朝鮮民主主義人民共和国の政治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Shigeru23 (会話 | 投稿記録) による 2012年4月17日 (火) 04:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (修正。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

朝鮮民主主義人民共和国の政治は、建国の父とされる金日成が生み出した主体思想と、金日成の長男で後継者の金正日が打ち出した先軍政治を公式な国家の基本的な枠組としている。

概要

朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法では人権の保護と民主主義的な政府について規定されているが、最も強大な権力は最高指導者を中心とした特権階級層の手中にあり、被統治者に情報統制と思想教育によって最高指導者への個人崇拝と絶対服従を強制させる人権蹂躙が行われており、全体主義的な独裁国家であると国際社会に認識されている[1]

最高指導者は金日成(1948年 - 1994年)、金正日(1994年 - 2011年)、金正恩(2011年 - )と世襲されている。

1997年から先軍政治が強調されることによって、軍の地位は高められ、北朝鮮の政治体制の中枢を占めており、社会のすべての機関は軍の精神に従い、軍の方法論を受け入れることを強いられている。最高指導者の公的活動は特に注目され、出来事は軍に関連付けられる。第10期最高人民会議第1回会議において金正日が朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長に推戴され、さらに同職が「国家の最高職責」と宣言されたことによって、国家の最高軍事指導機関である国防委員会が政治の中枢として権力の頂点に立つことが確認された。9月5日、国防委員会の10人の委員すべてがトップ20以内にランク付けされ、9月9日の50回目の建国記念日には、1人を除くすべてがトップ20を占めた。

朝鮮民主主義人民共和国国防委員会

北朝鮮の憲法によると、「国防委員会は国家の権力を握る最高の軍指導機関であり、(中略)、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会の委員長はすべての軍を指揮し、すべての国防を指導する」とされる。国防委員会委員長の座は「国家の最高機関」であると宣言されており、最高人民会議によって制定された法令によると「最高の行政当局」であるとされる。国防委員会委員長は最高人民会議により選出・解任される。金正日が国家主席制度を廃止し、国防委員会を通じて権力を掌握することで、金日成死後の過渡的な政権運営を公式に終わらせることを正確に予想できた者はほとんどいなかった。1998年に改正された憲法では国防委員会の役割と地位が強調されていた。1998年の憲法では国防委員会を「軍を指揮し、軍事問題を処理する最高機関」であると定義していた。国防委員会の委員長は軍を指揮する。演説で金正日が国防委員会委員長に推薦され、金永南はこの国の政治、経済、軍事に関わるすべての問題を解決するため、国防委員会の委員長がこの国の最高の地位であると明言した。こうして金正日は現実的に国家の指導者となったが、理論的には最高人民会議の常設された委員長職が国家の代表であり(最高人民会議には「常任委員会委員長」とは別に「議長」も存在するため)、要人歓迎のような外交の責任者である。

政府

北朝鮮の内閣は、内閣総理(首相)、副首相と相(閣僚)からなる。内閣総理(首相)は最高人民会議によって選出(解任)される。内閣総理は内閣のトップである。現実的には金正日が行政権を有しているが、理論的には内閣が重要省庁をコントロールし、政府の行政権に対する権限を有する。

以下に現在の閣僚(一部)を示す。

議会

北朝鮮の憲法によると、立法府である最高人民会議は国家権力の最高機関である。5年ごとに選出され、687名の議員からなる。会議は1年に2回しか開催されず、またその期間は数日しかなく、これは世界の議会の中で最も短い。法案を起草する最高人民会議常任委員会は議会が召集されていない時期に選出される。議会は公式には政治的な妥協や問題における政治的立場を3つの政党の代表が批准するとされる。現在の常任委員会委員長は金永南である。ほぼすべての外部組織は最高人民会議を期間の短さや不透明な人事、政府が提出するすべての提案が数日で可決されることなどから、単なる形式的な機関であるにすぎないとみなしている[1]

最高人民会議は国防委員会委員長と内閣総理(首相)を選出・解任する。

北朝鮮の司法機関である中央裁判所(最高裁判所に相当)の所長(判事)と検察機関である中央検察所(最高検察庁に相当)の所長(検事)も最高人民会議によって任命される。任期は5年である。

