土肥義弘
埼玉西武ライオンズ コーチ #72 | |
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埼玉西武ライオンズ時代(2009年8月27日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県鳩ヶ谷市(現:川口市) |
生年月日 | 1976年9月1日(47歳) |
身長 体重 |
177 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト4位 |
初出場 | NPB / 1998年5月19日 |
最終出場 | NPB / 2010年10月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
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この表について
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土肥 義弘(どい よしひろ、1976年9月1日 - )は、埼玉県鳩ヶ谷市(現・川口市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。2015年より埼玉西武ライオンズの一軍投手コーチ。
東京ヤクルトスワローズの土肥寛昌は、はとこにあたる。
経歴
プロ入り前
この節の加筆が望まれています。 |
1993年、第75回全国高等学校野球選手権大会に出場し準優勝を果たす。高校卒業後は社会人野球のプリンスホテルに入社。
1997年のドラフトで西武ライオンズに4位で指名され、入団。背番号は35。
西武時代
ルーキーイヤーの1998年は1試合のみの登板だった。1999年からは、主に対左打者のワンポイントとして一軍に定着し、先発、リリーフとも左投手不足だった当時の西武では貴重な存在でタフィ・ローズ(当時大阪近鉄バファローズに在籍)キラーとして名を挙げた。
2004年、先発転向を希望したが西武ではあくまでも中継ぎ要員としての評価で、一軍出場のないままシーズン途中に田崎昌弘・東和政とのトレードで横浜ベイスターズに移籍。
横浜時代
同年7月7日の対巨人戦で、タフィ・ローズを併殺打に打ち取り1球勝利で移籍後初勝利をあげた。その後左の先発投手が不足していたチーム事情から先発に転向し、この年は5勝を挙げる。
2005年には先発投手として初めて1年間投げ抜き規定投球回数をクリア、初の二桁勝利となる10勝を挙げた。特に巨人戦は7勝1敗の成績を挙げ交流戦でも古巣西武から2勝0敗の成績だった、一方残りの球団からは1勝10敗と極端な成績に終わり被本塁打もリーグトップの30本を記録。尚、得意の巨人戦で初黒星を喫した8月24日には巨人の4番小久保裕紀に3打席連続本塁打を打たれた。
2006年は4月1日の開幕第2戦の巨人戦に登板。小久保のソロ本塁打の1失点に抑え、勝利投手となり2006年チーム初勝利をもたらした。しかし、5月6日の阪神タイガース戦で金本知憲の打球を手に受けて登録抹消となり、その後首も痛めたこともあって3勝7敗防御率6.02の成績で終わった。
2007年は開幕5連勝と好調だったが、その後は故障の影響で白星が伸びなかった。最終成績は7勝8敗防御率4.47だった。
2008年は開幕当初は好投も見せていたが、打線の援護なく白星に恵まれないとその後は打ち込まれる試合が続き、開幕から4連敗で5月2日に二軍落ち。6月に中継ぎとして一軍復帰したが、3試合で6失点と結果を残せず再び二軍落ちし、その後は一軍登板機会がなく、8試合で0勝4敗防御率7.48と不本意な成績で終わった。この年に国内FA権を取得したが、10月1日に球団から戦力外通告を受ける。12月7日に埼玉西武ライオンズが獲得を発表し、5年ぶりに復帰することになった。
西武復帰
2009年4月28日に一軍昇格したが、不調で5月18日に二軍落ち。シーズン終盤の9月27日に再昇格を果たした。しかし、最終成績は12試合の登板に終わった。前年取得した国内FA権は行使せずに残留。翌2010年は一軍でスタートするものの、開幕3試合目に救援で打ち込まれ、最も酷い時には[いつ?]防御率が30点台後半にまで悪化した。しかし7月後半以降は持ち直し、同28日以降の20試合で防御率1.42と好成績で、星野智樹が不調で抜けた投手陣にあってほぼ唯一の左腕リリーフとして活躍した。ロッテとのクライマックスシリーズでは、第1戦の延長11回に福浦和也に決勝ソロ本塁打を打たれ、敗戦投手となった。翌日もチームは敗れ、CS敗退となった。10月25日、同年に取得した海外FA権を行使し、MLB挑戦を表明。球団も本人の希望を尊重し、慰留しなかった。11月28日(日本時間11月29日)、12月1日(日本時間12月2日)にカリフォルニア州にて行われた合同トライアウトに参加した。
米球界時代
2011年6月、アメリカの独立リーグであるアトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約合意したが[1]、就労ビザを取得できなかったため、公式戦登板はなかった[2]。2012年1月、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[3]。しかし、3月31日に高年齢を理由に解雇[4]。
同年6月15日にノース・アメリカン・リーグのマウイ・イカイカと投手兼コーチとして契約した[5]。同年10月9日、現役引退を表明し、今後は指導者としての道を目指す意向を明らかにした[6]。
引退後
2013年からは文化放送・テレ朝チャンネルの野球解説者として活動。また『TVSライオンズアワー』(テレビ埼玉)ではリポーターを務める。6月15日にカリフォルニア州サンディエゴに本拠地をおくサマーリーグ球団「サムライ サンディエゴ」の投手コーチとして入団することが発表された。
2014年、10月11日に西武の一軍投手コーチへの就任が発表された[7]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1998 | 西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 1.1 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 27.00 | 4.50 |
1999 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 139 | 34.1 | 24 | 0 | 15 | 3 | 2 | 27 | 2 | 0 | 10 | 9 | 2.36 | 1.14 | |
2000 | 55 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | -- | .750 | 210 | 49.2 | 44 | 4 | 19 | 3 | 0 | 30 | 1 | 1 | 18 | 16 | 2.90 | 1.27 | |
