ウィリー・モー・ペーニャ
福岡ソフトバンクホークス #8 | |
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2012年4月15日 福岡Yahoo!JAPANドーム | |
基本情報 | |
国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | バルベルデ州 |
生年月日 | 1982年1月23日(42歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 270 lb =約122.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1998年 |
初出場 |
MLB / 2002年9月10日 NPB / 2012年3月30日 |
年俸 | 1億4,000万+出来高(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | ドミニカ共和国 |
WBC | 2006年 |
この表について
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ウィリー・モー・ペーニャ(Wily Modesto Peña , 1982年1月23日 - )は、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
メジャーリーグ時代
1998年に当時のドラフト外選手史上最高金額となる4年370万ドルのメジャー契約を結びニューヨーク・ヤンキースに入団。2001年にトレードでシンシナティ・レッズに移籍し、翌2002年9月10日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。
2003年は80試合に出場したが三振率が30パーセント近く、打率.218、5本塁打、OPS.641の成績に終わる。
2004年は契約の都合でマイナー降格がなく前年を上回る110試合に出場し、ケン・グリフィー・ジュニアの故障によりレギュラーに定着。前年と同じく30パーセント近い割合の三振率を喫するも336打数で25本塁打を記録した。
2005年は4月下旬から6月上旬まで左大腿痛でDL入りする。99試合に出場し、三振率が35パーセント近い割合になったものの19本塁打を放つ。9月28日のミルウォーキー・ブルワーズ戦の守備でフェンスに激突してDL入りしシーズンを終了。
2006年は第1回WBCにドミニカ共和国代表として出場。開幕前にブロンソン・アローヨとのトレードでボストン・レッドソックスに移籍。故障もあり84試合の出場に終わったが、打撃改造に着手して打率.301を記録した。
2007年8月17日にトレードでワシントン・ナショナルズに移籍。移籍後は左翼手のレギュラーに定着し、37試合で8本塁打を記録。12月には1年200万ドルで契約を延長した。
2008年は64試合の出場で打率.205、2本塁打、10打点、OPS.509に終わる。
2009年3月28日にDFAとなり、4月20日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだが、6月22日に解雇される。オフにはドミニカのウィンターリーグに参加した。
2010年5月30日にアトランティック・リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約。7月19日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約。12月1日にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。
2011年、打者有利の球場を本拠地とすることで知られる傘下のAAA級リノでは63試合の出場で打率.363、21本塁打、OPS1.165を記録し[1]、6月21日にメジャーに昇格したが、7月24日に解雇。27日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶ。8月13日にメジャーに昇格し、指名打者として22試合に出場。10月30日にフリーエージェントとなり、オフはドミニカのウィンターリーグに参加。12月2日には福岡ソフトバンクホークスへの入団が決定。東日本大震災復興支援財団にホームラン1本打つごとに25,000円寄付することを公表している(40本以下の場合は100万円を寄付)。
選手としての特徴
かつては『サミー・ソーサ二世』と将来を期待され[2][3]、マニー・アクタからは「35本塁打を打てるポテンシャルを備えている」と評された[4]。
アダム・ダンを上回ると評されたパワーを誇り、476フィート(約145メートル)の特大本塁打を放ったこともある長打力を持ち味とするが[5]、打撃技術に欠け[6]、速球や内角球に強い一方で外角へ逃げる変化球に弱い[5]。メジャー通算で右投手に対しては打率.237と苦手にしているが、左投手に対しては打率.275と得意とする。選球眼が悪く[7]、メジャー通算の三振率が30パーセントを越えるなど三振が多い[8]。
近年は主に指名打者や左翼手で起用されるが、左翼守備ではメジャー通算のUZR-10.6、DRS-1と平均を下回る[9]。強肩で果敢にダイビングキャッチも試みるが、打球の軌道を読み違えることが多く、送球の正確さにも欠ける[10]。その他にも右翼手と中堅手で起用されたことがあり、マイナーでは一塁手も経験している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2002 | CIN | 13 | 18 | 18 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | .222 | .222 | .389 | .611 |
2003 | 80 | 181 | 165 | 20 | 36 | 6 | 1 | 5 | 59 | 16 | 3 | 2 | 1 | 0 | 12 | 2 | 3 | 53 | 2 | .218 | .283 | .358 | .641 | |
2004 | 110 | 364 | 336 | 45 | 87 | 10 | 1 | 26 | 177 | 66 | 5 | 2 | 0 | 0 | 22 | 1 | 6 | 108 | 7 | .259 | .316 | .527 | .843 | |
