谷口英規
上武大学 監督 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 熊本県 |
生年月日 | 1969年7月20日(50歳) |
身長 体重 |
175 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投右打 |
ポジション | 一塁手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督
| |
この表について
|
谷口 英規(たにぐち ひでのり、1969年7月20日 - )は日本の野球選手(内野手)、野球指導者、学者。2000年から上武大学で硬式野球部の監督を務め、ビジネス情報学部スポーツマネジメント学科准教授でもある。旧名は谷口 英功。
人物・来歴[編集]
浦和学院では鈴木健と同期で、1986年夏には2年生エースとして同校初の全国大会である第68回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たす。本大会では3回戦で高津臣吾を擁する広島工を完投で、準々決勝では岡林洋一を擁する高知商を4安打完封して[1]それぞれ破り、ベスト4に進出。準決勝で水口栄二と佐野重樹を擁する松山商に敗れた。また、大会終了後には韓国遠征に参加する日本代表に選ばれている[2]。翌年も選手権大会に出場したが、初戦で伊良部秀輝を擁する尽誠学園と対戦し、7回まで無失点に抑えるも伊良部に本塁打を浴びて敗れている[3]。
高校時代はスクリューボールを決め球に持つサウスポーだったが、東洋大学で3年生の時に肩を故障して野手に転向した[4]。なお、大学の同期に桧山進次郎がいる。
大学卒業後は東芝に進み、右足を開く極端なオープンスタンスの構えを確立し、レギュラーの座を獲得した[4]。1993年にはアジア選手権の日本代表に選ばれている。同年は日本石油の補強選手として都市対抗に出場し、不振の徳永耕治に代わって一塁手を務めた。初戦から決勝戦まで5試合連続の6本塁打を放つとともに打率.524で首位打者賞を受賞し、チームの優勝に大きく貢献して橋戸賞に選ばれている[5]。また、一塁手として同年の社会人ベストナインも受賞した。翌1994年にIBAFワールドカップの日本代表に選ばれる[6]など活躍し、1995年には葛城弘樹の後を受けて主将に就任している。1998年に戦力外通告を受けて退部した[7]。
2000年1月に上武大学野球部監督に就任[7]。同年春季の関甲新学生リーグで優勝し、翌2001年春から5季連続、2006年春からは6季連続でリーグ優勝を果たすなど、同校を強豪に成長させる。また、2004年の第2回世界大学野球選手権や第33回日米大学野球では日本代表コーチを務めた。なお、2004年には全日本選手権でベスト8に入り、2009年には神宮大会で準優勝し、2013年には全日本選手権で初優勝を果たすなど、全国大会でも上位進出を果たしている。
キャリア・経歴[編集]
- 2004年、第2回世界大学野球選手権大会・第33回日米大学野球選手権大会日本代表コーチ
- 2009年、明治神宮野球大会準優勝監督
- 2013年、全日本大学野球選手権大会(第62回)優勝監督
脚注[編集]
関連項目[編集]
|
|