1812年 (序曲)
クラシック音楽 |
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序曲『1812年』(じょきょく1812ねん、露: Торжественная увертюра «1812 год»)変ホ長調 作品49は、ピョートル・チャイコフスキーが1880年に作曲した演奏会用序曲。タイトルの「1812年」はナポレオンのロシア遠征が行われた年である。
大序曲『1812年』(だいじょきょく-)、荘厳序曲『1812年』(そうごんじょきょく-)、または祝典序曲『1812年』(しゅくてんじょきょく-)などと呼ばれることもある。
成立・初演
1880年5月、チャイコフスキーは知り合いの楽譜出版社ユルゲンゾーンから、「ニコライ・ルビンシテインが今度行われる博覧会の音楽担当に任命され、貴殿の登用を当局に推奨している。何か作品を書いてもらいたい」という内容の手紙を受け取った。チャイコフスキーは祭事的な機会音楽を作曲することに不快感を覚え、しばらくの間依頼を放っておいた。9月になって、当のニコライ本人から作曲を依頼する手紙が来てようやく作曲する気になり、1ヶ月で完成した。
初演は、「イタリア奇想曲」とともに1882年8月20日(ユリウス暦8月8日)にモスクワの産業芸術博覧会で開催されたコンサートの一つで行われた。当時の評判は芳しくなかったが、1年後にサンクトペテルブルクでチャイコフスキー自身の指揮で演奏された際には大評判となった。
1888年には楽旅先のベルリンでも演奏された。最初は別の曲を演奏するつもりだったが、ハンス・フォン・ビューローらが「1812年」に変えるよう勧めた。
ウィーン初演は1899年1月15日で、マーラー指揮のウィーン・フィルだった(ちなみに、この演奏会は他にベートーヴェンの「セリオーゾ」のマーラーによる弦楽合奏版の初演、ならびにシューマンの交響曲第1番の同じくマーラー編による初演があった)。
日本での初演は定かではないが、海軍軍楽隊が1937年1月28日のラジオ放送で演奏している[1]。
構成
チャイコフスキー自身は曲中に特に標題を記してはいないが、解説書などでは便宜上いくつかの部分にわけた上で、標題をつけて解釈されているものもある。全体としては長大な序奏と自由なソナタ形式の主部、大規模なコーダで構成される。
- 第1部(1-76小節):Largo
- ヴィオラとチェロのソロが奏でる正教会の聖歌「神よ汝の民を救い」("Спаси, Господи, люди Твоя")にもとづく変ホ長調の序奏に始まり、以後木管群と弦楽器群が交互に演奏する(後述のように、この部分を合唱に置き換える演奏もある)。和音の強奏で序奏を終えるとオーボエ、ついでチェロとコントラバスに第1主題がゆだねられる。Andanteの部分が近づくにつれてメロディーも次第に激しくなる。
- 第3部(96-357小節):Allegro giusto
- この部分は変ホ短調のソナタ形式で書かれている。ボロジノ地方の民謡に基づくといわれている主題があるため、「ボロジノの戦い」と説明がつくこともある。
- 第一主題の提示に続いて、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律をホルンが演奏するのをきっかけに、金管楽器群で反復して演奏される。やがて、木管群と弦楽器群が第一主題を繰り返し、またラ・マルセイエーズの主題が現れる。激しい咆哮が終わると、一転して緩やかな嬰ヘ長調(変ホ短調の平行調である変ト長調と 同じ調)の第二主題に引き継がれ、その後でロシア民謡風の主題も現れる。227小節からは再びラ・マルセイエーズの主題が響くが、前半部分とはうって変わり各パートを転々としながら演奏される。ラ・マルセイエーズの主題は次第に貧弱になり、326小節から332小節にかけてコルネットとトロンボーンで伸びに伸びきって演奏され、それを凌駕するように管楽器群・弦楽器群・打楽器群が咆哮する。最初の大砲もこの部分で5回「発射」される。山場を越えると各楽器群とも駆け下りるような音形となる(Poco a poco rallentando)。
- 第5部(380-422小節):Allegro vivace