2001 | 39 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 101 | 25.0 | 18 | 1 | 7 | 2 | 2 | 23 | 2 | 1 | 11 | 10 | 3.60 | 1.00 | |
2002 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 179 | 43.2 | 30 | 3 | 14 | 2 | 3 | 41 | 1 | 0 | 14 | 13 | 2.68 | 1.01 | |
2003 | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | -- | .333 | 145 | 34.1 | 39 | 7 | 7 | 1 | 1 | 27 | 0 | 0 | 16 | 16 | 4.19 | 1.34 | |
2004 | 横浜 | 18 | 13 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | -- | .500 | 330 | 80.1 | 89 | 14 | 11 | 0 | 4 | 67 | 0 | 0 | 41 | 37 | 4.15 | 1.24 |
2005 | 26 | 25 | 4 | 1 | 1 | 10 | 11 | 0 | 0 | .476 | 675 | 164.2 | 160 | 30 | 30 | 1 | 7 | 106 | 4 | 0 | 80 | 70 | 3.83 | 1.15 | |
2006 | 14 | 14 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | 0 | .300 | 359 | 80.2 | 106 | 14 | 21 | 0 | 4 | 39 | 0 | 0 | 54 | 54 | 6.02 | 1.57 | |
2007 | 18 | 17 | 0 | 0 | 0 | 7 | 8 | 0 | 0 | .467 | 398 | 92.2 | 104 | 15 | 23 | 0 | 7 | 43 | 0 | 1 | 51 | 46 | 4.47 | 1.37 | |
2008 | 8 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | .000 | 127 | 27.2 | 41 | 6 | 6 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 23 | 23 | 7.48 | 1.70 | |
2009 | 西武 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | .000 | 44 | 10.2 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | 0 | 7 | 6 | 5.06 | 0.94 |
2010 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | ---- | 89 | 18.0 | 24 | 1 | 11 | 1 | 1 | 10 | 0 | 0 | 16 | 13 | 6.50 | 1.94 | |
通算:13年 | 335 | 74 | 4 | 1 | 1 | 31 | 45 | 1 | 7 | .408 | 2805 | 663.0 | 693 | 96 | 166 | 13 | 34 | 437 | 10 | 3 | 345 | 317 | 4.30 | 1.30 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 投手記録
- 初登板:1998年5月19日、対日本ハムファイターズ6回戦(東京ドーム)、3回裏2死に2番手で救援登板、1回1/3を4失点
- 初奪三振:同上、4回裏に野口寿浩から
- 初勝利:1999年9月30日、対千葉ロッテマリーンズ27回戦(千葉マリンスタジアム)、4回裏に2番手で救援登板、3回無失点
- 初セーブ:2003年9月15日、対オリックス・ブルーウェーブ24回戦(Yahoo! BBスタジアム)、9回裏2死に4番手で救援登板・完了、1/3回を無失点
- 初先発:2004年7月21日、対阪神タイガース15回戦(横浜スタジアム)、5回1/3を2失点
- 初先発勝利:2004年8月6日、対ヤクルトスワローズ18回戦(平塚球場)、6回2/3を無失点
- 初完投勝利:2005年4月7日、対読売ジャイアンツ3回戦(横浜スタジアム)、9回6失点
- 初完封勝利:2005年6月22日、対読売ジャイアンツ8回戦(横浜スタジアム)
- 初ホールド:2009年4月28日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(西武ドーム)、7回表に2番手で救援登板、1回無失点
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2004年7月21日、対阪神タイガース15回戦(横浜スタジアム)、4回裏に金澤健人から左前適時打
- その他の記録
- 1球勝利投手:2004年7月7日、対読売ジャイアンツ15回戦(東京ドーム)、7回裏1死にタフィ・ローズを二塁ゴロ併殺打 ※史上18人目(セ・リーグ10人目)
背番号
- 35 (1998年 - 2004年途中)
- 30 (2004年途中 - 2008年)
- 38 (2009年 - 2010年)
- 19 (2012年)
- 72 (2015年 - )
脚注
- ^ “西武FA土肥が合意、米独立リーグ”. 日刊スポーツ (2011年6月15日). 2011年6月16日閲覧。
- ^ “元西武左腕 年収0円から再出発「ハングリーさの点で僕はまだまだ」”. スポーツニッポン (2012年1月29日). 2012年1月29日閲覧。
- ^ “前西武土肥がオリオールズとマイナー契約”. 日刊スポーツ (2012年1月14日). 2012年1月14日閲覧。
- ^ “年齢の壁 オリオールズ 土肥を解雇”. スポーツニッポン (2012年4月1日). 2012年3月31日閲覧。
- ^ “土肥がハワイ「マウイ・イカイカ」と契約”. 日刊スポーツ (2012年6月15日). 2012年6月15日閲覧。
- ^ “元西武・土肥が引退…指導者の道へ「日米で学んだことを伝えたい」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年10月9日). 2012年10月9日閲覧。
- ^ 2015年度 コーチングスタッフ発表!西武球団公式サイト2014年10月11日配信
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 土肥義弘 - NPB.jp 日本野球機構