新間正次

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新間 正次
しんま しょうじ
生年月日 (1934-11-03) 1934年11月3日(89歳)
出生地 日本の旗 日本 愛知県蒲郡市
出身校 蒲郡市立蒲郡中学校
愛知県立蒲郡高等学校
前職 タレント
俳優
ラジオパーソナリティ
市民劇場未来座理事
中日ドラゴンズ私設応援団連合会長
所属政党民社党→)
無所属

選挙区 愛知県選挙区
当選回数 1回[注釈 1]
在任期間 1992年7月27日 - 1994年7月29日[1]
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新間 正次
ニックネーム 新間ちゃん
生年月日 1934年11月3日
出身地 日本の旗 日本 愛知県蒲郡市
言語 日本語
方言 名古屋弁
最終学歴 愛知県立蒲郡高等学校
出身 NHK名古屋放送劇団
活動時期 1953年 - 2021年
過去の代表番組 ラジオ朝市
他の活動 ラジオパーソナリティ
政治家
配偶者 既婚
親族 新間竹彦(長男)
新間信雄(叔父)
新間寿(従兄弟)
受賞歴
1982年 なごやか賞
1990年 CBC小嶋賞
1991年 ギネス世界記録
1991年 パチンコ大衆文化賞
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新間 正次(しんま しょうじ、1934年昭和9年〉11月3日[2] - )は、日本タレントラジオパーソナリティ俳優、元政治家、元参議院議員。元民社党愛知県連副委員長。愛称は「新間ちゃん」。

長男は教育芸人(教育エンターテイナー)の新間竹彦。

来歴[編集]

出馬以前[編集]

愛知県蒲郡市出身(出生は豊橋市[2]。靴屋「早稲田堂」を経営する新間邦次の三男として生まれる。邦次はスパイクシューズを作っていた[3]。1945年6月の豊橋空襲で靴屋と自宅が焼失したため、蒲郡へ移住した[4]愛知県立蒲郡高等学校卒業、高校時代は生徒会長を務めた[5]。高校時代の先輩の勧めでNHK名古屋放送劇団に入団[2]

NHK名古屋のテレビ番組「マナー教室」のレギュラー出演時に視聴者である洋裁学校の校長先生から特別講師としての依頼があり、仕事先で夫人と出会う[6]

1963年にCBCラジオの「酒の古典辞典」で全国初の名古屋弁のパーソナリティとしてデビュー[2][7]、その後中継レポーターとして、CBCテレビCBCラジオの番組にレギュラー出演するようになり、1970年からはCBCテレビのワイドショー『この街はこの風は』の「シンマちゃんの何でも体験レポート」を担当[8]1972年4月10日からはCBCラジオの平日9時台のショッピング情報を加味した、朝ワイド番組『ラジオ朝市』のパーソナリティを担当する[2][9][10]

名古屋弁を交えたトーク・木魚の演奏・新間が団長を務める中日ドラゴンズの私設応援団「朝ドラ応援団」で話題を集め、1970年代〜1980年代にかけて、名古屋のラジオパーソナリティの第一人者としての地位を確立した。

1975年にはばつぐんジョッキーのパーソナリティで阪神ファンの上岡龍太郎の提案で中日ドラゴンズV2優勝を逃した責任を取って、新間はCBCの第一スタジオ(上の髪)と寺院(下の髪)で全身剃毛パフォーマンスを行い[11]、1982年に中日ドラゴンズがV3の優勝を果たした時の優勝パレードに集まった市民にきしめん3万3000食を振る舞うパフォーマンスを行った[9][12][13]

1991年7月12日、『シンマちゃんのかきかき人生』の刊行を記念した、関係者向けの出版パーティーで「いつかは、政治家に挑戦したい」と発言[14]

1991年8月31日に名古屋弥生会館で行われた記者会見で選挙立候補表明[15]のため「ラジオ朝市」を降板、出演回数は5693回であった[16][17]

参議院議員時代[編集]

