本覚
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本覚(ほんがく)とは、本来の覚性(かくしょう)ということで、一切の衆生に本来的に具有されている悟り(=覚)の智慧を意味する。如来蔵や仏性をさとりの面から言ったものと考えられる。平たく言えば、衆生は誰でも仏になれるということ、あるいは元から具わっている(悟っている)ことをいう。
主に天台宗を中心として仏教界全体に広まった思想だと考えられており、このことから本覚思想とも称される。
目次 |
[編集] 概要
用語としては『金剛三昧経』などに見られるが、後代の論書のように精緻な理論付けはない。
爾の時尊者大衆に囲遶され、諸大衆の為に一味真実無相無生決定実際本覚利行と名づくる大乗経を説けり。若し是の経を聞き、乃至一四句の偈を受持すれば、是の人、則ち仏智地に入るを為し、能く方便を以て衆生を教化し、一切衆生の為に大知識と作らん。
– 『金剛三昧経』序品第一
理論付けされたものとしては、真諦訳とされる『大乗起信論』の用例が基本的なものである。そこでは、現実における迷いの状態である「不覚」(ふかく)と、修行の進展によって諸々の煩悩をうち破って悟りの智慧が段階的にあらわになる「始覚」(しかく)と相関して説かれている。迷いの世界にいながら悟りの智慧のはたらきが芽生えてくる過程の中で、そのような智慧のより根源的なありかたとしての本覚という観念の存在が考えられた。これは唯識思想における阿頼耶識の種子(しゆうじ)の本有(ほんぬ)・始有の考えかたから発想されたと考えられ、われわれの日常心の根源的なありかたを説明する術語である。
日本の本覚思想では、心の絶対的なあり方(心真如)と同じと考えられ、「本覚・真如」と並べることもある。
[編集] 議論
先述の通り、この本覚思想は、衆生の誰もが本来、如来我・真我・仏性を具えている(本来、覚っている)が、生まれ育つと次第に世間の煩悩に塗(まみ)れていき、自分が仏と同じ存在であることがわからなくなる、ということである。
しかし、この本覚思想は、時代を経ると後々に他の教理と関連付けられ、新たな解釈を生むことになる。すなわち、人間は誰もが悟っているのだから修行する必要もなければ戒律も守る必要がない、凡夫は凡夫のままでよい、などという急進的な解釈がされるようになった。 これは、最澄撰である(偽撰との説もある)『末法燈明記』の「末法には、ただ名字(みょうじ)の比丘のみあり。この名字を世の真宝となして、さらに福田なし。末法の中に持戒の者有るも、すでにこれ怪異なり。市に虎有るが如し。これ誰か信ずべきや」がよく引用されるようになったことに由来すると考えられている。
日蓮を本仏とする宗派では、これらの文献や経典などから「末法無戒」を説き、釈迦在世の細かい戒律などは末法の世では無益であり何の役にも立たない、とする。したがって、修行せずとも題目を唱えることが受持即持戒である、とする宗派をも派生することになった。
ただしこの文章は、日蓮が「名字即菩提」をなどと、「名字」の語義に注目し「煩悩則菩提」などと同じく、「名字即(初めて正法を聞いて一切の法はみな仏説であると覚る位)」による転換を指し示したもので、単なる戒律を否定したものではない、あるいは「末法無戒」とは釈尊の法や戒律が末法では通用しないので、本仏である日蓮が明かした金剛宝器戒こそが末法に於ける戒律である、等々さまざまな説を生むきっかけとなった。
また、真言宗系の立川流や天台宗系の玄旨帰命壇も、性交を以って即身成仏を体現するといわれる。そのため一般的には邪教として危険視されたが[1]、この本覚思想の影響を少なからず受けているという指摘がされている。特に立川流は『理趣経』に説かれる自性清浄(一種の本覚思想)がベースとなっている点を注目すべきであろう。
[編集] 文献
- 『天台本覚論 日本思想大系第9巻』 岩波書店、初版1973年
- 多田厚隆、大久保良順、田村芳朗、浅井圓道校注、新装版1995年
- 田村芳朗 『本覚思想論』 <田村芳朗仏教学論集1>春秋社、1990年 没後に刊行、品切
- 袴谷憲昭 『本覚思想批判』 大蔵出版 1989年
- 大久保良峻 『天台教学と本覚思想』 法蔵館 1998年
- 栗田勇 『最澄と天台本覚思想-日本精神史序説』 作品社 1994年
- 浅井圓道編 『本覚思想の源流と展開』 <法華経研究11> 平楽寺書店 1991年
[編集] 脚注
- ^ 立川流については、真偽の程が明らかでなく事実がどうか疑義が提出されている

