日本銀行券
日本銀行券(にっぽんぎんこうけん)は、日本銀行が発行するもしくは発行していた紙幣である。失効したものを除き日本国の法定通貨である。
概説
概説
日本銀行は、日本銀行法を根拠に、日本銀行券を発行し(市中に払い出し)通貨として流通させている。日本銀行券には日本国内で法定通貨として無制限に通用する強制通用力が付与されている。過去に発行されていた日本銀行券の中には各種法令により既に失効しているものがある。これら失効券以外は、古い日本銀行券であっても現在発行中の券と同様に法定通貨として有効である。
現在発行中の日本銀行券は、独立行政法人国立印刷局によって製造され、日本銀行に納入されている。納入価格は明らかにされていないが、券1枚あたり、一万円紙幣なら40円程度といわれている(週刊しゃかぽん第一号より)。2009年(平成21年)度の計33億枚の日本銀行券製造費は約509億円であり、1枚当たり15.4円となる[1][2]。
現在、主に流通しているのは2004年発行開始のE券(一万円券、五千円券、千円券)および2000年発行開始のD二千円券である。現在では(記念硬貨を除いた)硬貨よりも日本銀行券のほうが高額面だが、兌換制度下の頃は、材料不足などを解消するための補助的なものであった。そのため以前は一円券と一円銀貨などが併用された。近年は同一額面の硬貨と日本銀行券の並行発行を避けるのが政府および日本銀行の方針とされている為か、現在ではそうしたケースはほとんど見られない。最近にして最初の事例としては、五百円硬貨の発行(1982年)に伴い、C五百円券は遅くとも1985年には製造が中止された。各C券、B100円券などは発行停止から久しいが、市中流通しているのがごく稀に見られることがある。
記番号(B券以降)
ここではB券以降の券の記番号について述べる。 記番号とは、ラテン文字(アルファベット)とアラビア数字の組み合わせによる通し番号であり、各券種の日本銀行券1枚ずつ固有のものである。ただし記番号の組み合わせを全て使い切ってしまった場合、印刷色を変えて再度同じ記番号が使われる。過去の例においては「黒色、青色、褐色、暗緑色」の順に記番号の印刷色が設定された。C千円券(伊藤)では、黒色と青色、D一万円券(福澤)とD五千円券(新渡戸)では黒色と褐色が、またD千円券(夏目)では、この4色全てが使用された。アルファベットのうち、「I」(アイ)と「O」(オー)は、数字の「1」「0」と紛らわしいため使用されない。
- (1) 左端のアルファベットは1文字または2文字であり、概ね2文字のものより1文字のものが製造時期が早い。1文字のものについては、概ね A, B, C ... Z の順番で製造される。2文字である場合、額面五千円以上の券は概ね AA, AB, AC ... BA, BB, BC ... ZX, ZY, ZZ の順に製造され、額面二千円以下の券は概ね AA, BA, CA ... AB, BB, CB ... XZ, YZ, ZZ の順に製造される。なぜ「概ね」なのかというと、印刷局の工場が4か所あり、各工場間の券製造のスケジュール調整がいかになされているかは当局者しか知り得ないからである。しかし製造時期の早晩を判断する大体の目安にはなる。
- (2) アルファベットに挟まれた数字6桁については、000001から900000までの90万通りである。
- (3) 右端のアルファベット1文字を「末尾記号」といい、製造した工場を表すが、例外も有り得る。なお、現在発行されているD二千円券、およびE券については概ね以下の通りになっている。
結局、同一印刷色の記番号で (24x900,000x24)+(24x24x900,000x24) = 12,960,000,000 (129億6千万)枚まで製造・発行できることになる。記番号を数字に例えるなら、上記 (1), (2), (3) のうち、最も上位の桁は (1) で、次が (3)、最下位の桁が (2) である。例えば、E千円券を小田原工場で製造する場合、「AA900000H」の次に製造すべきは「AA000001J」であり、「AA900000N」の次は「BA000001H」である。
E一万円券とE千円券について、黒色で印刷されている記号と番号の組合せが枯渇する予定となったため、日本銀行と財務省は、2011年7月19日より記番号が褐色の券を発行すると発表した[3][4]。C千円券, D千円券では、黒色記番号の次は青色記番号であったが、E千円券では黒色記番号の次に褐色記番号になる。