1992年7月、三治重信の後継として第16回参議院議員通常選挙に民社党公認で愛知県選挙区から立候補[注釈 2]、「ドア・ツー・ドア[18][19]・「生活応援団長[20]をキャッチフレーズに自動車総連の推薦・全トヨタ労働組合連合会の支援を受け、1992年7月26日に得票数3位で初当選した。

しかし、選挙活動において表明していた明治大学入学とスイス留学の経歴について虚偽の疑いが浮上した。1992年10月に民社党を離党した。1993年8月31日名古屋地検から選挙戦における当選目的で経歴詐称をした公職選挙法違反(虚偽時効公表罪)で在宅起訴された。百日裁判規定が適用され、1993年12月24日に名古屋地裁で禁錮6ヶ月執行猶予4年が言い渡され、1994年7月18日最高裁で有罪判決が確定し、同年29日に当選無効となった。「前議員記章」(前議員バッジ)については参議院から交付を拒否された[21][注釈 3]

参議院議員としては農林水産委員会に所属していた。

その後[編集]

タレント活動を再開した。1994年の10.8決戦の中日ドラゴンズ敗北の結果を受けて丸刈りにした[22]横山やすしの最後の相方となる[23][注釈 4]

選挙と裁判費用の借金により、自宅が競売になった[24][25]

野村沙知代の衆院選立候補時の学歴詐称疑惑がマスコミを騒がせていた頃は、多数のワイドショーなどに出演し、野村を批判した。

2021年11月13日に大須演芸場で新間の米寿を記念するイベント「朗読バラエティー シンマちゃんの大炎上の先に見えた光」が行われた[26][27][注釈 5]

2024年1月23日に長男の竹彦がシンマ先生名義で参議院議員時代の学歴詐称騒動の経緯を記載した『シンマちゃんの選択 大炎上の先に見えた光: 還暦前後の人生選択の「落とし穴」』(Kindle本)が刊行[29][30]

新日本プロレス専務やスポーツ平和党幹事長を務めた新間寿は父の弟の新間信雄の息子で従兄弟にあたる。  

出演番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

  • 青柳ういろう「80円の出張」(1979年) [36]
  • マルヨネ ひやむぎ そうめん(1984年)
  • 薬寿
  • アメ横ビル

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

  • テミスの剣

[編集]

  • 1975年 - 「ドラキチ音頭」(東芝EMI TP-2015。板東英二のシングル「ガッツだ!!ドラゴンズ」B面。歌手)
  • 1981年 - 「天まで昇れドラゴンズ」(ポリドール 7DX1108。シングル。歌手、作詞)
  • 1981年 - 「すすめ若龍」(「天まで昇れドラゴンズ」B面。歌手、作詞)
  • 「あかんてかんて」・「男の背中」[37]

著書[編集]

  • 『シンマちゃんのきょうも元気でいこみゃ〜か』エフエー出版、1987年2月。ISBN 978-4-900435-33-9 
  • 『シンマちゃんのかきかき人生』エフエー出版、1991年7月。ISBN 978-4-87208-010-0 

受賞歴[編集]

  • 1982年 - 名古屋帰化の会「なごやか賞」[38][39]
  • 1990年 - 第1回「CBC小嶋賞
  • 1991年 - 第6回「パチンコ大衆文化賞」[40]

選挙歴[編集]

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
当選無効 第16回参議院議員通常選挙 1992年7月26日 57 愛知県選挙区 民社党 48万7159票 21.57% 3 3/34 /

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当選した事実が取り消されたため、法律上は元参議院議員としては扱われない。ただし、参議院ホームページの歴代議員一覧には名前が掲載されている。#参議院議員時代参照
  2. ^ 同選挙に従兄弟の新間寿もスポーツ平和党から比例区から立候補したが落選している。
  3. ^ 「前議員バッジ」の交付拒否は、2023年3月15日に参議院議員を除名されたガーシー(東谷義和)の例がある。
  4. ^ 出典では「関西の大物漫才師」と名前は伏せられている。
  5. ^ 長男の竹彦によると「最後の表舞台」としている[28]

出典[編集]

