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五百大願経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

五百大願経』上下二卷(具名『釋迦如來五百大願經』)は、京都高山寺に伝わる写本[1]が知られている。末尾に「比丘尼明行上下書寫日數五十日也」とある。この経典は『悲華經[2]に言及される釈迦如来「五百の大願」の記述に基づき、『悲華経』の文を援用しながら、五百箇条の願を創作し、経典形式をとって、平安時代末期に日本で撰述された偽経である[3]

京都高山寺に伝わる古写本『釈迦如来五百大願経』上下二卷本とは、帙の裏面に貼付されている智満法主による識語[4]によれば、承久三年(1221年)六月、濃州(美濃国)洲股(スノマタ)の戦で戦死した検非違使 山田重忠の妻で、夫の死後、明恵上人の導きにより仏門に入った明行尼[5]によって書写されたものとなっている。奥書には、「舎利を御前に於いて、一字書く毎に香華を供養、礼拝し、血を墨に刺滴たらせ和し、1237年3月22日から5月26日午時まで50日かけて上下巻を書写し終えた。心中本願応に佛智有る也、比丘尼明行。上下書写日数五十日也。[6]」と記されている。

『釈迦如来五百大願経』の内容[編集]

上巻の標題に、『悲華經』の第六・七・八巻から抽出し、上下二巻と為したとある[7]、 その梗概は、釈迦如來が過去世に宝海梵志だった時、宝蔵仏の前で五百の大誓願を起こし、菩薩道を行じて悪世に成仏したことを説く『悲華經』十卷の中、第六卷から第八卷に亘る部分を抜粋、増補改変して作り上げたものである。即ち『悲華経』第七卷の滅後利益を明す部分の末尾には、「五百の誓願を作し己る」と記されている[8]が、その誓願が文字通り五百箇箇条ではなく、「多くの」という意味の比喩的表現である。それに対し、この写本(高山寺本)では、諸誓願をベースに五百箇条に区切り、各箇箇条の前後に「我れ未来に菩薩道を行ぜん時[9]……若し爾らずんば正覚を成ぜず[10]」等と誓願文形式の箇条書とし、更に記述内容の足りない所は、他の経文から転用補充、或は前後の文意が通じるように、文字通り五百箇条になるように構成したものとなっている[11]

『釈迦如来五百大願経』撰述時期[編集]

撰述について成田貞寛は、造顯当初からの解脱上人の関与を示唆している。峰定寺所藏、木造釈迦如来立像の胎内納入文書の中、阿彌陀佛の樹葉墨書結縁文に、「本師釋迦牟尼如來の五百の大願、一々に成就するが如くせん」と記されており、納入文書の日付が[[[正治]]元年(1199年)六月十日となっていることから、この時既に五百箇条の大願経として成立していたと推測している。[12]。また寳海梵志の誓願という『悲華經』の記述をもとに五百箇条の誓願が創出され、それに『悲華經』という同じ名称を付された経典が、『覺禪鈔[13]』に引用されているので、遅くとも平安末期には作られていたと推定している。

異本について[編集]

愛知県七寺所蔵一切経の中に、平安末期に書写された『釈迦牟尼如来五百本願功徳法門経巻下』という端本があり、これは高山寺本『釈迦如来五百大願経』の異本である[14]石川力山『釈迦信仰と道元禅』印度學佛教學研究 1995年 44巻 1号 p. 229-234 [1] p.232-233 </ref>。

注・出典[編集]

  1. ^ 成田貞寛*「高山寺所藏『釋迦如來五百大願經』の研究」 印度學佛教學研究 1979年 通号7 p.1-71 pdf 、*ナリタテイカン 1911年生(元佛教大學教授、元善法寺(ゼンホウジ)住職、没年不明)。明行(ミョウギョウ)尼による行書漢文体の写本を翻刻し、前段に1965年発表論文『釋迦如來五百大願経の成立』の補正版を収録したもの。
  2. ^ SATデータベース T0157_.03.0167a05 - 0233c08 悲華經 十卷 北涼天竺三藏曇無讖
  3. ^ 蓑輪顕量『日本撰述の偽経について』東アジア仏教学術論集 巻8 p.45-71 発行日2020-02 pdf p.45
  4. ^ 智満は京都小野随心院の明治時代の門跡であり、この識語の出所は不詳。
  5. ^ 奥田勲『善妙寺の尼僧―明行・諷誦分をめぐって―』聖心女子大学論叢 巻92 p.157-177 1999-02-15 pdf p.166
  6. ^ 嘉禎三年(1237年)從三月廿二日始、於舎利御前毎字香華供養、以一字一禮儀、刺血和墨同五月廿六日午時許書寫畢。心中本願應有佛智也。比丘尼明行。上下書寫日数五十日也。」
  7. ^ 釋迦如來五百大願*巻上 出悲華經第六七八録爲二卷(*經の字はない)
  8. ^ 「佛告寂意菩薩。善男子。爾時寶海梵志。在寶藏佛所諸天大衆人非人前。尋得成就大悲之心廣大無量。作五百誓願已。」(SATデータベース T0157_.03.0212b28 - .0212c01)
  9. ^ 我未來行菩薩道時(第一願)
  10. ^ 若不爾者不成正覺(第一願)
  11. ^ 成田貞寛「高山寺所藏『釋迦如來五百大願經』の研究」p.2
  12. ^ 「高山寺所藏『釋迦如來五百大願經』の研究」p.4
  13. ^ 建暦三年(1213年)頃成立。
  14. ^ 牧田諦亮(監修) 落合俊典(編)『七寺古逸経典研究叢書 第五巻』中国日本撰述経典(其之五)・撰述書 大東出版社 2000年 に収録 、ISBN 978-4-500-00606-9