福住 (江東区)

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福住
—  町丁  —
福住の位置(東京23区内)
福住
福住
福住の位置
座標: 北緯35度40分32.01秒 東経139度47分34.94秒 / 北緯35.6755583度 東経139.7930389度 / 35.6755583; 139.7930389
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Koto, Tokyo.svg 江東区
地域 深川地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 2,414人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 135-0032[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 足立

福住(ふくずみ)は、東京都江東区の地名で、旧深川区にあたる深川地域内である。現行行政地名は福住一丁目及び福住二丁目。郵便番号は135-0032[2]

概要[編集]

主に商業地の面を持ち、歴史ある深川の名称を冠称し「深川福住」として親しまれている町である。現在江東区深川地域内で数少ない深川を冠称した町会名を採用している(深川福住町会)。

地理[編集]

深川地域の西部に位置する。

河川
  • 仙台堀川
    • 清澄橋
  • 大島川
    • 松永橋
    • 元木橋
    • 緑橋
    • 御船橋

歴史[編集]

かつては隅田川の河口の洲で、江戸時代に埋め立てられた。網打場(深川七場所の一。真景累ヶ淵にも登場する)、石置場、材木置場などがあったが、しだいに町屋に発展していった。集散地として米蔵が多く置かれ、荷役人夫である仲仕が多く住んでいた。現在も町域内には倉庫が多い。江戸時代中期の儒学者政治家である新井白石が引退後、福住一丁目9番の辺り(当時、深川一色町)に妻と共に仮寓していたことがある。

福住一丁目は、1931年昭和6年)の町名地番整理の際に、伊沢町、一色町、黒江町、松村町が合併されてできた深川福住町一丁目が元となった。福住二丁目は、永堀町、大住町、東永代町、材木町が合併されてできた深川福住町二丁目が元となった。1969年(昭和44年)に新たに住居表示が施行され、現在の福住一丁目、福住二丁目となった。

地名の由来は、「既にあった深川福住町が1931年(昭和6年)の住居表示変更の際に、永代二丁目になるので、名を頂戴した」という説が有力とされる。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
福住一丁目 779世帯 1,186人
福住二丁目 614世帯 1,228人
1,393世帯 2,414人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4][5]

丁目 番地 小学校 中学校
福住一丁目 全域 江東区立明治小学校 江東区立深川第二中学校
福住二丁目 全域

施設[編集]

企業

交通[編集]

道路
首都高・出入口

行政[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 世帯と人口(毎月1日)”. 江東区 (2017年12月1日). 2017年12月20日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月20日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月20日閲覧。
  4. ^ 区立小学校の通学区域”. 江東区 (2017年4月3日). 2017年12月20日閲覧。
  5. ^ 区立中学校の通学区域”. 江東区 (2017年4月3日). 2017年12月20日閲覧。

外部リンク[編集]