コンテンツにスキップ

「マドンナの歌手活動の歴史」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
4real4real (会話 | 投稿記録)
4real4real (会話 | 投稿記録)
出典の追加など
1行目: 1行目:
{{複数の問題|存命人物の出典明記=2014年4月|独自研究=2014年4月|観点=2014年4月|正確性=2014年4月}}'''マドンナの歌手活動の歴史'''(マドンナのかしゅかつどうのれきし)は、[[アメリカ合衆国]]の[[歌手]]である'''[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]'''の歌手としての活動の歴史である。
'''マドンナの歌手活動の歴史'''(マドンナのかしゅかつどうのれきし)は、[[アメリカ合衆国]]の[[歌手]]である'''[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]'''の歌手としての活動の歴史である。


== 1982年 - 1985年: ソロ・デビューからライク・ア・ヴァージン ==
== 1982年 - 1985年: ソロ・デビューからライク・ア・ヴァージン ==
[[1982年]]、DJのマーク・ケイミンの仲介で、[[ワーナー・ブラザース・レコード|ワーナーブラザーズ・レコード]]傘下の[[サイアー・レコード]]と契約。その契約内容5000ドルとごとの印税に出版料として1000ドルを支払うというもの。 そして10月[[シングル]]「エヴリバディ」で歌手デビュー。[[ビルボード]]ダンス・クラブ・チャートで最高3位に登るヒットる。 続く「フィジカル・アトラクション」も[[ューヨーク]]のクラブでヒット。なお、メジャーデビュー前の楽曲は『Early Years』などのタイトルで非公式に発売されている
[[1982年]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]のマーク・ケイミンの仲介で、[[ワーナー・ブラザース・レコード]]傘下の[[サイアー・レコード]]と契約し{{Refnest|group="注"|当時の契約は5000ドルと曲の印税収入だった。また、この契約は作品の出版料としてレコード会社に1000ドルを支払うという内容含まれいた<ref>{{cite web|url=http://www.tv-asahi.co.jp/ss/195/special/top.html|title=SmaSTATION特別企画『マドンナ伝説 vol.1』|publisher=[[テレビ朝日]]|accessdate=2016-7-28}}</ref>。}}、同年10月[[シングル]]「エヴリバディ」で歌手デビュー<ref>{{cite web|url=http://wmg.jp/artist/madonna/profile.html|title=マドンナ プロフィール|publisher=[[ワーナーミュージック・ジャパン]]|accessdate=2016-7-28}}</ref>「エヴリバディ」は[[ビルボード]]ダンス・チャートで3位ヒットった<ref name="bbsingles">{{cite web|url=http://www.allmusic.com/artist/madonna-p64565/charts-awards/billboard-singles|title=Madonna – Charts & Awards – Billboard Singles|publisher=[[オールミュージッ|AllMusic]]|accessdate=2016-7-28}}</ref>


[[1983年]]、デビュー・[[アルバム]]『[[バーニング・アップ]]』表される。全米で400万枚、全世界で800万枚という成功を収めた。アルバムからは計5曲がシングルカットされ、「ホリディ」、彼女の[[Billboard Hot 100|ビルボー]]初のトップ10ヒットになった「ラッキー・スター」などが発表される。「ホリディ」は[[全英シングルチャート|全英チャート]]では最高2位に登る初のトップ10ヒットになり、その後ワールドツアーで歌われる定番になった。音楽性は[[白人]]としては珍しく[[ソウルミュージック|ィスコ・ソウル]]であり後も[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]や[[リズムアンド・ブルス|R&B]]などを取り入れたり、[[ブラックミュージック]]の要素を持っている
[[1983年]]、デビュー・[[アルバム]]『[[バーニング・アップ]]』。全米で500万枚、全世界で1000万枚という成功を収めた<ref name="Cross2007">{{cite book|last=Cross|first=Mary|title=Madonna: A Biography|publisher=|year=2007|pages=29|isbn=0-313-33811-6}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.telegraph.co.uk/culture/film/starsandstories/8735201/Madonna-a-potted-history.html|title=Madonna: a potted history|work=The Daily Telegraph|date=2011-9-1|accessdate=2016-7-28}}</ref>。アルバムからは計5曲がシングルカットされ、ンナにとって初の[[全英シングルチャート|全英チャート]]トップ10ヒット曲「ホリイ」や<ref name="uk" />の[[Billboard Hot 100|全米チャート]]トップ10ヒット曲「ラッキースタなどが発表された<ref name="bbsingles" />


[[1984年]]、2ndアルバム『[[ライク・ア・ヴァージン]]』発売される。全世界で2000万枚、全11ヶ国でチャート第一位を獲得する。アルバムからの第一弾シングル「ライク・ア・ヴァージン」はメガヒットを記録する。マドンナにとって初のNo.1シングルで全米チャート6週連続No.1を記録。全世界11ヶ国でNo.1を獲得し、一躍スーパースターの仲間入りを果たした。この頃から[[ミュージック・デオ]]やステジにおけるセクシーで大胆なパフォーマンス、そして彼女の奇抜な[[ファッション]]などが社会的な反響を巻き起こした。「[[マリリンモンロー]]の再来」<ref group="">マドンナはモンローと反対側(右側)口元にほくろがあるこもモンローと比較される一因だったが、1990年代半ばにほくろを除去したとみられる。</ref>などと言われ、全世界の[[セックス・シンボル]]と呼ばれる。全米でマドンナのユニークなファッションを真似た「WannaBe's(ワナビーズ」という少女たちが急増し、社会現象り、[[PTA]]は難色を示した。しかしマドンナの人気が衰えることた。
[[1984年]]、2ndスタジオ・アルバム『[[ライク・ア・ヴァージン]]』発売。全世界で2100万枚<ref name="thenational">{{cite web|url=http://www.thenational.ae/arts-culture/music/30-years-in-the-spotlight-madonnas-highs-and-lows|title=30 years in the spotlight: Madonna's highs and lows|work=The National|date=2012-6-1|accessdate=2016-7-28}}</ref>、全11ヶ国でチャート位を獲得し、一躍大ブレイクを果たした<ref>{{Cite web|url=http://diskunion.net/black/ct/detail/RT151224-MDN-02|title=MADONNA / ライク・ア・ヴァージン|work=diskunion.net|publisher=[[ディスクユニオン]]|accessdate=2016-7-28}}</ref>。アルバムからの第一弾シングル「ライク・ア・ヴァージン」はマドンナにとって初の全米1位曲となり、6週連続1位のメガヒットを記録する<ref name="bbhits">{{Cite web|url=http://www.billboard.com/articles/list/499398/madonnas-40-biggest-billboard-hits|title=Madonna's 40 Biggest Billboard Hits|publisher=[[ビルボ]]|date=2015-8-16|accessdate=2016-7-28}}</ref>続く第二弾シングル「[[マアル]]」も全米2位を記録し<ref name="bbhits" />、物質至上主義・拝金主義的な女性という意味の楽曲名はマドンナ自身[[愛称]]った<ref>{{Cite web|url=http://www.cinemacafe.net/article/2012/10/18/14127.html|title=アーティストから職人へ!マドンナ名監督ぶりを収めたメイキング写真が到着!|work=cinemacafe.net|publisher=[[カフェグーヴ]]|date=2012-10-18|accessdate=2016-7-28}}</ref>この頃から全米でマドンナのユニークな[[ファッション]]を真似た「ウォナビーズ」(''[[:en:Madonna wannabe|Wannabe's]]'')という少女たちが急増し、社会現象る<ref name="RO69">{{cite web|url=http://ro69.jp/feat/madonna_201503|title=洋楽 マドンナはにしてポップの女王であり続けてきのか──その軌跡を追う!|work=RO69|publisher=[[ロッキング・オン]]|accessdate=2016-7-28}}</ref>


[[1985年]]1月には、アルバムのプロモーションを兼ねて初来日し、当時の人気音楽番組[[夜のヒットスタジオ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])にて「ライク・ア・ヴァージン」を披露。日本でも同曲がヒットチャト上位にラクインし 同アルバムからの第二弾シングル「[[マテリアル・ガール]]」(物質至上主義・拝金主義的な女性という意味)はマドンナ自身の代名詞ともなったが、彼女自身の人間性を表したものではない。非道徳的・反社会的な存在と見られがちだったが、社会貢献活動(特に後の[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]への啓蒙活動など)に関心を持ち始める同年7月、[[ライヴエイド]]」にアリカ・[[フィラデルフィア]]の[[ジョン・F・ケネディ・スタジアム|JFKスタジアム]]から出演、「ホリディ」、「イントゥ・ザ・グルーヴ」、この為に書かれ「ラヴ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・アラウンド」の3曲を歌唱した。この年、[[アメリカ合衆国の映画|映画]]『[[ビジョン・クエスト/青春の賭け]]』にクラブの歌手として[[カメオ出演]]、そして演映画『[[マドンナのスーザンを探して]]』公開された。これらの映画からは、[[バラード]]として初の全米No.1シングルとなった「[[クレイジー・フォー・ユー (マドンナの曲)|クレイジー・フォー・ユー]]」と、全英No.1となった「イントゥ・ザ・グルーヴ」がそれぞれ生まれている。[[8月16日]]、マドンナ27歳の誕生日に俳優の[[ショーン・ペン]]と結婚する。同年、雑誌『[[PLAYBOY]]』に1979~80年にニューヨークで撮影されたといわれているモデル時代のヌード写真が掲載された。
[[1985年]]1月、アルバム『ライク・ア・ヴァージン』のプロモショで初来日を果す<ref>{{Cite web|url=http://www.hmv.co.jp/artist_Madonna_000000000001478/biography/media_all/|title=Madonna (マドンナ) プロフィール|work=ローチケHMV|accessdate=2016-7-28}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://madonnaunderground.com/madonna-live/album-promo/like-a-virgin-promo-tour/|title=Like a Virgin Promo Tour|publisher=madonnaunderground.com|accessdate=2016-7-28}}</ref>2月、[[オ出演]]した[[アメリカ合衆国の映画|映画]]『[[ビジョン・クエスト/青春の賭け]]』が公開、そして3月には出演映画『[[マドンナのスーザンを探して]]』が相次いで公開された。これらの映画からは、自身二度目の全米1位曲「[[クレイジー・フォー・ユー (マドンナの曲)|クレイジー・フォー・ユー]]」と<ref name="bbsingles" />自身初の全英1位曲「イントゥ・ザ・グルーヴ」がそれぞれ生まれている<ref name="uk">{{cite web|url=http://www.officialcharts.com/artist/28948/madonna/|title=Madonna: Artist Discography|publisher=Official Charts Company|accessdate=2016-7-28}}</ref>。7月、『[[ライヴエイド]]』に出演し、「ホリデイ」、「イントゥ・ザ・グルーヴ」、新曲「ラヴ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・アラウンド」の3曲を歌唱した<ref>{{cite web|url=http://www.billboard.com/articles/news/6627349/madonna-live-aid-bette-midler-anniversary|title=Watch Bette Midler Introduce Madonna at Live Aid 30 Years Ago Today|publisher=ビルボード|date=2015-7-13|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[8月16日]]、27歳の誕生日に俳優の[[ショーン・ペン]]と結婚する<ref name="cinema.com">{{cite web|url=http://cinema.com/people/000/528/madonna/|title=Madonna - Details|work=Cinema.com|accessdate=2016-7-28}}</ref>。同年、雑誌『[[PLAYBOY]]』に[[1979]]頃に撮影されたモデル時代のヌード写真が掲載された<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2617185|title=無名時代のマドンナのヌード写真、2日からロンドンで展示|publisher=[[フランス通信社|AFPBB News]]|date=2009-7-2|accessdate=2016-7-28}}</ref>


== 1986年 - 1989年: トゥルー・ブルーからライク・ア・プレイヤー==
== 1986年 - 1989年: トゥルー・ブルーからライク・ア・プレイヤー ==
[[1986年]]1月、夫のショーン・ペンとの共演する映画『上海サプライズ』の制を始める。そのため[[ロンドン]]の[[ロンドン・ヒースロー空港|ヒースロー空港]]に到着した二人だが、集まった[[パパラッチ]]の騒動の中、カメラマンが夫妻の乗るリムジンにぶつけられるという珍事が起こる。3月には第12回[[ピープルズ・チョイス・アワード]]で「最も人気のある女性音楽パフォーマー」に選ばれる。4月には新アルバムからの先行シングルで、ショーン・ペン主演映画『[[ロンリー・ブラッド]]』の主題歌でもあった「リヴ・トゥ・テル」発表、6月に全米第1位に輝いた[[6月18日]]には第二弾シングル「[[パパ・ドント・プリーチ]]」発表され、当時アメリカ社会で問題になっていた10代の妊娠について書かれたこの曲は、社会政治団体を巻き込んだ論争となる。同月30日には「パパ・ドント・プリーチ」のミュージック・ビデオと共に、3rdアルバム『[[トゥルー・ブルー]]』発売される。全曲の作詞やプロデュースを担当し、高いアーティスト性を発揮し始めた。全世界28ヵ国で1位を記録する大ベストセラーなり、1988年の『[[ギネス世界記録]]』にも認定された。9月には第3回[[MTV Video Music Awards|MTV ビデオ・ミュージック・アワード]]で特別功労賞であるMTVビデオ・ヴァンガード賞を授与される。同じく9月には映画『上海サプライズ』が公開されるが、批評的そして商業的にも不発に終わる。12月には、翌年2月に全米1位に輝いた「オープン・ユア・ハート」発表され[[フランス]]の映像の奇才、ジバプィスト・モンディよる同曲のミュージック・ビデオが話題となる
[[1986年]]4月、作アルバムからの先行シングルで、夫のショーン・ペン主演映画『[[ロンリー・ブラッド]]』の主題歌でもあった「リヴ・トゥ・テル」発表。6月には第二弾シングル「[[パパ・ドント・プリーチ]]」発表、当時アメリカ社会で問題になっていた10代の妊娠について書かれたこの曲は、社会政治団体を巻き込んだ論争となる<ref name="RO69" />。同月30日には「パパ・ドント・プリーチ」のミュージック・ビデオと共に、3rdスタジオ・アルバム『[[トゥルー・ブルー]]』発売。全世界28ヵ国で1位を記録する大ベストセラーなり<ref name="thenational" />記録は『[[ギネス世界記録]]』にも認定された<ref>{{cite book|last=Bohem|first=David A.|title=Guinness Book of World Records 1990|publisher=Sterling Publications|year=1990|pages=78|isbn=0-8069-5791-3}}</ref>。9月には第3回[[MTV Video Music Awards|MTV ビデオ・ミュージック・アワード]]で特別功労賞であるMTVビデオ・ヴァンガード賞を授与される<ref>{{cite web|url=http://www.madonna.com/news/title/madonna-receives-mtv-awards-vanguard-video-award|title=Madonna receives MTV Awards' "Vanguard Video Award."|publisher=Madonna.com|accessdate=2016-7-28}}</ref>。同じく9月にはショーン・ペンと共演した映画『上海サプライズ』が公開。12月には第四弾シングル「オープン・ユア・ハート」発表全米チートでは「リヴ・トゥ・テル」、「パパ・ドント・プリチ」続く1位を獲得した<ref name="bbhits" />


