ピーター・ガブリエル
ピーター・ガブリエル Peter Gabriel | |
---|---|
![]() | |
基本情報 | |
出生名 | Peter Brian Gabriel |
生誕 | 1950年2月13日(72歳) |
出身地 |
![]() |
ジャンル |
ロック プログレッシブ・ロック |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル、キーボード、ピアノ、フルート |
活動期間 | 1960年代中期 - |
レーベル |
カリスマ・レコード ヴァージン・レコード リアル・ワールド・レコード アトランティック・レコード ゲフィン・レコード |
共同作業者 |
ジェネシス ロバート・フリップ トニー・レヴィン ケイト・ブッシュ ユッスー・ンドゥール |
公式サイト |
PeterGabriel.com (署名) ![]() |
ピーター・ブライアン・ガブリエル(Peter Brian Gabriel、1950年2月13日 - )は、イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター。
世界的ロック・バンド「ジェネシス」の初代ボーカリストとして名を馳せ、ソロ転向後も大きな成功を収めた。
「グラミー賞」6冠。2010年にジェネシス名義、および2014年にソロ名義で「ロックの殿堂」入り。
人物[編集]
1970年代にはプログレッシブ・ロック・バンド「ジェネシス」のボーカリストとしてライブに劇場的効果を導入し、奇抜なファッション(衣装やメイク)でのパフォーマンスで一躍有名となる。ソロ活動を開始してからはワールドミュージックの普及に精力を尽くすとともに、自らの音楽にも大胆に取り入れてきた。また、技術革新を生かした創作活動にも積極的に取り組んでいる[1]。
かなりの寡作家としても知られており、1990年代以降はアルバム発表のインターバルが長くなっている。サウンドトラック等の企画盤の制作依頼や、様々なイベント参加もその要因である。一方、ジェネシス再結成の噂は幾度となく取り沙汰されてきたが、2006年に発表された再結成ツアーには不参加となった。
日本における音源リリースの名義表記は(ジェネシス時代から)一貫して本項表題の「ピーター・ガブリエル」で、日本独自の「ピーガブ」という省略呼称を使うファンも存在するほど浸透している[要出典]が、ピーター・バラカンはかつてコラムを連載していた『FM Fan』誌上で「原音はガブリエルではなくゲイブリエルのほうが近いのだから、表記もそうするべき」と提言[要出典]。同誌はそれ以降、休刊まで表記を「ゲイブリエル」で統一した[要出典]。また、これ以降、他の音楽雑誌で特集が組まれる際も「ピーター・ゲイブリエル」と表記されるケースが増えた。本人も「日本でのみガブリエルと呼ばれている」と苦笑している[要出典]。
来歴[編集]
幼少期からデビューまで[編集]
イングランド・サリー州ウォキング近郊のチョバム(英語: Chobham)で、発明好きの電気技師の父ラルフと音楽家の家系の母エディス(旧姓アレン)の元に生まれた。サリーに農場を持つなど比較的裕福であった一家は、ガブリエルをパブリックスクール(名門私立学校)であるチャーターハウス・スクールに入れ寄宿舎生活を送らせたが、そこでの旧式で厳格な生活様式はガブリエルにとって意に染まないものであった[2]。ガブリエルは最も好きな映画のひとつとして、パブリックスクール内での陰湿なハラスメント・暴力の横行とそれへの反抗とを描いたリンゼイ・アンダーソン監督の映画『If もしも....』(1968年)を挙げている。
ドラムを叩くことに精神的活路を見出した彼は、いくつかのバンドを経て、1967年にチャーターハウスの仲間であるアンソニー・フィリップス、マイク・ラザフォード、トニー・バンクス、クリス・スチュワートと共にロック・バンド、ジェネシス(Genesis)を結成する。ガブリエルは、後にフィル・コリンズやスティーヴ・ハケット等が在籍することになるバンドのボーカリストとして中心的な役割を果たした。
ジェネシス在籍時[編集]
1969年、10代にしてプロ・デビューを果たしたジェネシスは、2作目のアルバム『侵入』(1970年)以降、当時隆盛期を迎えつつあったプログレッシブ・ロックの有力バンドの一つとしてヨーロッパ諸国で名声を得ていった。
ガブリエルがジェネシスの音楽を視覚化するために、1972年発表のアルバム『フォックストロット』の楽曲から取り入れ始めたというライブでの奇抜な衣装やメイク、そして演劇性を取り入れたステージングは大きな注目を集めた。ジェネシスのフロントマンとしてバンドの主導権を握っていくが、あまりに強烈な個性のため、他のメンバーはあまり快くは思っていなかった[要出典]。
