枝川 (江東区)

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枝川
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 東京都
特別区 江東区
地域 深川地域
人口 (2016年(平成28年)1月1日現在)[1]
 - 計 9,843人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 135-0051
ナンバープレート 足立

枝川(えだかわ)は、東京都江東区の地名。現行行政地名は枝川一丁目から枝川三丁目。

地理[編集]

江東区の南部に位置し、深川地域に属する。北を汐見運河、南を東雲北運河、西を豊洲運河に挟まれた埋立地にあたる。北は江東区塩浜(旧塩崎町・浜園町)で、南は辰巳潮見である。高層住宅を中心とした住宅地であるが、埋立地であった経緯から倉庫工場も残る。町内を南北に三ツ目通りが貫き、その上を首都高速9号深川線が通る。

歴史[編集]

埋立地として出現[編集]

枝川改修工事1910年明治43年)から1923年大正12年)にかけて行われ、下記の埋立地が造成された(表記後ろの町名は現在の地名)。

  • 1号埋立地:江東区塩浜2丁目(塩崎)
  • 2号埋立地:江東区塩浜1丁目(浜園)
  • 3号埋立地:江東区古石場3丁目1番
  • 4号埋立地:江東区枝川2丁目
  • 5号埋立地:江東区枝川1丁目
  • 6号埋立地:江東区豊洲4丁目
  • 7号埋立地:江東区豊洲3丁目
  • 8号埋立地:江東区潮見1~2丁目

このうち埋立4号地・5号地は1914年大正4年)から造成が始まり、1928年昭和3年)4月に完成し、深川区に編入され、運河が枝状に縦横に走るさまから枝川町の町名が付された[2]

朝鮮部落の形成[編集]

1910年朝鮮併合以降、大量の朝鮮人が日本へ渡航して各地に集住地域が形成されたが、関東では震災の影響で形成が遅かった。東京近辺ではバラックなどに住む日本人貧民と混在して三河島千住・鶴見潮田・横浜宮川町などに形成された[3]が、東京オリンピック開催が決まり(その後の戦争開始により中止)、外国人にみっともない姿を見られるのは具合が悪いというので、一ヵ所にまとめて住ませることになり[4]、隣接地域の塩崎町とともに、まだ当時不衛生なごみの埋立地だった当地へ移住させ、治安上の理由から皇民化創氏改名が行われたという[5]戦後は当用として都立第二朝鮮人小学校(現在の東京朝鮮第二初級学校)やキリスト教会も建てられた。

枝川のコリアタウン
Edakawa Korean town in 1953 (1).JPG Edakawa Korean town in 1953 (2).JPG Edakawa Korean town in 1953 (3).JPG
アサヒグラフ』 1953年8月19日号

現在[編集]

戦後、北の洲崎(現在の東陽あたり)には大きな遊郭起源の歓楽街が復興しており、売春防止法が制定(1958年)される頃までは運河を隔てたこの地にも流れ者が入って治安が悪かった。1949年には枝川事件が発生している。

その後、海運業の倉庫が林立し、特に枝川1丁目の南部は周辺への道路が架橋されず閑散としていたが、東の越中島・塩浜、南の潮見・辰巳などへの東京都による公営住宅の建設が進み、1980年には町内2丁目と3丁目境を南北に首都高速9号深川線が通され、1988年には南東側の豊洲と辰巳に有楽町線が通ったことから交通量と周辺の人口が急増し、枝川内のコリアンタウンは一部を除き急激に縮小している。

交通[編集]

枝川への最寄り駅は東京メトロ有楽町線ゆりかもめ豊洲駅および京葉線潮見駅である。

路線バス

枝川枝川一丁目枝川二丁目枝川三丁目八枝橋停留所より都営バスが越中島通り方面と三ツ目通り方面へ運行されている。すべて深川営業所の所管である。

道路

施設[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 江東区の世帯と人口(住民基本台帳による) 江東区
  2. ^ 江東区の地名由来 江東区
  3. ^ 『朝鮮人生活状態調査』横浜市社会課、1935年
  4. ^ 『ドキュメント朝鮮人』日本読書新聞社出版部、1965年
  5. ^ 在日コリアンの歴史1‐解放前編

関連項目[編集]

外部リンク[編集]