  1. ^ 参議院『参議院先例録 平成25年版』参議院事務局、2013年、123頁。
  2. ^ a b c d e f g 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、88頁。NDLJP:12276264/45 
  3. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.214/900.
  4. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.220/900.
  5. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.280/900.
  6. ^ a b シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.389/900.
  7. ^ a b シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.422/900.
  8. ^ a b シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.428/900.
  9. ^ a b 「〈愛知に私の地図を描きます〉 / 新間正次」『Kakushin』第257号、民社党本部新聞局、1992年1月1日、50 - 51頁、NDLJP:1386194/26 
  10. ^ a b シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.434/900.
  11. ^ ドラゴンズ完全制覇 | ドラキチしんまちゃんのブログ 2011年11月7日
  12. ^ 毎日フォトバンク - タイトル「ドラゴンズV3(昭和57年) きしめん3万3000食分を名古屋市民にプレゼントする新間正次さん」ID:P20041216dd1dd1phj491000
  13. ^ ドラゴンズ | ドラキチしんまちゃんのブログ 2010年2月6日
  14. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.458/900.
  15. ^ 「読売ニュース総覧」読売新聞社、1991年、296頁。
  16. ^ mcshimmaの2010年8月14日のツイート- X(旧Twitter)
  17. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.446/900.
  18. ^ 「〈選挙区候補者アンケート〉 / 大石尚子 ; 神津武士 ; 小西博行 ; 新間正次 ; 永江一仁」『Kakushin』第262号、民社党本部新聞局、1992年6月1日、50 - 51頁、NDLJP:1386199/26 
  19. ^ 「PKO賛否真っ二つ――参院選火ブタ、東海の熱い夏」『中部財界』第35巻第8号、中部財界社、1992年8月1日、37 - 39頁、NDLJP:2774010/19 
  20. ^ 「こんな仕事をします / 勝木健司 ; 新間正次 ; 鈴木栄治 ; 直嶋正行 ; 長谷川清」『Kakushin』第265号、民社党本部新聞局、1992年9月1日、30頁、NDLJP:1386202/16 
  21. ^ ガーシー氏「除名」7カ月半要した間に約2000万円支給など課題残す 前議員バッジ交付されず - 日刊スポーツ 2023年3月15日
  22. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.647/900.
  23. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.789/900.
  24. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.44/900.
  25. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.724/900.
  26. ^ ご案内 - きっかけ文化祭
  27. ^ きっかけプロデューサー【mcShimma】 - YouTube
  28. ^ mcshimmaの2022年11月3日のツイート- X(旧Twitter)
  29. ^ mcshimmaの2024年1月1日のツイート- X(旧Twitter)
  30. ^ mcshimmaの2024年1月23日のツイート- X(旧Twitter)
  31. ^ 10月12日  火曜日 : 水道橋博士の「博士の悪童日記」
  32. ^ 「俺たちにしか語れないドブ川的名勝負」『別冊宝島』第222号、宝島社、1995年5月5日、220 - 221頁。 
  33. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.673/900.
  34. ^ 放送ライブラリー program番号:162333
  35. ^ mcshimmaの2010年12月26日のツイート- X(旧Twitter)
  36. ^ 放送ライブラリー program番号:158186
  37. ^ シンマ先生 2024, Kindle版、位置No.610/900.
  38. ^ 「第二回「名古屋帰化の会」開催」『中部財界』第25巻第21号、中部財界社、1982年12月1日、48 - 49頁、NDLJP:2773887/25 
  39. ^ 「第12回名古屋帰化の会忘年総会開催」『中部財界』第33巻第1号、中部財界社、1990年1月1日、147頁、NDLJP:2773979/74 
  40. ^ 「愛知県遊協パチンコ大衆文化賞受賞式行なわれる」『遊技通信』第1142号、遊技通信社、1991年7月15日、167頁、NDLJP:2882933/84 

参考文献[編集]

  • シンマ先生『シンマちゃんの選択 大炎上の先に見えた光: 還暦前後の人生選択の「落とし穴」』まろわ出版、2024年1月23日。ASIN B0CT4VLK6M 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]