- 全楽器強奏で始まり、ロシア帝国国歌がバスーン、ホルン、トロンボーン、チューバ、低音弦楽器で演奏され、鐘が響き大砲もとどろく。なお、ソ連時代にはロシア帝国国歌が演奏禁止とされ、それに伴いロシア帝国国歌の部分がミハイル・グリンカ作曲の歌劇「イワン・スサーニン」(皇帝に捧げし命)の終曲に書き換えられた版も存在する。これについては編曲者の名前を取って「シェバリーン版」とも言われる。
楽器編成
本物の大砲
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/28/1812_overture.jpg/240px-1812_overture.jpg)
クライマックス付近では楽譜上に大砲 (cannon) の指定がある。初演の際に本物の大砲を使ったかどうかについては、解説書等でも「実際の大砲が使われ…」という肯定説や、「チャイコフスキーが生前意図しながら果たせなかった…」という否定説など様々あり、結論は出ていない。記録上で最初に大砲を使った「1812年」の演奏としては、年次は不明ながらロンドンのクリスタル・パレスにおけるコンサートといわれているが、詳細は不明である。日本では、1962年5月12日に西宮球場で行われた「第2回2000人の吹奏楽」での演奏が記録に残る古い物の一つである(2年後の第4回、2000年の第40回で再演されている。第40回では大砲は使わなかった)。
現在では、ボストン交響楽団の夏の拠点であるタングルウッド音楽祭における演奏等で本物の大砲を使った「1812年」の演奏が聴けるほか、次のように各地の陸上自衛隊の行事でしばしば演奏される。いずれも空包で演奏される。
演奏年 | 会場(所在地) | 行事名 |
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2007年 | 東富士演習場(静岡県御殿場市) | 富士総合火力演習 |
2008年 | 島松駐屯地(北海道恵庭市) | 北海道補給処・島松駐屯地 創立記念行事 |
2008年 | 善通寺駐屯地(香川県善通寺市) | 第14旅団 創隊記念行事[2] |
2010年 | 朝霞訓練場(埼玉県朝霞市) | 中央観閲式[3] |
2010年 | 伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市) | 中部方面隊 創隊50周年記念行事[4] |
通常のコンサートホールで行われる演奏ではバスドラムで代用される事が多く、この場合は片面の除去やチューニングを狂わせる等の効果音的な楽器加工も行われる。電子楽器の使用に対して前向きな指揮者らによりシンセサイザーが使用されるケースも増えている。2010年10月3日に『題名のない音楽会』第2188回で放送された「描写する音楽~『1812年』人気の秘密」では大砲風に装飾したスモークマシンを使用した。
レコーディング
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最初の録音は1915年に行われている(ロシア軍がフランス軍を敗走させる部分よりの数分間)。戦前にはレオポルド・ストコフスキーやチャイコフスキーも巧みに演奏したウィレム・メンゲルベルクが録音をし、戦後はアルトゥール・ロジンスキが戦後初の録音をしたが、この曲で特に話題になった演奏は、1958年にアンタル・ドラティがミネアポリス交響楽団、ミネソタ大学吹奏楽団を指揮したもの(米マーキュリー。映画用35mm磁気テープによる高音質録音。1954年に同曲を同じ組み合わせでモノラル録音でレコード化していた)で、大砲は無論実物(青銅製の12ポンド曲射砲。陸軍士官学校からの借り物)であった。その後はドラティ盤に倣って実物の大砲を使う録音が増えた。
録音技術がアナログからデジタルに移行しつつあった1978年にはテラークがエリック・カンゼルとシンシナティ交響楽団を起用して、会社最初のデジタル録音をこの曲で行い、兵器博物館から借り出した当時の大砲と教会の鐘を使用し迫力あるサウンドを作り出した。この録音には「音量を大きくしすぎてスピーカーを壊さないように注意」という注意書きがあった。