1974年発表のアルバム『眩惑のブロードウェイ』に至っては、ガブリエルが全面的に主導権を握り[要出典]、ストーリー性の高い難解な[要出典]コンセプト・アルバムを作り出している。
ソロ・キャリア[編集]
1975年、音楽性及びプライベートな理由(結婚や妻の出産など)でグループを脱退し、音楽活動を一時休止。その後、1977年にソロ・アーティストとして活動を再開した。ソロ・アルバムはロバート・フリップやトニー・レヴィン、ケイト・ブッシュ等の参加もあり、作品を重ねるごとにジェネシス色を払拭していった。
『ピーター・ガブリエル III』(1980年)や『ピーター・ガブリエル IV』(1982年)といったアルバムでは、当時の最新シンセサイザーや民族音楽の導入によって独自の音楽世界を構築した。特に南アフリカ共和国の民族運動家、スティーヴ・ビコのことを歌った『ピーター・ガブリエル III』収録の「ビコ」は代表曲のひとつになった。
ポップスの要素を取り入れた1986年のアルバム『So』は世界的ヒットを記録。シングル・カットされた「スレッジハンマー」は、手の込んだアニメーションのプロモーション・ビデオがMTV等で話題を呼んだことも相まって、かつて在籍していたジェネシスの「インヴィジブル・タッチ」を1位から引き摺り下ろして、1986年7月26日付のビルボード・シングルチャートで全米ナンバー1に輝いた。ピーターにとって、これが唯一の全米ナンバー1となった。
映画のサウンドトラック制作にも関わっており、1980年代には『バーディー オリジナル・サウンドトラック』(1984年)や『パッション』(1989年)などのアルバムを発表している。
1990年にはそれまでのキャリアを総括するベスト・アルバム『シェイキング・ザ・トゥリー』を発売。
1992年、6年ぶりのオリジナル・アルバム『Us』を発表。『Us』発表後に行われた1993年の「シークレット・ワールド・ツアー」では、劇作家・俳優・映画監督のロベール・ルパージュを演出に起用し、テクノロジーと演劇性が融合したステージを披露した。また、初の来日公演[要出典]を日本武道館で行っている。そのツアーの模様はライブ・アルバムやビデオ(現在はDVD版)で発売されている。
2000年にはイベントのサウンドトラック・アルバム『OVO』、2002年には映画『裸足の1500マイル』のサウンドトラック『LONG WALK HOME』を制作している。
2002年に久々の新作『Up』を発表。その後、2本のワールドツアー「グローイング・アップ・ツアー」と「スティル・グローイング・アップ・ツアー」を開催している。
2006年のトリノオリンピックの開会式では、オノ・ヨーコのスピーチを引き継いでジョン・レノンの「イマジン」を披露した。
2008年、アニメ映画『ウォーリー』の主題歌「ダウン・トゥ・アース」を発表。第66回ゴールデングローブ賞主題歌賞と第81回アカデミー賞歌曲賞にノミネートされ、第51回グラミー賞では最優秀歌曲賞(映画・テレビ部門)を受賞した。
2010年、ジェネシス名義で「ロックの殿堂」入り。8年ぶりのスタジオ・アルバムとなるカバー・アルバム『スクラッチ・マイ・バック』をリリース[3]。
2011年、自身の楽曲にオーケストラ・アレンジを施したセルフカバー集『ニュー・ブラッド』をリリース[4]。
スティングと共演(2016年)
私生活[編集]
1971年、21歳のとき、ウルヴァーコートのムーア男爵フィリップ・ムーア(英語: Philip Moore, Baron Moore of Wolvercote)の娘ジル (Jill) と結婚し、2人の娘アンナ=マリー (Anna-Marie) とメラニー (Melanie) をもうけた。メラニーはミュージシャンとなり、2002年より父親のバックボーカリストも務めている。ジルとの結婚生活は思わしくなく、1987年に離婚に至った。女優ロザンナ・アークエット、歌手シネイド・オコナーなどとの交際の後[6]、2002年にメイブ・フリン (Meabh Flynn) と再婚した。メイブとの間にアイザック・ラルフ (Isaac Ralph) とリュック (Luc) の2人の息子がいる。
多方面への活動展開[編集]
ワールドミュージックに傾倒していることでも知られ、1982年以来、「ウォーマッド」(WOMAD, World of Music, Arts and Dance)フェスティバルを主宰し、ワールドミュージックの普及に貢献している。初回こそ商業的に大失敗して大赤字を出したが、現在では、世界最大規模のワールドミュージック・フェスティバルとして知られている[7]。
