阪本釤之助
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阪本釤之助 さかもと さんのすけ | |
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生年月日 | 1857年8月13日 |
出生地 |
日本 尾張国愛知郡鳴尾村 (現・愛知県名古屋市南区) |
没年月日 | 1936年12月16日(79歳没) |
前職 | 内務官僚 |
所属政党 | 同和会 |
称号 |
正三位 勲二等瑞宝章ほか |
子女 |
阪本瑞男 阪本越郎 坂本鹿名夫 高見順 |
親族 |
養父・坂本政均(元老院議官) 兄・永井久一郎(小石川区会議員) 兄・永井松右衛門(衆議院議員) 弟・大島久満次(衆議院議員) 娘婿・古井喜実(法務大臣) 甥・永井松三(貴族院議員) 孫婿・馳浩(文部科学大臣) |
在任期間 | 1911年8月24日 - 1934年4月6日 |
在任期間 | 1911年7月4日 - 1917年1月23日 |
官選 第8代 鹿児島県知事 | |
在任期間 | 1907年12月27日 - 1911年7月4日 |
官選 第10代 福井県知事 | |
在任期間 | 1902年2月8日 - 1907年12月27日 |
阪本 釤之助(さかもと さんのすけ、1857年8月13日(安政4年6月24日)- 1936年(昭和11年)12月16日[1])は、日本の官僚、政治家、詩人。俳号・三橋、雅号・蘋園(ひんえん)。
経歴
[編集]尾張国愛知郡鳴尾村(現在の名古屋市南区)に、永井匡威の三男として生まれる[2][3]。帯刀を許された豪農永井家は尾張藩に仕え、儒学・俳諧・茶道に通じる子孫が多かったという。父は鳴尾永井家の11代目・匡威(まさたけ)。桓武平氏良兼流長田氏の庶家である永井氏の傍系で、親致を祖とする「鳴尾永井氏」の後裔である。久一郎の詩集『来青閣集』によれば、鳴尾の永井氏は、永井直勝の庶子・正直に始まっている。1882年(明治15年)4月、元老院議官阪本政均の婿養子となり[2][4]、内務官僚等を経て、1902(明治35)年から福井県知事[5]、1907(明治40)年から鹿児島県知事[5]を歴任[6]。1911(明治44)年7月4日から1917(大正6)年まで、名古屋市長を務めた[2]。
また1911年8月24日[7]から1934年4月6日[8]まで貴族院勅選議員を務めた[2](同和会所属[1])。名古屋市長退職後、日本赤十字社副社長、維新史編纂会副総裁を歴任[2]。1934年、枢密顧問官[9]。1920年から尾張徳川家の御相談人となった[2]。
詩書を得意とし、名古屋市長時代は「蘋園市長」と呼ばれて親しまれた[2]。
几帳面な性格で、貴族院議員時代、法案を書いた紙を必ず議席に持っていき、その要点を書き抜いた上で、賛成反対の態度を決めていた[10]。墓所は染井霊園。
栄典
[編集]- 位階
- 1891年(明治24年)3月3日 - 従六位[11][12]
- 1896年(明治29年)6月30日 - 正六位[11][13]
- 1901年(明治34年)4月20日 - 従五位[11][14]
- 1903年(明治36年)3月16日 - 正五位[11][15]
- 1908年(明治41年)4月10日 - 従四位[11][16]
- 1911年(明治44年)9月11日 - 正四位[11][17]
- 1936年(昭和11年)
- 勲章
- 1897年(明治30年)12月28日 - 勲六等瑞宝章[11][20]
- 1901年(明治34年)12月27日 - 勲五等瑞宝章[11]
- 1903年(明治36年)12月26日 - 勲四等瑞宝章[11][21]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲三等旭日中綬章[11][22]・明治三十七八年従軍記章[23]
- 1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章[11]
- 1915年(大正4年)11月1日 - 大礼記念章(大正)[11]
- 1916年(大正5年)4月1日 - 勲二等瑞宝章[11][24]
- 1917年(大正6年)1月23日 - 木杯一組[11]
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[11]
- 1928年(昭和3年)
家族・親族
[編集]- 外交官の阪本瑞男および詩人・ドイツ文学者の阪本越郎は正妻との間の子[25]。
- 作家、詩人の高見順は庶子[25]。
- 政治家の古井喜実は女婿[25]。
- 童謡歌手の小鳩くるみも阪本の親族である[27]。
- 漢詩人・官僚の永井久一郎は実兄[28]。
- 政治家の大島久満次は実弟[29]。
- 狂言師野村萬斎は曾孫
系譜
[編集]- 永井氏 … 詳細は永井久一郎を参照のこと。
鷲津蓉裳 | (氏名不明) | (氏名不明) | 鷲津名都江 (小鳩くるみ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷲津毅堂 | 恒 | 永井壮吉 (永井荷風) | 永井永光 | 永井壮一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷲津貞二郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井久一郎 | 永井威三郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井匡威 | 永井松右衛門 | 永井松三 | 永井邦夫 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西竹一 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西泰徳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
柳原義光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
川村鉄太郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
花子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