デザインの変更
偽造防止の為、B券発行以降は約20年に一度、デザインが変更されている。変更の際には常に最新技術を導入し、偽造対策を施している。デザインの変更がなくても、あとから偽造防止策が導入されることもある。1993年12月1日以降改刷発行されたD一万円券、D五千円券およびD千円券(記番号が褐色、暗緑色であるD券)は、従前のD券とデザインは同じであるが、後述する通り「マイクロ文字」「特殊発光インキ」などの偽造防止策が新規に導入(ミニ改刷)された。
A百円券やB券、C券では聖徳太子と近代政治家の肖像が採用された。聖徳太子は特に高額券に採用され、「お札といえば聖徳太子」のイメージが今でも存在する。1984年のD券以降は、D二千円券を除きいわゆる文化人が肖像に採用されている。D二千円券は人物の肖像ではなく、建築物を像としている点で特異である。
D二千円券およびE券の発行
2000年には二千円券が新たに発行された。しかし二千円券の普及流通については以下のような特異な事情がある。
- 二十ドル紙幣など「2」のつく単位の通貨が一般的なアメリカ合衆国やヨーロッパ等とは異なり、現代の日本では通貨は「1」と「5」のつく単位であるという認識が一般消費者に浸透しきっており、二千円券を受け入れる土壌は薄かった。なお、外国人旅行者、とくにオーストラリアやアメリカ合衆国など及びその国の出身者には好まれる傾向があるらしい(20ドル紙幣などと感覚が近いから)。
- 店側が二千円券を受け取っても、一万券同様レジの下段に入れられてしまうなど、お釣りとして二千円券が供給されることなく銀行に還流してしまうことが多い。お釣りとして客に出さないことを方針とする店さえある。
- 銀行の現金自動預け払い機(ATM)による二千円券出金対応があまり進んでおらず、千円券や一万円券と比べると二千円券がATMを通じて供給される機会は(五千円券同様)少ない。一方、一部の系列のコンビニエンスストアに設置されているATM(コンビニATM)では、紙幣補充にかかるコストの削減になる(千円券の半分の枚数で同じ金額になる)ことから、出金対応が進んでいる。
- 窓口で出金する時は、在庫があればこれまでの紙幣同様に申請すれば供給される。
- 乗車券類の自動販売機、食券販売機、遊技場・パチンコ店・公営競技場等の両替機・自動販売機等の一部では比較的早期に二千円券の入金対応がされた。一方、自動販売機の過半数を占めている飲料やたばこを中心とした100円~400円程度の商品を販売する自動販売機の二千円券入金対応は、あまり進んでいない。
- ATM・両替機・自動販売機等の各種機器の入れ替えが必要となることから、二千円券の新規発行は機器製造業の需要を促し景気回復の起爆剤になると期待する向きもあった。しかしこのような出納機器を導入する企業の立場からすれば、これまでになかった額面券ゆえ、機器更新のみならず保守・運用にも新たなコスト負担が必要な(かつ、普及するか否か先行き不透明な)二千円券の入出金対応については、発行開始当時の沈滞した景気の中では慎重にならざるをえなかった。
日本銀行は「二千円券の利便性」を主張しているが、上述のように、現金の出納を取り扱う機械が多数普及している日本では、二千円券を普及流通させることには困難があった。日本銀行からの発券枚数自体は、五千円券のそれを超えていることも一時期あったが、積極的に行使する者もいるものの、各地の銀行の金庫で眠っているのが実情であり、市中流通枚数は少なく、普及しているとは言い難い。但し、二千円券にゆかりの深い沖縄県においては、盛んに普及キャンペーンが行われた事もあり、流通量は他都道府県に比べて高い。[5]
2004年11月には20年ぶりに一万円券、五千円券、千円券が新しいデザイン(E券)に更新された。こちらは二千円券とは異なり、従来からあった券種であり心理的に受け入れやすかったこと、ATMや自動販売機では識別装置のプログラムの更新だけで済むため入出金対応が迅速になされたこと、またD券(二千円券を除く)の偽造が社会問題となっていたことなどにより、急速に普及した。
日本銀行券の偽造防止技術
初期のD券(1984年11月1日発行開始)以前から採用されているもの
- すき入れ(透かし)
- 日本銀行券には、一部の券種を除き、「黒透かし」という特殊なすき入れがされている。黒透かしを施した紙の、政府、国立印刷局、および政府の許可を受けた者以外による製造は「すき入紙製造取締法」により禁止されている。二千円券を除くD券では、視覚障害者が触覚で容易に券種を識別できるよう券の右下に各券種固有のパターンとしてもすき入れされている。
