夢の島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本 > 東京都 > 江東区 > 夢の島
夢の島の航空写真(1989年撮影)国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

夢の島(ゆめのしま)は、東京都江東区町名。現行行政地名は夢の島一丁目から夢の島三丁目。郵便番号は136-0081である。

概要[編集]

江東区の町としての「夢の島」は、人工島である東京湾埋立14号地[1]のうち、湾岸道路より北の部分を占める。夢の島公園が区域の大部分を占める。

14号地のうち湾岸道路より南は新木場一丁目から四丁目である。北は夢の島大橋新砂と繋がる。西は曙運河を挟んで辰巳、東は荒川を挟んで江戸川区臨海町である。

名称の由来[編集]

埋立当時、飛行場が建設される予定であった。戦後間もない頃には遊園地などが計画されるようになる。そのせいもあってか、当時のマスコミのうちのいくつかは「夢の島」とこの地域を呼んでいた。これが自然と定着したか、1969年(昭和44年)には正式な行政地名としてこの名が採用された。

施設・観光[編集]

地勢[編集]

夢の島地区はほとんどが公園スポーツ施設、公共施設で占められ、湾岸道路より南に隣接する新木場とは違って一般企業のオフィスや住宅はない。夢の島及び運河を隔てて西に隣接する辰巳は非常に緑地が多く、特に夢の島公園は東京都内有数の緑地面積を誇り、海に浮かぶ緑の島の様相を呈している。

東京港へも近く、夢の島のすぐ側にある首都高速湾岸線JR京葉線千葉県浦安市船橋市千葉市方面へも直結している。りんかい線新木場駅もあるので、品川台場へのアクセスも近い。また、夢の島大橋を隔てて深川下町地区も近い。

地区の西寄りを南北に明治通りが通り、通りの西側には夢の島競技場、夢の島運動広場がある。明治通りの東側は大部分が夢の島公園で、園内には東京スポーツ文化館、東京都立第五福竜丸展示館夢の島熱帯植物館があり、地区の東端近くには新江東清掃工場、夢の島マリーナ、少年野球場などがある。周辺の埋立地には倉庫工場が立ち並び、東雲豊洲潮見などの高層マンション街・ビジネス街もある。

歴史[編集]

昭和40年に夢の島で発生したハエの大群により、江東区南砂町小学校ではハエ取りが放課後の日課となった。

戦前1939年昭和14年)、東京湾に飛行場建設のために埋め立てられ始めたのが始まりである。飛行場が完成することなく2年後の1941年(昭和16年)には資材不足で工事は中止され、しばらくの間は海水浴場として賑わっていた。

1950年代、東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。それ以降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。なお、埋め立て中の1961年(昭和36年)7月23日に埋立地北部から出火、消防挺3隻での消火活動も及ばず2週間に渡り燃え続け、4万平方メートルが焼失している[2]。これは当時の総面積の約40パーセントに相当した[2]

1965年(昭和40年)7月16日、夢の島で発生したハエの大群が強い南風にのって、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し、大きな被害をもたらした。都と区による懸命な消毒作業が行われるが、抜本的な解決にはならず、警察、消防、自衛隊らの協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行される。

埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、東京都立夢の島公園が開園。整備が進み、「ゴミの島」という雰囲気を感じさせることはなくなっていった。

現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わっており、京葉線の開通などにより身近な人気スポットとして親しまれている。

正式に江東区の町名となったのは1975年(昭和50年)3月1日である。当時は「丁目」の設定がなかったが、2009年平成21年)11月1日住居表示が実施され、夢の島一・二・三丁目となった。

夢の島の名を引き継いだ島[編集]

本来の夢の島は旧14号地だが、ゴミ処分場として有名になったため、その後のゴミ埋立地も「夢の島」と呼ぶことがある[3]

脚注[編集]

  1. ^ 1つ前に当たる東京湾埋立13号地は、西にある台場
  2. ^ a b 昭和災害史事典、P.13
  3. ^ 回答1-1 埋立処分場とは夢の島のこと? 東京都環境局

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度38分56秒 東経139度49分48秒 / 北緯35.64889度 東経139.83000度 / 35.64889; 139.83000