようやく現代でもポピュラーな寿司が、一気に出揃ったわけである。この頃の握り寿司はおにぎりのような大きさであり、食事というよりはおやつの位置づけとなっていた[12]

普及

明治30年代(1897–1906年)頃から企業化した製氷のおかげで、寿司屋でも氷が手に入りやすくなり、その後は冷蔵箱だけではなく電気冷蔵庫を備える店も出てくる。近海漁業の漁法や流通の進歩もあって、生鮮魚介を扱う環境が格段に良くなった。江戸前握り寿司では、これまで酢〆にしたり醤油漬けにしたり、あるいは火を通したりしていた素材も、生のまま扱うことが次第に多くなっていく。種類も増え、大きかった握りも次第に小さくなり、現代の握り寿司と近い形へ変化しはじめた時代である。

1923年(大正12年)の関東大震災により壊滅状態に陥った東京から寿司職人が離散し、江戸前寿しが日本全国に広まったとも言われる[13]

統制

第二次世界大戦直後、厳しい食料統制のさなか、1947年(昭和22年)飲食営業緊急措置令が施行され、寿司店は表立って営業できなくなった。東京では寿司店の組合の有志が交渉に立ち上がり、1合の米と握り寿司10個(巻き寿司なら4本)を交換する委託加工として、正式に営業を認めさせることができた。近畿をはじめ全国でこれに倣ったため、全国で寿司店といえば江戸前ずし一色となってしまった。ちなみに1合で10個の握り寿司ならかなり大きな握りで、いわゆる「大握り」と呼ばれる江戸時代・明治初期を思わせる大きさである[注釈 1][注釈 2]。当時を知る職人は、「あらかじめダミーの米を入れる袋を用意して店頭に置き、取り締まりを逃れて営業したこともある」と述べている。

寿司と助数詞

握り寿司は1つを「1かん」と数え、「貫」の文字を当てることが多い[14]。以下に示すような古い文献に「かん」という特別な助数詞で数えた例は見当たらず、いずれも1つ2つ、または1個2個である。江戸時代末期の『守貞謾稿』、1910年(明治43年)与兵衛鮓主人・小泉清三郎著『家庭 鮓のつけかた』、1930年(昭和5年)の永瀬牙之輔著『すし通』、1960年(昭和35年)宮尾しげを著『すし物語』のいずれも1つ2つである。ただし、寿司職人の間で戦前の寿司一人前分、握り寿司5つと三つ切りの海苔巻き2つを、太鼓のバチ(チャンチキ)に例えて「5かんのチャンチキ」と呼んだと紹介されている(篠田統『すしの本』1970年(昭和45年)増補版)[注釈 3]。寿司を「かん」と数えた例は比較的最近[いつ?]からで、国語辞典が採用するようになったのも最近[いつ?]である[注釈 4]。昭和後期のグルメブームの時に一般に使われるようになったと言われる[15]。握り寿司を2つに切って提供することが標準化した時代はない。戦後広まった2丁づけは、切ったのではなく最初から2つに握ったもの[注釈 5]。「ひとつ一口半」とされていたサイズが現在のサイズに切り替わったのは明治の中頃から戦後昭和の半ばまでの間と言われており[16][注釈 1][注釈 2][注釈 6]、小さくなっても、昭和の中頃になるまで寿司は1つずつ給仕されていたという記述もある[17][注釈 7]。一方で、2つで1かんと数える人々もいるが、由来は不詳である[注釈 8][注釈 9]

「かん」の語源は諸説あり定かでないが、海苔巻き(もしくは笹巻き寿司や棒寿司などの巻いた形式の寿司)1つを「1巻」と数えたことからという説。江戸時代に穴あき銭に紐を通して銭50枚を一つなぎした「貫」から転じたという説[8][注釈 10]、重さの単位「」から転じたという説などがある。

符牒

握り寿司店にて用いられる主な用語を以下に記載する。ただし、これらの用語は必ずしも全国共通ではなく、一部地域では通用しない場合がある。また、基本的には寿司職人の間での符牒であり、客が使用するものではないが[18]、トロ、ガリのようにすでに一般名詞化したものもある。

