朝鮮労働党中央委員会総書記

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朝鮮労働党中央委員会総書記(ちょうせんろうどうとうちゅうおういいんかいそうしょき)は、朝鮮労働党中央委員会書記局の最高責任者。中央委員会書記局は党の幹部人事や日常業務を取り仕切り、中央委員会に設置された各部の活動を管掌するため、その長である中央委員会総書記は朝鮮労働党の事実上の実権者となる[1]。そして、中央委員会総書記は党大会や中央委員会総会において党を代表して「党活動報告」を行うことから、朝鮮労働党の党首として位置づけられる。なお、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法の規定により、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は朝鮮労働党によって指導されるため、同国の事実上の最高指導者にあたる職でもある。

北朝鮮では総書記を総秘書と呼ぶが、日本のマスメディアは中華人民共和国や旧ソビエト連邦の呼称と合致させるため、総書記と呼称している[2]

概要[編集]

北朝鮮の支配政党である朝鮮労働党が1949年6月30日に成立[3]した際、党の最高指導機関である中央委員会の首班として中央委員会委員長が置かれた。委員長には北朝鮮首相で、ソ連の支援を受けていた金日成が選出された。金日成は自身に対する党内の反対派を粛清して権力を掌握し、党内で確固たる地位を築く。

1966年10月に開催された第2回党代表者会において党機構の改組が行われた。中央委員会委員長・副委員長が廃止され、中央委員会の最高職として中央委員会総書記と、総書記の下で党の日常業務を処理し人事・組織問題をも掌握する中央委員会書記局が設置された。第2回党代表者会最終日の10月12日、第4期党中央委員会第14回総会が開催され、金日成が総書記に選出された[4]

その後、金日成は1970年の第5期党中央委員会第1回総会、1980年の第6期党中央委員会第1回総会で総書記に再選される。この間、金日成の独裁化は進み、神格化されていく。1972年に制定された朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法では朝鮮労働党の主体思想を国家の活動の指導指針とすることが定められ[5]、同党の最高指導者である総書記が北朝鮮の事実上の最高指導者としての職となった。なお、金日成はこの憲法に基づいて設置された国家元首職である朝鮮民主主義人民共和国主席にも就任し、名実共に国家の最高指導者と位置づけられた。

金日成は党中央委員会総書記・国家主席に在職のまま、1994年7月8日に死去した。総書記ならびに国家主席の地位は金日成の長男で後継者である国防委員長・党政治局常務委員・党書記局筆頭書記の金正日が継承すると見られた。しかし、金正日は「3年の喪に服する」として総書記にも国家主席にも就任はしなかった[6]。服喪期間中は党の最高職である総書記と元首である国家主席は空席になったが、父の死を受けて党内序列1位となった金正日が最高指導者として北朝鮮を統治した。1997年7月8日に開催された「金日成主席死去3周年中央追悼大会」において「喪明け」が宣言されると、金正日の党総書記就任が政治日程に上ることとなった。1980年の第6回党大会で採択された党規約によれば、総書記は党中央委員会総会において選出されることになっていたが、金日成の死後、党中央委員会総会は招集されず、金正日は中央委員会総会における選挙という正規の方法で総書記の地位には就かなかった。1997年9月21日の平安南道党委員会の代表会を皮切りに10月初旬まで各地で党代表会が開催され、そこで金正日を党総書記に「推戴」する決議が行われていった。また、9月22日には朝鮮人民軍内の党代表会で金正日の総書記推戴が決議され、その後政務院(内閣)事務局や各行政機関でも党代表会が開催されて金正日総書記推戴を決議していった[7]。つまり、軍・中央政府・地方の党組織が別々に代表会を開いて個別に推戴決定書を満場一致で採択する形をとり、これを「全党の意思」として[8]10月8日、党中央委員会と党中央軍事委員会が連名で金正日の総書記推戴を宣言し、金正日は総書記に就任したのである[9]。なお、党中央委員会と党中央軍事委員会が金正日総書記推戴を宣布した「特別報道」では金正日を「党の総書記」「朝鮮労働党の公認された総書記」と表現していたことから、日本の北朝鮮研究者である玉城素は、金正日が就任した総書記職は正規の手続きで中央委員会によって選出された「中央委員会総書記」ではなく、党規約上存在しない「便宜上仮構された職位」としての「党総書記」であるとみている[10]

