南砂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本 > 東京都 > 江東区 > 南砂
再開発地域の街並み
南砂町駅前公園

南砂(みなみすな)は、東京都江東区の地名で、城東地域内である。郵便番号は、136-0076。

概要[編集]

トピレックプラザ

江戸時代から栄える主に住宅地。江東区で6つある都市核(行政商業文化などの広域的な拠点)のひとつに指定されている江東区東部の中心地である。

下町情緒・江戸情緒が残る街並みと新しい街並みが混在している。10 - 30階程度の中・高層マンションが多く、人口も約4万人と、同様に江東区内で再開発が進んでいる豊洲地区・東雲地区の合計よりも多い(2007年現在)。かつての宝六島や砂町の一部であり、江東区都市核のひとつとなっている。

地理・公園[編集]

江東区の東に位置する。亀戸新木場を南北に繋いだ線(明治通り)の中間付近にある。東に荒川を有するリバーサイドの街で東京メトロ東西線南砂町駅から大手町まで東西線で10分程である。

緑地が多く、荒川河川敷には「荒川砂町水辺公園」がある。南砂町駅東口からはトピレックプラザ複合商業施設)や区立図書館(中央館)付近まで続く「南砂三丁目公園」がある。仙台堀川を埋め立てて造られた仙台堀川公園都電軌道跡を利用した「南砂緑道公園」もある。

区東部の商業中心地[編集]

南砂町ショッピングセンターSUNAMO

南砂近辺は、区内各所および江戸川区など周辺各区から買い物客が訪れる。

このエリアで、以前から中核をなす複合商業施設トピレックプラザはジャスコドイト、オッソ(フィットネス)、ラウンドワンを核テナントとし、他に約40の専門店が集まる大型商業施設である。

再開発が進む南砂町駅の南側の新砂には南砂町ショッピングセンターSUNAMO(スナモ)が立地している(詳細は新砂参照)。SUNAMOは「いつでも何でも揃っている」「心くすぐる日常がある」をテーマに三菱地所が運営する城東地域最大の複合商業施設であり、7つの大型店を含む100以上のテナントが出店している。

SUNAMO開業後、南砂町駅構内には関連する広告が掲載されるようになり、駅利用客も増加した。2つの商業施設はどちらも駅徒歩5分圏内に立地している。

この他にも南砂にはニトリヤマダ電機オートバックスなどの大型店が点在しており江東区東部の主要な商業集積地となっている。

地域[編集]

中心地
南砂地区は、トピレックプラザや区役所出張所・区民館があるエリアが主体である。2000年にトピレックプラザが完成して以降、周辺には高層マンションが立地している。区役所南砂出張所・区民館や区立図書館の中央館の役割を果たす江東図書館もある。
南砂町駅周辺
地区内で開発途上のエリアの一つとなっている。同駅では、改修工事が進められており、出入口の変更も予定されている(南砂町駅参照)。
駅東部では再開発に伴い、病院高層マンション等が建ち始めている。バス停タクシー乗り場は東口にある。
再開発地域
駅の東に位置する。大規模高層住宅やいくつかの企業、医療センターなどがある。2008年10月にSUNAMOが完成。
西部および北部
住宅街であり超大型の商業施設はない。北部には南砂最高の建造物である「スカイシティー南砂」があり、仙台堀川公園など緑地も多い。西部の最寄駅は東陽町となる。

マンション[編集]

南砂町駅周辺に林立する高層マンション

南砂はこれまで記してきた通り、再開発により二つの大型商業施設が立地する(トピレックプラザと新砂のSUNAMO)。

  • 代表的なマンション
    • 南砂町グリーンハイツ
    • グランエスタ(東西線沿線最大規模)
    • ニューライズシティー・東京ベイハイライズ
    • クレストフォルム東京アヴァンセ
    • フェイシィア南砂町
    • スカイシティー南砂(南砂最高階数。1989年平成元年)、日本初の高層マンション火災が発生。消防防災ヘリコプターが出動した。)
    • パシフィックレジデンス南砂町
    • M-Stage・ウエスティア
    • M-Stage・イースティア
    • 南砂住宅

