京成八幡駅
京成八幡駅 | |
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北側出入口(2007年2月26日) | |
けいせいやわた Keisei-Yawata | |
◄KS15 菅野 (0.9 km) (1.0 km) 鬼越 KS17► | |
所在地 | 千葉県市川市八幡三丁目2番1号 |
駅番号 | ○KS16 |
所属事業者 | 京成電鉄 |
所属路線 | 本線 |
キロ程 | 19.1 km(京成上野起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
30,361人/日 -2011年- |
開業年月日 | 1915年(大正4年)11月3日 |
乗換 | 本八幡駅(東京都交通局・JR東日本) |
京成八幡駅(けいせいやわたえき)は、千葉県市川市八幡三丁目にある、京成電鉄本線の駅である。駅番号はKS16。
旅客向け案内では「京成」を省略して八幡とされる。
駅構造
島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。ホームは踏切に挟まれており、これらはいわゆる「開かずの踏切」となっている。
京成百貨店閉店まで、駅ビルに直結した橋上駅舎の構造であったが、現在京成百貨店の跡地では再開発事業が行われているため、仮設構造の駅舎を持っている。
エスカレーターは改札内コンコースとホームの上野寄りを、エレベーターは北口出入口と改札外コンコースを結んでいる。トイレはホーム中央の階段下に男女互い違いで設置されている。
のりば
1 | ■■本線 | 上野・押上・都営浅草線・京急線方面 |
2 | ■■本線 | 船橋・佐倉・成田空港・東成田・芝山鉄道線・千葉方面 |
利用状況
2011年度の一日平均乗降人員は30,361人で、京成線内69駅中第13位であった。
駅周辺
東京都交通局(都営地下鉄)新宿線の本八幡駅とは南口の脇に出入口がある地下通路で連絡している(南側出入口写真参照)。また、東日本旅客鉄道(JR東日本)総武線(各駅停車)の同駅とは都営新宿線の通路あるいは地上の一般道を挟んで連絡しているため、徒歩で5分程度かかる。
南口には駅ビルの京成百貨店が建っていたが、本八幡駅北口再開発事業及び建物老朽化に伴い2007年3月で2 - 4階を閉店、1階のリブレ京成も2010年2月28日に閉店した。建物は解体され、新たにオフィス・商業施設併設の高層ビルが建設される。そして、ビル完成後の2013年を目途に京成電鉄の本社が押上から移転する予定となっている。
駅周辺の再開発と絡み、当駅と当駅前後の地下化の計画もある[1]。
- 本八幡駅
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)総武線(各駅停車)
- 東京都交通局(都営地下鉄)新宿線
- 市川市役所 - 最寄り駅
- 市川市民会館
- 葛飾八幡宮
- 八幡の藪知らず
- 北八幡郵便局
- 市川郵便局(日本郵便市川支店) - 当駅と菅野駅との中間地点にある。
- 不二女子高等学校
バス路線
すべて京成バスによって運行されている。
系統 | 主要経由地 | 行先 | 備考 |
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本11 | 市川学園・姫宮団地入口・大野町三丁目 | 市川北高校 | 姫宮団地入口・市川北高校行深夜バスあり |
本12 | 市川学園・姫宮団地入口・大野町三丁目・医療福祉センター | 平日のみ | |
本13 | 市川学園・姫宮団地入口・市川大野駅・大野町三丁目 | ||
本14 | 市川学園・姫宮団地入口・市川大野駅・市営霊園 | 柏井車庫 | |
本15 | 市川学園・姫宮団地入口・市川大野駅 | 動植物園 | 土曜・休日のみ |
本31 | 昭和学院・高塚入口・高塚 | 東松戸駅 | 高塚行深夜バスあり |
本32 | 昭和学院・高塚入口・市川大野駅 | 大町駅 | |
本33 | 昭和学院・高塚入口・市川大野駅・大町駅 | 柏井車庫 | 平日のみ |
本72 | 市川学園 | ||
市63 | 昭和学院・市川総合病院・市川真間駅 | 市川駅 | |
本11 - 本15 本31 - 本33 本72・市63 |
本八幡駅 |
歴史
- 1915年(大正4年)11月3日 - 新八幡駅として開業。当時は鬼越寄りの葛飾八幡宮付近に別に八幡駅が設置されていた(当駅と同日開業)。
- 1942年(昭和17年)8月15日 - 八幡駅が廃止され、当駅に統合される。
- 1942年(昭和17年)11月1日 - 京成八幡駅に改称。
- 1963年(昭和38年)9月 - 市川京成百貨店が営業開始。
- 1984年(昭和59年) - 市川京成百貨店が京成ストアの経営となる。
- 2007年(平成19年)3月 - 市川京成百貨店がJR本八幡駅北口再開発事業に伴い1階を残して閉店。
- 2010年(平成22年)2月28日 - 市川京成百貨店の1階部分で営業していたリブレ京成がJR本八幡駅北口再開発事業に伴い全フロア閉店。
- 2013年(平成25年)3月 - 駅前再開発ビルの完成及び京成電鉄本社移転予定。
文豪の永井荷風が晩年に当駅近くに住んでいたことで知られる。駅前の商店街には「荷風の散歩道」と名付けられた飾りの旗が見られる。荷風の行き付けだった日本料理店大黒家や銭湯も現存する。
京成八幡第1号踏切事故
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1970年(昭和45年)1月20日午前5時28分頃、当時自動化されていなかった京成八幡第1号踏切(駅の下り方向にある千葉県道51号市川柏線と交差する踏切)において、乗客約80名を乗せた京成成田発京成上野行4両編成上り電車と小型トラックが衝突する事故が発生した。電車は脱線、トラックの2名が即死、電車の乗客5名が重軽傷を負った。電車の1両目はトラックを巻き込みながら脱線し、当駅ホームの端をかすりながらホーム上り線に進入して、架線支柱と線路沿いの金網をなぎ倒し、約20メートル進んで停止した。
事故の原因は、踏切警手が酒に酔って寝過ごし、開閉機を下ろさなかったためだという。この踏切警手は、前日の最終電車が通過した後、当駅の詰所で当直の駅職員らと日本酒2合を飲んでから帰宅した。事故直後に警察官が急行した際、まだ酔っている駅職員もおり、「勝手にしやがれ」「やっちまったもの、しようがないじゃないか、そう騒ぐな」と語ったとされており、問題になった。その後の調べで、事故を起こした電車の前には4本の電車が通過していたが、その時も踏切は開いたままであったことがわかった。
京成電鉄は1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)とこの事故で3年連続で重大な踏切事故を起こしたことから、当時の運輸省・関東運輸局より警告が出された。
隣の駅
- ■■京成電鉄
- 本線
脚注
- ^ http://www.city.ichikawa.lg.jp/cit02/1112000001.html
- ^ 京成時刻表vol.25