冷麺
冷麺 | |
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平壌式ムルレンミョン(上) 咸興式ビビンネンミョン(下) | |
各種表記 | |
ハングル: | 냉면 / 랭면 |
漢字: | 冷麵 |
発音: | ネンミョン / レンミョン |
日本語読み: | れいめん |
ローマ字: |
naengmyeon / raengmyeon(2000年式) naengmyŏn / raengmyŏn(MR式) |
冷麺(れいめん)とは、朝鮮半島由来の冷製麺料理。朝鮮語では냉면(ネンミョン、韓国標準語)または랭면(レンミョン、北朝鮮標準語)。
朝鮮半島における冷麺
ルーツは現在の北朝鮮。韓国側には、1950年に朝鮮戦争が勃発した際、南に逃れた北朝鮮出身者を通じて普及したといわれている[1]。本来は寒い冬に暖かいオンドル部屋(温度調節がこまめに出来ないのでやや暑くなる)の中で食べる料理だったが、現在の韓国では夏の食べ物とされており、大衆食堂では日本の冷やし中華のように夏の間に提供される。
麺は蕎麦粉を主原料とし、つなぎとしてデンプンや小麦粉を入れて練り、穴の開いたシリンダー状の容器で麺状に押し出してそのまま熱湯に落として茹で、茹で上がった麺(냉면사리:ネンミョンサリと言う)をすぐに冷水で冷やす。平壌冷麺は蕎麦粉と緑豆粉が用いられ、太くて黒っぽく、嚙み切りやすい。咸興冷麺はジャガイモやトウモロコシなどのデンプンが用いられ、細くて白っぽく、嚙み切りにくい麺である[2]。麺は製麺機から押し出したままの長い状態で盛られ、本来は切らずにそのまま食べるのが良いとされるが、現在の韓国では調理用鋏で食べやすい長さに切って出す店が多い[1]。
冷麺が名物の町には平壌と咸興のほかに慶尚南道晋州市がある。1960年代以降廃れていたが、北朝鮮で1994年に発行された『朝鮮の民俗伝統』で「冷麺は北の平壌冷麺と南の晋州冷麺が第一である」と紹介され、そのことが南北交流で韓国に伝えられたことを機に2000年代に再興された[3]。現在提供されている晋州冷麺は、魚介ダシのスープ、弾力のある太麺、細かく刻んだ卵焼きと牛肉チヂミを盛り付けることなどが特徴である。
このほか、葛を材料にしたチンネンミョン(칡냉면)、蕎麦粉だけで作ったメミルレンミョン(메밀냉면)、緑茶を麺に練り込んだノクチャネンミョン(綠茶冷麵、녹차냉면)など、麺や味付けの違う冷麺が食されている[1][2]。夏場の大衆食堂では、ヨルム(間引きした大根の葉)キムチを乗せたヨルムネンミョン(열무냉면)がよく出される[1]。地方によってはトトリ(ドングリ)の粉を練り込んだトトリネンミョン(도토리냉면)を出す店もある。
釜山を中心とする慶尚南道地方では、小麦粉を主原料とするミルミョン(밀면、小麦麺の意)が名物となっており、もとは北からの避難民がアメリカの援助物資を代用して平壌冷麺を再現しようとしたものといわれる[4]。冷麺から派生した料理には他に、軽食堂やファストフード店で提供されるチョルミョン(쫄면、しこしこ麺の意)があり、千切り野菜やゆで卵と甘辛ソースを絡めて食べる[5]。1970年代に仁川の製麺所で冷麺を製造中に偶然生まれたもので、冷麺よりも太く固いことが名前の由来となっている[6]。
著名な冷麺専門店に平壌の玉流館がある。韓国紙の報道によれば、平壌の冷麺の殿堂として1日に1万人が訪れるといわれ[7][8]、2000年に金大中が訪れるなど海外からの旅行客や要人が案内される著名店となっている。2007年9月に改装工事が始まり、2008年4月15日の金日成生誕日に新装開店した[9]。東亜日報の取材によれば「韓国よりも麺が1.5倍くらい太くて、麺とスープの色が黄土色」で「スープは濃い鶏肉の香りを漂わせ、あたかも參鷄湯を冷やしたような感じ」であるという[8]。一方、咸興の代表的な冷麺専門店には新興館が挙げられる[8][10]。
ソウル・合井近くのトンムパプサンでは玉流館で修行経験がある脱北者のオーナーが平壌冷麺や北朝鮮料理を提供している。2018年4月27日の板門店での南北首脳会談以降、韓国でも玉流館の冷麺が注目され同店も話題となっている[11]。
