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*'''滅諦'''(めったい、{{lang-sa-short|nirodha satya}}, '''ニローダ・サティヤ'''、{{lang-pi-short|nirodha sacca}}, '''ニローダ・サッチャ''') - 苦は滅するという真理 |
*'''滅諦'''(めったい、{{lang-sa-short|nirodha satya}}, '''ニローダ・サティヤ'''、{{lang-pi-short|nirodha sacca}}, '''ニローダ・サッチャ''') - 苦は滅するという真理 |
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*'''道諦'''(どうたい、{{lang-sa-short|mārga satya}}, '''マールガ・サティヤ'''、{{lang-pi-short|magga sacca}}, '''マッガ・サッチャ''') - 苦を滅する道があるという真理 |
*'''道諦'''(どうたい、{{lang-sa-short|mārga satya}}, '''マールガ・サティヤ'''、{{lang-pi-short|magga sacca}}, '''マッガ・サッチャ''') - 苦を滅する道があるという真理 |
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という4つの聖(ārya, ariya)なる諦(satya, sacca)をまとめたものである。 |
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という4つの聖(ārya, ariya)なる諦(satya, sacca)をまとめたものである。{{要検証範囲|なお、[[説一切有部]]などは四聖諦を[[四沙門果]]と同義としている<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『根本説一切有部毘奈耶(義淨譯)』 (T1442_.23.0676c21: ~): 謂四沙門果 預流一來不還阿羅漢 智者謂四智 苦智集智滅智道智 及餘諸智 見者謂四聖諦見。,『阿毘達磨大毘婆沙論(義淨譯)』 (T1545_.27.0553c05: ~): 學謂預流一來不還補特伽羅 迹謂四聖諦 以無漏慧已具見四諦迹故名學見迹 阿羅漢者謂慧解脱或倶解脱。</ref>。|date=2017年5月20日 (土) 10:00 (UTC)|title=}} |
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=== 二諦(世俗諦・勝義諦) === |
=== 二諦(世俗諦・勝義諦) === |
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{{main|二諦|勝義諦}} |
{{main|二諦|勝義諦}} |
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'''二諦'''(にたい、{{lang-sa-short|satya-dvaya}}, '''サティヤ・ドヴァヤ''', {{lang-sa-short|dve satye}})<ref name="ib787">{{Cite book |和書 |author=中村元ほか |authorlink= |coauthors= |date=2002 |title=岩波仏教辞典 第二版 |publisher=岩波書店 |page=787-788 |isbn=}}</ref>とは、[[仏教]]において真諦と俗諦のこと<ref name="sb1097-1100">総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、1097-1100頁。</ref>。真諦は[[勝義諦]]や第一義諦ともいい、出世間的真理を指す<ref name="sb1097-1100" />。俗諦は世俗諦や世諦ともいい、世間的真理を指す。真諦および俗諦の意味は緒経論において種々である<ref name="sb1097-1100" />。 |
'''二諦'''(にたい、{{lang-sa-short|satya-dvaya}}, '''サティヤ・ドヴァヤ''', {{lang-sa-short|dve satye}})<ref name="ib787">{{Cite book |和書 |author=中村元ほか |authorlink= |coauthors= |date=2002 |title=岩波仏教辞典 第二版 |publisher=岩波書店 |page=787-788 |isbn=}}</ref>とは、[[仏教]]において真諦と俗諦のこと<ref name="sb1097-1100">総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、1097-1100頁。</ref>。真諦は[[勝義諦]]や第一義諦ともいい、出世間的真理を指す<ref name="sb1097-1100" />。俗諦は世俗諦や世諦ともいい、世間的真理を指す。真諦および俗諦の意味は緒経論において種々である<ref name="sb1097-1100" />。 |