2010年9月28日に第3回党代表者会が開催され、金正日は党総書記に再び「推戴」された。そして、党規約の改正が行われ、総書記の選出が党中央委員会総会での選挙から党大会における「推戴」に変更されるとともに、党代表者会での党最高指導機関選挙でも実施されることが定められた。また新規約では、1980年の党規約では明確でなかった総書記の地位を「党の首班」と規定し、党中央軍事委員会委員長との兼職規定も設けた。

2011年12月17日、金正日が死去し、三男の金正恩が後継者となった。金正日の死によって空席となった党総書記の地位を金正恩が継承するとみられたが[11]2012年4月11日に開催された第4回党代表者会で金正日を「永遠の総書記」として位置づける決議が採択されるとともに、党規約が改正されて総書記の地位は廃止された。そして、新たに最高職として党第一書記が設けられ[12]、金正恩が就任した[13]

選出・任期[編集]

2010年改正の党規約によれば、総書記は党大会において推戴される。また、党大会閉会中に召集された党代表者会においても総書記の選出は可能である。任期・再選については規定はない。

職責[編集]

2010年改正の党規約における総書記の職責は以下の通り。

  • 朝鮮労働党の首班として党を代表し、全党を領導する。
  • 朝鮮労働党中央軍事委員会委員長を兼職する。

朝鮮労働党歴代最高指導者[編集]

中央委員会委員長[編集]

  1. 金日成1949年6月30日 - 1966年10月12日

中央委員会総書記[編集]

  1. 金日成1966年10月12日 - 1994年7月8日
  2. 金正日1997年10月8日 - 2011年12月17日

第一書記[編集]

  1. 金正恩2012年4月11日 - )

脚注[編集]

  1. ^ 玉城(2009年)、127ページ。
  2. ^ 重村(1997年)、72ページ。
  3. ^ 朝鮮労働党の前身である北朝鮮労働党南朝鮮労働党と合併し、党名を朝鮮労働党とした。朝鮮労働党自身が党創建日と定めているのは1945年10月10日朝鮮共産党北部朝鮮分局成立の日である。
  4. ^ 平井(2010年)、25 - 26ページ。
  5. ^ 1992年の憲法改正によって朝鮮労働党による国家の領導(指導)が明確に規定された。
  6. ^ 平井(2010年)、58ページ。
  7. ^ 平井(2011年)、160ページ。
  8. ^ 玉城(2009年)、124ページ。
  9. ^ 平井(2010年)、58 - 59ページ。
  10. ^ 玉城(2009年)、122 - 125ページ。
  11. ^ 【正恩新体制】北朝鮮、党代表者会開催へ 金正恩氏、党総書記就任見通し」『産経新聞』2012年4月11日付記事(2012年4月11日閲覧)。
  12. ^ 朝鮮労働党第4回代表者会議が行われるネナラ日本語版、2012年4月12日付配信記事(2012年4月17日閲覧)。
  13. ^ 金正恩氏、『第1書記』に=正日氏は『永遠の総書記』-北朝鮮時事通信(時事ドットコム)、2012年4月11日付配信記事(2012年4月11日閲覧)。

参考文献[編集]

  • 重村智計『北朝鮮データブック』(講談社〈講談社現代新書〉、1997年)
  • 重村智計『最新・北朝鮮データブック 先軍政治、工作から核開発、ポスト金正日まで』(講談社〈講談社現代新書〉、2002年)
  • 玉城素『玉城素の北朝鮮研究 金正日の10年を読み解く』(晩聲社、2009年)
  • 平井久志『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮社〈新潮選書〉、2010年)
  • 平井久志『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波書店〈岩波現代文庫〉、2011年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 北朝鮮WEB六法 ― 朝鮮労働党規約(2010年改正)の全文(日本語訳)が掲載されている。