岡﨑太一

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岡﨑 太一
阪神タイガース #57
2009年8月28日、ナゴヤ球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県五條市
生年月日 (1983-06-20) 1983年6月20日(40歳)
身長
体重
180 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2009年4月4日
年俸 850万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岡﨑 太一(おかざき たいち、1983年6月20日 - )は、阪神タイガースに所属する奈良県五條市出身のプロ野球選手捕手)。

経歴

プロ入り前

小学生の時に「牧野ジュニアーズ」で野球を始めてから、ずっと捕手を務めている。智弁学園高校時代は秦裕二バッテリーを組み2001年第73回選抜高等学校野球大会第83回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場し、夏は16強入りに貢献。

高校卒業後は社会人野球松下電器に入社。後にプロでもチームメイトとなる久保康友バッテリーを組み、強肩を武器に活躍。2004年プロ野球ドラフト会議において自由獲得枠で阪神に入団。同年オフに同期入団の能見篤史と共にサンテレビの『熱血!!タイガース党』に出演し、どんなタイトルを取ってみたいかという質問に「盗塁阻止率」と答えた。

プロ入り後

2005年には、ウエスタン・リーグ公式戦48試合に出場。二軍の捕手では狩野恵輔に次いで出場機会が多く、打率.290, 出塁率.360という好成績を残した。また、通算で29本の安打のうち、二塁打を4本、三塁打本塁打を2本ずつ放った。その一方で、マスクを被った9月25日の対中日ドラゴンズ戦では、中日の打者・幕田賢治空振りから振り戻したバットが右肩を直撃。乱闘騒ぎにまで発展したが、右肩は後に完治している。

2006年には、前年に続いて、ウエスタン・リーグの公式戦で狩野に次ぐ64試合に出場。規定試合数に達した捕手ではリーグ唯一の無失策だった。打撃面では、前年を上回る4本塁打を放った一方で、打率や出塁率などが前年を下回った。

2007年には、ウエスタン・リーグ公式戦54試合に出場。しかし、ほとんどの面で前年より打撃成績を落とした。守備面でも清水誉橋本良平の両新人が積極的に起用されたため、捕手としての出場は20試合で、一塁手としての起用も多かった。シーズン終了後には、12月1日に結婚する一方で、背番号を「57」に変更している。

2008年には、前年まで捕手だった浅井良外野コンバートや、故障による狩野の出遅れなどを背景に、ウエスタン・リーグ公式戦41試合に出場。しかし、清水が正捕手格として定着したため、捕手としての出場は23試合にとどまった。また、前年に続いて、打率が2割台の前半で低迷した。

2009年には、松下電器時代にバッテリーを組んでいた久保が千葉ロッテマリーンズから移籍。岡﨑自身も、一軍の正捕手・矢野輝弘が故障で開幕に間に合わなかったことなどを背景に、プロ入り後初めて開幕を一軍で迎えた。4月4日に、東京ヤクルトスワローズとの開幕カード第2戦(京セラドーム大阪)で、スタメンマスクの狩野に代わる2番手捕手として一軍デビュー。同月7日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)では、移籍後初登板・初先発の久保とのバッテリーでスタメンに起用されると、一軍初安打を含む猛打賞と一軍初打点を達成した。シーズン通算では、一軍公式戦12試合の出場で打率.357を記録。ウエスタン・リーグ公式戦でも、47試合の出場で、打率.320、1本塁打、17打点という成績を残した。

2010年には、シアトル・マリナーズから移籍した城島健司が一軍の正捕手に定着。矢野に加えて、小宮山慎二も第3捕手として一軍のベンチに入る機会が増えた影響で、岡﨑に一軍昇格の機会はなかった。ウエスタン・リーグ公式戦では、56試合の出場で打率.262、2本塁打、13打点という成績を残した。

2011年には、FA権の行使によって移籍した藤井彰人が、故障で戦線を離脱した城島に代わって一軍の正捕手に定着。小宮山も第2捕手として出場機会を増やしたため、岡﨑は7試合にしか出場できなかった。ウエスタン・リーグ公式戦には25試合へ出場。打数は少ないながらも、打率.392(51打数20安打)、1本塁打、7打点を記録した。

