塩浜 (江東区)

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塩浜(しおはま)は、東京都江東区町名郵便番号は、135-0043。

地理[編集]

深川地域内にあたる。一丁目と二丁目があり、一丁目はおおむね旧深川浜園町、二丁目はおおむね旧深川塩崎町および東平井町の町域である。東京湾埋立一・二号地に設けられた町で、北は汐浜運河、南は汐見運河、西は豊洲運河に挟まれた立地である。江東区木場東陽古石場越中島の南、汐見運河を挟んだ枝川潮見(旧八号埋立地)の北に位置する。西は豊洲運河を挟んで豊洲、東は運河を挟んで新砂である。

一丁目は倉庫街であるが、集合住宅が増加している。二丁目には塩崎保育所、重度知的障害者施設塩浜福祉園、江東区特別養護老人ホーム塩浜ホーム、鈴木病院(救急指定)、特別養護老人ホームらん花園、江東区立らん花園在宅介護支援センターなど、福祉や医療関連の施設が集積しているほか、中央自動車学校 、集合住宅などの住居や零細工場などが存在し、東側は鉄道の敷地が多くを占める。また、三洋証券が証券バブル期に建築した当時世界最大規模といわれたディーリングセンター跡がある(現在はTISが運営するデータセンターとなっている)。一丁目と二丁目の間を三ツ目通りが貫き、その上を首都高速9号深川線が通る。一丁目より二丁目のほうが広く、二丁目は東西方向に長い。

地下をJR京葉線が通り、塩浜二丁目第二公園の南付近から地上に出て、汐見運河を渡って潮見駅へ向かう。二丁目にはJR総武本線貨物支線(越中島支線)の越中島貨物駅がある。貨物支線の終端部は二丁目7番付近にある。同駅から西には晴海方面への貨物線(詳細は越中島貨物駅の項を参照)が延びていたが、1989年(平成元年)に廃線となり、現在は一部に廃線跡がそのまま残されているほか、旧貨物用地は大規模マンション 明和地所クリオレジダンス東京や救急病院、特別養護老人ホームの敷地、駐車場等となった。豊洲との間に架かる鉄橋は2000年代に取り壊された。

また二丁目には東京地下鉄深川車両基地がある[1]。車両基地にはジェイアールバス関東東京支店が隣接している。旅客扱いをする鉄道駅は町内には存在しない。二丁目西部と枝川を結ぶ鴎橋は架け替え工事が行われ、旧橋より車線数も増えた。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、塩浜2-29-4の地点で45万1000円/m2となっている[2]

歴史[編集]

塩浜二丁目にある、越中島貨物線終端部。この先には東京都港湾局所有の引き込み線が1989年まで接続していた。終端部右側のマンションは、東京液体化成品センター東京営業所(1997年閉鎖)跡に建設されたクリオレジダンス東京(明和地所)。高架は首都高速9号深川線。左側に見える駐車場の下をJR京葉線が通る。
塩浜とその周辺地域における鉄道のおおよその位置関係。

塩浜は、住居表示実施前に存在した塩崎町と浜園町の町域に相当する。戦前深川区浜園町(のち1946年の22区制施行時に江東区深川浜園町)および同区塩崎町(同じく22区制施行時は江東区深川塩崎町)であり、両町は西に浜園町、東に塩崎町と並ぶ位置関係にあった。

地名の由来[編集]

1968年(昭和43年)4月1日住居表示実施の際、深川塩崎町の塩、深川浜園町の浜を取ったとされる。

塩浜の名前はこれ以前、1914年東京市による東京港修築工事によって設けられた埋立地の一部(現在の木場の一部)に「塩浜町」と名づけられた時にも見ることができるが、[3]、のち1931年平久町二丁目に合併される形で消え、1968年に深川塩崎町と深川浜園町(及び東平井町)が合併した際に復活した。

上記のような事情で成立した合成地名であり、特に製塩業が盛んであったという理由ではない。

交通[編集]

最寄り駅はJR京葉線越中島駅潮見駅東京メトロ東西線木場駅東京メトロ有楽町線豊洲駅である。

路線バス[編集]

都営バスが運行されている。

道路
首都高速道路・出入口

施設[編集]

公園
  • 塩浜公園
  • 塩浜一公園
  • 第二公園
  • 浜園公園
教育

脚注[編集]

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  1. ^ 地下への出入口は隣の新砂町内にある。
  2. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  3. ^ 『東京の地名由来辞典』竹内誠編(東京堂出版)176頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]