党と政府の関係

党機関と政府機関の関係はしばしば船の舵を切る人と漕ぐ人の関係に例えられる。党員は官僚や労働者が党の軌道にずっといられるように運転する。現行憲法の第11条は「朝鮮民主主義人民共和国は朝鮮労働党の指導の下、すべての活動を指揮する」という文言を繰り返している。党と政府の関係は連続性と変化を経験してきたが、党は政府の指導的役割を維持している。党と政府の関係は近い将来、連続性でなく変化が起きるのかもしれない。まず第一に北朝鮮の指導者たちはイデオロギーの失敗により社会主義陣営の東欧諸国が消滅してしまったことを考える。こうして彼らは党により指導されるイデオロギーの重要性を強調する。また彼らは大衆による党の支持の意義にも注目する。第2に金正日は党の組織において権力掌握にいたる途上、党幹部としてキャリアをスタートしたことである。さらに彼には党内に強力な支持者たちがおり、彼の忠実な支持者は党内で多数を占めている。第3に北朝鮮が国際社会に適応することをためらっており、そのことが政府における党の役割を強くするという期待がある。北朝鮮は開放的な政策を採ることをためらっているが、経済政策は政治的意図から述べられている。北朝鮮は開放政策が引き起こす影響を恐れているため、とても限定された方法で実行されている。こうして政府官僚の役割は明らかに限定され、政府が党の管理外に置かれることは不可能となる。政府は新憲法の下で地位を得たが、このことが党の政府に対する指導的役割に影響を与えることはありそうにない。特に組織とイデオロギーにおいて、党の指導はより強固なものになったのかもしれない。

党と軍の関係

軍に政府の官僚を送り始めた朝鮮戦争以来、歴史的に党は軍をコントロールしてきた。1950年10月、党の委員会は軍の組織化を始めた。1956年と1969年に起きた反金日成派の大規模な粛清事件以後、軍内部の党機関は強化された。1980年に制定された政党法によると「朝鮮人民軍は朝鮮労働党の革命的な軍隊である」とされている。しかし、近年における先軍政治は党による軍のコントロールを損なったと信じる者もいる。金正日は軍を頻繁に訪問することで親近感を育み、また軍の幹部を国家の首脳に昇進させるなど、以前より軍を厚遇している。

政党と選挙

憲法によると、北朝鮮は民主主義的な共和国であり、最高人民会議と地方の人民会議の議員は秘密投票による直接普通選挙で選出される[3]。選挙権は17歳以上のすべての国民に与えられる。実際には立候補する候補者は1人だけであり複数の候補者が争うことはない。北朝鮮政府によると、最高人民会議の議員は自由選挙で選ばれることになっている。労働党は熱心な党員を選び、彼または彼女がどの選挙区でも1人だけ立候補するよう御膳立てをする。他の党は異なる手法を採っているかもしれない。こうして選挙が行われる。それゆえ、それは自ずと西洋のどの国家とも異なる性質の立法府となる。すべての候補者は3つの政党の統一会派である祖国統一民主主義戦線に属する。朝鮮労働党を除く2つの政党は天道教青友党朝鮮社会民主党であるが、両党とも党員は数名しかいない。朝鮮労働党は選挙のために選出された他の2つの政党の候補者を直接指導する[1]

法体系

北朝鮮の司法機関は中央裁判所長官と2人の人民判事からなる中央裁判所を頂点として道・直轄市裁判所人民裁判所及び特別裁判所の司法機関がある。中央裁判所長官は最高人民会議で任命される。彼らの任期は最高人民会議の議員と同様である。北朝鮮のすべての裁判所は中央裁判所と同じ構成である。下級の裁判所は中央裁判所が指揮監督する。司法のシステムは理論上、最高人民会議か最高人民会議常任委員会が責を負う。司法は違憲審査制を採っていない。過去のほとんどのケースで軍は司法の行動にしょっちゅう干渉している。北朝鮮外部の専門家や多数の亡命者がこのことを問題視している[4]。フリーダムハウスは「北朝鮮では司法の独立が機能せず、個人の権利が守られていない。恣意的な拘束、『失踪』、司法によらない処刑が常態化しており、拷問が広く行われ、深刻化している」と述べている[1]

