毘沙門天

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多聞天像(東大寺金堂)
多聞天像(東大寺金堂)
Dharma Wheel
密教
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仏教
金剛乗仏教
時代・地域
初期 中期 後期
インド チベット 中国 日本
主な宗派(日本)
東密
※は、「真言宗各山会」加入
- 古義真言宗系 -
高野山真言宗
東寺真言宗
真言宗善通寺派
真言宗醍醐派
真言宗御室派
真言宗大覚寺派
真言宗泉涌寺派
真言宗山階派
信貴山真言宗
真言宗中山寺派
真言三宝宗
真言宗須磨寺派
真言宗東寺派
- 新義真言宗系 -
真言宗智山派
真言宗豊山派
新義真言宗
真言宗室生寺派
- 真言律 -
真言律宗
台密
〈日本〉天台宗
信仰対象
如来 菩薩 明王
経典
大日経 金剛頂経
蘇悉地経 理趣経
思想 基本教義
即身成仏 三密 入我我入
曼荼羅 護摩
東密
古義広沢流 小野流新義
関連人物
東密
金剛薩埵 龍樹
龍智 金剛智 不空 恵果
空海
真言律
叡尊 忍性 信空
台密
最澄 順暁 円仁 円珍
ウィキポータル 仏教

毘沙門天(びしゃもんてん)、梵名ヴァイシュラヴァナ (वैश्रवण [Vaiśravaṇa]または[vaizravaNa])とは、仏教における天部神。持国天増長天広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神である。また四天王の一員としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっている。

概要

インド神話の財宝神クベーラを前身とする。 ヴァイシュラヴァナという称号は本来「ヴィシュラヴァス (vizravas) 神の息子」という意味で、彼の父親の名に由来するが、「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天(たもんてん)とも訳される。日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。

三昧耶形は宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)、宝塔種子はベイ(vai)。毘沙門天に捧げられた真言としては「オン ベイシラマンダヤ ソワカ」(oM vaizravaNaaya svaahaa 『オーム、ヴィシュラヴァスの御子よ。吉祥成就』)等がある。

その姿には様々な表現があるが(後述)、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた代の武将風の姿で表される。持物宝塔が一般的。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多い。 例えば密教両界曼荼羅では甲冑に身を固めて右手は宝棒、左手は宝塔を捧げ持つ姿で描かれる。 ただし、東大寺戒壇堂の四天王像では右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿で造像されている。奈良當麻寺でも同様に右手で宝塔を捧げ持っている。

インドにおいては財宝神とされ、戦闘的イメージはほとんどなかった。この頃の性格についてはクベーラの項を参照。中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになった。そして帝釈天の配下として、仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守護するとされる。また、夜叉羅刹といった鬼神を配下とする。

また、密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされる。また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められる。

像容

多聞天像(高砂市時光寺

毘沙門天の姿にははっきりした規定はなく、様々な表現がある。前述のとおり日本では武将風の姿で表され、宝塔を持つ姿が一般的。ほかに三叉戟を持つ造形例もあり、例えば京都・三室戸寺像などは宝塔を持たず片手を腰に当て片手に三叉戟を持つ姿である。

また、中国の民間信仰に於いては緑色の顔で右手に傘、左手に銀のネズミを持った姿で表される。チベット仏教では金銀宝石を吐くマングースを持つ姿で表され、インドでの財宝神としての性格を残している。

独尊、また中心尊としても多くの造形例がある。安置形態としては、毘沙門天を中尊とし、吉祥天(毘沙門天の妃または妹とされる)と善膩師童子(ぜんにしどうじ。毘沙門天の息子の一人とされる)を脇侍とする三尊形式の像(京都・鞍馬寺、高知・雪蹊寺など)、毘沙門天と吉祥天を一対で安置するもの(奈良・法隆寺金堂像など)、毘沙門天と不動明王を一対として安置するもの(高野山金剛峯寺像など)がある。

また、天台宗系の寺院では、千手観音を中尊として両脇に毘沙門天・不動明王を安置することも多い(滋賀・明王院像、京都・峰定寺像など)。なお真言宗系寺院でもこの傾向はある。