[[1987年]]1月、第14回[[アメリカン・ミュージック・アワード]]で「パパ・ドント・プリーチ」が「最も人気のある女性アーティストによるビデオ」を受賞する。[[ローリング・ストーン]]誌の第11回読者投票により、最優秀女性アーティストそして最もセクシーな女性アーティストに選ばれる。3月には第13回ピープルズ・チョイス・アワードで「最も人気のある女性音楽パフォーマー」に選ばれる。4月には「フーズ・ザット・ガール・ツアー」のリハーサルが始まる。5月には「ラ・イスラ・ボニータ」が全米チャート第4位に上る。6月にはアメリカの人気番組『ジョニー・カーソン・ショー』に出演マドンナ初のトーク・ショー出演であった。そして初のワールドツアー「フーズ・ザット・ガール・ツアー」を敢行。[[6月14日]]にマドンナが日本公演のため2度目の来日を果たし、大阪に到着。2000人のファンが空港にマドンナを迎え入れる。[[大阪府警]]は「マドンナ対策会議」を設立し500人の機動隊が動員されるという大騒動になった。いわゆる「マドンナ旋風」が巻き起こった。東京の[[後楽園球場|後楽園スタジアム]]でのコンサートは台風のため中止、これに落胆したファン達が石や棒を投げ、怪我人が出るなど暴動化する騒ぎが起こった。4日間の日本公演に詰め掛けたファンは総数12万2000人。警備5400人、警察官800人など記録を作る<ref>{{cite web|url=http://www.47news.jp/news/photonews/2010/06/post_20100614080304.php|title=<あのころ>マドンナ旋風 入場者は4日間12万人 |date=1987(昭和62)年614|accessdate=2012-01-07|work=[[47NEWS]]}}</ref>。その後ツアーは全米を回り、[[ヨーロッパ]]で9月に完結する。7月には彼女主演映画の[[サウンドトラック]]である『フーズ・ザット・ガール』表される。映画は8月に発表されるが、またても不発に終わる。それとは反対にアルバムからは、全米チャート第1位に輝いたタイトル曲を含め、「コモーション」がそれぞれ大ヒットする。10には米経済誌[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]で「年間最も稼いだ女性エンターテナー」として掲載された。11月には[[リミックス]]・アルバム『[[ユー・キャン・ダンス]]』を発表。すでにこの時期にはマドンナとショーンの結婚は陰りを見せ始めており、マドンナは[[ロサンゼルス]]の最高裁判所に最初の離婚届を提出するが、この離婚届は12月にマドンナ自身によって破棄された
[[1987年]]1月、第14回[[アメリカン・ミュージック・アワード]]で「Favorite Pop/Rock Female Video Artist」を受賞する<ref>{{cite web|url=http://www.rockonthenet.com/archive/1987/amas.htm|title=14th American Music Awards|publisher=Rock On The Net|accessdate=2016-7-28}}</ref>2月、[[ローリング・ストーン]]誌の第11回読者投票により、最優秀女性アーティスト」と「最もセクシーな女性アーティストに選ばれる{{Refnest|group="注"|ローリング・ストーン誌の読者投票では、翌年以降も他の部門を含め、複数回選ばれている<ref name="Popdirt">{{cite web|url=http://popdirt.com/mariah-far-from-being-madonna/28946/|title=Mariah Carey, Far From Being Madonna|publisher=Popdirt.com|date=2004-5-12|accessdate=2016-7-28}}</ref>。}}。3月には第13回[[ピープルズ・チョイス・アワード]]で「Favorite Female Musical Performer」に選ばれる<ref name="Popdirt" />。6月、初のワールドツアー「フーズ・ザット・ガール・ツアー」日本公演のため2度目の来日を果たし、計4公演([[大阪スタヂアム|大阪]][[後楽園球場|東京]]で12万2000人を動した<ref>{{cite web|url=http://www.47news.jp/news/photonews/2010/06/post_20100614080304.php|title=<あのころ>マドンナ旋風 入場者は4日間12万人|work=[[47NEWS]]|date=2010-6-14|accessdate=2016-7-28|archiveurl=http://web.archive.org/web/20131029200911/http://www.47news.jp/news/photonews/2010/06/post_20100614080304.php|archivedate=2013-10-29}}</ref>。7月、自身の主演映画の[[サウンドトラック]]『フーズ・ザット・ガール』し、全米1位に輝いたタイトル曲「コモーション」がそれぞれ大ヒットを記録する<ref name="bbhits" />9米経済誌[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]で「年間最も稼いだ女性[[エンターテナー]]」として掲載された<ref>{{cite web|url=http://www.apnewsarchive.com/1987/Cosby-Tops-Forbes-List-of-Richest-Entertainers/id-e4012bb059db86591c24821f0a6ef0b7|title=Cosby Tops Forbes List of Richest Entertainers|work=AP News Archive|publisher=[[AP通信]]|date=1987-9-6|accessdate=2016-7-28}}</ref>。11月には[[リミックス]]・アルバム『[[ユー・キャン・ダンス]]』を発


[[1989年]]には4thスタジオ・アルバム『[[ライク・ア・プレイヤー]]』を発表する同名の[[ライク・ア・プレイヤー (マドンナの曲)|ファストシングル]]のプロモションビデオで[[十字架]]を燃やすなどの大胆な演出を用い、世界的な[[宗教]]上の議論を巻き起こした。アルバムには、交際が噂された[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]との[[デュエット]]曲も収録された同年、[[ペプシコーラ]]社との間で[[コマーャルメッセジ|コマーシャル]]出演料して6億円の契約を結ぶ
[[1989年]]、[[ペプシコーラ]]社との間で、[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]出演料として500万ドル(約4億円)の契約を結ぶ<ref>{{Cite web|url=http://www.cyzowoman.com/2010/10/post_2514.html|title=2年で16億円!ケタが違いすぎる海外セレブのCM出演料を大公開|work=サイゾーウーマン|publisher=[[サイゾー]]|date=2010-10-26|accessdate=2016-7-28}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1989/04/05/business/pepsi-cancels-madonna-ad.html|title=Pepsi Cancels Madonna Ad|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]]|date=1989-4-5|accessdate=2016-7-28}}</ref>。3月、4thスタジオ・アルバム『[[ライク・ア・プレイヤー]]』を発タイトル曲「[[ライク・ア・プレイヤー (マドンナの曲)|ライク・ア・プレイヤー]]ミュジック・ビデオで[[十字架]]を燃やすなどの大胆な演出を用い、世界的な[[宗教]]上の議論を巻き起こした<ref name="RO69" />。[[9月14日]]、シン・ペン離婚する<ref name="cinema.com" />


== 1990年 - 1994年: ブロンド・アンビション・ツアーからベッドタイム・ストーリーズ ==
== 1990年 - 1994年: ブロンド・アンビション・ツアーからベッドタイム・ストーリーズ ==
[[1990年]]3月、シングル「[[ヴォーグ (曲)|ヴォーグ]]」を発表、このミュージック・ビデオで披露された[[ヴォーギング]]が流行して600万枚以上を記録する大ヒット。4月には通算3度目のツアーである「[[Blond Ambition Tour|ブロンド・アンビション・ツアー]]」を敢行、当時完成したばかりの[[千葉マリンスタジアム]]を皮切りに4ヶ月間に渡って日本[[北アメリカ|北米]]、ヨーロッパを回る57公演を行う。[[ジャン=ポール・ゴルチエ]]による円錐形の[[ブラジャー|ブラ]]の衣装と頭頂部から下げたポニーテールの髪型、性と宗教をテーマにした演出は[[ヨハネ・パウロ2世]]を始めとする宗教団体を巻き込んだ話題と論争になった。5月、[[ウォーレン・ベイティ]]監督の映画『[[ディック・トレイシー (映画)|ディック・トレイシー]]』に出演したキャラクターを基に作られたサウンドトラック・アルバム『[[アイム・ブレスレス]]』を発表する。映画自体は6月に公開された。11月には初の[[ベスト・アルバム]]『[[ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ]]』を発売ソロ・アーティストのベスト・アルバムとしては史上最高げを記録し、今もお、世界中で3千万枚を超えングラーとなっている
[[1990年]]3月、シングル「[[ヴォーグ (曲)|ヴォーグ]]」を発表ミュージック・ビデオで披露された[[ヴォーギング]]が流行して600万枚以上を記録する大ヒットとなる<ref name="RO69" /><ref>{{cite web|url=http://today.ninemsn.com.au/travelandlifestyle/1014383/hits-from-1990|title=Hits of 1990|publisher=[[MSN]]|accessdate=2016-7-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110716170424/http://today.ninemsn.com.au/travelandlifestyle/1014383/hits-from-1990|archivedate=2011-7-16}}</ref>。4月には通算3度目のツアー「[[Blond Ambition Tour|ブロンド・アンビション・ツアー]]」を敢行、来日公演を皮切りに4ヶ月間、57公演を行った。5月、出演映画『[[ディック・トレイシー (映画)|ディック・トレイシー]]』を基に作られたサウンドトラック『[[アイム・ブレスレス]]』を発。11月には初の[[ベスト・アルバム]]『[[ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ]]』を発売し、全世界でソロ・アーティストのベスト・アルバムとしては史上最高売上る3000万枚を記録す<ref name="thenational" />。アルバムからのシングル「[[ジャスティファイ・マイ・ヴ]]」のミュジック・ビデオは、性的表現が過激と見なされ[[MTV]]史上初の放送禁止となった<ref name="RO69" />


[[1991年]]1には『ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ』からの第一弾シングル「[[ジャスティファイ・マイ・ラヴ]]」が全米1位になる。ミュジックビデでの性的表現過激と見なされ[[MTV]]史上初の放送禁止になった4[[カンヌ国際映画祭|カンヌ映画祭]]において、ブロンド・アンビション・ツアーの舞台裏から彼女の私生活までを赤裸々に綴ったアレック・ケシシアン監督の[[ドキュメンタリー]]映画『[[イン・ベッド・ウィズ・マドンナ]]』が初公開される。公開当時、ドキュメンタリー映画史上最高の世界興行記録を更新した。
[[1991年]]3[[第63回アカデミー賞]]で「スーナー・オア・レイター」[[アカデミー歌曲賞]]」を受賞<ref>{{cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1991|title=The 63rd Academy Awards|publisher=Oscars.org|accessdate=2016-7-28}}</ref>5[[第44回カンヌ国際映画祭]]において、ブロンド・アンビション・ツアーの舞台裏から彼女の私生活までを赤裸々に綴った自身初の[[ドキュメンタリー]]映画『[[イン・ベッド・ウィズ・マドンナ]]』が初上映される<ref>{{cite web|url=http://www.festival-cannes.fr/en/archives/1991/outOfCompetition.html|title=Official Selection 1991 : Out of Competition|publisher=[[カンヌ国際映画祭]]|accessdate=2016-7-28}}</ref>。公開当時、ドキュメンタリー映画史上最高の世界興行記録を更新した<ref>{{cite web|url=http://www.boxofficemojo.com/movies/?id=truthordare.htm|title=Madonna: Truth or Dare (1991)|work=[[Box Office Mojo]]||publisher=[[Amazon.com]]|accessdate=2016-7-28}}</ref>


[[1992年]]米[[タイム・ワーナー]]と当時としては破格の6千万ドルで契約。この契約により総合エンターテイメント会社「マヴェリック(Maverick)を設立、社長に就任する。10には初の著作となる『[[SEX (写真集)|SEX]]』を発表、[[スティーブンマイゼル]]による過激な性的描写の写真世界的に話題となり、国社会では論議醸す。また、5thスタジオ・アルバム『[[エロティカ (アルバム)|エロティカ]]』を同時発売。同じく性をテーマにしたアルバムだが実際に過激な内容の曲はごく一で、エイズ渦を取り上げた「イン・ディ・ライフ」はじめ社会性を意識し、精神度高い曲が多い。イメジ先行災いして売上は伸び悩んだが、日本では史上最多4度目の[[日本ゴルドディク大賞]]洋楽部門アーティスト・オブ・ザ・ヤーに輝くヒットとなった
[[1992年]]米[[タイム・ワーナー]]と当時としては破格の6000万ドルで契約し、総合エンターテイメント会社「マヴェリック」(''[[:en:Maverick (company)|Maverick]]'')を設立、社長に就任する<ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1992/04/20/arts/madonna-makes-a-60-million-deal.html|title=Madonna Makes a $60 Million Deal|publisher=ニューヨーク・タイムズ|date=1992-4-20|accessdate=2016-7-28}}</ref>7、野球選手役で出演した映画『[[プリティ・リーグ]]公開、主歌「マイ・プレイグラウンド」は自身10曲目となる全1位記録し<ref name="bbsingles" />。10月、5thスタジオ・アルバム『[[エロティカ (アルバム)|エロティカ]]』と、[[スティーブン・マイゼル]]によって撮影された自身初の写真集『[[SEX (写真集)|SEX]]』を同時発売。『SEX』は過激な的描写が物議したものの、メリカで毎週50万という驚異的なセールスを記録た<ref>{{Cite web|url=http://news.mynavi.jp/news/2012/04/26/035/|title=マドンナ超過激写真集『SEX』の未公開ヌオークションに!|work=[[マイナビニュース]]|publisher=[[マナビ]]|date=2012-4-26|accessdate=2016-7-28}}</ref>