さらにウィルトシャー州ボックスにリアル・ワールド・スタジオを建設すると共に、1988年にはワールドミュージックのレーベル、リアル・ワールド・レコードを立ち上げている。これらの活動によって、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ユッスー・ンドゥール等のアジアやアフリカの多くのミュージシャンをヨーロッパ世界に紹介するのに大きな役割を果たした。
また、音楽の他にもメディアアートなど最新の技術を取り入れた創作活動に興味を持っていたガブリエルは、プロモーション・ビデオ製作にも積極的で、そこに曲の宣伝目的以上の芸術的価値を見出していた。とりわけコマ取り[要出典]のアニメーションを多用して作られた前述の「スレッジハンマー」(スティーヴン・ジョンソン監督)のプロモーション・ビデオは大きな評判を呼び、1987年のMTVミュージック・ビデオ・アワーズのベストビデオに選ばれている。同じ年には、メディアアートの世界的祭典であるアルス・エレクトロニカにおいてコンピュータ・ミュージック部門で最初のゴールデン・ニカ賞(グランプリ)を受賞している。
1993年にはCD-ROMとして公開されたマルチメディア作品『エクスプローラ1』を、1996年には『イヴ』を発表した。その他にも、いち早くオンデマンドの音楽配信会社「OD2」の設立に加わったり、iTunesでプレイリストを自動作成するためのアプリケーション「The Filter」の開発に携わるなど、新しい技術にも率先して関わり続けている。
人権活動にも積極的に携わっており、1980年代にはアムネスティ・インターナショナル支援のいくつかのコンサートに率先して参加したほか、1992年にはビデオと通信メディアを利用して人権侵害を監視しようというWITNESSプロジェクトをリーボック人権基金と共に設立している。2004年には、デジタル時代におけるミュージシャンの立場を守るための組合『MUDDA』をブライアン・イーノと共に立ち上げている。
政治的活動にも積極的であり、1992年、血の日曜日事件20周年に際しては犠牲者の無実の承認や責任者の追求などを求め、労働党国会議員や映画監督ケン・ローチなど他の左派の著名人とともにロンドンでの抗議デモを支持した[8]。 1997年の総選挙では、「当時のトーリー党〔=保守党〕政権を倒すことに貢献したかったので」としてトニー・ブレアが率いる労働党を支援し[9]、労働党への献金リストにも名を連ねている[10]。 しかし2003年、イラク戦争へのイギリス参戦の決定に失望し、以降はブレア政権から距離を置くようになった[11]。 2010年、ガーディアン紙はガブリエルを小選挙区制から比例代表制への移行の「筋金入りの主唱者」と紹介し[6]、2013年には旧態依然の政党政治を変革するために電子投票にこれまで以上に興味をもつようになったと表明している[11]。 2016年のイギリスの欧州連合離脱(ブレグジット)を問う投票では、イギリスの残留を支持した[12]。
2005年の選挙では、イングランド・ウェールズ緑の党候補へ楽曲のカバーを行う特別な許可を与えた[13]。 一方、2012年にアメリカの保守系ラジオショー・ホスト、リンボーが女性人権活動家サンドラ・フルーク(英語: Sandra Fluke)を攻撃したとき、自らの楽曲を使用したことを非難した[14]。
パレスチナ問題に関しては、二国家解決(パレスチナ国家承認)案を支持し、2014年にガザ地区人道支援団体支援のためのコンピレーション・アルバム『2 Unite All』に曲を寄稿した[15]。 長年に渡り論争を呼んでいる第一次世界大戦時のアルメニア人虐殺に関してはトルコ政府が組織的ジェノサイドであったことを認めるよう主張し、2020年ナゴルノ・カラバフ紛争においても、トルコのエルドアン大統領によるアゼルバイジャン支援を批判した[16]。
日本公演[編集]
ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
発売 | タイトル | 順位(英) | 順位(米) | 認定(英) | 認定(米) |
---|---|---|---|---|---|
1977年 | ピーター・ガブリエル Peter Gabriel (Car) |
7位 | 38位 | Gold | |
1978年 | ピーター・ガブリエル II Peter Gabriel (Scratch) |
10位 | 45位 | ||
1980年 | ピーター・ガブリエル III Peter Gabriel (Melt) |