- 凹版印刷
- 微細線を印刷するための印刷手法。凹版印刷の項を参照。
ミニ改刷されたD券(1993年12月1日発行開始)から採用されたもの
- マイクロ文字
- 肉眼では認識できないか、かろうじて認識できる程度の微小な文字を、文様に紛れさせている。ただし微細の程度を問題にしないならば、これより前の日本銀行券(明治期を含む)にもマイクロ文字は採用されている。
- 特殊発光インキ
- 紫外線や近紫外線を照射すると蛍光を発するインクによる印刷。インク自ら発光するわけではない。ミニ改刷以降のD券(D千円券・D五千円券・D一万円のうち記番号が黒色でないもの、およびD二千円券すべて)、および各E券で採用されている。表面の印影部分(オレンジ色蛍光)と地紋の一部(黄緑色蛍光)。
D二千円券から採用されたもの
- 深凹版印刷
- 凹版印刷刷版の凹部をさらに深くし、結果として券に転写されたインクが触ってわかるほどに盛り上がっている印刷である。おもて面の漢数字とアラビア数字による額面表示、「日本銀行」「日本銀行券」の文字、後述の「潜像模様」、等として印刷されている。視覚障害者が触覚で容易に券種を識別できるよう券の左右下端に配置された各券種固有のパターン(識別マーク、たとえば二千円券では「●」が3つ(点字の「に」))としても印刷されている。
- 潜像模様
- 深凹版印刷技術の応用であり、印刷されたインクの縞状凹凸により表現される模様。券を傾け入射角を大きくして見るとより明瞭にその模様が目視できるもの。券の左下部に額面金額として印刷されている。
- パールインク
- 見る角度によってピンク色の真珠様光沢が目視できるインクによる印刷。券の左右両端に配置されている。E千円券ではさらに、左下の潜像模様に重ねて「千円」の文字として印刷されている。
- ユーリオン
- 銀行券のデジタルデータ画像を画像処理ソフトウェアやカラー複写機が検出しやすくするために描かれたシンボル。ユーリオンの項を参照。
- 光学的変化インク(D二千円券のみ)
- D二千円券の表面右上にある額面金額”2000”は、券を見る角度によって紫色、青緑色等に色が変化して見える。
E券から採用されたもの
- すき入れバーパターン
- 縦棒形状のすき入れ。券の右側に配置されている。
- ホログラム(E五千円券、E一万円券のみ)
- ホログラム参照。
日本銀行券一覧
券名の最初の文字は発行された時期によって紙幣を分類する記号で、A券、B券等と呼ばれる。概ね、昭和初期までは「甲乙丙丁」、戦時中は「いろ」、戦後はアルファベット「ABCDE」である。
現在発行中の券
額面 | 券名 | 表の図案 | 裏の図案 | サイズ(mm) | 発行日 |
---|---|---|---|---|---|
10000円 | E一万円券 | 福澤諭吉 | 平等院鳳凰堂の鳳凰像 | 76×160 | 2004年(平成16年)11月1日 |
5000円 | E五千円券 | 樋口一葉 | 尾形光琳筆「燕子花図」 | 76×156 | |
2000円 | D二千円券 | 沖縄県首里城守礼門 | 紫式部、源氏物語絵巻(光源氏、冷泉帝) | 76×154 | 2000年(平成12年)7月19日 |
1000円 | E千円券 | 野口英世 | 富士山、サクラ | 76×150 | 2004年(平成16年)11月1日 |
- この表の「券名」は、最近の日本銀行と財務省の文書の表記に従っている。実際の券面の表記では、「一」は「壱」、「二」は「弐」となっている。
- D券の製造中に、2回製造者の名称が変わっている。大蔵省印刷局→財務省印刷局(2001年1月)→国立印刷局(2003年4月)。従って(二千円券を除く)D券は日本銀行券で唯一の「財務省印刷局製造」となった。D二千円券については、前述のとおり供給過剰であることもあってか、2002年以降は全く製造されていない。
現在発行されていないが有効な券
発行 | 券名 | 表の図案 | 裏の図案 | サイズ(mm) |
---|---|---|---|---|
1984年11月1日 | D一万円券 | 福澤諭吉 | キジ | 76×160 |
D五千円券 | 新渡戸稲造 | 富士山 | 76×155 | |
D千円券 | 夏目漱石 | タンチョウ | 76×150 | |
1969年11月1日 | C五百円券 | 岩倉具視 | 富士山 | 72×159 |
1963年11月1日 | C千円券 | 伊藤博文 | 日本銀行 | 76×164 |