[[1993年]]、主演を務めた映画『[[BODY/ボディ]]』と『[[スネーク・アイズ (1993年の映画)|スネーク・アイズ]]』が公開。9月から通算4度目のツアー「ザ・ガーリーショー・ツアー」を敢行し、12月の来日公演で千秋楽を迎えた。
[[1993年]]1月には主役映画『[[BODY/ボディ]]』が公開される。腹上死をテーマにした映画で、キャッチコピーは「セックスで人を殺せるか」。前年に公開された[[シャロン・ストーン]]主演の映画『[[氷の微笑]]』と内容が酷似しており、評判は最悪、興行収入も惨憺たるものだった。
4度目のワールドツアー「ザ・ガーリーショー・ツアー」を敢行。初の[[南アメリカ|南米]]ツアーも実施、アメリカやヨーロッパ以外での諸国でも公演が行なわれた。最終公演は日本で(福岡・東京)開催され、計8公演で約40万人を動員する。シングル「レイン」のミュージック・ビデオが第10回MTV ビデオ・ミュージック・アワードにて最優秀美術部門と最優秀撮影部門を受賞した。


[[1994年]]3月に放映されたトーク・ショーデヴィッド・レターマン・ショーに出演。当時メディアから批判、ジョークの的になっていたマドンナが、それらのジョークを言っていた一人あった司会者の番組で、不敬な俗語を13回も連発、世間の非難を浴びた。しかしこの一連の失敗が彼女に「脱セックスシボル」を意識させるようなる。10月は6thタジオアルバム『[[ベッドタイム・ストーリー]]』を発表プロデューサーには[[ベイビーフェイス (ミュージシャン)|ベイビーフェイス]]を起用ラード「テイク・ア・バウ」は自己最長記録となる全米チャート7週連続No.1を記録する大ヒットとなった。
[[1994年]]3月、米[[CBS]]の[[トーク番組]]『[[レイト・ショー・ウィズ・ヴィッド・レターマン]]』で[[ファック|放送禁止用]]を連発、世間の非難を浴びた<ref>{{cite web|url=http://hollywoodsnap.com/madonna-forces-dancer-to-kiss-her-foot/#x1f4441994TV038F|title=マドンナ遅刻したバックサーを無理強い!女王様ぶり特集!|publisher=hollywoodsnap|date=2015-9-24|accessdate=2016-7-28}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1994/04/02/arts/an-earful-the-public-didn-t-hear-but-guessed.html|title=An Earful The Public Didn't Hear But Guessed|publisher=ニューヨーク・タイムズ|date=1994-4-2|accessdate=2016-7-28}}</ref>10月、[[ベイビーフェイス (ミュージシャン)|ベイビーフェイス]]をプロデューサーに起用した6thスタジオ・アルム『[[ベッタイム・ストーリーズ]]』を発売。アルバムからのシングル「テイク・ア・バウ」は自己最長記録となる全米7週連続1を記録する大ヒットとなった<ref name="bbhits" />


== 1995年 - 1999年: エビータからレイ・オブ・ライト==
== 1995年 - 1999年: エビータからレイ・オブ・ライト ==
[[1995年]]、日本で[[宝酒造]]の[[焼酎]]「純」のCMに出演し、未発表曲<ref group="注">英語版ウィキペディアの[https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_unreleased_songs_recorded_by_Madonna#Something_to_Remember 未発表曲リスト]によると、曲名は「''Broken''」。</ref>が[[コマーシャルソング|CMソング]]として使用された<ref>{{cite web|url=http://www.thedailybeast.com/articles/2009/03/24/12-best-foreign-celebrity-ads.html|title=12 Best Foreign Celebrity Ads|work=The Daily Beast|date=2009-3-24|accessdate=2016-7-28}}</ref>。11月、初の[[バラード]]・ベスト・アルバム『[[ベスト・オブ・マドンナ〜バラード・コレクション]]』を発売、全世界で1000万枚を売り上げた<ref>{{cite web|url=http://www.elusivedisc.com/Madonna-Something-To-Remember-180g-LP/productinfo/WBLP96396/|title=Madonna Something To Remember 180g LP|publisher=Elusive Disc|accessdate=2016-7-28}}</ref>。
[[1995年]]、日本で[[宝酒造]]の[[焼酎]]「純」のCMに出演し、未発表曲が[[コマーシャルソング|CMソング]]として使用された。9月には第12回MTV ビデオ・ミュージック・アワードでシングル「テイク・ア・バウ」が最優秀女性ビデオを受賞。さらに、アルバム『[[ベッドタイム・ストーリーズ]]』が[[第38回グラミー賞]]にノミネートされる。11月には2枚目のベスト・アルバム『[[ベスト・オブ・マドンナ〜バラード・コレクション]]』をリリース。自己初となるバラードだけを集めた作品で、マドンナの新たなイメージを見せつけるきっかけとなった。本作品には、全米No.1を記録した「マイ・プレイグラウンド」を始め、[[マッシヴ・アタック]]と共演した[[マーヴィン・ゲイ]]のカバー曲「アイ・ウォント・ユー」、第一弾シングルになった「愛をこえて」などが収録されている。売り上げは、全世界で900万枚を記録。この時期に映画『[[エビータ (映画)|エビータ]]』のサウンドトラックを録音する。


[[1996年]][[10月14日]]、パーソナル・トレーナーのカルロス・レオンとの間に授かった第一子となる長女ローデス・マリア・チッコーネ・レオンを出産<ref>{{cite web|url=http://articles.latimes.com/1996-10-15/local/me-54133_1_madonna-gave-birth|title=Madonna Gives Birth to Daughter|publisher=[[ロサンゼルス・タイムズ]]|date=1996-10-15|accessdate=2016-7-28}}</ref>。12月、[[ミュージカル映画]]『[[エビータ (映画)|エビータ]]』が公開。劇中での85回の衣装替えは映画史上最多を記録し、『ギネス世界記録』に認定された<ref>{{cite web|url=http://www.nytimes.com/movie/review?res=9B02E0D91E31F936A15751C1A960958260|title=Movie Review - - Madonna, Chic Pop Star, As Chic Political Star|publisher=ニューヨーク・タイムズ|date=1996-12-25|accessdate=2016-7-28}}</ref>。
[[1996年]]2月には長年にわたって熱望していたミュージカル映画『[[エビータ (映画)|エビータ]]』の撮影が始まる。[[アルゼンチン]]の炎天下、精神的、肉体的にも過酷と言われた撮影が行なわれた。またこの頃に自分が妊娠している事を発見、さらに撮影を困難にする。出来上がった映画は総制作費60億円、85回に及ぶ衣装替えは映画史上最多を記録、ギネス世界記録に認定される。10月14日、待望の第一子が誕生する。名前は、ローデス・マリア・チッコーネ・レオン。ロサンゼルスで知り合ったパーソナル・トレーナーのカルロス・レオンとの間に出来た長女である。


[[1997年]]、映画『エビータ』でマドンナの女優としての成果がついに認められ、第54回[[ゴールデングローブ賞]]のミュージカル・コメディー最優秀女優部門を受賞する。さらに、最秀オリ主題歌部門など計3部門を受賞。さらに映画からの第一弾シングル「ユー・マスト・ラヴ・ミー」は[[第69回アカデミー賞]]で最優秀歌曲賞を受賞する。
[[1997年]]、主演映画『エビータ』で[[第54回ゴールデングローブ賞]]の「[[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|主演女賞 (ミュー・コメディ部門)]]」を受賞<ref name="Popdirt" />映画サウンドトラックからのシングル「ユー・マスト・ラヴ・ミー」は、第54回ゴールデングローブ賞「[[ゴールデングローブ賞 主題歌賞|主題歌賞]]」と、[[第69回アカデミー賞]]「アカデミー歌曲賞を受賞する<ref name="Popdirt" />


[[1998年]]3月7thスタジオ・アルバム『[[レイ・オブ・ライト]]』をリリース。「90年代最も優れたポップ音楽の傑作の一つ」<ref name="slant">{{cite web|url=http://www.slantmagazine.com/music/music_review.asp?ID=398|title=Madonna - Ray Of Light - Music Review|date=March 9, 2003|accessdate=2009-07-17|last=Cinquemani|first=Sal|work=[[Slant (magazine)|Slant Magazine]]}}</ref>と称賛されたこの作品は[[エレクトロニカ]]を導入した斬新なサウンドで知られ、全世界で1700万枚を売り上げる大ヒットなる。この頃から人生の精神的で神秘的な諸相の追求に傾倒し始め、[[ヒンドゥー教]]から[[ヨガ]]、[[ユダヤ教]]神秘主義思想[[カバラ]]を学び始める。アルバムからは「フローズン」、「レイ・オブ・ライト」など5つのシングルが発表され。第15回MTV ビデオ・ミュージック・アワードではその年最多受賞を記録し、最優秀ビデオ賞(「レイ・オブ・ライトを始め合計6部門を受賞する。
[[1998年]]3月7thスタジオ・アルバム『[[レイ・オブ・ライト]]』を発売。「90年代最も優れたポップ音楽の傑作の一つ」<ref>{{cite web|url=http://www.slantmagazine.com/music/review/madonna-ray-of-light|title=Madonna: Ray Of Light|Album Review|work=Slant Magazine|date=2003-3-9|accessdate=2016-7-28}}</ref>と称賛されたこの作品は、全世界で2000万枚を売り上げる大ヒットなる<ref name="thenational" />。アルバムからは「フローズン」、「レイ・オブ・ライト」など5曲がシングルカットされ9月には第15回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで最優秀ビデオ賞」を始め、この年最多の合計6部門を受賞する<ref>{{cite web|url=http://www.rockonthenet.com/archive/1998/mtvvmas.htm|title=1998 MTV Video Music Awards|publisher=Rock On The Net|accessdate=2016-7-28}}</ref>


[[1999年]]にはアルバム『レイ・オブ・ライト』が[[第41回グラミー賞]]で最優秀ポップ・アルバム賞、最優秀ダンス・レコーディング賞など合計4部門を受賞する。その授賞式では芸者姿を意識した赤い着物を着て「ナッシング・リアリー・マターズ」を披露した。映画『[[オースティン・パワーズ:デラックス]]』の主題歌として「ビューティフル・ストレンジャー」を発表、ミュージック・ビデオで主演の[[マイク・マイヤ]]と共演した
[[1999年]]2月、[[第41回グラミー賞]]でアルバム『レイ・オブ・ライト』が最優秀ポップ・アルバム賞など合計4部門を受賞<ref name="Popdirt" />、授賞式では赤い着物姿で「ナッシング・リアリー・マターズ」を披露した<ref>{{cite web|url=http://edition.cnn.com/SHOWBIZ/Music/9902/24/grammy/|title=That thing: Lauryn Hill sets Grammy record|publisher=[[CNN]]|date=1999-2-24|accessdate=2016-7-28}}</ref>5月、映画『[[オースティン・パワーズ:デラックス]]』の主題歌として「ビューティフル・ストレンジャー」を発表、翌年の[[第42回グラミ]]で「最優秀主題歌賞」を受賞する<ref name="Popdirt" />


== 2000年 - 2004年: ミュージックからRe-インヴェンション・ツアー==
== 2000年 - 2004年: ミュージックからRe-インヴェンション・ツアー ==
[[2000年]]、映画[[2番目に幸せなこと]]の主題歌「[[アメリカン・パイ (曲)|アメリカン・パイ]]」が世界中で大ヒット。8thスタジオ・アルバム『[[ミュージック (マドンナのアルバム)|ミュージック]]』を世界同時リリース。アメリカを含め、世界15ヶ国で初登場No.1を記録する。さらに、第一弾シングル「ミュージック」は1995年の「テイク・ア・バウ」以来となる全米ナンバーワンを記録。620万枚の売り上げを記録する大ヒットとなった。グル「ビュティフルストレンジャ」が、[[第42回グミー賞]]で最優秀主題歌部門を受賞する
[[2000年]]3月主演映画[[2番目に幸せなこと]]の主題歌「[[アメリカン・パイ (曲)|アメリカン・パイ]]」を発表9月、8thスタジオ・アルバム『[[ミュージック (マドンナのアルバム)|ミュージック]]』を世界同時発売『ライク・・プレイヤー』以来11年ぶりとなる全米1位獲得を含め、世界23ヶ国で1を記録する<ref name="nzherald">{{cite web|url=http://www.nzherald.co.nz/lifestyle/news/article.cfm?c_id=6&objectid=153363|title=Madonna's Music is sweet to world's ears|publisher=[[ニュージーランド・ヘラルド]]|date=2000-9-30|accessdate=2016-7-28}}</ref>。さらに、第一弾シングル「ミュージック」も世界25ヶ国で1位を記録する大ヒットとなった<ref name="nzherald" />[[8月11日]]、[[イギリス人]]映画監督[[ガイ・リッチー]]との間に授かった、マドナにとっては第二子となる長男ロッコ・リッチーを出産<ref name="dailymail">{{cite web|url=http://www.dailymail.co.uk/news/article-3372220/Madonna-Guy-Ritchie-battle-court-custody-one-two-sons-teen-refusing-return-England.html|title=Madonna goes to court to force Guy Ritchie to return son Rocco to New York|publisher=[[デイリー・ル]]|date=2015-12-23|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[12月22日]]、[[スコットンド]]のドーノック大聖堂にてガイ・リッチーと結婚<ref name="dailymail" />
[[8月11日]]、第二子のロッコ・リッチーを出産。[[イギリス人]]映画監督[[ガイ・リッチー]]との間に出来た長男でマドンナは2児の母となる。[[12月22日]]に[[スコットランド]]のドーノック大聖堂にてリッチーと結婚。