1位 | 22位 | Gold | Gold |
1982年 | ピーター・ガブリエル IV Peter Gabriel (Security) |
6位 | 28位 | Gold | Gold |
1986年 | So So |
1位 | 2位 | 3× Platinum | 5× Platinum |
1992年 | Us Us |
2位 | 2位 | Platinum | Platinum |
2002年 | Up Up |
11位 | 9位 | Silver | |
2010年 | スクラッチ・マイ・バック Scratch My Back |
12位 | 26位 | ||
2011年 | ニュー・ブラッド New Blood |
22位 | 30位 |
ライブ・アルバム[編集]
発売 | タイトル | 順位(英) | 順位(米) | 認定(英) | 認定(米) |
---|---|---|---|---|---|
1983年 | プレイズ・ライヴ Plays Live |
8位 | 44位 | ||
1994年 | シークレット・ワールド・ライヴ Secret World Live |
10位 | 23位 | Silver | Gold |
2012年 | ライヴ・ブラッド Live Blood |
195位 | - |
コンピレーション・アルバム[編集]
発売 | タイトル | 順位(英) | 順位(米) | 認定(英) | 認定(米) |
---|---|---|---|---|---|
1990年 | シェイキング・ザ・トゥリー Shaking the Tree: Sixteen Golden Greats |
11位 | 48位 | 2× Platinum | 2× Platinum |
2003年 | HIT Hit |
29位 | 100位 | Gold | |
2019年 | Rated PG | ||||
2019年 | Flotsam and Jetsam |
サウンドトラック[編集]
発売 | タイトル | 順位(英) | 順位(米) | 認定(英) | 認定(米) | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1984年 | バーディー オリジナル・サウンドトラック Birdy |
51位 | 162位 | アラン・パーカー監督の同名映画『バーディ』のサントラ盤。これまでの発表曲のインスト・バージョンが収録されている。 | ||
1989年 | パッション Passion |
29位 | 60位 | Gold | マーティン・スコセッシ監督の映画『最後の誘惑』のサントラ盤。リアル・ワールド・レーベルの第1作となった。 | |
2000年 | OVO OVO |
24位 | - | 2000年にロンドンのミレニアム・ドームで行われたショーのサントラ盤。 | ||
2002年 | LONG WALK HOME Long Walk Home: Music from the Rabbit-Proof Fence |
- | - | フィリップ・ノイス監督の映画『裸足の1500マイル』のサントラ盤。 |
映像作品[編集]
発売 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1987年 | CV CV |
『So』の楽曲を中心としたプロモーション・ビデオ集。 |
1990年 | POV POV |
1987年の『So』ツアーの模様を収録したビデオ作品。未DVD化。 |
1994年 | シークレット・ワールド・ライヴ Secret World Live |
1992年 - 1993年に開催された「Secret World Tour」の模様を収録。 |
2003年 | グローイング・アップ・ライヴ Growing Up Live |
2002年 - 2003年に開催された「Growing Up Tour」の模様を収録。 |
2004年 | プレイ・ザ・ビデオ Play |
プロモーション・ビデオ集。 |
2005年 | ア・ファミリー・ポートレイト A Family Portrait - A Film By Anna Gabriel |
|
2005年 | スティル・グローイング・アップ - ライヴ & アンラップト Still Growing Up: Live & Unwrapped |
|
2011年 | ニュー・ブラッド - ライヴ・イン・ロンドン New Blood: Live in London |
2010年に開催された「New Blood Tour」の模様を収録。 |