艶子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
阪本瑞男 | 野村万作 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野村萬斎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
阪本釤之助 | 阪本越郎 | 阪本若葉子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
坂本鹿名夫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井佐々吉 | 古井喜実 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ふく | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
馳浩 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小野田房子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高見恭子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高見順 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
由紀子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大島成友 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大島久満次 | 大島一雄 (杵屋五叟) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井永光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井銉次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永井頑頡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』126頁。
- ^ a b c d e f g h 香山 2016, p. 122.
- ^ 永井家は帯刀を許された豪農であった(永井 2000, p. 219)
- ^ 『人事興信録 第4版』さ58頁。
- ^ a b 『日本近現代人物履歴事典』239頁。
- ^ 香山 (2016, p. 122)。同書では1909(明治42)年鹿児島県知事、1910(明治43)年熊本県知事、としている。
- ^ 『官報』第8454号、明治44年8月25日。
- ^ 『官報』第2177号、昭和9年4月7日。
- ^ 1936年まで在任。
- ^ 若槻禮次郎『明治・大正・昭和政界秘史』講談社学術文庫、1983年、239頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「阪本釤之助叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113099800
- ^ 『官報』第2302号「叙任及辞令」1891年3月6日。
- ^ 『官報』第3901号「叙任及辞令」1896年7月1日。
- ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
- ^ 『官報』第5908号「叙任及辞令」1903年3月17日。
- ^ 『官報』第7434号「叙任及辞令」1908年4月11日。
- ^ 『官報』第8469号「叙任及辞令」1911年9月12日。
- ^ 『官報』第2786号「叙任及辞令」1936年04月18日。
- ^ 『官報』第2991号「叙任及辞令」1936年12月19日。
- ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
- ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第7606号・付録「辞令」1908年10月31日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
- ^ a b c 小谷野 2007, pp. 86–87.
- ^ 小谷野 2007, pp. 86–88.
- ^ a b 小谷野 2007, pp. 85–88.
- ^ 小谷野 2007, pp. 85, 87.
- ^ 小谷野 2007, p. 87.
参考文献
[編集]- 香山, 里絵「「尾張徳川美術館」設計懸賞」(PDF)『金鯱叢書』第43巻、徳川美術館、2016年3月、103-131頁、ISSN 2188-7594、2016年10月3日閲覧。
- 小谷野, 敦『日本の有名一族‐近代エスタブリッシュメントの系図集』幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2007年9月30日。ISBN 978-4-3449-8055-6。
- 秦, 郁彦『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。ISBN 9784130301534。
- 永井, 荷風『下谷叢話』岩波書店〈岩波文庫〉、2000年(原著1926年)、219-220頁。ISBN 9784003104286。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 福田, 清人、網野, 義紘『永井荷風』 43巻、清水書院〈人と作品〉、1984年。全国書誌番号:85023720。
- 馬場, 守次「阪本釤之助氏」『楊城縉紳集』珊珊社、1934年、354-357頁。NDLJP:1031714/189。
- 長江, 銈太郎「阪本釤之助君」『東京名古屋現代人物誌』柳城書院、1916年(原著1912年)、7-12頁。NDLJP:955846/12。
- 手島, 益雄「阪本釤之助」『名古屋百人物評論』日本電報通信社名古屋支局、1915年、1-7頁。NDLJP:954765/15。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。