[[2001年]]2月、[[第43回グラミー賞]]のオープニングミュージック」を披露。スクリーンには過去のマドンナの映像がミクスされたビデオが流され、マドンナはリムンで登場した5月、通算4度目のワールドツアー「ドラウンド・ワールド・ツアー」が[[スペイン]]からスタート。[[8月26日]][[デト]]公演は、日本では[[WOWOW]]で生中継された。3枚目のベスト・アルバム『[[グレイテスト・ヒッツ VOL.2 (マドンナのアルバム)|グレイテスト・ヒッツ VOL.2]]』表。1992年~2000年までの大ヒットシングルを15曲集めた90年代を総括する一枚となっている
[[2001年]]2月、[[第43回グラミー賞]]でアルバム『ミュージック』が「最優秀レコディグ・パケー賞」を受賞<ref name="Popdirt" />6月、通算5度目のツアー「ドラウンド・ワールド・ツアー」が[[スペイン]]からスタート。ツアー収益はソ・アーティスの中では同年最高額となる7400万ドルを記録した<ref>{{cite web|url=http://www.mtv.com/news/1451603/u2-nsync-backstreet-top-list-of-2001s-biggest-concert-grossers/|title=U2, 'NSYNC, Backstreet Top List Of 2001's Biggest Concert Grossers|publisher=[[MTV]]|date=2001-12-21|accessdate=2016-7-28}}</ref>11月、3枚目のベスト・アルバム『[[グレイテスト・ヒッツ VOL.2 (マドンナのアルバム)|グレイテスト・ヒッツ VOL.2]]』


[[2002年]]10月、『[[007 ダイ・アナザー・デイ]]』の主題歌「[[ダイ・アナザー・デイ]]」発表される。米[[Billboard Hot 100]]で、通算35曲目となるTOP10入り(最高7位)を果たし、34曲という記録を持つ[[ビートルズ]]を抜いた。同月、主演映画『[[スウェプト・アウェイ]]』が公開されるが商業的に失敗に終わり、[[イギリス]]では劇場公開されいまま[[DVD-Video|DVD]]で発売された
[[2002年]]10月、自身もカメオ出演した映画『[[007 ダイ・アナザー・デイ]]』の主題歌「[[ダイ・アナザー・デイ]]」発表。同月、主演映画『[[スウェプト・アウェイ]]』が全米公開されるが興行的に失敗、[[イギリス]]では[[ビデオスルー]]とった<ref>{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/2426783.stm|title=Madonna flop goes straight to video|publisher=[[BBC]]|date=2002-11-8|accessdate=2016-7-28}}</ref>


[[2003年]]4月、9thスタジオ・アルバム『[[アメリカン・ライフ]]』をリリース。反戦を主張する過激なビデオ・クリップが巻き起こし、折しも[[イラク戦争]]開戦するいうタイミングの悪さで、アメリカ国内でのラジオ局によるオエアボイコットという事態まで発展。8月、第20回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで[[ブリトニー・スピアーズ]]、[[クリスティーナ・アギレラ]]と共演、2人とディープキスする過激なパフォーマンス話題を呼んだ。9月、初の児童書となる『イングリッシュ・ローズィズ』が、世界100ヶ国以上、37ヶ国語に翻訳される『[[ハリー・ポッターシリーズ]]』をしのぐ出版規模で発売され、[[ニューヨーク・タイムズ]]のベストセラーリスト(児童書部門)でNo.1を獲得する大ヒットとなる。
[[2003年]]4月、9thスタジオ・アルバム『[[アメリカン・ライフ]]』を発売。タイトル曲「[[アメカン・ライフ (曲)|アメカン・ライフ]]」のミュジック・ビデオは反戦をイメージした過激な内容で物議をし、折しも[[イラク戦争]]開戦と時期が重なったため世界情勢を考慮しアメリカでのテレビ放映が自粛された<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=52314929|title=マドナ、軍隊配慮て「American Life」のビデオ公開を見送り|work=[[BARKS]]|date=2003-4-3|accessdate=2016-7-28}}</ref>。8月、第20回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで[[ブリトニー・スピアーズ]]、[[クリスティーナ・アギレラ]]と共演、2人とディープキスするという過激なパフォーマンス話題を呼んだ<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=52326001|title=マドンナ、ブリトニー、クリスティーナ、VMAのオープニングでキス【その1】|work=BARKS|date=2003-9-1|accessdate=2016-7-28}}</ref>。9月、初の児童書となる『イングリッシュ・ローズィズ』が30ヶ国語に翻訳され、世界100ヶ国以上で発売[[ニューヨーク・タイムズ]]のベストセラーリスト(児童書部門)で1を獲得する大ヒットとなる<ref>{{cite web|url=http://www.prnewswire.com/news-releases/madonnas-book-the-english-roses-debuts-at-no-1-on-the-new-york-times-childrens-best-seller-list-71170367.html|title=Madonna’s Book, ’The English Roses’, Debuts at No. 1 on The New York Times Children’s Best-Seller|publisher=PR Newswire|date=2003-9-25|accessdate=2016-7-28}}</ref>


[[2004年]][[5月24日]]、3年ぶり通算5度目のワールド・ツアー「[[The Re-Invention Tour|Re-インヴェンション・ツアー]]」がロサンゼルス公演を皮切りにスタートした。これまでのキャリアを回顧する構成で、全56公演中55公演を完売させ、タル1億2500万ドル(約130億円)のを記録。この年のツアーの中でNo.1の収益となった。12月にはイギリスのミュージック・シーンに多大な影響を及ぼしたアーティストとしてUK音楽の殿堂入りを果たす。彼女が設立したマヴェリック・レコーズは[[ラニ・モリセッ]]、[[ミシェル・ブランチ]]といったスターを送り出し成功を収めた、財政難から2004年に親会社ワーナー・ブラザーズ・レコードに売却された。なおマドンナ自身の作品は前年の『アメリカン・ライフ』以降、マヴェリックを介さずワーナー・ブラザーズから発売されている
[[2004年]]、1992年に自ら設立したレーベル「マーヴェリック・レコード」が、財政難から親会社ワーナー・ブラザーズ・レコードに売却された<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000000844|title=マドンナをめぐるレーベル訴訟、八方丸く収まる|work=BARKS|date=2004-6-15|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[5月24日]]、通算6度目のツアー「[[The Re-Invention Tour|Re-インヴェンション・ツアー]]」が[[ロサンゼルス]]公演を皮切りにスタートした。全56公演中55公演を完売させ、2004年のツア最高興行を記録する<ref>{{cite web|url=http://www.billboard.com/articles/news/65316/madonna-heads-list-of-years-top-tours|title=Madonna Heads List Of Year's Top Tours|publisher=ビルボード|date=2004-12-13|accessdate=2016-7-28}}</ref>。11月にはイギリスのミュージック・シーンに多大な影響を及ぼしたアーティストとしてUK音楽の殿堂入りを果たす<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000003722|title=UK『音楽の殿堂』殿堂入りーティストが決定|work=BARKS|date=2004-11-15|accessdate=2016-7-28}}</ref>


== 2005年 - 2009年: コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロアからハード・キャンディー==
== 2005年 - 2009年: コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロアからハード・キャンディー ==
[[2005年]][[1月15日]]、[[スマトラ島]]沖地震・津波の[[チャリティー]]番組『Tsunami Aid: A Concert of Hope』に[[ロンドン]]から出演し、[[ジョン・レノン]]の「[[イマジン (ジョン・レノンの曲)|イマジン]]」を披露した<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000004873|title=津波チャリティでE.クラプトンとR.ウォーターズが共演|work=BARKS|date=2005-1-17|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[7月2日]]には世界9ヵ国で開催された「[[LIVE 8]]」のロンドン会場に出演した<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000009470|title=<ライヴ8>ロンドン公演のセット・リスト|work=BARKS|date=2005-7-5|accessdate=2016-7-28}}</ref>。8月16日、47歳の誕生日にロンドン郊外の自宅で落馬し、怪我を負った<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000010710|title=マドンナが誕生日に落馬、大骨折|work=BARKS|date=2005-8-17|accessdate=2016-7-28}}</ref>。10月、[[ABBA]]の「ギミー!ギミー!ギミー!」を[[サンプリング]]した新曲「[[ハング・アップ]]」を新作アルバムからの先行シングルとして発表する<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000012937|title=マドンナ、アバに頼み込む|work=BARKS|date=2005-10-19|accessdate=2016-7-28}}</ref>。11月、10thスタジオ・アルバム『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]』を発売。アルバムは全世界40ヶ国で1位、シングル「ハング・アップ」は全世界41ヶ国で1位を記録し、それぞれギネス世界記録で「ポップ・ミュージック史上、No.1最多獲得国数」と認定される<ref>{{cite web|url=http://financialwealthmedia.com/madonnas-net-worth-2015-800-million/|title=Madonna’s Net Worth $ 800 Million|publisher=Financial Wealth|date=2016-3-2|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[12月5日]]、アルバムのプロモーションのために1993年以来通算5度目となる来日を果たし、記者会見、[[STUDIO COAST]]でのクラブイベント、『[[めざましテレビ]]』の単独インタビュー、『[[SMAP×SMAP]]』の収録を行った<ref>{{cite web|url=http://wmg.jp/artist/madonna/news_2836.html|title=来日レポート第一弾!!わずか2200人の前でライヴ!|publisher=ワーナーミュージック・ジャパン|date=2005-12-13|accessdate=2016-7-28}}</ref><ref>{{cite web|url=http://wmg.jp/artist/madonna/news_2809.html|title=【速報!】マドンナ・プレミアムイベント終了!セットリスト公開|publisher=ワーナーミュージック・ジャパン|date=2005-12-8|accessdate=2016-7-28}}</ref><ref>{{cite web|url=http://wmg.jp/artist/madonna/news_2817.html|title=マドンナがSMAP×SMAPへ出演!|publisher=ワーナーミュージック・ジャパン|date=2005-12-10|accessdate=2016-7-28}}</ref>。
[[2005年]]1月15日、[[スマトラ島]]沖地震・津波の[[チャリティー]]番組『Tsunami Aid: A Concert of Hope』に出演。マドンナはロンドンから出演し、[[ジョン・レノン]]の「[[イマジン (ジョン・レノンの曲)|イマジン]]」を披露する。7月2日、世界9ヵ国で開催された「[[LIVE 8]]」のロンドン会場に出演し、「ライク・ア・プレイヤー」、「レイ・オブ・ライト」、「ミュージック」の3曲を披露した。[[8月16日]]、47歳の誕生日にプレゼントされた新しい馬にロンドン郊外の[[ウィルトシャー]]州にある自宅の敷地内で乗馬していたところ、落馬。病院に運ばれ、鎖骨と手首を骨折、肋骨3本にひびが入る全治3ヶ月の重傷と診断されたにもかかわらず、新アルバム発売の予定を遅らせず精力的に活動。[[10月21日]]には「Re-インヴェンション・ツアー」の模様や私生活の内容を収めた14年ぶりのドキュメンタリー作品『アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット』を米MTVで初公開する。
[[10月17日]]、70年代のディスコを意識し、[[ABBA]]の「Gimme Gimme Gimme」を[[サンプリング]]した新曲「[[ハング・アップ]]」が新アルバムからの先行シングルとしてリリースされる。11月、10thスタジオ・アルバム『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]』を発売。全曲がノンストップのダンスチューンで構成され、日本では同アルバムが[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[ドラマ・コンプレックス]]』と[[タイアップ]]し、アルバムの全曲が週替わりで主題歌に起用される。特に[[11月8日]]放送で使われた「Future Lovers」は世界初公開となった。[[11月3日]]、[[リスボン]]で開催された第12回[[MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード]]のオープニングで「ハング・アップ」を初パフォーマンス。アルバムは全世界40ヶ国のチャートで第一位、シングル「ハング・アップ」は全世界41ヶ国のチャートで第一位を記録し、それぞれギネス世界記録で「ポップ・ミュージック史上、No.1最多獲得国数」と認定される。一方「ハング・アップ」は米Billboard Hot 100でTOP10入りを果たし、全米TOP10シングル最多36曲を保持している[[エルヴィス・プレスリー]]の記録に並んだ。売り上げは、自身最高となる全米で870万枚を記録。[[12月5日]]から9日までの間、アルバムのプロモーションのために1993年以来となる通算5度目の来日を果たす。プロモーション来日としては1985年以来、実に20年ぶりとなる。記者会見、[[STUDIO COAST]]でのクラブイベント、『[[めざましテレビ]]』の単独インタビュー、『[[SMAP×SMAP]]』の収録を行った。