江東区の2007年度末の地権者への聞き取り調査などによると、2010年(平成22年)前後で新たに1300戸程度が建設されるとしている。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、南砂2-31-10の地点で46万9000円/m2となっている[1]

歴史[編集]

現行の南砂は旧・武蔵国葛飾郡宝六島の一部。後の砂村新田の全域と永代新田、平井新田の大半。南砂地区の街としての始まりは江戸初期に遡る。

地名の由来[編集]

南砂は江戸時代「宝六島」と呼ばれていたが、そこを砂村一族が開拓したことにより「砂村」という地名が付き、町制の施行とともに「砂町」となった(この際、砂村町が正しかったとの意見もある[誰によって?])。以後、東京市城東区編入後「南砂町」となり、やがてその大部分が「南砂」一丁目 - 七丁目として現在にいたる。

奈良時代[編集]

749年天平勝宝元年)、藤原鎌足の三世の孫である藤原豊成が、当時未開の地であったこの地に富賀岡八幡宮を建立したという説がある。ただし、江戸時代初期に建立されたとの説もある。

江戸時代[編集]

広重名所江戸百景』より「砂むら元はちまん」(現在の富賀岡八幡宮)。
歌川広景『江戸名所道戯尽』より 一 砂村せんき稲荷(大智稲荷大明神 / 仙気稲荷神社)。

徳川家康が江戸の開発を始めた頃、江東区はほとんどが干潟や砂州、葦原などの低湿地で陸地ではなかった。南砂には以前「宝六島」と呼ばれていた土地があった。

1657年明暦3年)、明暦の大火が発生。江戸の都市改造が進む最中の1659年万治2年)、相模国三浦郡神奈川県)から砂村新左衛門が訪れ、この地で新田開発を行った。これが砂村新田となった。これは現在の南砂一丁目~七丁目と東砂八丁目に相当する[2]。北端には、境川(現・清洲橋通り。別名を砂村川)が流れており、他の新田との境になっていた。なお、砂村新左衛門は横須賀市久里浜の内川新田や横浜市吉田新田も開発している。

1681年延宝9年)、江戸市中から出るゴミの捨て場として永代島新田と砂町新田が指定され[3]、低地の埋め立てが行われた。砂村新田は近郊農業地帯となった。砂村葱をはじめとしてナスキュウリスイカなどが盛んに促成栽培された。

また、開発の際に八幡社が勧請され、現在の富賀岡八幡宮(南砂七丁目)の前身となっている。しかしながら水道もなく、真水にひどく不自由したため、後に社は深川へと移転し(富岡八幡宮)、それ以降こちらの社は「元八幡」の通り名で呼ばれるようになった[4]洲崎からこのあたりにかけては海沿いの湿地が一面に広がり、景勝地でもあった。元八幡は並木でも有名であった。

現在では、町内でも著しく目立つ存在ではないが、「元八幡」という名が商店街や交番に残されている。ほかに、以前は仙気稲荷神社が存在したが空襲により全焼し、現在は三丁目に神社跡の碑が建つのみである。

なお南砂は『東海道四谷怪談』に「砂村隠亡堀の場」として登場する。隠亡堀は実在の掘割で、境川と横十間川の交差する岩井橋の辺りにあった。火葬場があった為、こう呼ばれた。岩井橋の由来は、お岩さんである[5]

明治時代[編集]

明治時代、南砂では海苔カキ金魚養殖が盛んに行われるようになった。江東区で活躍した金魚の養殖家としては、初代秋山吉五郎が挙げられる。秋山は砂町や浦安市[6]などで金魚の養殖を行い、シュブンキンなどの新種を作り出した。1910年(明治43年)には「明治43年の大水害」が発生し、富賀岡八幡宮の松・桜並木が全滅した。

大正・昭和時代[編集]

1917年大正6年)の「大津波」(正確には台風による高潮であり、津波とは異なる)[7]1923年(大正12年)の関東大震災では、南砂も大きな被害を受けた。1924年(大正13年)、「砂町海水浴場」が開設された。これは地元青年団主催の海水浴場で、1日に3万164人の来場があったとされる[8][9]。浅瀬が広がり潮干狩りを楽しむ事が出来た。当時、この一帯は歓楽地であり、洲崎の遊郭や洲崎球場などがあったほか、1972年昭和47年)まで城東電気軌道の路面電車が走っていた。「砂町海水浴場」は1948年(昭和23年)まで続いた。

