日本一のゴリガン男

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日本一のゴリガン男
監督 古澤憲吾
脚本 笠原良三
製作 渡辺晋
森田信
出演者 植木等
浜美枝
進藤英太郎
人見明
音楽 宮川泰
撮影 小泉福造
編集 黒岩義民
配給 東宝
公開 日本の旗 1966年3月16日
上映時間 93分
製作国 日本の旗
言語 日本語
前作 日本一のゴマすり男
次作 日本一の男の中の男
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日本一のゴリガン男』(にっぽんいちのゴリガンおとこ)は、1966年3月16日に公開された日本映画東宝配給。植木等主演の「日本一の男シリーズ」第4作目で、個人で会社と契約し(後に“フリーランス”と呼称されるようになる就業形態の原型である)、モーレツに働く男の活躍を描く。東宝クレージー映画・全30作品中、ハナ肇谷啓がどちらも出演していない唯一の作品でもある[1]。「ゴリガン」とは当時の資料によると、「御利願」という名古屋のスラングだという[注釈 2]

あらすじ[編集]

「西北商事」の社員、日本等(ひのもとひとし)は空から降ってきた鉄骨に当たって脳外科手術を受ける。その際、脳みそに溜まっていた余分なカスや水分をついでに取り除いてもらい、日本は頭の回転が100倍のスーパーサラリーマンとなった。しかし、退院したその足で向かった会社は半年前に倒産していたうえ、そのビルには「統南商事」という別の会社が入っていた。ならばと、日本は統南商事内に自らの課「日本等課」を創設し、電話帳を駆使して次から次へと商談をまとめていくが、会社は倒産寸前の状態に陥っていた。

ロケ地[編集]

等が脳外科手術を受けた「第一脳外科病院」として映された「国立がん研究センター
等が「おもちゃのマーチ〜戦争ごっこ」を歌った「国立競技場

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

挿入歌[編集]

「遺憾に存じます」
作詞 - 青島幸男 / 作曲 - 萩原哲晶 / - 植木等
※冒頭、アカペラで少しだけ歌われる。
「何が何だかわからないのよ」
作詞 - 笠原良三 / 作曲 - 宮川泰 / 歌 - 植木等
「シビレ節」
作詞 - 青島幸男 / 作曲 - 宮川泰 / 歌 - 植木等、人見明
おてもやん
歌 - 植木等、人見明
民謡
「オモチャのマーチ〜戦争ごっこ」
作詞 - 不詳(原曲は海野厚) / 作曲 - 小田島樹人 / 歌 - 植木等
「いろいろ節」
作詞 - 青島幸男 / 作曲 - 萩原哲晶 / 歌 - 植木等
※アカペラ。
「山寺の和尚さん〜坊主丸もうけの唄」
作詞 - 不詳(原曲は久保田宵二) / 作曲 - 服部良一 / 歌 - 植木等
柔 (美空ひばりの曲)
作詞 - 関沢新一 / 作曲 - 古賀政男 / 歌 - 植木等
※アカペラ。
「さよならはダンスの後に」
作詞 - 横井弘 / 作曲 - 小川寛興 / 歌 - 植木等
※アカペラ。倍賞千恵子のヒット曲。
「水のファンタジー」
作詞 - 笠原良三 / 作曲 - 宮川泰 / 歌 - 植木等
だまって俺について来い
作詞 - 青島幸男 / 作曲 - 萩原哲晶 / 歌 - 植木等
※アカペラ。

同時上映[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ちなみに本作は、東宝クレージー映画の中でこれまで複数名出演していた、植木以外のクレージーのメンバーが一人(本作では桜井センリ)しか出演していない初めての作品でもある。この後、同様のケースには『日本一の男の中の男』(植木・谷のみ)、『日本一のヤクザ男』(植木・ハナのみ)、『日本一のワルノリ男』(植木・谷のみ)がある。
  2. ^ 作中では「ゴリガンというより合理化」といった台詞や、「とんでもない」といったような意味合いで「ゴリガン」が使われたりしており、当初から複数の意味を持たせた言葉のようである。
  3. ^ 1960年代に一世を風靡したが、所属していた吉本興業との軋轢や本人の不祥事もあり、44歳で孤独死した後もDVDなどは今に至るまで存在しない。本作では当時の持ちギャグのほぼ全てを、植木との掛け合いで見ることができる。

出典[編集]

  1. ^ 『クレージー映画大全』(1997年・フイルムアート社、ISBN 4845997703)P.30~31「クレージー映画全作品リスト・1」より[注釈 1]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]