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二諦は[[部派仏教]]時代から用いられた語で<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%BA%8C%E8%AB%A6&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E9%98%BF%E5%90%AB%E9%83%A8&uarsers%5B67%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 二諦(阿含部, 毘曇部)] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>、世俗諦と勝義諦を以って二諦とする記述が部派の[[論蔵]]([[毘曇部]])からみられるが<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%BA%8C%E8%AB%A6+%E4%B8%96%E4%BF%97%E8%AB%A6+%E5%8B%9D%E7%BE%A9%E8%AB%A6&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 二諦 世俗諦 勝義諦(毘曇部)] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>、解釈には諸説ある。[[三論宗]]の[[吉蔵]]は二諦に十四の異説があるとしている<ref name="sb1097-1100" />。 |
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==== 世俗諦と勝義諦 ==== |
==== 世俗諦と勝義諦 ==== |
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=== 他派の三諦 === |
=== 他派の三諦 === |
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{{独自研究範囲|四聖諦の第三という意味とは明らかに異なる用法の|date=2017年5月9日 (火) 06:37 (UTC)|title=}}三諦の語は、すでに部派仏教時代からみられ<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%B8%89%E8%AB%A6&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E9%98%BF%E5%90%AB%E9%83%A8&uarsers%5B19%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 三諦]。</ref>、その[[論]]([[アビダルマ]])では世俗(諦)や勝義(諦)の語をともなって説かれた<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%B8%96%E4%BF%97+%E5%8B%9D%E7%BE%A9+%E4%B8%89%E8%AB%A6&mode=search&uarsers%5B2%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 世俗 勝義 三諦]。</ref>。{{独自研究範囲|[[大乗仏教]]では[[密教]]などを除いて三諦の語が広く用いられ、[[般若経]]では世俗諦や勝義諦に対して、第三の諦を「実相諦」と名づけた例もみられる<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%B8%89%E8%AB%A6+%E5%AE%9F%E7%9B%B8%E8%AB%A6&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E8%88%AC%E8%8B%A5%E9%83%A8 三諦 実相諦]。</ref>。|date=2017年5月20日 (土) 10:00 (UTC)|title=}} |
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== 出典 == |
== 出典 == |
2017年5月21日 (日) 10:35時点における版
諦(たい、梵: सत्य, satya、サティヤ、巴: सच्च, sacca、サッチャ)とは、仏教及びその他のインド系宗教において、真理・真実を意味する語。[要出典]
用例
四聖諦
詳細は「四聖諦」を参照
釈迦以来の仏教教義の基本的理論として、
というものがある[1]。
これは
- 苦諦(くたい、梵: duḥkha satya, ドゥッカ・サティヤ、巴: dukkha sacca, ドゥッカ・サッチャ) - 一切は苦であるという真理
- 集諦(じったい、梵: samudaya satya, サムダヤ・サティヤ、巴: dukkha sacca, ドゥッカ・サッチャ) - 苦には原因があるという真理
- 滅諦(めったい、梵: nirodha satya, ニローダ・サティヤ、巴: nirodha sacca, ニローダ・サッチャ) - 苦は滅するという真理
- 道諦(どうたい、梵: mārga satya, マールガ・サティヤ、巴: magga sacca, マッガ・サッチャ) - 苦を滅する道があるという真理
という4つの聖(ārya, ariya)なる諦(satya, sacca)をまとめたものである。
二諦(世俗諦・勝義諦)
二諦(にたい、梵: satya-dvaya, サティヤ・ドヴァヤ, 梵: dve satye)[2]とは、仏教において真諦と俗諦のこと[3]。真諦は勝義諦や第一義諦ともいい、出世間的真理を指す[3]。俗諦は世俗諦や世諦ともいい、世間的真理を指す。真諦および俗諦の意味は緒経論において種々である[3]。
世俗諦と勝義諦
勝義諦は漢訳仏教では第一義諦と訳出、または真諦と同義とされる[4]ことがある。ただし、二諦説は中観派の主張で[5][疑問点 ]、天台宗では第一義諦は三諦のうちの中諦のことであり、中道第一義諦といって区別する[6]。
天台宗の三諦
二諦に中諦を加えた説。ただし、天台教学の二諦は世俗諦・勝義諦の呼び方をとらない。
- 空諦(くうたい) - 空観の諦
- 仮諦(けたい) - 仮観の諦
- 中諦(ちゅうたい) - 中観の諦
と区別し、三諦(さんだい)を以って三諦円融(さんだいえんゆう)、一心三観(いっしんさんがん) の調和を図る教学を確立した[7]。
他派の三諦
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