エビの形に整えられた人造バラン
用語 漢字 意味
アガリ 上がり お茶のこと。現代の寿司屋では粉茶が基本。語源は遊郭で来客時に出した上がり花から[19][20]
アニキ 兄貴 先に仕込み準備をした食材。相対的に古いこと。前日のシャリを指して「あんちゃんのしゃり」などと使う[21]
オアイソ お愛想 勘定をするの意。これは板前が客に対して「お勘定のことなどお伺いしまして、さぞかし愛想の悪いこととは思いますが」と使う言葉を由来としているために、客が板前に対して使うのは間違いであり、客が申し出る場合は「お勘定」とするのが正解である[22]
オテショ 御手塩 醤油などを入れる小皿のこと。以前は家庭でもこの言葉を使った。
カッパ 河童 キュウリのこと[23]
カマス 稲荷寿司のこと[23]
ガリ 甘酢に漬けた薄切りの生姜。語源はその食感に由来[23]
ガレージ シャコのこと。「車庫」に由来するが[23]、符牒とは言いがたい[注釈 11][注釈 12]
キヅ 木津 かんぴょうのこと[23]大阪府浪速区大国にあったかんぴょうの取引地、木津市場から[24][23]
ギョク 玉子[23]玉子焼き、出汁巻き玉子。「玉」という漢字の音読み
クサ 海苔のこと。「浅草海苔」(あさくさのり)の省略という説あり。
グンカン 軍艦 シャリを海苔で縦に巻き、ネタを載せた寿司のこと。軍艦巻(ぐんかんまき)。これはウニやイクラなど散りやすいネタに使われる巻き方。
ゲソ 下足 イカの足[23]
サガヤ 嵯峨谷 おぼろのこと。「嵯峨谷御室(おぼろ)の花吹雪」という長唄からとった[25]
サビ ワサビのこと[23]
シャリ 舎利 酢飯のこと。仏教語の舎利(飯)、すなわちサンスクリットを意味する単語シャーリ (zaali शालि) を語源とする[26][注釈 13]。ちなみに仏舎利の「舎利」は「肉体・遺体」を意味する単語シャリーラ(zariira शरीर)であり、どちらもサンスクリット音写に同じ漢字が当てられたもの。後者の仏舎利を語源とする説も、空海秘蔵記』に於ける「天竺呼米粒為舎利。仏舎利亦似米粒。是故曰舎利。」という記述ですでに現れている。
タマ アカガイのこと[23]。形が丸いことに由来する[23]
ツメ 詰め アナゴや煮蛤などの淡白な味をしたネタに塗る、佃煮の汁に似た甘塩辛い煮汁。煮詰めの略。
テッポウ 海苔巻きのこと[23]
トロ マグロの腹身の一番脂の乗った部分のこと。脂の乗り具合で「大トロ」「中トロ」などと分類される。「正身」(赤身)に対する語である[23]
ナミダ ワサビのこと。鼻につんとくる辛さで涙が出ることから。
ネタ 酢飯や海苔、カンピョウ等を除く寿司の食材のこと。「種」(たね)の逆さ読み。
バラン
ハラン
馬蘭
葉蘭
仕切りや飾り付けに用いられる植物の葉。関東ではササが標準。
ヒモ アカガイの足[23]
ムラサキ 醤油のこと。醤油が高価であったため、高貴な色であるを当てたと言う説。土浦から見える紫峰筑波(筑波山のこと)と言う商品名から来たという説。キッコーマンに代表される亀甲文様の亀甲は北極星信仰(妙見菩薩信仰)で、北極星のシンボルカラーである紫色からと言う説。単純に醤油の色からなど諸説様々存在する。
ムラチョコ 醤油皿(ムラサキのオチョコ)のこと。
ヤスケ 弥助 寿司や寿司屋のこと。人形浄瑠璃歌舞伎義経千本桜』の三段目切「すし屋」の場では、源氏の追っ手を逃れた平維盛がすし屋の手代「弥助」に身をやつして匿われていることから[27]
ヤマ なしということ。ネタ切れ。ササのことを「ヤマ」ともいったが、最近では「なし」という意味で使われることが多い。