レコーディングに際しては、その多くがオーケストラの演奏と大砲の音は別々に録音している。両者の音を同時に録音した例としては1990年12月1日にサンクトペテルブルクで行われた、チャイコフスキー生誕150年記念コンサートでのライヴ録音がある(指揮ユーリ・テミルカーノフ、演奏レニングラード・フィルハーモニー交響楽団)。この時、大砲はホール前の広場で撃ったが、オーケストラはホールで演奏していた。
また、冒頭の部分(オリジナルはヴィオラとチェロのソロ演奏)を合唱に変えている録音もあり、カラヤン盤(ドン・コサック合唱団)、マゼール盤(ウィーン国立歌劇場合唱団)、デイヴィス盤(タングルウッド祝祭合唱団)、オーマンディ盤(テンプル大学合唱団)、西本智実盤(ユルロフ記念国立アカデミー合唱団)、等が代表的である。
その他
- 映画「Vフォー・ヴェンデッタ (映画)」では2度の爆破シーンの背後で流された。また、映画を象徴する楽曲としてCMではロシア帝国国歌パートが使用されていた。
- アガサ・クリスティ原作の推理小説『ダベンハイム失そう事件(原題:The Disappearance of Mr. Davenheim)』では、事件のトリックにこの大砲を用いたものが登場する。
- ヘリコプター弦楽四重奏曲
- ジョージアのテレビCM(http://www.georgia.jp/info/cm/)で『麻雀』篇、『ゴルフ練習場』篇を除く全てで今日も上出来のテーマに歌付きで使用されている。
- AOKIのテレビCMにラスト付近が使用されている。
- ロック・ドラマーのコージー・パウエルは、この曲に合わせてドラム・ソロを叩く演出を得意としていた。コージーのソロ・アルバム『オーヴァー・ザ・トップ』(1979年)や、レインボーのDVD『Ritchie Blackmore's RAINBOW Live In Munich 1977』で確認できる。
- ビデオゲーム「ジャンプバグ」(1982年、コアランド/セガ)において、ピラミッドクリア時と滑走路着陸時に流れるBGMとしてこの曲が使われている。
- 筒井康隆はこの曲を題材に『ナポレオン対チャイコフスキー世紀の決戦』(新潮文庫『くたばれPTA』収録)という短編小説を書いている。
- 映画「のだめカンタービレ最終楽章 前編」では予告編で終結部が使用されていた。
- 映画「のだめカンタービレ最終楽章 前編」でルー・マルレ・オーケストラ(架空のフランスのオーケストラ)の千秋が常任指揮者に就任後の定期公演の演目として演奏された。劇中では劇場の外で大砲が鳴らされる演出がなされた。フランス国歌をロシア国歌が踏み潰す趣向のこの曲を、実際にフランスの団体が演奏することがあるのかどうかという疑問も出されている。映画に実際に出演しているのはチェコのブルノ・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー達である。
- イギリスの自動車番組「トップ・ギア」のSeries12 Episode6で新型フォード・フィエスタをファミリーカーとして「普通の」レビューを行うための締めくくりとして、イギリス軍の上陸作戦(演習)に参加した際のBGMとして使用された。
関連項目
- 大序曲『1712年』 (P. D. Q. バッハ作曲) - 本作の曲想を基調とする冗談音楽。CD化もされている、管弦楽曲である。
脚注
- ^ (針尾玄三編『海軍軍楽隊 花も嵐も……』近代消防社)
- ^ YouTube 2008年5月25日 第14旅団創隊記念行事
- ^ YouTube 2010年10月17日 中央観閲式(リハーサル)
- ^ YouTube 2010年10月17日 中部方面隊創隊記念行事
参考文献
- 園部四郎『全音スコア 荘厳序曲「1812年」』全音楽譜出版社。ISBN 4-11-891651-7
外部リンク
- predanie.ru正教会ポータル「predanie.ru」中のページ。「神よ汝の民を救い」の実演データあり(17曲目)。ロシア語。
- 1812 Overture, Op.49 (Tchaikovsky, Pyotr Ilyich)の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- Russian national anthem “God Save the Tsar” in Tchaikovsky’s music — 帝政ロシア国歌が含まれる原典版とソ連時代に演奏された版とを比較する音源を公開。MP3をダウンロード可能。