北朝鮮の1972年の憲法に代わる第5憲法は1998年9月承認され、施行された。以前の憲法は1992年に修正された。現行憲法はドイツの大陸法に基づき、日本の法理論の影響を受けている。[要出典]刑法の罰則規定は厳しく、システムの基本機能は政権の権限を認めている。情報があまりにも少ないため、国内で実際何が起きているのか、法の支配がどの程度実現されているのかは不明である。いずれにせよ、北朝鮮は人権の状況が悪く、多くの人が裁判や法的根拠のないまま拘束されていることで有名である。米国国務省の人権の実施状況に関する報告書によると、北朝鮮政府は犯人とその家族をしばしば同時に処罰している[4]

政治改革

その歴史の多くにおいて、北朝鮮は韓国との敵対関係を支配してきた。冷戦期にはソ連、中国と同盟関係を結んでいた。北朝鮮政府は朝鮮半島を武力で再統一し、歴史的に対立する韓国、日本米国のいかなる攻撃も撃退する能力を開発するため軍事に非常に投資してきた。冷戦が終焉に向かうにつれて中国やソ連との関係は緩やかになり、北朝鮮は経済の高度な独立と諸外国の武力の脅威から国家の主権を守るため国家のすべての資源を動員することを基本とする主体思想を開発した。

ソ連の崩壊により、ソ連からの経済的支援が止まると、北朝鮮は食料や工業品の深刻な不足を含む長期に渡る経済的危機に直面した。北朝鮮の主要な政治的問題は、妥協することなく政治の安定を計り、外国の脅威に反応しながら、どう経済活動を維持するかであった。北朝鮮は貿易を増やし開発援助を得るため韓国との関係を改善した。しかし、北朝鮮の核やミサイルへの開発の意志は日本や米国との関係改善の障害となった。北朝鮮は市場経済の部分的な導入も試みたがその恩恵は限定的だった。海外の一部のオブザーバーは金正日自身はそのような改革を望んでいるが党や軍の一部が彼らの安定に変化を与えることに抵抗しているのではないかと考えていた。[要出典]

あちこちで政府に反対する報告があったが、それらは比較的孤立しており、現在の政権に対する重大な脅威があるという証拠はない。ある海外の研究者は大規模な飢餓、中国への脱北者の増加、世界の北朝鮮国籍の人々からの新たな情報が政権崩壊への要素になりうると指摘した。しかし、北朝鮮はそのような予言がされてから十年以上過ぎているにもかかわらず、依然として安定している。朝鮮労働党は独裁を維持し、金正日は父の死以降、国家の指導者となってから、2011年12月19日に自身が亡くなるまでその地位を保ち続けていた。

最高指導者

金日成から始まった最高指導者は、金正日、金正恩と3代に渡って世襲されている。

脚注

  1. ^ a b c d Freedom in the World, 2006”. Freedom House. 2007年2月13日閲覧。
  2. ^ a b Dae-woong, Jin (2007年10月4日). “Who's who in North Korea's power elite”. The Korea Herald. http://www.koreaherald.co.kr:8080/servlet/cms.article.view?tpl=print&sname=National&img=/img/pic/ico_nat_pic.gif&id=200710040041 2007年10月5日閲覧。 
  3. ^ Constitution of North Korea”. Wikisource. 2007年2月22日閲覧。
  4. ^ a b Country Reports on Human Rights Practices”. U.S. Department of State (2006年3月8日). 2006年2月22日閲覧。
  5. ^ a b 北朝鮮 - 外務省(2012年4月16日閲覧)
  6. ^ ジョンウン氏「後継」確定…党軍事委副委員長に - YOMIURI ONLINE(2010年9月29日付、2012年4月17日閲覧)
  7. ^ 金正恩氏、党第1書記に 正日氏は「永遠の総書記」 - 日本経済新聞 電子版(2012年4月11日付、2012年4月16日閲覧)

外部リンク