注釈

  1. ^ a b 吉野昇雄『鮓・鮨・すし―すしの事典』(旭屋出版 1990年(平成2年))では戦後の委託加工制度が始まってから寿司が小さくなったとしているが、「すしの雑誌 第6集」(旭屋出版 1978年(昭和53年)1月)の「座談会すし商売今昔」では吉野も出席した中、戦前の寿司のサイズについてシャリが十匁と言うことで異論が出ていない。1940年(昭和15年)の木下謙次郎「続々美味求真」では、2升で200個握るとしている。これは、1合を10個に握るという戦後の委託加工制度と一致する。吉野の著作では、委託加工制度の寿司が実際に一合分の米を使っていたかどうかは明記されていない。
  2. ^ a b 江戸時代の川柳に「妖術という身で握るすしの飯」とあり、片手でもう片方の手の指を握る動作を描写している。妖術という様からすれば、握っている指は1本か2本。内田栄一によると美家古ずしのすしは昔大きく、指4本分あったと言う。指4本握ったのでは「妖術」という様ではないようだ。
  3. ^ 篠田統の著書「すしの本」(1966年(昭和41年))の増補版(1970年(昭和45年))で追加された「東京ずし雑話」(吉野昇雄からの聞き取り)と、吉野昇雄自身が雑誌『近代食堂』で連載した記事(1971年(昭和46年)3月号)に登場するフレーズ。チャンチキは海苔巻きを交差させて盛る、盛り方の名前。「かん」については特に盛り方であると言うような説明は無い。篠田統は「貫」と当てているが、吉野昇雄は「貫の字を当てるべきだろうか」とやや主張が弱い。なお、雑誌『近代食堂』にて寿司を「カン」と数えるようになったのは、吉野昇雄の記事が載って以降。それ以前は「個」と数えていたが、徐々に「カン」と記述することが増えてゆく。
  4. ^ yahooのネット上の辞書大辞泉によっても、あるいは助数詞に詳しい辞書、三省堂新明解国語辞典第6版にも、寿司を1かん、2かんと数える記述は見あたらない。広辞苑第六版、三省堂国語辞典第六版では、握り鮨の数え方として記載されている。
  5. ^ 宮尾しげを『すし物語』井上書房 1960年(昭和35年)。2丁づけが戦後広まったこと、庖丁を入れて2つに切らせることが標準的でない旨、書き記されている。なお、宮尾しげをが「二丁づけの始まり」と紹介している「宇の丸」のすしは、2個のすしを4つに切って一皿に盛ったもの。
  6. ^ 浅見安彦「すし調理師入門」柴田書店1970年(昭和45年)では、普通10匁(37.5グラム)くらいが一個分としている。旭屋出版『すし技術教科書(江戸前ずし編)』旭屋出版 1975年(昭和50年)では、握り寿司一個の大きさは寿司飯25~35グラムくらいとしている。中山幹「すしの美味しい話」社会思想社 1996年(平成8年)11月では、握り寿司一個の大きさは(一応)25グラムが標準としている。家庭料理の本だが、為後喜光「家庭の味 特選おすし113」家の光協会1992年3月でも、一つ25グラムにするように書かれている。
  7. ^ 現在[いつ?]も1つずつ提供する店もある(小野二郎「すきやばし次郎-生涯一鮨職人」プレジデント社 2003年(平成15年)12月)。
  8. ^ 夕刊フジBLOG「言葉のタネ明かし」の「1貫」の項(2007年10月26日時点のアーカイブ)では、「数え方の辞典」(小学館)及び筆者の記憶から、2個で1貫と呼ばれていたことを記述している。
  9. ^ 上の注で引用されている資料は、飯田朝子・町田健「数え方の辞典」小学館2004年(平成16年)4月のことと思われる。この論は、飯倉晴武編著『日本人 数のしきたり』(青春出版社刊 2007年(平成19年))の「1貫文=100文」同様、前提が破綻している。由来としている「銭1貫分の大きさ」と言う説は、ほぼ4キログラム分の銅貨と同じ大きさと言う意味で(同書では、1貫分の銭は1,000文か960文としている)、無理がある。同じ飯田朝子の「数え方もひとしお」(小学館2005年(平成17年)11月)では、調査に不備があったこと、銭の1貫は握り寿司の大きさたりえないことを認めている。同書では、吉野昇雄による解説を引用して、戦後になって寿司が小さくなってから、2つずつ提供する習慣になったと言う説を採用している。また、1940年(昭和15年)の木下謙次郎「続々美味求真」に2升で200個握るとされていること、2個づけが戦後始まっていることを考えても、大きかったので2つに分けたと言う説には無理がある。「言葉に関する問答集」(国立国語研究所 2001年(平成13年)3月)では、2個1かんの諸説を挙げた上で、1個1かんが有力としている。2つを1かんとする論では、論理的に整合性の取れた由来が示されていない。
  10. ^ 穴あき銭説による1貫は、以前では現在の大きさの寿司2個で1かんとすることもあった。これは穴あき銭1貫分は一口で食べるには大きすぎるため、2つに分けて握るようになったためと言われている(飯田朝子・町田健「数え方の辞典」小学館2004年(平成16年)4月)。飯田朝子「数え方もひとしお」(小学館2005年(平成17年)11月)で、誤謬であったことが明かされている。
  11. ^ 毎日新聞社編『話のネタ』PHP文庫 1998年 p.417では「駄じゃれでいただけない」と解説されている
  12. ^ 長谷川町子の漫画「いじわるばあさん」には、主人公が白人女性にこの呼び方をキュウリの「レインコート(=カッパ)」とともに教えるという話があるが、寿司店店主に「フザけた奴だヨ」とぼやかれている。
  13. ^ 仏説稲芋経』の「稲」に当たる語。