日本における冷麺
1939年(昭和14年)に神戸市長田で平壌出身の張模蘭と全永淑が開業した「元祖 平壌冷麺屋」[12][13]が日本で朝鮮半島式の冷麺を提供する現存最古の店である。現在、日本の多くの焼肉店で定番メニューとして提供されている。日本人の口に合うようアレンジされた冷麺も各地にあり、代表的なものに岩手県盛岡市の盛岡冷麺と大分県別府市の別府冷麺が挙げられる。
盛岡冷麺は咸興出身の在日朝鮮人1世である青木輝人(朝鮮名:楊龍哲)が1954年(昭和29年)5月に開業した「食道園」が発祥で、1987年(昭和62年)に「ぴょんぴょん舎」を開業した在日2世の邊龍雄らが「盛岡冷麺」というブランド名を確立させた。小麦粉を主材料とする透明感のある太麺が特徴である。盛岡冷麺の生麺は「さぬきうどん」などとともに公正取引委員会から「特産」「名産」などの表示に基準が設けられた10品目の一つにもなっている。
別府冷麺は1950年(昭和25年)頃に満州からの引揚者が開業した店が発祥とされる。和風ダシのスープが特徴で、麺は店によって太麺と中細麺の2種類ある。食堂やラーメン屋や居酒屋などでも提供されるメニューとなっており、金属製の器ではなくラーメン用の丼鉢などに盛りつけられる。
脚注
- ^ a b “韓国の麺類 その1 夏の名物冷麺”. KBS WORLD. 韓国放送公社(KBS) (2008年6月24日). 2009年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月1日閲覧。
- ^ 朝鮮語版ウィキペディアによる。
- ^ “釜山の名物料理「ミルミョン」”. プサンナビ (2004年8月12日). 2010年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月1日閲覧。
- ^ “チョルミョン”. ソウルナビ (2000年5月14日). 2014年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月1日閲覧。
- ^ 朝鮮語版ウィキペディア「ko:쫄면」より。
- ^ 千貴裕; 文光善 (2000年6月5日). “冷麺の殿堂―玉流館(平壌)”. 朝鮮新報 (東京・東日暮里: 朝鮮新報). オリジナルの2015年6月3日時点におけるアーカイブ。 2018年5月1日閲覧。
- ^ a b c シン・ウルジン「冷麺…同じようだが」『週刊東亜』第291号、東亜日報社、2001年7月、 オリジナルの2002年5月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ 平壌支局 (2008年4月18日). “玉流館がリニューアル 15日から営業再開”. 朝鮮新報 (東京・東日暮里: 朝鮮新報). オリジナルの2008年4月21日時点におけるアーカイブ。 2018年5月1日閲覧。
- ^ “【グルメ】ゴムのように硬い、甘酸っぱい咸興冷麺”. 中央日報 (ソウル: 中央日報). (2001年8月21日). オリジナルの2018年5月1日時点におけるアーカイブ。 2018年5月1日閲覧。
- ^ “ソウルで食べる平壌冷麺 玉流館のレシピで作られる絶品冷麺を食べてみた”. コリアワールドタイムズ. (2020年2月22日) 2020年5月4日閲覧。
- ^ 朴日粉 (2010年8月2日). “〈100年を結ぶ物語・・・人々の闘いの軌跡…①〉 元祖 平壌冷麺屋四代㊤”. korea-np.co.jp. 朝鮮新報. 2018年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月1日閲覧。
- ^ 朴日粉 (2010年8月2日). “〈100年を結ぶ物語・・・人々の闘いの軌跡…②〉 元祖 平壌冷麺屋四代㊦”. korea-np.co.jp. 朝鮮新報. 2018年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月1日閲覧。
関連項目
外部リンク
- “冷麺 メニュー説明 韓国グルメ・レストラン-ソウルナビ”. 2015年8月16日閲覧。