[[2006年]]7月、「Re-インヴェンション・ツアー」の模様や私生活の内容を収めた14年ぶりのドキュメンタリー作品『[[アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット]]』が発売。[[8月23日]]、来日記念盤『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア#コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア〜ジャパン・ツアー・エディション|コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア〜ジャパン・ツアー・エディション]]』が日本限定で発売された。[[9月14日]]、同年[[5月21日]]からスタートした通算7度目となるツアー「[[Confessions Tour|コンフェッションズ・ツアー]]」の日本公演のために来日、計4公演([[大阪ドーム|大阪]]・[[東京ドーム|東京]])で15万6000人を動員した<ref>{{cite web|url=http://wmg.jp/artist/madonna/news_4505.html|title=たくさんの感動をありがとうマドンナ、ワールド・ツアー日本にて幕。|publisher=ワーナーミュージック・ジャパン|date=2006-9-27|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[9月19日]]には、[[ルイ・ヴィトン]][[六本木]]店で開催された写真家[[スティーヴン・クライン (写真家)|スティーヴン・クライン]]とマドンナの映像芸術展「X-STaTIC PRO=CeSS」のオープニングに登場した<ref>{{cite news|url=http://www.standard.co.uk/showbiz/madonna-pays-a-few-bob-for-new-blonde-look-7242374.html|title=Madonna pays a few bob for new blonde look|newspaper=London Evening Standard|date=2006-9-20|accessdate=2016-7-28}}</ref>。10月、夫のガイ・リッチーとともに[[アフリカ大陸]]南東部の[[マラウイ]]を訪れ、現地の孤児院で出会った当時1歳の男児デヴィッド・バンダを養子に迎えると発表、全世界でこの[[養子縁組]]に関して論争が巻き起こった<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000027546|title=マドンナ、養子縁組は“仮のもの”|work=BARKS|date=2006-10-17|accessdate=2016-7-28}}</ref>。マラウイの裁判所から18ヶ月の仮養子縁組を認められ<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000027574|title=マドンナの養子、ロンドンへ到着|work=BARKS|date=2006-10-18|accessdate=2016-7-28}}</ref>、[[2008年]]5月に正式に養子縁組が成立した<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2397665?pid=|title=マラウイ高裁、マドンナに養子の「恒久的養育権」認める|publisher=AFPBB News|date=2008-5-29|accessdate=2016-7-28}}</ref>。
[[2006年]][[2月8日]]、米ロサンゼルスで開催された[[第48回グラミー賞]]のオープニングでヴァーチャル・バンドの[[ゴリラズ]]と共演、マドンナはジャン=ポール・ゴルチエによる薄紫色のレオタード姿で「ハング・アップ」を披露し話題を呼んだ。グラミー授賞式の後にロサンゼルスの病院に入院しヘルニアの手術を受けたが、症状は軽く、日頃からダンスやヨガで鍛えてるため回復も早かった。[[5月21日]]、通算6度目となる2年ぶりのワールドツアー「[[Confessions Tour|コンフェッションズ・ツアー]]」がロサンゼルス公演を皮切りにスタートする。6月公開の映画『[[プラダを着た悪魔]]』の[[イメージソング]]としてシングル「[[ジャンプ (マドンナの曲)|ジャンプ]]」が起用、「ヴォーグ」も同映画のサウンドトラックに収録された。7月、『[[アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット]]』が彼女初のDVDとCDの2枚組セットでリリースされる。[[8月23日]]、日本だけの来日記念盤として『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア#来日記念盤|コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア~ジャパン・ツアー・エディション]]』がリリース。同時に、1990年代~2000年前半にかけてリリースされたアルバムが限定生産として再リリースされた。
[[9月14日]]、2005年12月以来9ヶ月ぶりに来日、[[関西国際空港]]には約1000人のファンと報道陣が集まり、マドンナを歓迎した。[[9月16日]],17日に[[大阪ドーム|京セラ大阪ドーム]]で、大阪でのコンサートとしては1987年の「フーズ・ザット・ガール・ツアー」の大阪球場(当時)以来、19年ぶりの公演を行い、2日間で約6万人を動員した。[[9月19日]]夜、[[ルイ・ヴィトン]]六本木店で開催された写真家[[スティーヴン・クライン (写真家)|スティーヴン・クライン]]&マドンナの映像芸術展「X-STaTIC PRO=CeSS」のオープニングに登場した。[[9月20日]],21日には、1993年の「ザ・ガーリー・ショー・ツアー」以来、13年ぶりとなる東京ドーム公演を開催、初日だけで4万5000人を動員した。マドンナはステージからフロアへ降りファンと握手したり、「レイ・オブ・ライト」ではダンサーがヒーロー戦隊のお面を被って踊ったり(マドンナ本人も知らなかった)、「Japanese Do It Better」とプリントされたTシャツでパフォーマンスを披露した。
[[10月4日]]、エイズ孤児を支援するため500万ドルの慈善事業を展開し、その進展状況を視察する目的で、[[アフリカ]]南部の[[マラウイ]]の首都[[リロングウェ]]に自家用飛行機で到着。この慈善事業で、300万ドル(3億5400万円)をかけ、リロングウェ郊外に約1000人の孤児を収容できる孤児院を設立する計画を立てた。更にマドンナは当時1歳のデヴィッド・バンダを養子に迎え、3児の母となる。しかし、これらについてマドンナ養子縁組問題として全世界で論争を巻き起こす。11月、「コンフェッションズ・ツアー」のロンドン公演の模様が米・[[NBC]]テレビで放映され、日本では[[12月30日]]にWOWOWが放送した。


[[2007年]]度版の『ギネスブック』でマドンナは「地球上で最も稼いだ女性シンガー」として認定された。これまでの記録は、2000年にリトニピアーズが稼いだ3,800万ドル(約45億円)が最高だったが2004年に5,000万ドル(約59億円)を稼いだマドンナがタイ奪い取った。2007年1下旬にライブDVDとしては通算4枚目となる『[[コンフェッションズ・ツアー・ライヴ]]』(DVD+CD)がリリースされた。東京・[[有明 (江東区)|有明]]に開発予定大規模マンション『ブリリアマーレ有明』の広告キャラクターに起用、プロジェクト名にはマドンナの名前が使用されたSTYLE '''MADONNA''' TOKYO ARIAKE。[[2月11日]]、[[第49回グラミー賞]]にて『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]』が最優秀エレクトロニック/ダンス・アルバム部門を受賞した<ref group="注">他にノミネートされていた最優秀ダンス・レコーディング部門(「[[ゲット・トゥゲザー]]」)と最優秀・長編ミュージック・ビデオ部門(「[[アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット]]」)は受賞を逃した。</ref>。[[319日]]付のオリコン・アルバムチャートで『[[コンフェッションズ・ツア・ライヴ|THE CONFESSIONS TOUR]]』が初登場10位を記録したことで、同チャートのTOP10作品が17作となり、ビートルズのアルバムTOP10獲得作品数と並び歴代タイになった。[[4月16日]]、養子デイヴィットと長女ローデスと共に再度マを訪問し、子供の医療施設の建設などのチャリティ活動の手伝いを行った。5月中旬には[[ファレルウィリス]]共同プロデュース曲「ヘイ・ユー」をダウンロードのみで発表。[[77日]]に地球温暖化への興味を高めるめに世界7都市で同時開催された『[[ライブ・アス]]』に出演した際には、「ヘイ・ユ」を始め「レイオブ・ライト」、「ラ・イスラ・ボニータ」、「ハング・アップ」の4曲を披露し、イギリス会場のトリを務めた。この年、米経済誌「フォーブス」のウェブサイトが発表したミュージシャン長者番付でマドンナが第3位にランイン、7200万ド82億7000万円)稼ぎ出た。10月にはデビュー満25年を迎え同月16日に米国の最大手コンサートプロモーション会社[[ライブ・ネション]]と10年間の包括契約アルバム3枚の発売・ライブツアー商標権等)を締結[http://www.madonna.com/news/news-story/1046]。報道では1億2000万ドル(約140億円)の契約金と同社の株式を受け取るとされた。[[12月13日]]、マドンナの「[[ロックの殿堂]]入り」が決定した事が殿堂の運営団体から発表された。授賞式は2008年[[3月10日]]に行なわれプレゼンタは[[ジャスティ・ティンバーレイク]]が務めた
[[2007年]]度版の『ギネスブック』でマドンナは2004年に5000万ドル(約59億円)を稼いだとして「地球上で最も稼いだ女性シンガー」認定された<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000027388|title=熟女ブーム到来!? 2007年ギネ記録、マドンナとジャネットブリニー抜く!|work=BARKS|date=2006-10-8|accessdate=2016-7-28}}</ref>。2007年2月、[[東京]]・[[有明 (江東区)|有明]]の高層マンション『ブリリアマーレ有明』の広告キャラクターに起用された<ref>{{cite web|url=http://www.tatemono.com/news/2007/ttknews070201.html|title=Brillia Mare 有明 TOWER&GARDEN発表!!|publisher=[[東京建物]]|date=2007-2-1|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[2月11日]]、[[第49回グラミー賞]]にてアルバム『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]』が最優秀エレクトロニック/ダンス・アルバム賞」を受賞した<ref>{{cite web|url=http://www.rockonthenet.com/archive/2007/grammys.htm|title=49th Grammy Awards - 2007|publisher=Rock On The Net|accessdate=2016-7-28}}</ref>。5月、同年[[77日]]に出演したチャリティー[[コン]][[ライ・アス]]為の書き下ろし曲「ヘイ・ユー」をダウンロードのみで発表<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000031647|title=マドンナ、<Live Earth>特別シングルをリリース|work=BARKS|date=2007-5-18|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[1016日]]、デビュー以来所属していた[[ー・ミュージ・グープ]]との契約を解消し、コンサートプロモーション会社[[ライブ・ネション]]と10年間で1億2000万ドル(約140億円)の包括契約<ref group="注">契約内容は、[[スタジオ・アルバム]]3枚の権利、ライブツアーの[[プロモート]]権、商標権など。</ref>を締結した<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2299060|title=マドンナ、ライブ・ネショと包括的な契約へ|publisher=AFPBB News|date=2007-10-17|accessdate=2016-7-28}}</ref>


[[2008年]][[4月29日]]、11thスタジオ・アルバム『[[ハード・キャンディー]]』を発、世界36ヶ国でNo.1を獲得した。4月20日付の全英チャートで、第一弾シングル「[[フォー・ミニッツ]]」通算13目のNo.1を記録し、女性アーティストとしては同チャートのNo.1獲得数が単独1位となった。第三弾シングル「マイルズ・アウェイ」は、5月スタートの日本の[[テレビドラマ]]『[[CHANGE (テレビドラマ)|CHANGE]]』において、マドンナのドラマ主題歌に使用された。[[8月23日]]から通算7度目のワールドツアー[[Sticky & Sweet Tour|スティッキー・アンド・スウィート・ツアー]]』がイギリスの[[カディフ]]公演皮切りにスタートした。[[10月15日]]、マドンナの[[広報]]であるリズ・ローゼンバグがリッチーとの離婚を正式に発表した。
[[2008年]]、初の[[映画監督]]作品『ワンダーラスト』と、[[エグゼクティブ・プロデューサー]]と[[脚本]]を担当したドキュメンタリー映画『I Am Because We Are』が公開。[[3月10日]]、[[ロックの殿堂]]入りを果たす<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000038525|title=マドンナ、ロックの殿堂入り|work=BARKS|date=2008-3-12|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[4月29日]]、11thスタジオ・アルバム『[[ハード・キャンディー]]』を発日本を含む世界37ヶ国で初登場1を獲得した<ref name="hcandy">{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000039858|title=マドンナ『ハード・キンディ総合ランキング1位|work=BARKS|date=2008-5-7|accessdate=2016-7-28}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.madonna.com/news/title/madonnas-sticky--sweet-concert-to-be-released-march-30th-on-dvd-bluray-and-cd|title=Madonna’s ‘Sticky & Sweet’ Concert To Be Released March 30th On DVD, Blu-Ray And CD|publisher=Madonna.com|date=2010-1-12|accessdate=2016-7-28}}</ref>。第一弾シングル「[[フォー・ミニッツ]]」通算13目の全英1を記録し、全英チャートの首位獲得数が女性アーティスト歴代単独1位となった<ref name="hcandy" /><ref>{{cite web|url=http://wmg.jp/artist/madonna/news_8881.html|title=シングル「フォー・ミニッツ」が全英No.1獲得!|publisher=ワーナーミュージック・ジャパン|date=2008-4-21|accessdate=2016-7-28}}</ref>。第三弾シングル「マイルズ・アウェイ」は、同年5月スタートの日本の[[テレビドラマ]]『[[CHANGE (テレビドラマ)|CHANGE]]』において、マドンナの楽曲としては世界初となる連続ドラマ主題歌に用された<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000038623|title=木村拓哉主演のドラマ「CHANGE」にマドンナ|work=BARKS|date=2008-3-17|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[8月23日]]から通算8度目のツアー[[Sticky & Sweet Tour|スティッキー・アンド・スウィート・ツアー]]」を敢行、ソロ・アーティト史上最高となる4億800万ドル(約377億円)ツア収益記録した<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000052712|title=マドンナ、ソ・アティストとして最高のツア収益|work=BARKS|date=2009-9-4|accessdate=2016-7-28}}</ref>。10月にはガイ・リッチーとの破局発表、同年12月に正式に離婚が成立した<ref name="dailymail" />


[[2009年]]、米ビルボード誌が発表した高所得者リMoneymakersによると2008年の収入が2億4217万ドル(約220億円)に上ったことが判明した。その大半はワールドアーの「スティッキー・アンド・ウィート・ツア収益よるもので、楽曲のセールスよりもコトによる収益総収入においてはかに割合を占めているこがわかった。[[9月30日]]彼女の全キャリアを総括したベスト・アルバム『[[セレブレイション 〜マドンナ・オールタイム・ベスト〜]]』が、1枚単体と2枚組で同時発売。また同タイトルのビデオ・コレクションも発売された。
[[2009年]][[3月2日]]、第23回[[日本ゴディク大賞]]で15年ぶりにアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞最多記録となる通算5度目の受賞となった<ref>{{cite web|url=http://wmg.jp/artist/madonna/news_23642.html|title=第23回日本ゴールドディスク大賞で”アーティスト・オブ・ザ・イヤ”を受賞!|publisher=ワーナーミュージック・ジャパン|date=2009-3-3|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[6月12日]]、マラウイ最高裁判決により当時4歳の女児チファド・マシー・ジェームズと養子縁組成立、4児の母とな<ref>{{cite web|url=http://www.okjapan.jp/archive/news/2009/07/post-13.html|title=マドンナマーシー|publisher=OK!JAPANニュース|date=2009-7-1|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[9月18日]]、全キャリアを総括したベスト・アルバム『[[セレブレイション 〜マドンナ・オールタイム・ベスト〜]]』が発売同タイトルのビデオ・コレクションも発売された。


==2010年 - 現在: MDNAからレベル・ハート==
==2010年 - 現在: MDNAからレベル・ハート ==
[[2010年]][[1月22日]]、[[ハイチ地震 (2010年)|ハイチ地震]]のチャリティイベント『Hope for Haiti Now』に出演<ref>{{cite web|url=http://www.mtv.com/news/articles/1630335/20100122/madonna.jhtml|title=Madonna Brings Classic 'Like A Prayer' To 'Hope For Haiti Now' Telethon|publisher=MTV|date=2010-1-22|accessdate=2016-7-28}}</ref>。8月、10代向けの[[ファッションブランド]]「マテリアル・ガール」を設立<ref>{{cite web|url=http://www.hollywood-news.jp/news/ファッション/マドンナと娘ローデスが手掛けるブランドがいよ.html|title=マドンナと娘ローデスが手掛けるブランドがいよいよ販売スタート|publisher=ハリウッドニュース|date=2010-8-6|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[11月29日]]、自身が設立した[[フィットネスクラブ]]・チェーン店「ハード・キャンディ・フィットネス」の第1号店を[[メキシコ]]の首都[[メキシコシティ]]にオープンさせた<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2777201|title=マドンナが手がけるフィットネスクラブ、メキシコ市に第1号店オープン!|publisher=AFPBB News|date=2010-12-1|accessdate=2016-7-28}}</ref>。
2010年[[11月29日]]、[[フィットネスクラブ]]・チェーン店の「ハード・キャンディ・フィットネス」第1号店をメキシコ市の高級地区に、3階建て計3000平方メートルでオープンした。マドンナのアルバムから取って「ハード・キャンディー・フィットネス」と名付けられた店は、マドンナの理想とするフィットネスクラブを実現するもので、最新式の心血管系コンディショニング装置を備え、ヨガやブラジルの格闘技的舞踊のカポエイラなども取り入れた革新的なトレーニング方法を用いる。