四天王の1体として北方(須弥壇上では向かって右奥)を護る多聞天像の作例も数多い。その姿は独尊の毘沙門天像と特に変わるところはないが、左右いずれかの手に宝塔を捧げ持つ像が多い。 国宝指定品としては東大寺戒壇堂、京都・浄瑠璃寺、奈良・興福寺などの四天王像中の多聞天像がある。

派生的な姿

托塔李天王

中国では、軍神と称えられた代初期の武将李靖と習合し、托塔李天王(たくとうりてんのう。単に托塔天王とも)という尊格が生まれた。

この托塔李天王は、現在では四天王の多聞天とは別の神と考えられ、むしろ多聞天も含めた四天王を率いる神々の将軍とされている。後に道教でも崇められるようになった。哪吒三太子の父として描かれる『西遊記』の托塔李天王、封神演義の李靖がこれである。

前述の通り四天王の多聞天は傘などを持った姿で表されるが、托塔李天王は宝塔を持った武将の姿で表される。これは唐代に於いて造形された毘沙門天の古い姿を継承したものである。

兜跋毘沙門天

兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)と呼ばれる特殊な像容がある。金鎖甲(きんさこう)という鎖を編んで作った鎧を着し、腕には海老籠手(えびごて)と呼ぶ防具を着け筒状の宝冠を被る。持物は左手に宝塔、右手に宝棒または戟で、見るからに異国風の像である。また、邪鬼ではなく地天女及び二鬼(尼藍婆、毘藍婆)の上に立つ姿である。東寺の兜跋毘沙門天像は、かつて羅城門の楼上に安置されていたという。

「兜跋」とは西域兜跋国、即ち現在のトゥルファンとする説が一般的で、ここに毘沙門天がこの姿で現れたという伝説に基づく。また「刀抜」「屠半」などの字を宛てることもある。 像容は、東寺像を忠実に模刻したもの(奈良国立博物館像、京都・清凉寺像など)と、地天女の両手の上に立つ以外は通例の毘沙門天像と変わらないもの(岩手・成島毘沙門堂像など)とがある。

真言

  • オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ

関連項目

毘沙門天(鎌倉時代、ボストン美術館所蔵)
多聞天(鎌倉時代、ボストン美術館所蔵)
物部守屋追討の折四天王に戦勝を祈願し、後に四天王寺を建立したことが日本書紀に記載されている。また毘沙門天を祭るために信貴山を開山したという伝承もある。
毘沙門天を篤く信仰しており、軍の旗印にも「毘」の文字を使った。
毘沙門天像の異形
毘沙門天の眷属
自衛隊イラク派遣の際に車体側面に「毘」の文字がマーキングされた。

全国の毘沙門天を本尊にした寺社

北海道・東北
一木造で日本最大の尊像を祀る
坂上田村麻呂大将軍創建の由緒を持つ
お堂の下に井戸がある珍しい構造
関東
あくたい祭りで有名
東京・下谷。歌人でもある福島泰樹が住職。俳優プロボクサーであったたこ八郎を祀った「たこ地蔵」がある
北陸
奇祭裸押し合い祭りで有名
中部
聖徳太子の命により福王山に毘沙門天を安置。 起源は578年に遡る。
近畿
日本三大毘沙門天の一つ
日本最初毘沙門天
役行者開基の寺院(高槻市) 日本三大毘沙門天の一つ
聖徳太子が勧請した伝説を持つ。国宝信貴山縁起絵巻所蔵
護摩の毘沙門天として有名
双身毘沙門天を本尊に祀る
最澄自刻の尊像を祀る

参考文献

  • 田辺勝美 『兜跋毘沙門天像の起源』 山喜房佛書林、2006年、大著
    • 『毘沙門天像の誕生 シルクロードの東西文化交流』
<歴史文化ライブラリー>  吉川弘文館、1999年、読みやすい
  • 橋本章彦 『毘沙門天 日本的展開の諸相』
 <日本宗教民俗学叢書7>  岩田書院、2008年  
  • 信貴山千手院編 『一目でわかる 毘沙門信仰の手引き』 
 国書刊行会、2009年 毘沙門天信仰のわかりやすい入門書

外部リンク