金永南

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朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮の政治家
金永南
김영남
生年月日 1928年2月4日(86歳)
出生地 大日本帝国の旗 朝鮮平安南道 (日本統治時代)平壌府
出身校 金日成総合大学
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党

任期 1998年9月5日 -
国防委員長
国防第一委員長
金正日(事実上の元首)
金正恩(事実上の元首)

朝鮮民主主義人民共和国の旗 政務院副総理
内閣 李鐘玉内閣、第1次姜成山内閣、李根模内閣、延亨黙内閣、第2次姜成山内閣
任期 1983年12月28日 - 1998年9月5日
国家主席 金日成1994年7月8日に死去)
金正日(金日成死後、事実上の元首)

朝鮮民主主義人民共和国の旗 第5代外務大臣
内閣 李鐘玉内閣、第1次姜成山内閣、李根模内閣、延亨黙内閣、第2次姜成山内閣
任期 1983年12月28日 - 1998年9月5日
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金永南
各種表記
ハングル 김영남
漢字 金永南
発音: キム・ヨンナム
日本語読み: きん・えいなん
ローマ字 Kim Yŏng-nam
英語表記: Kim Yong-nam
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金 永南(キム・ヨンナム、김영남1928年2月4日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。現在、最高人民会議常任委員会委員長(国会議長に相当)、朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員を務める。党内序列は第2位。

1998年9月5日朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法改正により、最高人民会議常任委員長が同国の元首格とされたため、対外的に国家元首の役割を果たしている。

経歴[編集]

日本統治時代平壌で生まれる。朝鮮民主主義人民共和国建国後、金日成総合大学を卒業し、モスクワ大学にも留学した。朝鮮労働党入党後、長らく外交畑を担当し、幹部へと出世していく。

1970年11月、党中央委員に選出され、1972年2月に党中央委員会国際部副部長、外務次官に就任。同年、最高人民会議代議員に選出される。1975年、党国際担当書記に任命され、1978年8月に党政治局員に選出。1980年10月の第6回党大会で党政治局員・書記に再選される。1983年12月28日、政務院副総理兼外交部長(外務大臣)に就任。1998年に退任するまで約15年間在職し、金日成金正日父子の外交政策を支える。1989年9月には祖国平和統一委員会副委員長を兼任。1994年7月8日に金日成が死去。金日成の演説草案の多くを作成し、金日成から信頼されていた金永南は、同月に開催された金日成追悼大会において追悼演説を行った。

1998年9月5日、最高人民会議第10期第1回会議において憲法が改正され、金日成の死後空位となっていた国家主席は廃止となり、代わって最高人民会議常任委員会委員長が国家元首格として再設置された[1]。金永南は最高会議常任委員長に選出されて対外的に国家元首の役割を果たすこととなった。しかし、金永南はこの最高人民会議の席上、金正日が務める国防委員長を「国家の最高職責」と宣言したため、金正日が事実上の国家元首となり、金永南は国家のナンバー2となった。

2009年4月9日の最高人民会議第12期第1回会議で憲法が改正され、国防委員長が「国家の最高指導者」として規定された。これにより金正日が名実ともに国家元首となった。しかし、万国博覧会などの国際行事には金永南が国家元首格として北朝鮮を代表して出席することが多い。

2010年9月28日に開催された第3回党代表者会議および党中央委員会総会において政治局常務委員に選出され、正式に党内序列第2位となった。

日本との関係[編集]

1974年列国議会同盟朝鮮民主主義人民共和国代表団団長として来日。2002年9月17日の第1回日朝首脳会談では、平壌国際空港に到着した日本国内閣総理大臣小泉純一郎を出迎えた。

家族[編集]

弟の金己男は朝鮮労働党政治局員・書記を務める。縁戚の金東淳元正花2008年大韓民国でスパイ容疑のために逮捕された。

脚注[編集]

  1. ^ 最高人民会議常任委員長は、北朝鮮が建国された1948年から1972年の憲法改正まで国家元首として設置されていた。1972年の憲法改正で国家元首として国家主席職が設けられて金日成が国家主席に就任すると、最高人民会議常任委員会は最高人民会議常設会議に改組されて権限を縮小された。なお、最高人民会議常任委員長と最高人民会議議長の職は分離していたが、最高人民会議常設会議の議長は最高人民会議議長が兼任した。


 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代:
楊亨燮 (ko)
(最高人民会議議長)
最高人民会議常任委員長
1998年 -
次代:
現職
先代:
許錟
外務大臣
1983年 - 1998年
次代:
白南淳