田阪千助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たさか せんすけ
田阪 千助
生誕 (1884-12-26) 1884年12月26日
死没 1945年9月??
職業 台湾総督府官僚名古屋市
テンプレートを表示

田阪 千助(たさか せんすけ、1884年明治17年)12月26日[1][2] - 1945年(昭和20年)9月[3])は、台湾総督府官僚名古屋市長

経歴[編集]

山口県出身。1904年(明治37年)、早稲田大学邦語法律科(現・法学部)を卒業[2]一年志願兵として陸軍三等主計となる[1]。台湾総督府事務官殖産局商工課長・庶務課長、勅任参事官、台北州内務部長を歴任した[1]

退官後、名古屋市助役を経て、1924年大正13年)から1927年(昭和2年)まで名古屋市長を務めた。

その後、東北電気株式会社取締役、東邦瓦斯証券株式会社顧問、東邦電力株式会社顧問となった[2]

戦時中は新潟県内に疎開し、1945年(昭和20年)9月に亡くなった[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 大衆人事録 1930.
  2. ^ a b c 早稲田大学紳士録 pp.482 1939.
  3. ^ a b 「歴代市長業績 十一代市長 田坂千助」『弘報なごや』第13号、名古屋市弘報室、1950年3月15日、6面。

参考文献[編集]

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。