2005 | 99 | 335 | 311 | 42 | 79 | 17 | 0 | 19 | 153 | 51 | 2 | 1 | 0 | 1 | 20 | 0 | 3 | 116 | 7 | .254 | .304 | .492 | .796 | |
2006 | BOS | 84 | 304 | 276 | 36 | 83 | 15 | 2 | 11 | 135 | 42 | 0 | 1 | 0 | 5 | 20 | 0 | 3 | 90 | 7 | .301 | .349 | .489 | .838 |
2007 | 73 | 172 | 156 | 18 | 34 | 9 | 1 | 5 | 60 | 17 | 0 | 1 | 0 | 0 | 14 | 0 | 2 | 58 | 5 | .218 | .291 | .385 | .676 | |
WSH | 37 | 145 | 133 | 24 | 39 | 4 | 0 | 8 | 67 | 22 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 | 4 | 36 | 2 | .293 | .352 | .504 | .856 | |
'07計 | 110 | 317 | 289 | 42 | 73 | 13 | 1 | 13 | 127 | 39 | 2 | 1 | 0 | 0 | 22 | 2 | 6 | 94 | 7 | .253 | .319 | .439 | .758 | |
2008 | 64 | 206 | 195 | 10 | 40 | 6 | 0 | 2 | 52 | 10 | 0 | 1 | 0 | 1 | 10 | 0 | 0 | 48 | 5 | .205 | .243 | .267 | .510 | |
2011 | ARI | 17 | 46 | 46 | 7 | 9 | 0 | 0 | 5 | 24 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 19 | 1 | .196 | .196 | .522 | .717 |
SEA | 22 | 74 | 67 | 8 | 14 | 3 | 0 | 2 | 23 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 2 | 20 | 1 | .209 | .284 | .343 | .627 | |
'11計 | 39 | 120 | 113 | 15 | 23 | 3 | 0 | 7 | 47 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 2 | 39 | 2 | .204 | .250 | .416 | .666 | |
通算:8年 | 599 | 1845 | 1703 | 211 | 425 | 70 | 5 | 84 | 757 | 240 | 12 | 8 | 1 | 7 | 111 | 5 | 23 | 559 | 37 | .250 | .303 | .445 | .748 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:2012年3月30日、対オリックス・バファローズ1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7番・指名打者として先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回裏にアルフレッド・フィガロから一塁内野安打
- 初盗塁:同上、6回裏に二盗(投手:エバン・マクレーン、捕手:伊藤光)
- 初打点:2012年4月5日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、6回表にジム・ハウザーから遊撃ゴロ野手選択の間に記録
- 初本塁打:2012年4月8日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、4回表に石井一久から左越3ラン
背番号
- 26 (2005年)
- 22 (2006年 - 2007年)
- 16 (2007年)
- 26 (2007年 - 2008年)
- 16 (2011年)
- 29 (2011年)
- 8 (2012年 - )
脚注
- ^ Dunne, James(2011-07-28). Michael Restovich and Wily Mo Pena have New Homes. The Dunne Deal(英語). 2011年11月27日閲覧
- ^ 『月刊スラッガー』2004年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、75頁。
- ^ 『月刊スラッガー』2007年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-3、11頁。
- ^ 『月刊スラッガー』2008年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、69頁。
- ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、366頁頁。ISBN 4-331-51146-4。
- ^ 吉田健城『2003 メジャーリーグ スカウティング・レポート』ザ・マサダ、2003年、314頁頁。ISBN 4-88397-080-9。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、350頁頁。ISBN 4-331-51040-9。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、348頁頁。ISBN 4-331-51093-X。
- ^ Wili Mo Pena Advanced FieldingFanGraphs
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、79頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5。