1958年12月1日 | C一万円券 | 聖徳太子 | 彩紋 | 84×174 |
1957年10月1日 | C五千円券 | 聖徳太子 | 日本銀行 | 80×169 |
1953年12月1日 | B百円券 | 板垣退助 | 国会議事堂 | 76×148 |
1951年12月1日 | B五拾円券 | 高橋是清 | 日本銀行 | 68×144 |
1951年4月2日 | B五百円券 | 岩倉具視 | 富士山 | 76×156 |
1950年1月7日 | B千円券 | 聖徳太子 | 法隆寺夢殿 | 76×164 |
1946年3月19日 | A一円券 | 二宮尊徳 | 彩紋 | 68×124 |
1946年3月5日 | A五円券 | 彩紋 | 彩紋 | 68×132 |
1946年3月1日 | A百円券 | 聖徳太子 法隆寺夢殿 天平雲 新円標識 | 法隆寺 | 93×162 |
1946年2月25日 | A十円券 | 国会議事堂 | 彩紋 | 76×140 |
1943年12月15日 | い一円券 | 武内宿禰 | 宇倍神社 | 70×122 |
1889年5月1日 | 改造一円券 | 武内宿禰 兌換文言(日本語) 偽造変造罰則文言 | 彩紋 一円銀貨 兌換文言(英語) | 85×145 |
1885年9月8日 | 旧一円券 | 大黒像 兌換文言(日本語、英語) | 彩紋 偽造変造罰則文言 | 78×135 |
- この表の「券名」は、最近の日本銀行と財務省の文書の表記に従っている。実際の券面の表記では、「一」は「壹」または「壱」、「十」は「拾」、「円」は「圓」または「円」となっている。
- 戦前に流通した日本銀行券の中で1円の額面のもののみが残されたのは、1円が日本における基本通貨単位であることへの配慮に基づくとされている。
- これらの紙幣は現在も法的には有効であるが、実際には既に回収が進み、現在市中ではほとんど、あるいはまったく流通していない。旧一円券などは古銭的価値が評価され取引されている。B五拾円券は戦後の紙幣であるが発行枚数がやや少ない(約3.6億枚)ので数千円の値が付くことがある。一方大量に現存している各C券, 各D券, B100円券等には額面を大幅に上回るような付加的価値(プレミア)は期待しないほうがいい。
失効した日本銀行券
発行 | 券名 | 表の図案 | 裏の図案 | サイズ(mm) |
---|---|---|---|---|
1948年5月25日 | A五銭券 | 梅 | 彩紋 | 48×94 |
1947年9月5日 | A拾錢券 | 鳩 | 国会議事堂 | 52×100 |
1945年8月17日 | ろ百圓券 | 聖徳太子 | 法隆寺 | 93×162 |
ろ拾圓券 | 和気清麻呂 | 護王神社 | 81×142 | |
1942年4月20日*** | 甲千圓券 | 日本武尊 建部神社 | 彩紋 | 100×172 |
1927年5月12日** | 丙貳百圓券 | 武内宿禰 | 彩紋 | 97×188 |
1942年1月6日* | 丁貳百圓券 | 藤原鎌足 談山神社拝殿 | 談山神社十三重塔 | 97×165 |
1944年11月1日 | い拾錢券 | 八紘一宇塔 | 彩紋 | 51×106 |
1944年11月1日 | い五錢券 | 楠木正成 | 彩紋 | 48×100 |
1944年3月20日 | い百圓券 | 聖徳太子 法隆寺夢殿 | 法隆寺 | 93×163 |
1943年12月15日 | い拾圓券 | 和気清麻呂 | 護王神社 | 81×142 |
1943年12月15日 | ろ五圓券 | 菅原道真 北野神社 | 彩紋 | 76×132 |
1942年1月6日 | い五圓券 | 菅原道真 北野神社 | 彩紋 | 76×132 |
1931年7月21日 | 乙貳拾圓券 | 藤原鎌足 談山神社十三重塔 | 談山神社拝殿 | 87×152 |
1930年5月21日 | 丙拾圓券 | 和気清麻呂 | 護王神社 | 81×142 |
1930年3月1日 | 丁五圓券 | 菅原道真 北野神社 | 彩紋 | 76×132 |
1930年1月11日 | 乙百圓券 | 聖徳太子 法隆寺夢殿 | 法隆寺 | 93×162 |
1927年4月25日 | 乙貳百圓券 | 彩紋 | 印刷なし | 73×123 |
1917年11月20日 | 甲貳拾圓券 | 菅原道真 | 北野神社 | 86×149 |
1916年12月15日 | 丙五圓券 | 武内宿禰 宇倍神社 | 彩紋 | 73×130 |