2012年には、前年に続いて、一軍の正捕手に藤井、第2捕手に小宮山を起用。シーズン中に捕手の今成亮太北海道日本ハムファイターズから移籍したこともあって、岡﨑の出場は19試合にとどまった。ウエスタン・リーグ公式戦では、32試合の出場で打率.221、4打点という成績を残した。

2013年には、日高剛がFA権の行使によって移籍したため、一軍の捕手陣を「正捕手・藤井、第2捕手・日高」という布陣に変更。シーズン中に日高が故障で一軍を離れてからは、清水誉が第2捕手として一軍に定着した。この影響で、岡﨑には3年振りに一軍公式戦への出場機会がなかった。ウエスタン・リーグ公式戦でも、38試合の出場で打率.152、2打点にとどまった。

2014年には、久保のFA移籍に伴う補償措置で加入した鶴岡一成や、新人の梅野隆太郎が一軍に定着。いずれも藤井と併用されたため、岡﨑には2年続けて一軍昇格の機会がなかった。さらに、ウエスタン・リーグ公式戦でも、一軍での実績が岡﨑を上回る小宮山が正捕手格として起用。岡﨑は、途中出場を中心に46試合(捕手としては29試合)へ出場するとともに、打率.244、1本塁打、7打点という成績を残した。

2015年には、一軍で開幕からスタメンマスクを任されながら不調に陥った梅野に代わって、5月3日に出場選手登録を果たした。翌4日の対中日戦(甲子園)に、2番手捕手として3シーズン振りに一軍公式戦へ出場。打席にも1回立ったが、2日後の6日に登録を抹消されたため、一軍公式戦への出場はこの試合だけにとどまった。その一方で、ウエスタン・リーグ公式戦では、30試合の出場で打率.286を記録した。

2016年には、前年の秋季キャンプでの動きが新任の首脳陣に高く評価されたことから、春季キャンプを一軍の「沖縄組」でスタート。攻守にわたって進境を見せたことを背景に、正捕手格[1]で自身7年振りの開幕一軍入りを果たした。3月25日には、中日との開幕戦(京セラドーム大阪)に「8番・捕手」としてスタメン出場。阪神生え抜きの捕手としては球団史上最も遅い入団12年目で、初めて一軍開幕戦のスタメンマスクを任された[2]。さらに、5回裏無死1塁で迎えた第2打席で、一軍公式戦自身4年振りの安打を記録[3]。翌26日の同カードでもスタメンに起用されると、5回裏の第3打席で放った適時打によって、一軍公式戦では自身7年(2545日)振りの打点を挙げた[4]

選手としての特徴

二塁への送球で1.86秒を計測するほどの強肩が武器。その一方で、阪神への入団直後から、打力の低さを指摘されてきた[5]。2015年の秋季キャンプでは、一軍監督に就任したばかりの元チームメイト・金本知憲の指導で、十分に間を取ってからボールを弾き返す打法を体得[6]。その結果、2016年の春季キャンプでは、「(以前とは)明らかに別人」という表現で金本に評価される[7]ほどにまで打力を高めている[6]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2009 阪神 14 16 14 2 5 0 0 0 5 1 0 0 0 0 1 1 1 2 1 .357 .438 .357 .795
2011 7 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2012 19 13 10 2 1 0 0 0 1 0 0 0 2 0 0 0 1 2 0 .100 .100 .182 .282
2015 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
NPB:4年 41 34 29 4 6 0 0 0 6 1 0 0 2 0 1 1 2 6 1 .207 .291 .207 .488
  • 2015年度シーズン終了時

年度別守備成績


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2009 12 48 2 0 0 0 1.000 5 2 3 .600
2011 2 5 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2012 18 35 2 0 0 0 1.000 2 1 1 .500
通算 32 88 4 0 0 0 1.000 8 4 4 .500
  • 2014年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 27 (2005年 - 2007年)
  • 57 (2008年 - )

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク