御堂筋
御堂筋(みどうすじ)は、大阪府大阪市の中心部を南北に縦断する国道。現代の大阪市における南北幹線の基軸である。
概要
名前は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来する。
全長4,027メートル、幅43.6メートル、全6車線の幹線道路で、日本の道100選のひとつ。交通量が増加したため1970年、大阪万博の開催を機に国道1号・国道2号と交差する梅田新道交差点より南の全車線が南行きの一方通行となる。平日の昼12時間の交通量は、自動車28,000-38,000台、歩行者10,000-26,000人となっている[1]。
沿道には約887本のイチョウが植えられている。毎年10月には、1983年(昭和58年)から2007年(平成19年)まで御堂筋パレードが開催されていたが、現在は代替イベントとして御堂筋kappoが行われている。
路線データ
歴史
記録上、御堂筋の名が初めて現れるのは1615年(元和元年)、大坂夏の陣の落人狩りなどを記録した徳島藩の「大坂濫妨人落人改之帳」の中で、捕らえられた男女のうち、男1人の居場所として「大坂御堂筋」と記されているのが最初である。松尾芭蕉の没地は現在の大阪市中央区久太郎町4丁目付近で、御堂筋拡幅により現在は御堂筋の車線上にある。
江戸時代以来御堂筋と呼ばれていた区間は、船場の淡路町 - 博労町間においてのみで、同区間以北では淀屋橋(土佐堀川)を渡って中之島へ出る道であることから「淀屋橋筋」と呼ばれていた。現在のように一本道ではないが大江橋(堂島川)と蜆橋(曾根崎川)を渡って曾根崎新地へ出ることもできた。しかし、同区間以南では順慶町通など東西方向の通が主体となり、名称らしい名称すらなく、長堀川には架橋されず末吉橋通で完結していた。また、淡路町通との交差点では屈折も見られ、道幅は3間ほどしかなく、堺筋・難波橋筋・心斎橋筋などと比べて見劣りのする、人通りの少ない道であった。
大正時代に入ると、大阪市助役から市長となった關一の都市計画により、1926年(大正15年)から地下鉄御堂筋線建設と合わせて総工費約3,380万円をかけて拡幅工事が行われ、翌年5月11日に完成し、ほぼ現在の姿となった[3]。新橋(長堀川)、道頓堀橋(道頓堀川)が架橋されたのはこの時である。また、この工事の影響で北御堂が移動し、南御堂とともに沿道に並ぶ形になったため、全線「御堂筋」と名付けられた。淀屋橋から本町までの道の両側には彫刻が設置されている。なお、淀屋橋交差点以北は1908年(明治41年)に完成した梅田新道が母体となっている。
御堂筋周辺の建物は、1920年(大正9年)12月1日施行の市街地建築物法に基く百尺規制によりその高さが揃っている。1969年(昭和44年)の建築基準法改正で規制が容積制になったため、以降は大阪市が高さを指導してきた。1995年(平成7年)から御堂筋に面する外壁の高さが50m、10m後方部分が60mと指導される。2007年(平成19年)2月から一部の地区で1階を公共の空間とするのを条件に、後方部分の高さ制限が140mに緩和されている。
2006年(平成18年)6月の改正道路交通法により導入された民間駐車監視員制度・放置違反金制度で、全線が最重要路線に指定された結果、沿線の放置車両が劇的に減少した。また大阪市が2007年(平成19年)4月に路上喫煙禁止条例を施行したのに伴い、7月に過料1,000円を徴収する喫煙禁止区域に御堂筋の車道と歩道が指定されることが正式決定され、10月より施行された。
2012年(平成24年)4月1日、国道25号[2]の梅田新道 - 難波西口間約3.7kmが指定区間から除外され、国土交通省から大阪市に移管された[4][5]。
地理
- 北区
- 日本銀行大阪支店旧館(設計:辰野金吾、葛西万司、長野宇平治)
- 淀屋橋(設計:大谷龍雄(原案)、武田五一・元良勲)
- 中央区
道路施設
交差する道路
交差する道路 西←<御堂筋>→東 |
交差点 | |||
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(東側起点) <都島通> 市道大阪環状線 (天六方面) | ||||
<扇町通> 市道大阪環状線 |
<扇町通> 市道扇町公園南通線 |
阪急前 | 大阪市 北区 | |
(西側起点) 国道176号 (十三方面) | ||||
市道南北線 | <扇町通>※ 市道大阪環状線 |
阪神前 | 大阪府大阪市 | 北区 |
<曽根崎通> 国道2号 |
<曽根崎通> 国道1号(重複=R163) |
梅田新道 | ||
- | <新御堂筋> 国道423号 |
梅新南 | ||
<中之島通> | 大江橋南詰 | |||
<土佐堀通> 市道江戸堀線 |
<土佐堀通> 府道168号石切大阪線 |
淀屋橋 | 中央区 | |
<本町通> 国道172号 |
<本町通> 市道本町左専道線 |
本町3 | ||
<中央大通> 市道築港深江線 |
船場中央3 久太郎町3 | |||
<長堀通> 府道173号大阪八尾線 |
<長堀通> 国道308号 (重複=r173) |
新橋 | ||
<千日前通> 市道難波境川線 |
<千日前通> 府道702号大阪枚岡奈良線 |
難波 | ||
国道25号 (重複=R26・R165、大国方面) |
※御堂筋からは右折禁止のため、進入は不可。
交通量
調査地点 | 平日昼間 | 休日昼間 | 平日24時間 | 休日24時間 |
---|---|---|---|---|
瓦町 | 37,623 | 25,199 | 55,615 | 38,642 |
周防町 | 27,415 | 22,339 | 40,574 | 34,179 |
新歌舞伎座前 | 22,254 | 19,923 | 32,936 | 30,482 |
※調査日: 2005/10/16(休日)、2005/10/19(平日)[6] ※昼間は7時から19時 |
公共交通機関
地域
キタ: 阪神前(梅田駅・阪神百貨店梅田本店・阪急百貨店うめだ本店)→梅田新道(梅新)→梅新南(北新地)→
堂島・中之島: 大江橋北詰→大阪市役所・日銀大阪支店→淀屋橋北詰→
船場: 淀屋橋(南詰)→道修町→本町(北御堂)→船場中央(船場センタービル)→南御堂→南船場→新橋→
ミナミ: 大丸前(大丸心斎橋店)→道頓堀橋南詰(道頓堀)→難波(大阪難波駅)→難波西口(南海難波駅・高島屋大阪店)
御堂筋を舞台とする歌曲
- 雨の御堂筋 - 欧陽菲菲
- 大阪ロマネスク - 関ジャニ∞
- たそがれの御堂筋 - 坂本スミ子
- 大阪ラプソディー - 海原千里・万里
- 御堂筋BLUE - 松本孝弘
- 御堂筋PLANET - 矢井田瞳(2006年)
- 恋する御堂筋 - 江本孟紀・入江マチ子
- 大阪LOVER - DREAMS COME TRUE
- 大阪エレジー - シャ乱Q
- 夜霧のハウスマヌカン - やや
- 銀杏並木 - デューク・エイセス(にほんのうた「大阪」)
- 御堂筋を歩こう - ssllee(スリー)[7]
その他
- 「御堂筋」をつける銀行支店のうち、三菱東京UFJ銀行御堂筋支店(中央区伏見町)は入金照合サービスの仮想口座で使用する被振込専用支店のため、実際には営業窓口は存在しない。その他に三井住友銀行(中央区久太郎町)(旧太陽神戸銀行船場支店)とりそな銀行(中央区平野町)(旧大和銀行御堂筋支店)が存在する。
- 1959年(昭和34年)に南海ホークスが日本一を達成した時に御堂筋でパレードを行ったが、その時の見物客は40万人といわれている。また、2003年(平成15年)11月3日に阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝した時の優勝パレードの動員数も、雨にもかかわらず40万人に達した(同日午後に開催された神戸では25万人)。その2年後の2005年11月6日に行われた阪神タイガースの優勝パレードの動員数は18万人だった。
- 2006年9月3日から9日、大阪フィルハーモニー交響楽団の大植英次音楽監督のプロデュースにより、大阪フィルハーモニー協会と大阪市の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演が展開された。期間中、御堂筋沿線の18の会場において、大阪フィルハーモニー交響楽団の団員による室内楽など計50公演が行われた。大植音楽監督によれば、1つのオーケストラの団員が1週間にわたって「街に出て」公演を行うというのは「僕の知る限りおそらく世界の都市で初めての試み」。大阪を象徴する御堂筋で、1週間にわたってクラシック音楽の本格的な公演が行われたことは、しばしば叫ばれている「大阪市の都市格向上」にも大いに貢献した。大阪クラシックは、2009年現在、その後も毎年開催され、晩夏の大阪の文化イベントとして定着している。
- 島之内では、交差する道路名(旧町名)と併せた、いわゆる京都方式の交差点名が見られるが、「御堂筋大丸前」は例外である。2009年10月までは「大丸そごう前」だったが、そごうの閉店と大丸への売却に伴い変更された。この際、「大丸前」とはならず、御堂筋と交差するという意味ではなく、御堂筋を冠称した形の交差点名となった。なお、交差する道路名は大宝寺町通である。また、この大丸は「心斎橋店」であり、拡幅工事以前には、心斎橋筋にのみ面していた。
- 2011年7月に、御堂筋沿いに設置されたブロンズの彫刻像のうち19体に、赤い服のようなものが着せ掛けられているのが見付かった。当初は悪質な悪戯と見られていたが[8]、彫刻の損壊が無く、また、サイズも相当に上手くフィットしていたため、アートセンスを評価する意見が多くなっている[9]。
ギャラリー
参考文献
- 神戸大学附属図書館 戦前期新聞記事文庫
- 大阪市の交通難 いたるところに親不知の難所(大阪毎日新聞 1927.6.28(昭和2))
- 大阪市高速度鉄道愈々今月から起工(大阪毎日新聞 1930.3.1(昭和5))
- デパートと地下鉄の紛糾オッぱじまる(大阪朝日新聞 1933.10.2(昭和8))
脚注
- ^ 御堂筋の交通量の情報 (大阪国道事務所)
- ^ a b 国道26号と国道165号の重複区間。
- ^ 当時としてはあまりにも幅がありすぎる道路形成になったため、一部から「街の真ん中に飛行場でも作る気か?」などと言われた。しかし、こういう意見に対し關一は「将来必ず役に立つことだから」と、工事を断行し、そのような意見には耳を貸さなかった。また、工事の莫大な費用を賄うため受益者負担金制度をとり、周辺住民・商店との摩擦もあった。
- ^ 一般国道の指定区間を指定する政令の一部を改正する政令について(国土交通省2012年3月16日付プレスリリース、2012年3月22日閲覧)
- ^ 御堂筋の国から大阪市への移管に向けた協議状況について(大阪市2011年11月21日更新、2012年3月22日閲覧)
- ^ 大阪市内の道路の交通量について 大阪市
- ^ ssllee
- ^ アート集団いたずら?彫刻19体に真っ赤なドレス 御堂筋 産経新聞 2011年7月26日
- ^ いたずら転じて「御堂筋コレクション」? 大阪・赤いミステリーの顛末 産経新聞 2011年7月28日