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ロシア連邦憲法

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ロシア連邦憲法(ロシアれんぽうけんぽう、ロシア語: Конституция Российской Федерации; ラテン文字転写の例: Konstitusiya Rossiyskoy Federatsii)は、ロシア連邦憲法である。

概要

ロシア立憲主義の出発点は1905年のロシア第一革命である。1917年の2月革命10月革命を経て、1918年にロシア共和国憲法制定、1922年にソビエト連邦が成立し、以後1925年、1937年、1978年、ロシア共和国憲法は変容した。現行の憲法は、1978年制定の憲法に次いで、1993年、体制転換に伴い制定された新憲法である。

1990年6月、第1回ロシア人民代議員大会は、憲法委員会を設置し、草案の作成作業が始まる。同月、国家主義宣言。同月、共産党の「指導的役割」条項の削除。12月、私的所有が容認される。

1991年5月、大統領制が採用される。7月、憲法裁判所を設置。8月、ソビエト連邦指導部保守派によるクーデター(ソ連8月クーデター)が失敗、新憲法の脱ソビエト化と脱社会主義化が加速。11月、人権宣言を採択。

1992年3月、ロシア連邦条約締結。同月、各級地方行政府および行政長制度を採用。4月、ロシア連邦条約と人権宣言を憲法に編入。同月、権力分立制を採用。

1993年5月、大統領令により憲法協議会が設置される。

1993年7月、憲法協議会は憲法草案を公表。

1993年9月21日の大統領令を発端とした10月4日の議会鎮圧(モスクワ騒乱事件)により、新憲法制定作業の主導権が、議会から大統領に移る。

1993年11月10日、憲法協議会は最終草案を公表。

1993年12月12日、国民投票実施(投票率54.8%、賛成58.4%、反対41.6%)、ロシア連邦憲法が制定された。

1993年の制定以後、連邦構成主体、大統領任期等の憲法改正がなされた[1][2]

構成

前文

われら、ロシア連邦の多民族の人民は、運命を共にわれらが大地で、人間の権利と自由を確立し、市民の平和と調和を確立し、歴史上確立された国家の結束を維持、人民の平等と自決の普遍的原理より進み、祖国への敬愛をわれらに伝え、善と正義の信念をわれらに伝えた祖先の思いを尊敬し、ロシアの国家の地位を復興し、確固としたその民主主義の原則を主張し、ロシアの安寧と繁栄を確実にもたらす努力、現在と未来の世代より前のわれらの祖国への責務より進み、世界共同体に存在するをわれら自ら認識し、ロシア連邦憲法を制定する。

第1編

2008-05-07
  • 第1章. 立憲制の原則 (第1条-第16条)
  • 第2章. 人と市民の権利と自由 (第17条-第64条)
  • 第3章. 連邦体制 (第65条-第79条)
  • 第4章. ロシア連邦大統領 (第80条-第93条)
  • 第5章. 連邦議会 (第94条-第109条)
  • 第6章. 連邦政府 (第110条-第117条)
  • 第7章. 司法権 (第118条-第129)
  • 第8章. 地方自治 (第130条-第133条)
  • 第9章. 憲法の修正と改正 (第134条-第137条)

第2編

  • 雑則と経過規定 (全9項)

関連項目

脚注

外部リンク