第1次田中角栄内閣
第1次田中角栄内閣 | |
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内閣総理大臣 | 第64代 田中角栄 |
成立年月日 | 1972年(昭和47年)7月7日 |
終了年月日 | 同年12月22日 |
与党・支持基盤 | 自由民主党 |
施行した選挙 | 第33回衆議院議員総選挙 |
衆議院解散 |
1972年(昭和47年)11月13日 日中解散 |
内閣閣僚名簿(首相官邸) |
第1次田中角栄内閣(だいいちじたなかかくえいないかく)は、田中角栄が第64代内閣総理大臣に任命され、1972年(昭和47年)7月7日から同年12月22日まで続いた日本の内閣。
概要
1972年7月5日の自由民主党総裁選挙にて田中角榮が福田赳夫を下して総裁に選出されたのを受け、翌日の7月6日に召集された第69臨時国会での衆議院及び参議院での首班指名選挙にて田中が内閣総理大臣に指名されて発足した。
この第1次田中内閣時代のトピックスとしては
- 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(『日中共同声明』)が、1972年9月29日に中華人民共和国:北京市にて調印され、日中国交正常化に合意したこと
が挙げられる。
閣僚
- 内閣総理大臣 - 田中角栄
- 法務大臣 - 郡祐一
- 外務大臣 - 大平正芳
- 大蔵大臣 - 植木庚子郎
- 文部大臣 - 稲葉修
- 厚生大臣 - 塩見俊二
- 農林大臣 - 足立篤郎
- 通商産業大臣、科学技術庁長官 - 中曽根康弘
- 運輸大臣 - 佐々木秀世
- 郵政大臣 - 田中角栄(臨時代理)/三池信(1972年7月12日-)
- 労働大臣 - 田村元
- 建設大臣、近畿圏整備長官、中部圏開発整備長官、国家公安委員会委員長、首都圏整備委員会委員長 - 木村武雄
- 自治大臣、北海道開発庁長官 - 福田一
- 内閣官房長官 - 二階堂進
- 総理府総務長官、沖縄開発庁長官 - 本名武
- 行政管理庁長官 - 浜野清吾
- 防衛庁長官 - 増原恵吉
- 経済企画庁長官 - 田中角栄(事務取扱)/有田喜一(1972年7月12日-)
- 環境庁長官 - 小山長規
- 国務大臣 - 三木武夫 (当初無任所、1972年8月29日以降副総理)
- 三池・有田は当初閣僚に指名されながらも直前の自民党総裁選で福田赳夫を支持していたことから入閣を拒否。その後、福田の説得に応じる形で入閣した。
- 三木はいわゆる無任所大臣として入閣し、8月29日にいわゆる副総理としての指名を受けた。このため、7月7日の認証官任命式及び官報掲載辞令での国務大臣としての序列は最後となっているが、同年12月22日の第2次田中角栄内閣の発足に伴う閣僚地位喪失の官報掲載では羅列順で筆頭となっており、かつ、同第2次内閣でも国務大臣として筆頭に列されている。
政務次官
- 法務政務次官 - 古屋亨
- 外務政務次官 - 青木正久
- 大蔵政務次官 - 大村襄治、山崎五郎
- 文部政務次官 - 内海英男
- 厚生政務次官 - 増岡博之
- 農林政務次官 - 森下元晴、園田清充
- 通商産業政務次官 - 丹羽久章、安田隆明
- 運輸政務次官 - 加藤六月
- 郵政政務次官 - 木村武千代
- 労働政務次官 - 塩谷一夫
- 建設政務次官 - 小渕恵三
- 自治政務次官 - 三ッ林弥太郎
- 行政管理政務次官 - 山崎竜男
- 北海道開発政務次官 - 渡辺一太郎
- 防衛政務次官 - 古内広雄
- 経済企画政務次官 - 木野晴夫
- 科学技術政務次官 - 藤波孝生
- 環境政務次官 - 菅波茂
- 沖縄開発政務次官 - 中津井真