[[2011年]]12月、[[インタースコープ・レコード]]とアルバム3作で4億ドル(約312億円)の契約を結んだことを発表した<ref>{{cite web|url=http://listenmusic.jp/store/musicnews/13960.htm|title=マドンナが米インタースコープと4億ドルで契約 ヴァン・ヘイレンのレーベルメイトに|work=listenmusic|publisher=[[エムティーアイ]]|date=2011-12-16|accessdate=2016-7-28}}</ref>。
[[2012年]][[2月3日]]、新アルバムからの先行シングル「ギヴ・ミー・オール・ユア・ラヴィン」を発表、米Billboard Hot 100でTOP10を記録した。[[2月5日]]、[[第46回スーパーボウル]]の[[ハーフタイムショー]]に出演、新曲「ギヴ・ミー・オール・ユア・ラヴィン」に加え「ライク・ア・プレイヤー」、「ヴォーグ」、「ミュージック」など往年の大ヒット曲も披露、さらにゲストとして[[M.I.A. (歌手)|M.I.A.]]、[[ニッキー・ミナージュ]]、[[シーロー・グリーン]]、[[LMFAO]]も登場し、ステージは大盛況の内に終わった。[[3月26日]]、約4年ぶりとなる12thスタジオ・アルバム『[[MDNA]]』を発売。自身通算8作目の全米第1位を記録し、2000年『ミュージック』以来5作連続の首位獲得となった。同時に全英チャートでも通算12作目の1位を記録した。


[[2012年]][[1月15日]]、自身2作目の映画監督作品『[[ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋]]』の主題歌「マスターピース」が、[[第69回ゴールデングローブ賞]]で「主題歌賞」を受賞した<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000076233|title=マドンナ監督作『W.E.(原題)』、ゴールデン・グローブ賞にて主題歌賞獲得|work=BARKS|date=2012-1-16|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[2月3日]]、新作アルバムからの先行シングル「ギヴ・ミー・オール・ユア・ラヴィン」を発表、全米10位を記録した<ref name="bbsingles" />。[[2月5日]]、[[第46回スーパーボウル]]の[[ハーフタイムショー]]に出演、視聴者数は同番組歴代最多の1億1780万人となった<ref>{{cite web|url=http://www.universal-music.co.jp/madonna/news/2012/02/0209_1/|title=マドンナがスーパーボウルで打ち立てた記録発表!|publisher=[[ユニバーサルミュージック (日本)|UNIVERSAL MUSIC JAPAN]]|date=2012-2-9|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[3月26日]]、約4年ぶりとなる12thスタジオ・アルバム『[[MDNA]]』を発売。自身通算8作目の全米1位を記録し、スタジオ・アルバムとしては5作連続の首位獲得となった<ref>{{cite web|url=http://www.universal-music.co.jp/madonna/news/2012/04/0409/|title=『MDNA』、全米初登場1位!|publisher=UNIVERSAL MUSIC JAPAN|date=2012-4-9|accessdate=2016-7-28}}</ref>。同時に全英チャートでもソロ・アーティスト最多記録となる通算12作目の1位を記録した<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000078381|title=英アルバム・チャート、マドンナが1位に|work=BARKS|date=2012-4-2|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[5月31日]]から通算9度目のツアー「[[MDNA Tour|MDNAツアー]]」を敢行。全88公演を完売させ、2012年のツアー最高興行収入を記録した<ref>{{Cite web|url=http://www.billboard.biz/bbbiz/industry/touring/madonna-s-mdna-tour-makes-boxscore-s-all-1008115942.story|title=Madonna's 'MDNA' Tour Makes Billboard Boxscore's All-Time Top 10|publisher=ビルボード|date=2013-1-24|accessdate=2016-7-28}}</ref>。
[[2014年]]、新作アルバムのリリース前にデモヴァージョンが流出したことを受け、本来2015年3月のリリース予定であったが、完全なリリースに先がけ、2014年12月から[[iTunes Store]]にてアルバム収録曲のうち6曲を先行ダウンロード販売。


[[2013年]][[9月24日]]、写真家スティーヴン・クラインと共に制作した約17分の[[ショート・フィルム]]『[http://www.youtube.com/watch?v=uXfXrl4K2D4 secretprojectrevolution]』を[[YouTube]]で公開した<ref>{{Cite web|url=http://ro69.jp/news/detail/89382|title=マドンナ、映像プロジェクト『SecretProjectRevolution』の作品を公開|work=RO69|publisher=ロッキング・オン|date=2013-9-25|accessdate=2016-7-28}}</ref>。
[[2015年]][[3月11日]]、13thスタジオ・アルバム『[[レベル・ハート (マドンナのアルバム)|レベル・ハート]]』を発売。[[3月25日]]、[[ブリット・アワード2015]]でシングル「リヴィング・フォー・ラヴ」を披露した際、脱ぎ捨てるはずだった衣装のマントに絡まりステージから転落するハプニングがあったが、パフォーマンスは中断されることなく行われた。同じくブリット・アワードに出席していた歌手・コラムニストの[[トレイシー・ソーン]]は、この出来事について「もっとも印象的だったのはマドンナの回復力だった。背中から落ちた痛みに耐えられないようでは、世紀をまたいで世界で活躍するスーパースターにはなれないのだろう」と記している<ref>{{cite web|title=<nowiki>The Brits are so polite these days. One reason? There’s no bands left</nowiki>|url=http://www.newstatesman.com/culture/2015/02/brits-are-so-polite-these-days-one-reason-there-s-no-bands-left |publisher=[[:en:New Statesman|New Statesman]] |accessdate=2015-06-05}}</ref>。

[[2014年]][[2月12日]]、日本の美容会社MTGと共同プロデュースしたスキンケアブランド「MDNA SKIN」を発表<ref>{{Cite web|url=http://www.asahi.com/and_w/fashion/TKY201402130040.html|title=マドンナが初の化粧品プロデュース 「MDNA SKIN」|work=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|date=2014-2-13|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[12月20日]]、新作アルバムのリリース前に制作中のデモ音源が流出したことを受け、[[iTunes Store]]にてアルバム収録曲のうち6曲の先行ダウンロード販売が開始された<ref>{{cite web|url=http://www.universal-music.co.jp/madonna/news/2014/12/22/|title=マドンナ、ニュー・アルバム『レベル・ハート』2015年3月発売、6曲を先行リリース。すでに世界中のチャートのTOPに!|publisher=UNIVERSAL MUSIC JAPAN|date=2014-12-22|accessdate=2016-7-28}}</ref>。

[[2015年]][[2月25日]]、[[ブリット・アワード2015]]で新作アルバムからの先行シングル「リヴィング・フォー・ラヴ」を披露した際、脱ぎ捨てるはずだった衣装のマントに絡まりステージから転落するハプニングがあったが、パフォーマンスは中断されることなく行われた<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000113180|title=マドンナ、転倒でむち打ち症に|work=BARKS|date=2015-2-28|accessdate=2016-7-28}}</ref>。[[3月10日]]、13thスタジオ・アルバム『[[レベル・ハート (マドンナのアルバム)|レベル・ハート]]』を発売。[[9月9日]]、通算10度目のツアー「レベル・ハート・ツアー」が[[カナダ]]の[[モントリオール]]公演を皮切りにスタートした<ref name="rhtour">{{cite web|url=http://www.universal-music.co.jp/madonna/news/2016/02/15|title=10年ぶりとなる待望の単独公演を敢行。2日間で4万人を魅了|publisher=UNIVERSAL MUSIC JAPAN|date=2016-2-15|accessdate=2016-7-28}}</ref>。

[[2016年]][[1月22日]]、アルバム『レベル・ハート』の来日記念盤が日本限定で発売。[[2月13日]]・[[2月14日|14日]]、「レベル・ハート・ツアー」の来日公演を[[さいたまスーパーアリーナ]]で開催、計2公演で4万人を動員した<ref name="rhtour" />。[[2月15日]]には、東京・[[三越|銀座三越]]で開催された「MDNA SKIN」のイベントに登場した<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2066849/full/|title=マドンナ、イベントに1時間遅刻 登場時間わずか数分|work=ORICON STYLE|publisher=[[オリコン]]|date=2016-2-15|accessdate=2016-7-28}}</ref>。


==脚注==
==脚注==

2016年7月28日 (木) 13:40時点における版

マドンナの歌手活動の歴史(マドンナのかしゅかつどうのれきし)は、アメリカ合衆国歌手であるマドンナの歌手としての活動の歴史である。

1982年 - 1985年: ソロ・デビューからライク・ア・ヴァージン

1982年DJのマーク・ケイミンの仲介で、ワーナー・ブラザース・レコード傘下のサイアー・レコードと契約し[注 1]、同年10月シングル「エヴリバディ」で歌手デビュー[2]。「エヴリバディ」はビルボード・ダンス・チャートで3位のヒットとなった[3]

1983年、デビュー・アルバムバーニング・アップ』を発売。全米で500万枚、全世界で1000万枚という成功を収めた[4][5]。アルバムからは計5曲がシングルカットされ、マドンナにとって初の全英チャートトップ10ヒット曲「ホリデイ」や[6]、初の全米チャートトップ10ヒット曲「ラッキー・スター」などが発表された[3]

1984年、2ndスタジオ・アルバム『ライク・ア・ヴァージン』を発売。全世界で2100万枚[7]、全11ヶ国でチャート首位を獲得し、一躍大ブレイクを果たした[8]。アルバムからの第一弾シングル「ライク・ア・ヴァージン」はマドンナにとって初の全米1位曲となり、6週連続1位のメガヒットを記録する[9]。続く第二弾シングル「マテリアル・ガール」も全米2位を記録し[9]、物質至上主義・拝金主義的な女性という意味の楽曲名はマドンナ自身の愛称となった[10]。この頃から全米でマドンナのユニークなファッションを真似た「ウォナビーズ」(Wannabe's)という少女たちが急増し、社会現象となる[11]

1985年1月、アルバム『ライク・ア・ヴァージン』のプロモーションで初来日を果たす[12][13]。2月、カメオ出演した映画ビジョン・クエスト/青春の賭け』が公開、そして3月には出演映画『マドンナのスーザンを探して』が相次いで公開された。これらの映画からは、自身二度目の全米1位曲「クレイジー・フォー・ユー」と[3]、自身初の全英1位曲「イントゥ・ザ・グルーヴ」がそれぞれ生まれている[6]。7月、『ライヴエイド』に出演し、「ホリデイ」、「イントゥ・ザ・グルーヴ」、新曲「ラヴ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・アラウンド」の3曲を歌唱した[14]8月16日、27歳の誕生日に俳優のショーン・ペンと結婚する[15]。同年、雑誌『PLAYBOY』に1979年頃に撮影されたモデル時代のヌード写真が掲載された[16]

1986年 - 1989年: トゥルー・ブルーからライク・ア・プレイヤー

1986年4月、新作アルバムからの先行シングルで、夫のショーン・ペン主演映画『ロンリー・ブラッド』の主題歌でもあった「リヴ・トゥ・テル」を発表。6月には第二弾シングル「パパ・ドント・プリーチ」を発表し、当時アメリカ社会で問題になっていた10代の妊娠について書かれたこの曲は、社会政治団体を巻き込んだ論争となる[11]。同月30日には「パパ・ドント・プリーチ」のミュージック・ビデオと共に、3rdスタジオ・アルバム『トゥルー・ブルー』を発売。全世界28ヵ国で1位を記録する大ベストセラーとなり[7]、この記録は『ギネス世界記録』にも認定された[17]。9月には第3回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで特別功労賞である「MTVビデオ・ヴァンガード賞」を授与される[18]。同じく9月にはショーン・ペンと共演した映画『上海サプライズ』が公開。12月には第四弾シングル「オープン・ユア・ハート」を発表し、全米チャートでは「リヴ・トゥ・テル」、「パパ・ドント・プリーチ」に続く1位を獲得した[9]

1987年1月、第14回アメリカン・ミュージック・アワードで「Favorite Pop/Rock Female Video Artist」を受賞する[19]。2月、ローリング・ストーン誌の第11回読者投票により、「最優秀女性アーティスト」と「最もセクシーな女性アーティスト」に選ばれる[注 2]。3月には第13回ピープルズ・チョイス・アワードで「Favorite Female Musical Performer」に選ばれる[20]。6月、初のワールドツアー「フーズ・ザット・ガール・ツアー」の日本公演のため2度目の来日を果たし、計4公演(大阪東京)で12万2000人を動員した[21]。7月、自身の主演映画のサウンドトラック『フーズ・ザット・ガール』を発売し、全米1位に輝いたタイトル曲と「コモーション」がそれぞれ大ヒットを記録する[9]。9月、米経済誌『フォーブス』で「年間最も稼いだ女性エンターテイナー」として掲載された[22]。11月にはリミックス・アルバム『ユー・キャン・ダンス』を発売。

1989年ペプシコーラ社との間で、コマーシャル出演料として500万ドル(約4億円)の契約を結ぶ[23][24]。3月、4thスタジオ・アルバム『ライク・ア・プレイヤー』を発売。タイトル曲「ライク・ア・プレイヤー」のミュージック・ビデオで十字架を燃やすなどの大胆な演出を用い、世界的な宗教上の議論を巻き起こした[11]9月14日、ショーン・ペンと離婚する[15]