1930年(昭和5年)、「明治43年の大水害」を教訓に荒川放水路[10]が完成し、大正時代から昭和時代には埋め立てが進んだ。この埋め立てられた地域が現在の新砂である。当時の海岸線を示す物は21世紀初頭の現在、堤防がフェンスの土台としてコミュニティー通り(海岸堤通り)に残っているだけである。砂村一族が村民に植えるように言っていた堤防の松の木は今は無い。宝六島の南砂の海はなくなってしまった。そんな最中の1934年(昭和9年)、永井荷風が散歩に訪れ、元八幡(富賀岡八幡宮)を見つけて喜んだという逸話がある[11]

その後、工場や町工場が立地するようになり工業地としての性格が強くなっていた。1929年(昭和4年)、越中島支線が開設。北砂に小名木川駅が置かれた。1931年(昭和6年)には、汽車製造平岡工場(東京製作所)が移転してきた。地盤沈下が進み問題となった。南砂二丁目は1918年(大正7年)から1980年(昭和55年)の間に4. 57m沈下したことが知られている。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では工場が狙われ、南砂も大きな被害を受けた。戦後、1949年(昭和24年)のキティ台風の高波にも襲われた。

1959年(昭和34年)、「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律(工業等制限法)」が制定され、工場等の新設・増設が制限された。また地盤沈下などの公害が深刻化し、企業の負担も増大した。1965年(昭和40年)頃から大規模な工場移転が行われた[12]

1969年(昭和44年)には、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)東西線が延伸。「南砂町駅」が開設された。公共交通機関は都電とバスしかなく「陸の孤島」と揶揄された時代から一変した。工場の跡地には団地が建てられた。汽車製造東京製作所の跡地は南砂2丁目住宅になった。南砂一丁目から六丁目の各町に都営住宅が建てられた。

平成時代[編集]

建設が進む複合商業施設SUNAMO

平成に入ると工場の地方移転が進み、高層マンションの建設が始まった。バブル景気により、スカイシティ南砂には応募が殺到した。1987年(昭和62年)、応募倍率が140倍に達した事が国会で問題となった[13]

2000年(平成12年)、城東地区最大の商業施設トピレックプラザが開業。2004年(平成16年)、清砂大橋が開通した。これに伴い「新砂土地区画整理事業」が行われ[14]、南砂町駅の南側で再開発が進んだ。永代通りの北側に大規模なマンション、南側には病院や商業施設が完成した。

沿革・年表[編集]

  • 1878年明治11年)11月:郡区町村編制法により葛飾郡のうち東京府に所属する部分が南葛飾郡となった。
  • 1889年(明治22年):市制町村制により砂村新田、亀高村、又兵衛新田、荻新田、太郎兵衛新田、中田新田、大塚新田、冶兵衛新田、八郎右衛門新田のほぼ全域と永代新田、平井新田、久左衛門新田、八右衛門新田、南本所出村のそれぞれ一部が合併され、砂村となった。
  • 1921年大正10年)7月1日:砂村は町制施行し砂町となった。
  • 1932年昭和7年):砂町は東京市に編入されて亀戸町大島町と合併し城東区となった。この時に旧・大字永代、本砂町、平井、四十町を合わせた地域を南砂町一丁目から九丁目とし、残りを北砂町一丁目から十丁目とした。
  • 1967年(昭和42年)7月1日:住居表示を施行し、南砂町一・二・三・五丁目と四・六丁目の一部に深川平井町、深川東陽町の一部を合わせて境界整理し、現行の南砂一丁目から七丁目が誕生した。南砂町六丁目の大半と七・八丁目は北砂町八丁目と合わせて東砂六丁目から八丁目となり、南砂町四丁目の大半と九丁目は新砂一丁目から三丁目となった。

伝統・史跡など[編集]

以前存在したもの[編集]

  • 長州藩下屋敷
  • 砂村新田
  • 砂町漁港
  • 砂町海水浴場
  • 富賀岡八幡宮の松・桜並木

交通[編集]

