猿江
猿江 | |
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北緯35度41分10.99秒 東経139度48分50.75秒 / 北緯35.6863861度 東経139.8140972度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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地域 | 深川地域 |
人口 | |
• 合計 | 6,369人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
135-0003[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 江東 |
猿江(さるえ)は、東京都江東区の地名で、旧深川区に当たる深川地域内である。現行行政地名は猿江一丁目および猿江二丁目。郵便番号は135-0003[2]。
概要[編集]
深川地域東部の中でも数少ない江戸時代以前から陸地が広がるエリアであり、「深川猿江」の名で長く親しまれている町である。
地理[編集]
猿江恩賜公園は猿江にはなく、住吉2丁目と毛利2丁目にまたがっている。
歴史[編集]
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では地区のほとんどが甚大な被害を受けたほか、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲でも工場地帯であったため、本所区と並んで深川区はアメリカ軍の標的の中心となった場所としても知られている。
1934年(昭和9年)に、深川東町の一部、深川猿江裏町の一部、深川猿江町、深川本村町の一部、深川上大島町を合併し深川猿江町とし、1968年(昭和43年)に猿江となった。
町並みは江戸時代の長屋の町割りの名残で、細い路地が碁盤の目のように縦横に交差している。
戦前は、狭い路地に木造家屋がひしめく典型的な下町であったが、戦後の区画整理で狭い道は無くなり、最近では古い家も少なくなり、近年はマンションやアパートが立ち並ぶ住宅地になっている。
地名の由来は、1058年頃(康平)に「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の遺体がこの地に流れ着き、住民たちが祠を建て手厚く弔ったという伝説に由来する。海岸に面した漁師町だったとされ、既に江戸時代では猿江村と呼ばれていたことが当時の地図などから窺い知れる。
世帯数と人口[編集]
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
猿江一丁目 | 1,820世帯 | 3,395人 |
猿江二丁目 | 1,491世帯 | 2,974人 |
計 | 3,311世帯 | 6,369人 |
小・中学校の学区[編集]
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4][5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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猿江一丁目 | 全域 | 江東区立東川小学校 | 江東区立深川第七中学校 |
猿江二丁目 | 1~11番 | ||
その他 | 江東区立毛利小学校 |
施設[編集]
- 猿江一丁目公園
- 猿江二丁目公園
- アサヒペン東京本社
- 大和自動車交通株式会社
- FC東京深川グランド
- ライフ深川猿江店
- 島忠江東猿江店
寺社
・猿江神社
・重願寺
交通[編集]
画像一覧[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ a b “世帯と人口(毎月1日)”. 江東区 (2017年12月1日). 2017年12月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月20日閲覧。
- ^ “区立小学校の通学区域”. 江東区 (2019年4月4日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ “区立中学校の通学区域”. 江東区 (2019年4月4日). 2019年8月30日閲覧。