1990年 - 1994年: ブロンド・アンビション・ツアーからベッドタイム・ストーリーズ

1990年3月、シングル「ヴォーグ」を発表。ミュージック・ビデオで披露されたヴォーギングが流行して600万枚以上を記録する大ヒットとなる[11][25]。4月には通算3度目のツアー「ブロンド・アンビション・ツアー」を敢行、来日公演を皮切りに4ヶ月間、全57公演を行った。5月、出演映画『ディック・トレイシー』を基に作られたサウンドトラック『アイム・ブレスレス』を発売。11月には初のベスト・アルバムウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ』を発売し、全世界でソロ・アーティストのベスト・アルバムとしては史上最高売上となる3000万枚を記録する[7]。アルバムからのシングル「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」のミュージック・ビデオは、性的表現が過激と見なされMTV史上初の放送禁止となった[11]

1991年3月、第63回アカデミー賞で「スーナー・オア・レイター」が「アカデミー歌曲賞」を受賞[26]。5月、第44回カンヌ国際映画祭において、「ブロンド・アンビション・ツアー」の舞台裏から彼女の私生活までを赤裸々に綴った自身初のドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』が初上映される[27]。公開当時、ドキュメンタリー映画史上最高の世界興行記録を更新した[28]

1992年、米タイム・ワーナーと当時としては破格の6000万ドルで契約し、総合エンターテイメント会社「マーヴェリック」(Maverick)を設立、社長に就任する[29]。7月、野球選手役で出演した映画『プリティ・リーグ』が公開、主題歌「マイ・プレイグラウンド」は自身10曲目となる全米1位を記録した[3]。10月、5thスタジオ・アルバム『エロティカ』と、スティーブン・マイゼルによって撮影された自身初の写真集『SEX』を同時発売。『SEX』は過激な性的描写が物議を醸したものの、アメリカでは毎週50万部という驚異的なセールスを記録した[30]

1993年、主演を務めた映画『BODY/ボディ』と『スネーク・アイズ』が公開。9月から通算4度目のツアー「ザ・ガーリーショー・ツアー」を敢行し、12月の来日公演で千秋楽を迎えた。

1994年3月、米CBSトーク番組レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』で放送禁止用語を連発し、世間の非難を浴びた[31][32]。10月、ベイビーフェイスをプロデューサーに起用した6thスタジオ・アルバム『ベッドタイム・ストーリーズ』を発売。アルバムからのシングル「テイク・ア・バウ」は自己最長記録となる全米7週連続1位を記録する大ヒットとなった[9]

1995年 - 1999年: エビータからレイ・オブ・ライト

1995年、日本で宝酒造焼酎「純」のCMに出演し、未発表曲[注 3]CMソングとして使用された[33]。11月、初のバラード・ベスト・アルバム『ベスト・オブ・マドンナ〜バラード・コレクション』を発売、全世界で1000万枚を売り上げた[34]

1996年10月14日、パーソナル・トレーナーのカルロス・レオンとの間に授かった第一子となる長女ローデス・マリア・チッコーネ・レオンを出産[35]。12月、ミュージカル映画エビータ』が公開。劇中での85回の衣装替えは映画史上最多を記録し、『ギネス世界記録』に認定された[36]

1997年、主演映画『エビータ』で第54回ゴールデングローブ賞の「主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)」を受賞[20]。同映画サウンドトラックからのシングル「ユー・マスト・ラヴ・ミー」は、第54回ゴールデングローブ賞「主題歌賞」と、第69回アカデミー賞「アカデミー歌曲賞」を受賞する[20]

1998年3月、7thスタジオ・アルバム『レイ・オブ・ライト』を発売。「90年代最も優れたポップ音楽の傑作の一つ」[37]と称賛されたこの作品は、全世界で2000万枚を売り上げる大ヒットとなる[7]。アルバムからは「フローズン」、「レイ・オブ・ライト」など計5曲がシングルカットされた。9月には第15回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで「最優秀ビデオ賞」を始め、この年最多の合計6部門を受賞する[38]

1999年2月、第41回グラミー賞でアルバム『レイ・オブ・ライト』が「最優秀ポップ・アルバム賞」など合計4部門を受賞[20]、授賞式では赤い着物姿で「ナッシング・リアリー・マターズ」を披露した[39]。5月、映画『オースティン・パワーズ:デラックス』の主題歌として「ビューティフル・ストレンジャー」を発表、翌年の第42回グラミー賞で「最優秀主題歌賞」を受賞する[20]

2000年 - 2004年: ミュージックからRe-インヴェンション・ツアー

2000年3月、主演映画『2番目に幸せなこと』の主題歌「アメリカン・パイ」を発表。9月、8thスタジオ・アルバム『ミュージック』を世界同時発売。『ライク・ア・プレイヤー』以来11年ぶりとなる全米1位獲得を含め、世界23ヶ国で1位を記録する[40]。さらに、第一弾シングル「ミュージック」も世界25ヶ国で1位を記録する大ヒットとなった[40]8月11日イギリス人映画監督ガイ・リッチーとの間に授かった、マドンナにとっては第二子となる長男ロッコ・リッチーを出産[41]12月22日スコットランドのドーノック大聖堂にてガイ・リッチーと結婚[41]

2001年2月、第43回グラミー賞でアルバム『ミュージック』が「最優秀レコーディング・パッケージ賞」を受賞[20]。6月、通算5度目のツアー「ドラウンド・ワールド・ツアー」がスペインからスタート。ツアーの収益はソロ・アーティストの中では同年最高額となる7400万ドルを記録した[42]。11月、3枚目のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ VOL.2』を発売。

2002年10月、自身もカメオ出演した映画『007 ダイ・アナザー・デイ』の主題歌「ダイ・アナザー・デイ」を発表。同月、主演映画『スウェプト・アウェイ』が全米公開されるが興行的に失敗し、イギリスではビデオスルーとなった[43]

2003年4月、9thスタジオ・アルバム『アメリカン・ライフ』を発売。タイトル曲「アメリカン・ライフ」のミュージック・ビデオは反戦をイメージした過激な内容で物議を醸し、折しもイラク戦争開戦と時期が重なったため、世界情勢を考慮しアメリカでのテレビ放映が自粛された[44]。8月、第20回MTV ビデオ・ミュージック・アワードでブリトニー・スピアーズクリスティーナ・アギレラと共演、2人とディープキスをするという過激なパフォーマンスが話題を呼んだ[45]。9月、初の児童書となる『イングリッシュ・ローズィズ』が30ヶ国語に翻訳され、世界100ヶ国以上で発売。ニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト(児童書部門)で1位を獲得する大ヒットとなる[46]

2004年、1992年に自ら設立したレーベル「マーヴェリック・レコード」が、財政難から親会社ワーナー・ブラザーズ・レコードに売却された[47]5月24日、通算6度目のツアー「Re-インヴェンション・ツアー」がロサンゼルス公演を皮切りにスタートした。全56公演中55公演を完売させ、2004年のツアー最高興行収入を記録する[48]。11月にはイギリスのミュージック・シーンに多大な影響を及ぼしたアーティストとして、UK音楽の殿堂入りを果たす[49]

2005年 - 2009年: コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロアからハード・キャンディー

2005年1月15日スマトラ島沖地震・津波のチャリティー番組『Tsunami Aid: A Concert of Hope』にロンドンから出演し、ジョン・レノンの「イマジン」を披露した[50]7月2日には世界9ヵ国で開催された「LIVE 8」のロンドン会場に出演した[51]。8月16日、47歳の誕生日にロンドン郊外の自宅で落馬し、怪我を負った[52]。10月、ABBAの「ギミー!ギミー!ギミー!」をサンプリングした新曲「ハング・アップ」を新作アルバムからの先行シングルとして発表する[53]。11月、10thスタジオ・アルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』を発売。アルバムは全世界40ヶ国で1位、シングル「ハング・アップ」は全世界41ヶ国で1位を記録し、それぞれギネス世界記録で「ポップ・ミュージック史上、No.1最多獲得国数」と認定される[54]12月5日、アルバムのプロモーションのために1993年以来通算5度目となる来日を果たし、記者会見、STUDIO COASTでのクラブイベント、『めざましテレビ』の単独インタビュー、『SMAP×SMAP』の収録を行った[55][56][57]

2006年7月、「Re-インヴェンション・ツアー」の模様や私生活の内容を収めた14年ぶりのドキュメンタリー作品『アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット』が発売。8月23日、来日記念盤『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア〜ジャパン・ツアー・エディション』が日本限定で発売された。9月14日、同年5月21日からスタートした通算7度目となるツアー「コンフェッションズ・ツアー」の日本公演のために来日、計4公演(大阪東京)で15万6000人を動員した[58]9月19日には、ルイ・ヴィトン六本木店で開催された写真家スティーヴン・クラインとマドンナの映像芸術展「X-STaTIC PRO=CeSS」のオープニングに登場した[59]。10月、夫のガイ・リッチーとともにアフリカ大陸南東部のマラウイを訪れ、現地の孤児院で出会った当時1歳の男児デヴィッド・バンダを養子に迎えると発表、全世界でこの養子縁組に関して論争が巻き起こった[60]。マラウイの裁判所から18ヶ月の仮養子縁組を認められ[61]2008年5月に正式に養子縁組が成立した[62]

2007年度版の『ギネスブック』でマドンナは2004年に5000万ドル(約59億円)を稼いだとして「地球上で最も稼いだ女性シンガー」に認定された[63]。2007年2月、東京有明の高層マンション『ブリリアマーレ有明』の広告キャラクターに起用された[64]2月11日第49回グラミー賞にてアルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』が「最優秀エレクトロニック/ダンス・アルバム賞」を受賞した[65]。5月、同年7月7日に出演したチャリティーコンサートライブ・アース』の為の書き下ろし曲「ヘイ・ユー」をダウンロードのみで発表[66]10月16日、デビュー以来所属していたワーナー・ミュージック・グループとの契約を解消し、コンサートプロモーション会社「ライブ・ネイション」と10年間で1億2000万ドル(約140億円)の包括契約[注 4]を締結した[67]

2008年、初の映画監督作品『ワンダーラスト』と、エグゼクティブ・プロデューサー脚本を担当したドキュメンタリー映画『I Am Because We Are』が公開。3月10日ロックの殿堂入りを果たす[68]4月29日、11thスタジオ・アルバム『ハード・キャンディー』を発売、日本を含む世界37ヶ国で初登場1位を獲得した[69][70]。第一弾シングル「フォー・ミニッツ」は通算13曲目の全英1位を記録し、全英チャートの首位獲得数が女性アーティスト歴代単独1位となった[69][71]。第三弾シングル「マイルズ・アウェイ」は、同年5月スタートの日本のテレビドラマCHANGE』において、マドンナの楽曲としては世界初となる連続ドラマの主題歌に起用された[72]8月23日から通算8度目のツアー「スティッキー・アンド・スウィート・ツアー」を敢行、ソロ・アーティスト史上最高となる4億800万ドル(約377億円)のツアー収益を記録した[73]。10月にはガイ・リッチーとの破局を発表、同年12月に正式に離婚が成立した[41]

2009年3月2日、第23回日本ゴールドディスク大賞で15年ぶりに「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞、史上最多記録となる通算5度目の受賞となった[74]6月12日、マラウイの最高裁判決により当時4歳の女児チファンド・マーシー・ジェームズとの養子縁組が成立、4児の母となる[75]9月18日、全キャリアを総括したベスト・アルバム『セレブレイション 〜マドンナ・オールタイム・ベスト〜』が発売、同タイトルのビデオ・コレクションも発売された。

2010年 - 現在: MDNAからレベル・ハート

2010年1月22日ハイチ地震のチャリティイベント『Hope for Haiti Now』に出演[76]。8月、10代向けのファッションブランド「マテリアル・ガール」を設立[77]11月29日、自身が設立したフィットネスクラブ・チェーン店「ハード・キャンディ・フィットネス」の第1号店をメキシコの首都メキシコシティにオープンさせた[78]

2011年12月、インタースコープ・レコードとアルバム3作で4億ドル(約312億円)の契約を結んだことを発表した[79]

2012年1月15日、自身2作目の映画監督作品『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』の主題歌「マスターピース」が、第69回ゴールデングローブ賞で「主題歌賞」を受賞した[80]2月3日、新作アルバムからの先行シングル「ギヴ・ミー・オール・ユア・ラヴィン」を発表、全米10位を記録した[3]2月5日第46回スーパーボウルハーフタイムショーに出演、視聴者数は同番組歴代最多の1億1780万人となった[81]3月26日、約4年ぶりとなる12thスタジオ・アルバム『MDNA』を発売。自身通算8作目の全米1位を記録し、スタジオ・アルバムとしては5作連続の首位獲得となった[82]。同時に全英チャートでもソロ・アーティスト最多記録となる通算12作目の1位を記録した[83]5月31日から通算9度目のツアー「MDNAツアー」を敢行。全88公演を完売させ、2012年のツアー最高興行収入を記録した[84]

2013年9月24日、写真家スティーヴン・クラインと共に制作した約17分のショート・フィルムsecretprojectrevolution』をYouTubeで公開した[85]

2014年2月12日、日本の美容会社MTGと共同プロデュースしたスキンケアブランド「MDNA SKIN」を発表[86]12月20日、新作アルバムのリリース前に制作中のデモ音源が流出したことを受け、iTunes Storeにてアルバム収録曲のうち6曲の先行ダウンロード販売が開始された[87]

2015年2月25日ブリット・アワード2015で新作アルバムからの先行シングル「リヴィング・フォー・ラヴ」を披露した際、脱ぎ捨てるはずだった衣装のマントに絡まりステージから転落するハプニングがあったが、パフォーマンスは中断されることなく行われた[88]3月10日、13thスタジオ・アルバム『レベル・ハート』を発売。9月9日、通算10度目のツアー「レベル・ハート・ツアー」がカナダモントリオール公演を皮切りにスタートした[89]

2016年1月22日、アルバム『レベル・ハート』の来日記念盤が日本限定で発売。2月13日14日、「レベル・ハート・ツアー」の来日公演をさいたまスーパーアリーナで開催、計2公演で4万人を動員した[89]2月15日には、東京・銀座三越で開催された「MDNA SKIN」のイベントに登場した[90]