南砂町駅2b出口

鉄道[編集]

最寄り駅として東京メトロ東西線の南砂町駅と東陽町駅がある。

東西線は相互直通運転により東は津田沼駅東葉勝田台駅、西は中野駅三鷹駅まで乗り換えなしで行くことができ、日本橋駅、大手町駅(東京駅)には直結10分前後で到達する。特に南砂町駅は2000年代に入ってから東口付近の再開発などで利用者が増加している。なお、南砂町駅は快速停車駅ではないが、年々快速からの転換が図られている通勤快速が停車し、2008年3月15日改正からは平日ラッシュ時の7時~8時半過ぎまでの約1時間半の日本橋・大手町方面の快速はすべて通勤快速に統一された。

東陽町駅は時間帯に関わらず、全列車が停車する。

また、亀戸~南砂町~新木場間のLRT新線構想が存在する。

路線バス[編集]

都営バスが地域内を経由する路線を運行しており、主に都営地下鉄新宿線JR総武線へのアクセス手段となっている。また一部の系統は江東区西部や荒川を渡って江戸川区へも運行される。

道路[編集]

道路は碁盤の目のように整備されており、2004年清砂大橋が開通し、運行本数は少ないが新たなバス路線も開設された。なお計画として、新木場までの建設が確定している東京港臨海道路を延伸する計画があり、用地は既に確保されている。

施設[編集]

商業施設

公共機関

江東区役所南砂出張所・南砂区民館(改築予定)
江東区立江東図書館(中央館)
  • 江東区役所南砂出張所・南砂区民館(改築予定)
  • 江東区立江東図書館(中央館)
  • 南砂子ども家庭支援センター
  • 南砂雨水調節池
  • 城東南部保健相談所

企業

代表的な公園

大通り

医療・福祉施設

  • 南砂町駅前クリニック
  • 砂町耳鼻咽喉科
  • ベルコモン南砂
  • 藤崎病院

学校

  • 東京都立東高等学校
  • 江東区立第三砂町中学校
  • 江東区立南砂中学校
  • 江東区立第二南砂中学校
  • 江東区立第二砂町中学校
  • 江東区立深川第三中学校(2008年まで)
  • 江東区立第三砂町小学校
  • 江東区立第四砂町小学校
  • 江東区立第五砂町小学校
  • 江東区立南砂小学校

その他

脚注[編集]

  1. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  2. ^ 『江東区のあゆみ』(江東区広報広聴課発行)
  3. ^ 遠藤毅. “東京臨海部における埋立ての歴史”. 2008年9月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年7月14日閲覧。
  4. ^ 宮尾しげを 『東京 昔と今 I』 保育社〈保育社カラーブックス〉、1963年、51頁。
  5. ^ 江東区深川江戸資料館. “資料館ノート第74号 江東の掘割・川(6) 江戸近郊農漁村の掘割 -生業の場、ハナシの舞台として-”. 2011年7月3日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年7月16日閲覧。
  6. ^ 浦安市の金魚池跡の史跡表示
  7. ^ 『災害伝承情報データベース』「大正6年の大津波」”. 2008年7月16日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ 藤田清「砂町誌」(中央自治研究会、1924年)
  9. ^ 武田知大、横内憲久、岡田智秀、寶泉立夫、松本真奈美. “『平成17年度 日本大学理工学部 学術講演会論文集』「東京のウォーターフロントにおける余暇文化の変遷に関する研究 海水浴場を中心として」”. 2008年7月14日閲覧。[リンク切れ]
  10. ^ 荒川放水路改修平面図”. 2009年4月30日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年7月14日閲覧。
  11. ^ 『荷風随筆集 上』「元八まん」 ISBN 978-4003104170
  12. ^ 遠藤毅. “東京低地における工場等の分布を主体とした土地利用状況の変遷”. 2008年7月15日閲覧。[リンク切れ]
  13. ^ 参議院会議録情報 第109回国会 決算委員会 第4号”. 2008年7月20日閲覧。
  14. ^ 新砂地区に新たな複合市街地が誕生 土地区画整理事業の完了について”. 2007年8月24日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年7月18日閲覧。

外部リンク[編集]