出典

  1. ^ a b c 岡田哲著『たべもの起源事典』東京堂出版 p.347 2003年
  2. ^ a b c d e f 日本調理科学会編『新版 総合調理科学事典』光生館 p.389 2006年
  3. ^ 板前の魚山人『寿司の握り方』-「シャリをつかんでまとめる時、お握りと寿司をわける」
  4. ^ 車海老は種に酢飯を載せてから握る
  5. ^ 岡田哲著『たべもの起源事典』東京堂出版 p.349 2003年
  6. ^ マルハ広報室編 『お魚の常識非常識「なるほどふ~ん」雑学』 p.55–56 講談社プラスアルファ文庫 2000年
  7. ^ a b マルハ広報室編 『お魚の常識非常識「なるほどふ~ん」雑学』 p.55–56 講談社プラスアルファ文庫 2000年
  8. ^ a b c d 岡田哲著『たべもの起源事典』東京堂出版 p.349 2003年(諸説ある中の一説として紹介)
  9. ^ コトバンク
  10. ^ 〆サバなどの味で腕を見るという説もある
  11. ^ 朝日新聞出版重金敦之『すし屋の常識・非常識』177p~180pより。
  12. ^ 朝日新書『すし屋の常識・非常識』重金敦之(30頁)より
  13. ^ Sunday Book Review Raw
  14. ^ 二村隆夫監修「丸善単位の辞典」(丸善2002年03月)
  15. ^ 山川正光「絵でみるモノの数え方辞典-ことば百科」誠文堂新光社 2004年(平成16年)10月
  16. ^ 篠田統「すしの話」、長崎福三「江戸前の味」
  17. ^ 1960年(昭和35年)宮尾しげを著『すし物語』
  18. ^ 内田正「これが江戸前寿司 弁天山美家古」ちくま文庫1995年(平成7年)、篠田統「すしの本」柴田書店1966年(昭和41年)
  19. ^ Yahoo辞書 - あがり【上がり/揚がり】
  20. ^ Yahoo辞書 - あがりばな【上がり花】
  21. ^ 佐川芳枝「寿司屋のかみさん寿司縁ばなし」中央公論社 2001年(平成13年)4月
  22. ^ 京都府寿司生活衛生同業組合 寿司作法
  23. ^ a b c d e f g h i j k l m n 毎日新聞社編『話のネタ』PHP文庫 p.417 1998年
  24. ^ 重金敦之『すし屋の常識・非常識』朝日新書・190頁より。
  25. ^ 宮尾しげを『すし物語』111P 井上書房。
  26. ^ 伊藤武(1996)『語るインド』(KKベストセラーズ、ISBN 4-584-18271-X
  27. ^ 重金敦之『すし屋の常識・非常識』朝日新書・30頁より。

参考文献