即身成仏
密教 |
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| 仏教 |
| 金剛乗仏教 |
| 時代・地域 |
| 初期 中期 後期 インド チベット 中国 日本 |
| 主な宗派(日本) |
| 東密 ※は、「真言宗各山会」加入 - 古義真言宗系 - ※高野山真言宗 ※東寺真言宗 ※真言宗善通寺派 ※真言宗醍醐派 ※真言宗御室派 ※真言宗大覚寺派 ※真言宗泉涌寺派 ※真言宗山階派 ※信貴山真言宗 ※真言宗中山寺派 ※真言三宝宗 ※真言宗須磨寺派 真言宗東寺派 - 新義真言宗系 - ※真言宗智山派 ※真言宗豊山派 ※新義真言宗 真言宗室生寺派 - 真言律 - ※真言律宗 台密 (〈日本〉天台宗) |
| 信仰対象 |
| 如来 菩薩 明王 天 |
| 経典 |
| 大日経 金剛頂経 蘇悉地経 理趣経 |
| 思想 基本教義 |
| 即身成仏 三密 入我我入 曼荼羅 護摩 東密 古義 (広沢流 小野流) 新義 |
| 関連人物 |
| 東密 金剛薩埵 龍樹 龍智 金剛智 不空 恵果 空海 真言律 叡尊 忍性 信空 台密 最澄 順暁 円仁 円珍 |
| ウィキポータル 仏教 |
即身成仏(そくしんじょうぶつ)は、仏教で人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることである。即身成仏の思想は、主に真言密教の教義であり、真言宗において説かれる。空海の『即身成仏義』により確立される。また、天台宗・日蓮宗においても『法華経』に基づき説かれる。
即身仏(修行者が瞑想を続けて絶命し、そのままミイラになること)と混同されがちであるが、即身仏と即身成仏は全く別物である。違いは「成仏」は生きている状態で悟る事。
[編集] 厳しい修行
即身成仏を開くためには、日常生活の枠から逸する必要があり一定以上の修行が必要とされる。時には比叡山の千日回峰行のように限りなく死に近接することもある。これらの修行の面を重視したのが天台・真言など密教や山岳信仰の流れを汲む修験道である。修験道では修験者(山伏)が白装束(古来の日本では死装束でもあった)を纏って修行するなど死を前提とした点での即身仏と混同されやすい由縁もある。背景には擬死再生の思想があり、山伏の籠もる深山は山中他界と観念されていたのである。山伏は一種の他界から帰還する(=蘇る)ことによって超人的な力(法力)を獲得すると考えられ、平地民の間では天狗のイメージのように畏怖の対象ともなっていた。
禅宗の間でも只管打坐という修行が知られている。
[編集] 即身成仏の別の解釈
仏教は、菩薩となる事、すなわち成仏を最終目標とし、修行を重ね、さまざまな事象に関する悟りを開く事によって、菩薩への道を歩み続けて行く求道の宗教である。 精神の高揚を求めて荒行をする宗派もあるが、荒行は悟りを開く為の方法として、それぞれの宗派で考え出された修行法の一種で、必ずしも必要な行というわけではなく、それをやったからと言って必ず悟りを開けるというものでもない。
修行をするにあたっては、通常、出家して修行に専念する。それは、通常の日常生活の中では、さまざまな邪念が存在したり、雑多な事に時間を取られたり、気に掛けなればならない事ができたりする為、修行の妨げになるからである。しかし、たまに、高度な精神的志向性を持ち、日常の生活をしながら修行を積んでいる効果が在って、それにより悟りを開き、そういった事を積み重ねているうちに、菩薩のレベルに達する人が居る。そういった、出家しないで普通の社会生活をしている中に居ながら、菩薩となったケースを、「そのままの生活をしながらの成仏」という事で、即身成仏と表現する、という説もある。
[編集] 参考文献
- 中村 元・福永光司・田村芳朗・末木文美士・今野 達 編 『岩波仏教辞典』 岩波書店、2002年、第二版。ISBN 4-00-080205-4。
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