脚注

注釈

  1. ^ 当時の契約料は5000ドルと楽曲の印税収入だった。また、この契約には作品の出版料としてレコード会社に1000ドルを支払うという内容も含まれていた[1]
  2. ^ ローリング・ストーン誌の読者投票では、翌年以降も他の部門を含め、複数回選ばれている[20]
  3. ^ 英語版ウィキペディアの未発表曲リストによると、曲名は「Broken」。
  4. ^ 契約内容は、スタジオ・アルバム3枚の権利、ライブ・ツアーのプロモート権、商標権など。

出典

  1. ^ SmaSTATION特別企画『マドンナ伝説 vol.1』”. テレビ朝日. 2016年7月28日閲覧。
  2. ^ マドンナ プロフィール”. ワーナーミュージック・ジャパン. 2016年7月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e Madonna – Charts & Awards – Billboard Singles”. AllMusic. 2016年7月28日閲覧。
  4. ^ Cross, Mary (2007). Madonna: A Biography. pp. 29. ISBN 0-313-33811-6 
  5. ^ Madonna: a potted history”. The Daily Telegraph (2011年9月1日). 2016年7月28日閲覧。
  6. ^ a b Madonna: Artist Discography”. Official Charts Company. 2016年7月28日閲覧。
  7. ^ a b c d 30 years in the spotlight: Madonna's highs and lows”. The National (2012年6月1日). 2016年7月28日閲覧。
  8. ^ MADONNA / ライク・ア・ヴァージン”. diskunion.net. ディスクユニオン. 2016年7月28日閲覧。
  9. ^ a b c d e Madonna's 40 Biggest Billboard Hits”. ビルボード (2015年8月16日). 2016年7月28日閲覧。
  10. ^ アーティストから職人へ!マドンナの名監督ぶりを収めたメイキング写真が到着!”. cinemacafe.net. カフェグルーヴ (2012年10月18日). 2016年7月28日閲覧。
  11. ^ a b c d e 洋楽 マドンナはいかにしてポップの女王であり続けてきたのか──その軌跡を追う!”. RO69. ロッキング・オン. 2016年7月28日閲覧。
  12. ^ Madonna (マドンナ) プロフィール”. ローチケHMV. 2016年7月28日閲覧。
  13. ^ Like a Virgin Promo Tour”. madonnaunderground.com. 2016年7月28日閲覧。
  14. ^ Watch Bette Midler Introduce Madonna at Live Aid 30 Years Ago Today”. ビルボード (2015年7月13日). 2016年7月28日閲覧。
  15. ^ a b Madonna - Details”. Cinema.com. 2016年7月28日閲覧。
  16. ^ 無名時代のマドンナのヌード写真、2日からロンドンで展示”. AFPBB News (2009年7月2日). 2016年7月28日閲覧。
  17. ^ Bohem, David A. (1990). Guinness Book of World Records 1990. Sterling Publications. pp. 78. ISBN 0-8069-5791-3 
  18. ^ Madonna receives MTV Awards' "Vanguard Video Award."”. Madonna.com. 2016年7月28日閲覧。
  19. ^ 14th American Music Awards”. Rock On The Net. 2016年7月28日閲覧。
  20. ^ a b c d e f g Mariah Carey, Far From Being Madonna”. Popdirt.com (2004年5月12日). 2016年7月28日閲覧。
  21. ^ <あのころ>マドンナ旋風 入場者は4日間12万人”. 47NEWS (2010年6月14日). 2013年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月28日閲覧。
  22. ^ Cosby Tops Forbes List of Richest Entertainers”. AP News Archive. AP通信 (1987年9月6日). 2016年7月28日閲覧。
  23. ^ 2年で16億円!ケタが違いすぎる海外セレブのCM出演料を大公開”. サイゾーウーマン. サイゾー (2010年10月26日). 2016年7月28日閲覧。
  24. ^ Pepsi Cancels Madonna Ad”. ニューヨーク・タイムズ (1989年4月5日). 2016年7月28日閲覧。
  25. ^ Hits of 1990”. MSN. 2011年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月28日閲覧。
  26. ^ The 63rd Academy Awards”. Oscars.org. 2016年7月28日閲覧。
  27. ^ Official Selection 1991 : Out of Competition”. カンヌ国際映画祭. 2016年7月28日閲覧。
  28. ^ Madonna: Truth or Dare (1991)”. Box Office Mojo. Amazon.com. 2016年7月28日閲覧。
  29. ^ Madonna Makes a $60 Million Deal”. ニューヨーク・タイムズ (1992年4月20日). 2016年7月28日閲覧。
  30. ^ マドンナ、あの超過激写真集『SEX』の未公開ヌードがオークションに!”. マイナビニュース. マイナビ (2012年4月26日). 2016年7月28日閲覧。
  31. ^ マドンナ、遅刻したバックダンサーに足にキスを無理強い!女王様ぶり特集!”. hollywoodsnap (2015年9月24日). 2016年7月28日閲覧。
  32. ^ An Earful The Public Didn't Hear But Guessed”. ニューヨーク・タイムズ (1994年4月2日). 2016年7月28日閲覧。
  33. ^ 12 Best Foreign Celebrity Ads”. The Daily Beast (2009年3月24日). 2016年7月28日閲覧。
  34. ^ Madonna Something To Remember 180g LP”. Elusive Disc. 2016年7月28日閲覧。
  35. ^ Madonna Gives Birth to Daughter”. ロサンゼルス・タイムズ (1996年10月15日). 2016年7月28日閲覧。
  36. ^ Movie Review - - Madonna, Chic Pop Star, As Chic Political Star”. ニューヨーク・タイムズ (1996年12月25日). 2016年7月28日閲覧。
  37. ^ Madonna: Ray Of Light|Album Review”. Slant Magazine (2003年3月9日). 2016年7月28日閲覧。
  38. ^ 1998 MTV Video Music Awards”. Rock On The Net. 2016年7月28日閲覧。
  39. ^ That thing: Lauryn Hill sets Grammy record”. CNN (1999年2月24日). 2016年7月28日閲覧。
  40. ^ a b Madonna's Music is sweet to world's ears”. ニュージーランド・ヘラルド (2000年9月30日). 2016年7月28日閲覧。
  41. ^ a b c Madonna goes to court to force Guy Ritchie to return son Rocco to New York”. デイリー・メール (2015年12月23日). 2016年7月28日閲覧。
  42. ^ U2, 'NSYNC, Backstreet Top List Of 2001's Biggest Concert Grossers”. MTV (2001年12月21日). 2016年7月28日閲覧。
  43. ^ Madonna flop goes straight to video”. BBC (2002年11月8日). 2016年7月28日閲覧。
  44. ^ マドンナ、軍隊に配慮して「American Life」のビデオ公開を見送り”. BARKS (2003年4月3日). 2016年7月28日閲覧。
  45. ^ マドンナ、ブリトニー、クリスティーナ、VMAのオープニングでキス【その1】”. BARKS (2003年9月1日). 2016年7月28日閲覧。
  46. ^ Madonna’s Book, ’The English Roses’, Debuts at No. 1 on The New York Times Children’s Best-Seller”. PR Newswire (2003年9月25日). 2016年7月28日閲覧。
  47. ^ マドンナをめぐるレーベル訴訟、八方丸く収まる”. BARKS (2004年6月15日). 2016年7月28日閲覧。
  48. ^ Madonna Heads List Of Year's Top Tours”. ビルボード (2004年12月13日). 2016年7月28日閲覧。
  49. ^ UK『音楽の殿堂』、殿堂入りアーティストが決定”. BARKS (2004年11月15日). 2016年7月28日閲覧。
  50. ^ 津波チャリティでE.クラプトンとR.ウォーターズが共演”. BARKS (2005年1月17日). 2016年7月28日閲覧。
  51. ^ <ライヴ8>ロンドン公演のセット・リスト”. BARKS (2005年7月5日). 2016年7月28日閲覧。
  52. ^ マドンナが誕生日に落馬、大骨折”. BARKS (2005年8月17日). 2016年7月28日閲覧。
  53. ^ マドンナ、アバに頼み込む”. BARKS (2005年10月19日). 2016年7月28日閲覧。
  54. ^ Madonna’s Net Worth $ 800 Million”. Financial Wealth (2016年3月2日). 2016年7月28日閲覧。
  55. ^ 来日レポート第一弾!!わずか2200人の前でライヴ!”. ワーナーミュージック・ジャパン (2005年12月13日). 2016年7月28日閲覧。
  56. ^ 【速報!】マドンナ・プレミアムイベント終了!セットリスト公開”. ワーナーミュージック・ジャパン (2005年12月8日). 2016年7月28日閲覧。
  57. ^ マドンナがSMAP×SMAPへ出演!”. ワーナーミュージック・ジャパン (2005年12月10日). 2016年7月28日閲覧。
  58. ^ たくさんの感動をありがとうマドンナ、ワールド・ツアー日本にて幕。”. ワーナーミュージック・ジャパン (2006年9月27日). 2016年7月28日閲覧。
  59. ^ “Madonna pays a few bob for new blonde look”. London Evening Standard. (2006年9月20日). http://www.standard.co.uk/showbiz/madonna-pays-a-few-bob-for-new-blonde-look-7242374.html 2016年7月28日閲覧。 
  60. ^ マドンナ、養子縁組は“仮のもの””. BARKS (2006年10月17日). 2016年7月28日閲覧。
  61. ^ マドンナの養子、ロンドンへ到着”. BARKS (2006年10月18日). 2016年7月28日閲覧。
  62. ^ マラウイ高裁、マドンナに養子の「恒久的養育権」認める”. AFPBB News (2008年5月29日). 2016年7月28日閲覧。
  63. ^ 熟女ブーム到来!? 2007年ギネス記録、マドンナとジャネットがブリトニーを抜く!”. BARKS (2006年10月8日). 2016年7月28日閲覧。
  64. ^ 『Brillia Mare 有明 TOWER&GARDEN』発表!!”. 東京建物 (2007年2月1日). 2016年7月28日閲覧。
  65. ^ 49th Grammy Awards - 2007”. Rock On The Net. 2016年7月28日閲覧。
  66. ^ マドンナ、<Live Earth>特別シングルをリリース”. BARKS (2007年5月18日). 2016年7月28日閲覧。
  67. ^ マドンナ、ライブ・ネーションと包括的な契約へ”. AFPBB News (2007年10月17日). 2016年7月28日閲覧。
  68. ^ マドンナ、ロックの殿堂入り”. BARKS (2008年3月12日). 2016年7月28日閲覧。
  69. ^ a b マドンナ『ハード・キャンディー』、総合ランキング1位”. BARKS (2008年5月7日). 2016年7月28日閲覧。
  70. ^ Madonna’s ‘Sticky & Sweet’ Concert To Be Released March 30th On DVD, Blu-Ray And CD”. Madonna.com (2010年1月12日). 2016年7月28日閲覧。
  71. ^ シングル「フォー・ミニッツ」が全英No.1獲得!”. ワーナーミュージック・ジャパン (2008年4月21日). 2016年7月28日閲覧。
  72. ^ 木村拓哉主演のドラマ「CHANGE」にマドンナ”. BARKS (2008年3月17日). 2016年7月28日閲覧。
  73. ^ マドンナ、ソロ・アーティストとして最高のツアー収益”. BARKS (2009年9月4日). 2016年7月28日閲覧。
  74. ^ 第23回日本ゴールドディスク大賞で”アーティスト・オブ・ザ・イヤー”を受賞!”. ワーナーミュージック・ジャパン (2009年3月3日). 2016年7月28日閲覧。
  75. ^ マドンナとマーシー”. OK!JAPANニュース (2009年7月1日). 2016年7月28日閲覧。
  76. ^ Madonna Brings Classic 'Like A Prayer' To 'Hope For Haiti Now' Telethon”. MTV (2010年1月22日). 2016年7月28日閲覧。
  77. ^ マドンナと娘ローデスが手掛けるブランドがいよいよ販売スタート”. ハリウッドニュース (2010年8月6日). 2016年7月28日閲覧。
  78. ^ マドンナが手がけるフィットネスクラブ、メキシコ市に第1号店オープン!”. AFPBB News (2010年12月1日). 2016年7月28日閲覧。
  79. ^ マドンナが米インタースコープと4億ドルで契約 ヴァン・ヘイレンのレーベルメイトに”. listenmusic. エムティーアイ (2011年12月16日). 2016年7月28日閲覧。
  80. ^ マドンナ監督作『W.E.(原題)』、ゴールデン・グローブ賞にて主題歌賞獲得”. BARKS (2012年1月16日). 2016年7月28日閲覧。
  81. ^ マドンナがスーパーボウルで打ち立てた記録発表!”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2012年2月9日). 2016年7月28日閲覧。
  82. ^ 『MDNA』、全米初登場1位!”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2012年4月9日). 2016年7月28日閲覧。
  83. ^ 英アルバム・チャート、マドンナが1位に”. BARKS (2012年4月2日). 2016年7月28日閲覧。
  84. ^ Madonna's 'MDNA' Tour Makes Billboard Boxscore's All-Time Top 10”. ビルボード (2013年1月24日). 2016年7月28日閲覧。
  85. ^ マドンナ、映像プロジェクト『SecretProjectRevolution』の作品を公開”. RO69. ロッキング・オン (2013年9月25日). 2016年7月28日閲覧。
  86. ^ マドンナが初の化粧品プロデュース 「MDNA SKIN」”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2014年2月13日). 2016年7月28日閲覧。
  87. ^ マドンナ、ニュー・アルバム『レベル・ハート』2015年3月発売、6曲を先行リリース。すでに世界中のチャートのTOPに!”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2014年12月22日). 2016年7月28日閲覧。
  88. ^ マドンナ、転倒でむち打ち症に”. BARKS (2015年2月28日). 2016年7月28日閲覧。
  89. ^ a b 10年ぶりとなる待望の単独公演を敢行。2日間で4万人を魅了”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2016年2月15日). 2016年7月28日閲覧。
  90. ^ マドンナ、イベントに1時間遅刻 登場時間わずか数分”. ORICON STYLE. オリコン (2016年2月15日). 2016年7月28日閲覧。