2013年 | ライヴ・イン・アテネ1987 Live in Athens 1987 |
『POV』の増補盤。『So』発売翌年、1987年に開催されたツアーの模様を収録。 |
2014年 | Back to Front: Live in London | 2013年10月21日、22日、「Back to Front Tour」からロンドンにあるThe O2でのライブの模様を収録。 |
ジェネシス[編集]
- 『創世記』 - From Genesis to Revelation (1969年)
- 『侵入』 - Trespass (1970年)
- 『怪奇骨董音楽箱』 - Nursery Cryme (1971年)
- 『フォックストロット』 - Foxtrot (1972年)
- 『月影の騎士』 - Selling England By The Pound (1973年)
- 『ライヴ』 - Genesis Live (1973年)
- 『眩惑のブロードウェイ』 - The Lamb Lies Down On Broadway (1974年)
関連人物[編集]
- フィル・コリンズ
- トニー・バンクス (ミュージシャン)
- マイク・ラザフォード
- ロバート・フリップ
- トニー・レヴィン
- デヴィッド・ローズ (ギタリスト)
- ケイト・ブッシュ
- ヒプノシス
- ポーラ・コール
- セキュリティ・プロジェクト
脚注[編集]
- ^ “今夜、触れてほしいジェネシスの世界”. TAPthePOP (2016年1月25日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ スペンサー・ブライト 著、岡山徹 訳 『ピーター・ガブリエル(正伝)』音楽之友社、1998年。ISBN 9784276234789。
- ^ “ピーター・ガブリエル「ジェネシス衣装はボロボロ」”. CDjournal (2010年2月10日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ “ピーター・ガブリエル、「新たな次元が曲にもたらされたんだ」”. BARKS (2011年10月13日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ “ピーター・ガブリエル「ジェネシス衣装はボロボロ」”. BARKS (2014年3月4日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ a b Rogers Jude (2010年6月2日). “Peter Gabriel: ‘It doesn't have anything to do with witchcraft!’”. the Guardian
- ^ Lynskey, Dorian (2012年6月26日). “Peter Gabriel on 30 years of Womad — and mixing music with politics”. Guardian 2021年10月6日閲覧。
- ^ “Launch of the BSI”. Museum of Free Derry. 2021年10月7日閲覧。
- ^ Matthews, Jenny (2005年4月21日). “Who's backing whom at the election?”. BBC
- ^ “UK Politics: ‘Luvvies’ for Labour”. BBC. (1998年8月30日)
- ^ a b Doran, John (2011年9月19日). “An Invasion Of Privacy: Peter Gabriel Interviewed”
- ^ “So — In or Out?”. petergabriel.com (2016年6月22日). 2021年10月8日閲覧。
- ^ “Green candidate sings for votes”. BBC. (2005年4月29日)
- ^ “Peter Gabriel Pulls Music From ‘Rush Limbaugh Show’”. Rolling Stone. (2021年3月5日)
- ^ MacNeil, Jason (2014年11月12日). “Peter Gabriel Slams Israeli Occupation, Contributes Song To Gaza Benefit Album”. HuffPost
- ^ Gabriel, Peter, 292910949759の投稿(10158463210534760) - Facebook