1915年5月1日 | 乙拾圓券 | 和気清麻呂 護王神社 | 彩紋 | 89×139 |
1910年9月1日 | 乙五圓券 | 菅原道真 | 北野神社 | 78×136 |
1900年12月25日 | 甲百圓券 | 藤原鎌足 談山神社 | 日本銀行 | 104×180 |
1899年10月1日 | 甲拾圓券 | 和気清麻呂 護王神社 | 猪 | 96×159 |
1899年4月1日 | 甲五圓券 | 武内宿禰 宇倍神社 | 彩紋 | 85×146 |
1891年11月15日 | 改造百圓券 | 藤原鎌足 | 彩紋 | 130×210 |
1890年9月12日 | 改造拾圓券 | 和気清麻呂 | 彩紋 | 100×169 |
1888年12月3日 | 改造五圓券 | 菅原道真 | 彩紋 | 95×159 |
1886年1月4日 | 旧五圓券 | 彩紋 | 大黒像 | 87×152 |
1885年9月8日 | 旧百圓券 | 大黒像 | 彩紋 | 116×186 |
1885年5月9日 | 旧拾圓券 | 大黒像 | 彩紋 | 93×156 |
- (*使用開始は1945年4月16日、**使用開始は1945年8月16日、***使用開始は1945年8月17日)
- この表の「券名」表記は、当該券面の表記を尊重した。「壹」は「一(壱)」、「貳」は「二(弐)」、「拾」は「十」、「錢」は「銭」、「圓」は「円」にそれぞれ相当する。
- このうち、明治・大正時代の紙幣や、昭和戦前・戦時中の高額券などは、古銭的価値が評価され取引されている。旧百圓券や改造百圓券は現存数が数枚ほどしかないと推測されており、少なすぎて取引例はほぼ皆無である(よって相場価格がない)。乙貳百圓券なども現存数が非常に少ないといわれる。
参考:未発行券
- 甲五拾圓円券は昭和金融恐慌の際に取り付け騒ぎの沈静化のため必要とされ、急きょ大蔵省告示で制定され製造もされた(1927年)が、騒ぎが鎮静化したため結局発行されなかった。これは裏面が無印刷といういかにも急ごしらえの紙幣であった。なお、同時期の乙二百圓円券も同様に裏面が無印刷であったがこちらは実際に発行された。
- は拾圓券(和気清麻呂)・い千圓券(日本武尊)・い五百圓券(武内宿禰)は、戦時中に製造されたがあまりにも作りが貧弱で、大蔵省告示もないまま結局発行されなかった。
- 戦後1945年から、他のA券と同様にA千円券・A五百円券の発行の準備が進められていた。このときの図案原案は、伐折羅大将像(千円券)、弥勒菩薩像(五百円券)というものであった。しかしGHQから、これら高額券はインフレーション助長の可能性があると指摘され、さらに肖像にもクレームがつき、告示も製造もされなかった。なお、このときの千円券の(肖像以外の)図案はA十円券に流用された。
- A千円券については、その後再度発行が企画され製造もされた(1946年)。しかし、甲千円券の図案・原版を再利用したものであったため、既に兌換制度が廃止されていたにもかかわらず「日本銀行兌換券」の文字と兌換文言(此券引換に金貨千圓相渡可申候)が残っているという不都合があった。また依然インフレーション助長の懸念もあったため、結局告示もされず発行されなかった。
日本銀行券の肖像になった人物(現在有効な券)
- 二宮尊徳(A一円券)
- 武内宿禰(改造一円券など)
- 高橋是清(B五十円券)
- 板垣退助(B百円券)
- 伊藤博文(C千円券)
- 聖徳太子(A百円券、B千円券、C五千円券、C一万円券)
- 岩倉具視(B五百円券、C五百円券)
- 福澤諭吉(D一万円券、E一万円券)
- 新渡戸稲造(D五千円券)
- 夏目漱石(D千円券)
- 紫式部(D二千円券 ※ただし肖像としてではなく裏面の図柄として)
- 樋口一葉(E五千円券)
- 野口英世(E千円券)
関連項目
出典
- ^ 第125回事業年度財務諸表等(日本銀行)p4 (PDF)
- ^ 平成21年度政策評価書(財務省)p288 (PDF)
- ^ 日本銀行 (2011年4月26日). “日本銀行券一万円券および千円券の記号および番号の印刷色変更について”. 2011年4月26日閲覧。
- ^ 財務省 (2011年4月26日). “日本銀行券一万円券及び千円券の記号及び番号の印刷色を変更します”. 2011年4月26日閲覧。
- ^ “2千円札流通量 300万枚突破”. 琉球新報. (2007年1月10日)
外部リンク
- 銀行券・貨幣の発行・管理(日本銀行)
- 国立印刷局